死はある日突然に
世の中には“犬猿の仲”という言葉がある。
顔を合わせれば、どちらからとも喧嘩を始める険悪な関係という意味だ。
小学生の頃、同じクラスにそういう仲の二人がいた。
そいつらは目と目が合っただけでガンをつけあい、次にはバカとかアホとか互いに罵りあい、最後には殴りあいになっていた。
その頃の僕は「低レベルな争いだな」と冷めた目で2人を見ていただけだった。
顔を合わせたり、些細な事が原因で喧嘩をする彼らの気持ちが全くわからず、理解する気もなかった。
――そんな風に思っていた僕が、まさか高校二年生にもなって、彼らと同じようになるとは、ね……。
冷静になるべく同級生の低レベルな争いを思い出していたが、効果は無かった。
むしろ自分がこんな低レベルな人間になってしまったことに落ち込む始末。なんてこったい。
でも落ち込んだのは一瞬で、すぐに感情は怒りに支配される。
今、僕はバイト先であるコンビニ……のバックルームにいる。
品出しをする為にやってきて、商品の入ってるコンテナの中身を見た瞬間、僕は怒りを覚えた。
そしてコンテナの中を凝視していた僕にかけられた声が、怒りをさらに強くした。
「なーにやってんだ冬野ジミ。いくら女にモテねえからって、コンテナに熱い視線送ってアプローチしても、コンテナは青いままで赤くなんかならねーよ」
「これは怒りの眼差しだ! つーか誰がジミ!?」
人を小馬鹿にした声音に堪忍袋の尾が切れ、僕は振り向くと同時に怒鳴った。
僕には冬野シキという立派な名前があるのに、言うに事欠いてジミとは酷すぎる。
しかし、僕の前にいる男は悪びれるどころか鼻で笑っている。
コイツは夏目セツ。
バイト先の同僚であり、同じ高校に通う同級生であり、僕とは犬猿の仲である。
「地味なモブ顔だから、お前にピッタリだろ?」
そう言ってのける夏目。
確かに僕は地味だ。顔立ちもパッとせず、中の下くらいだ。
でも、コイツには言われたくない。コイツだって髪を茶色に染めてるだけでモブ顔だ。
ヤンキーのドラマに出てくる小物みたいな顔だ。
でもそれを言ったら売り言葉に買い言葉で、さらに言い争いが長引く。
今はバイト中だし、ここはグッと堪えて話を本題に戻そう、腹立たしいけど。
「……僕の顔のことより、このコンテナどういうことだ!? また種類がバラバラになってるんだけど!?」
僕は自他共に認める几帳面な性格である。
だから、こういう商品を入れてあるコンテナや棚は綺麗に纏めておきたい。
昨日、僕は帰る前にコンテナの中をちゃんと種類別に整理した。
チップス菓子はチップス菓子、日用品は日用品……といった具合に分けて、違う種類の物は入れないようにと、他のバイト達にもちゃんと言ったのに。
今見たら、お菓子もノートもワインもごっちゃになっていた。
こんなことをするのはコイツしかいない。コイツは大雑把というか適当な性格で、何回も僕が整理したコンテナや棚を散らかしている。
「忙しいのに、ちんたらちんたら整理してる暇があるかい。だいたい、何でアンタに気ぃ遣わなきゃなんねえんだ。店長でもシフトリーダーでもないクセによ」
「整理してある方が他の人も分かりやすいし、スムーズだからだ!」
「忙しい時には仕方ねえだろうが。そもそもアンタは喧しすぎんだ。ちょっと商品の場所が変わっただけでも、小姑みたいにギャーギャー騒ぎやがってよ。几帳面というより、ただの狭量な神経質じゃねえか!」
「狭量なのはお前だろ!? いつもいつも僕が嫌がることばっかりして何なんだ!」
「アンタが俺に口煩くするからだろうが!」
ああダメだ。頭に血が上って怒号が止まらない。
これはまた、店長に喧嘩両成敗されるパターンだ……。
******
「…………疲れた」
バイトが終わって家に帰る道すがら、溜め息と共にそんな言葉が出た。
結局あの後、夏目との口喧嘩は店長の怒声によって終わりを告げられ、勤務終了後に二人揃って説教された。
帰り際には「何でお前らは毎回同じようなことで喧嘩するんだ」と、呆れられた。
毎回同じ……まったくその通りだ。
ヤツが整理をしないのも今回が初めてじゃない。何回も散らかす夏目も夏目だが、その度に騒ぎ立てる僕も僕もだ……。
でも、自分でも怒りが抑えられないんだ。
アイツが相手だと血が騒ぎ、沸点も低くなる。そしてくだらないことで大喧嘩になる。
顔を合わせればどちらかが舌打ちをして、その舌打ちに片方がいちゃもんをつける。
同級生としゃぶしゃぶの話をしていて、僕がポン酢派だと言ったらアイツが「ポン酢とかありえねえ、ゴマだれしかありえねえ」といちゃもんをつけて喧嘩になる。
アイツが他の奴らと犬の話をしていたら、僕が「犬よりネコが愛らしい」といちゃもんをつけて喧嘩になる。
無視すればいいのにそれが出来ない。噛みつかずにはいられない。
いつからこうなったのか、何でこうなったのか、どちらが先に喧嘩を売ったのかも、もう分からない。
沈んでいく夕陽を見つめながら、また溜め息を吐く。
先生や母さんは「仲良くしてみたら?」って言うけど無理だ。
僕とアイツが仲良くしている光景が想像できないし、良い所を探そうと思っても悪い所ばかりに目が行く。
「……ああ、もういいや。仕方ないよなコレは! 人にはどうしても馬が合わない奴の一人や二人いて同然だ! 別にアイツとはこれからも付き合いがある訳じゃないんだし! 今は我慢すればいいんだし!」
沈んでいくテンションを上げるべく、大声を出して拳を突き上げる。
すると――
「ミャア」
突然ネコの鳴き声が聴こえてきた。
視線を夕陽から外し、足元を見てみるとそこには真っ白なネコ。
目の色はサファイアのように綺麗な青色で、毛にも汚れ一つない。高級感溢れている。
「おっ、可愛い。どうしたんだ?」
しゃがみこんでネコを撫でる。シルクのようなつやつやとした手触りの毛並みだ。
これは野良猫とは思えない、たぶん飼い猫だろうな。
でも首輪は付けていないし……。
「あーーっ!? ヤバイ、危ない、逃げて! 超逃げてーーっ!!」
「え?」
ネコを撫でていたら、頭上から今度は女の子の声が聴こえてきた。
逃げてと言ってるけど……何から逃げるんだ? そもそも何で上から人の声が?
「ニャアーン」
ネコが鳴く。すると目の前が突然真っ白になって――急に気が遠くなっていった。