2:再会の前兆
水越流華の学校生活は、女子生徒達からの引っ切り無しな朝の挨拶から始まる。
「おはようございます水越先輩!」「水越さん、今日はなんだか元気ないね!どうしたの?」「今日帰りに一緒にどこか寄らない?」「あ、あの水越先輩!これ、今朝焼いたクッキーです!作りすぎちゃったので、良かったら食べてください!」「ていうかあたしを食べてください水越先輩〜!!」
昇降口で上履きに履き替え、校内へ足を踏み入れた瞬間に女子生徒がワラワラと寄ってきて黄色い声を発してくる。ちなみに全て後輩、同輩である。
「おはよう。ううん、そんなことないわよ。ごめんなさい、今日は家で稽古に打ち込みたいから。ありがとう、喜んでいただくわ。悪いけどそれは遠慮するわね、私ノンケだから」ルカも慣れた様子で一人一人にきちんと応対していく。名スポーツ選手のファン対応もかくやだ。
この仲暮高校の校舎は、三階には三年生の教室が集まっており、四階が二年生、五階が一年生である。
二年生であるルカは四階で登りをやめて廊下を歩く。そこで後輩女子は周りからいなくなる。ルカが自分の教室へ入ると同輩も各々のクラスへ散った。
全員と友好的な笑みで別れたルカは、教室に入った途端重々しい倦怠感に苛まれた。
「あー……帰りてぇ」
窓際前方二番目にある自身の席に落っこちるように座り、おおよそ女らしくない声を発する。
正直、今の自分としては学校に通うよりも水越流の稽古に時間を割きたかった。仮病を使って休んで稽古しようとも考えなくもなかったが、父はそういう点には厳しい人であるためきっと叶わない。なので渋々、こうして学生の本分を全うしている。
そこへ、先程のように大人数で押し寄せて来られては辟易もする。
自分を慕ってくれるのは嬉しいが、今は出来れば放っておいて欲しかった。けどそれを直接口にする事ははばかられたため、受け入れるしかなかった。
「随分とTiredねー、英武館次期館長どの?」
そこへ、飽きるほど耳にしてきた悪友の声が加わってきたのだからタチが悪い。
「うっさい、ゴッデス。その呼び方するなっつーの」
後輩女子にはとても浴びせないであろうぞんざいな口調で文句を言いつつ、机の前に立つ声の主へジト目を向ける。
背丈はルカより少し低い程度。学校指定のブレザーではなくペールオレンジのセーターを着用しているその体は、ゆったりした生地越しでも豊かで形の良い双丘を大いに主張している。毛先辺りにゆるゆるとウエーブがかかったショートヘアは生え際まで全て金色。そこだけ見ると白人だが、天然金髪の下にある愛敬のある美貌は、東アジア人と西洋人の間を取ったような造作をしていた。
東西ハーフの顔立ちをにへら、と嬉しそうに緩める悪友。
「やっぱりルカはそう呼んでくれるんだー。他の人は気の毒そうに「橘さん」って呼ぶのに」
「そりゃあんた、「女神」と書いて「ごっです」と読むなら……ねぇ」
ルカもまた気の毒そうに言葉を濁す。
橘女神。それがこの悪友の名前だった。
読めば分かるだろうが、お手本のようなキラキラネームである。そのため彼女の名前を初めて聞いた者は、みな例外なく微妙な顔をする。
しかし侮るなかれ。彼女はこう見えて古流忍術「橘流忍法」宗家の次女なのだ。
彼女の父とルカの父は旧知の仲で、その繋がりから幼い頃にルカとゴッデスは出会った。そこからずっと交友が続いている感じだ。いわゆる腐れ縁である。
「Unkind! かっこいーじゃん!かっこいーじゃん!」
ゴッデスはぷりぷりと抗議する。橘家のセンスは独特で、普通の人なら「あいたたたた」というリアクションを取らずにはいられないキラキラネーミングでも「マジかっけぇ!」と感動する。彼女の名前はその証明ともいえる。
同意しかねたルカは口元の寂しさを紛らすために、机に置いておいた紙袋からクッキーを一枚取って食べる。少し固いが、程よい甘みと香ばしさでなかなか美味しい。先程後輩から貰ったものだ。
「いやー、相変わらずモテモテよねぇ、ルカってば。並の男よりも腕っ節が強い上に、勇ましくて誠実だから、男よりも女からモテちゃうのね。いっそ女子校に転入してみれば?New worldが開けるかもよ?」
「バカおっしゃい。というか、見てたんなら助けなさいよ」
ふふふ、と猫のように口元を歪ませて笑うゴッデス。
我が悪友は忍術譲りの隠密能力と広い交友関係ゆえに、探偵並みの情報通だ。特に東京の武術界について尋ねれば、彼女に答えられない事はほとんど無いと言っていい。
その情報通の口から、少しだけ興味の引かれる情報が出された。
「そういえばさー、今日、一年生のTransferが来るみたいよ」
「え?そうなの?初めて聞いたわよ」
「ルカ……もうちょっと周りの事にもInterest持とうよ。もうみんな大体知ってるよ」
「う、うるさいわね。それで、どんな人なの?その転校生って」
「What?What?やっぱ興味アリ?男か女か気になるんだね?」
「あーもう!話が進まない!」
混ぜっ返す悪友に、ルカはくたびれたように目頭を揉んだ。
ゴッデスは生き生きした顔で机に身を乗り出し、
「Be glad。その転校生は男の子。格好こそ変だけど、超イケメンって噂よー」
「そう……って、なんで私が喜ばないといけないのかしらっ?」
「だってルカってば、イケメン転校生との恋!みたいなSituation大好きっしょ?」
「そ、そんな事ないわよ」
「You are liar。そういう類の少女漫画、いっぱい隠し持ってるクセに」
「な、ななななんでそんな事知ってんのよバカ!」
「ふっふっふ、あたしの情報網をナメちゃNoよ。あと、学校に内緒でメイ——」
「わー!わー!わー!」
大きく声を上げつつ、悪友を口を塞ぐ。これ以上この全自動おしゃべり機を放置していたら、どんな情報を漏洩するか分かったもんじゃない。
しかし、ふと気になる言い回しを思い出したルカは、ゴッデスの口を塞ぐ手を引っ込めた。
「ところで、さっき「格好が変」って言ってたけど、それってどういうこと?」
「ふぅ…………えっと、それはねー、|Can’t believe《信じられない》かも知れないけど…… 」
ゴッデスは一呼吸置いてから、次のように言った。
「その人ね——Samuraiの格好をしているらしいの」