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地ノ震迷、天ノ黄昏  作者: 日仁希瑠
KNOCKIN’ ON PARADISE DOOR
18/23

生物としての義務とは何か 壱

 ――東京郊外。

 人口も然程多くなく、都心から離れていることもあって緑が目立つ。静かな住宅街だがその町並みは雑多で、土地開発に遅れたまま二百年前の景観を残している場所すらある。それらの大半は改修、工事を繰り返して現在も人が住んでいるが、一部は所有者が不明のまま朽ちた外観を晒している。

 そのうちの一つだろうか。あまり人の寄り付かない山の麓にある、草木に覆われ蔦の絡まった廃屋の前に、髪の長い女と幼い少女が立っていた。

 かつての正面玄関は、倒れた材木や伸び切った雑草に塞がれてその役目をとうに放棄していて、ここから中へ入るのは不可能だった。

 二人は裏手へ回り、勝手口の扉を開けた。建付けが悪いのか、二、三度力を入れ直しながら木製の開き扉を潜り、同じようにして閉じる。

 家の中は外観とは裏腹に小綺麗に整理されていて、食器や電化製品はもちろん、非常食や子供の玩具も置いてあった。然程大きい家ではなく、部屋数も精々二部屋といったところだろうが、生活する分には特に不自由はなさそうだった。

 少女が靴を脱ぎ棄て、救急箱を持って女の元へ戻る。包帯や消毒液を出して並べるが、どうすればいいのかわからなくなって、目に涙を浮かべながら女の顔と交互に見やる。

 「あ……あ、そばえさん、だいじょうぶ?いたい?」

 「ん…………ああ、大丈夫じゃ。……が、困ったな。右手は、棄てるしかないかもしれん」

 (そばえ)と呼ばれた女は、自身の右腕を見て苦々しく呟いた。肌の残っている部分はなく、肉も焼け爛れている。手首から先に至ってはかつて指だった何かが不揃いに結合されてしまっている。神経も焼き切れてしまったのだろう、動かすどころか感覚すらない。このままではすぐに腐り、悪臭を放つようになる。そうなれば右腕の毒は体中に広がり、遠くないうちに死んでしまうだろう。かといって医者に治療を頼む訳にもいかず、ここにいてはやはり適切な処置を施すことはできない。

 しかし、切断しようにも一人では無理だ。せめてもう一人欲しいが、この家にいるのは戯と幸子、それに今襖の隙間から此方を覗いている遊糸(ゆうし)の三人だけで、戯以外はまだ年端もいかぬ子供だ。無垢な子供に「腕を切断するから手伝ってくれと」頼める程非情ではない。

 幸子が心配そうな視線を戯に送り、それに応えてぎこちなく微笑む。

 す号隊だというから逃げ切れると踏んだが、あの狐の娘は想像以上に手強かった。幸子の保護を目的としていたためにその隙を突くことができたが、一対一で真正面からぶつかれば戦いにすらならないだろう。結果的に、戯は幸子に命を救われたことになる。

 「…………そうじゃ、忘れ物(・・・)は見つかったのか?あまり時間を取れなくてすまんかったの」

 思い出したように幸子に問う。

 幸子は雨合羽を脱いでスカートのポケットに手を突っ込み、何やら引っ張り出して戯に見せた。

 「それは……首飾りか?新しいものではなさそうじゃが」

 手に握られていたのはプラスチック製の、安物の首飾りだった。安物というよりは、玩具のと言うべきか。小さな女の子が好きそうな、創作物の中でしか見ないようなお姫様になりきるための、装飾品の一つ。

 それを目の高さに持ち上げた幸子は、隠れている遊糸を見ながら言った。

 「これね、幸子のたからものなの。きらきらでぴかぴかで、ゆうしちゃんににあうかなぁって」

 少し照れ臭そうにはにかむ。このくらいの歳の子はいくつか気に入った玩具を宝物として大切にしていて、友人だろうと親兄弟であろうと簡単には触らせない。それをまだ出会って数日の、それも人間ではない子供に譲ろうというのだから、戯は心底驚いた。

 「遊糸が怖くないのか?子供は姿の違うモノを忌むものだろう?」

 幸子は戯の言葉を理解しようとするが結局諦め、代わりに無邪気な笑顔を浮かべた。

 「んとね、ゆうしちゃんはともだちだから。みんなみたいにこわくないの。おひめさましらないっていうから、じゃあ幸子がおひめさまにしてあげるねってやくそくしたの」

 舌足らずにも必死で説明する幸子を優しく見つめた戯だが、不意に右腕の激痛に身を捩じらせる。

 奥歯を噛んで声を漏らさないように努め、この家にあるもので腕を切断できそうな物はないかと思考を巡らせる。包丁では切断面に不安が残る。玄関の外に立て掛けてある斧はどうか。しかし錆が酷い。刃こぼれもしているだろうし、様々な雑菌を体内に入れるのは御免だ。

 切断後のことも考えなければならない。血管を塞ぎ、何かで焼くのが手っ取り早いが、やはり一人では不可能だ。

 「…………?あれ、右腕凄いことになってるわね。叫びたいくらいの激痛なんじゃない?」

 先程までなかった気配を感じ、身を強張らせる。だが声の主は特に敵意があるという訳ではないらしく、いつの間にか戯の横に立って焼け爛れた右腕を凝視している。

 「ロマ…………貴様、いつからここにいた」

 「ん?今来たばっかよ…………ねえ、どうやったらこんな中途半端な状態になるのよ?」

 戯の右腕を指す。まだ腕の形は辛うじて残っているが機能はしておらず、骨が見える程に肉がなくなっているという訳でもない。いっそもう少し派手にやられていれば、逆に痛みを感じなかったかもしれない。

 戯は壁に背を預けたままゆっくりと立ち上がると、ロマと呼ばれた女性を睨んだ。

 ロマは肩を竦めると億劫そうに頭を掻き、端的に用件を告げる。

 「報告を聞きに来たんだけど。“アレ”の情報は?手掛かりくらい見つけてくれないと、こっちも困るのよね。折角こうして隠れ家用意したのに、全部無駄になるじゃない」

 この家は一見ただの廃屋だが、実は電気、ガス、水道が通ったままになっている。これらを用意したのは戯ではない。そもそも、元々戯は東京に住んでいた訳ではないのだ。長い時間山小屋や山奥の集落を転々とし、なるべく人々の目に留まらない様に、人間として振舞う様にしてきた。それでも何度か妖怪としての扱いを受けたことがあるが、それも片手の指程しかない。

 それに、戯が生まれた時代と比べれば、人外に対する接し方も随分と柔らかくなった。住民登録をしていないということを知られない限りは問題なく生活することができるだろう。

 しかし住民登録をしていない以上、戯が住む場所を自力で見つけるのはまず不可能だ。妖怪であるという事実を隠してできることではない。

 そんな折に偶然出会ったのが、このロマという女だった。

 素性も年齢もわからないことだらけ、名前すら本名であるかどうか疑わしいこの女の提示したある“条件”を呑む代わりに、数か月前からこの家に身を隠すことができている。この家、或いは土地とロマの関係性に興味がないと言えば嘘になるが、下手に詮索して追い出されるのは馬鹿馬鹿しい。

 戯は不機嫌そうに鼻を鳴らし、カーテンを引き千切って右腕に巻き付けながら言った。

 「ふん。情報云々を貴様に言われたくないわ。“取り敢えずこの国の中心だし、適当に探せば見つかるんじゃない?”――と丸投げしてきたのは貴様だろうに。第一、アレの場所は知っているのだろう?ねっとわぁくとやらで調べておるのではないか?」

 「あー、うん、まあ。でもあれが偽物であることも知ってる。だからこそ必死こいて探してるのよ」

 「――あやつも、ここに来ておるのか?」

 戯の声が険しくなる。二人の共通の知り合いに、余程顔を合わせたくないものがいるのだろう。

 ロマは戯が誰のことを言っているのか察し、首を振って否定する。

 「貴女たちが顔を合わせるとロクなことにならないのはわかってるから、今も走ってもらってるわ。――っとに、もう少し仲良くしてくれると色々楽なのに」

 それは無理な相談だ、と内心苦笑する。誰にでも馬の合わない相手というのはいる。それだけならまだ協力の余地はあるが、主張も信念も真逆ではそうもいかない。

 右腕に巻いたカーテンを縛って固定し、台所へ向かう。コンロの火をつけ、包丁を取り出して左手に握った戯に、

 「……条件次第で、新しい腕をあげてもいいわよ」

 ロマが平坦な声で呟いた。

 言葉の意味がわからないと首を傾げる戯に、右手を見せびらかすように揺らして近づく。

 「貴女の右腕を新しくしてあげるって言ってるのよ。まあ今持って来てる訳じゃないから、明日まで待ってもらうけど…………どうする?」

 どっちでもいいけど、と戯を覗き込むロマは、無表情のようにも微笑んでいるようにも見える。条件次第ということは何かまた面倒なことをやらされるのは確かだろうが、考えが読めない。

 第一、戯が超常廳に目を付けられたということはこの傷を見ても明らかだ。それでもまだ関係を維持するということが、ロマの益になるとは思えなかった。

 真意を、測りかねている。

 この謎の女性の目的も、自分を利用する理由も。

 人間であるということ以外は、この国の生まれではないということしか知らない。

 値踏みするような視線を受け、ロマが指を立てる。

 「廳に狙われてるんでしょう?少なくとも、まともにやりあえば貴女に勝ち目はない。その状況を打開できる(・・・・・・・・・・)力を与えてやる(・・・・・・・)、と言ってるのよ」

 「――…………、」

 確かに魅力的な話ではある。だがこの女とこれ以上関わるべきではないと、本能が訴えてくる。

 しかし同時に――既に遅い、と直感が告げている。

 或いはロマと出会った時に断っておくべきだったかもしれない。

 しかしいくら悔やんでも過去は過去、目の前の問題はなくならない。

 結論を出せずにいる戯に、ロマは最後の一押しを行った。

 「腹はとっくに決まっていた筈でしょう。貴女は何故その子供とここにいるの?」

 その一言で、戯は一切の疑念を追いやり、幸子の顔を見た。ロマの真意も行動の理由もわからないが、自分が――雨女が存在している理由は、行動理念は、生まれたその時(・・・・・・・)から何一つ変わっていない。

 否、変えるわけにはいかない。

 戯の返答を察したロマは口角を上げ、軽く手を振ってその場を後にした。

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