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地ノ震迷、天ノ黄昏  作者: 日仁希瑠
KNOCKIN’ ON PARADISE DOOR
17/23

無能と落ちこぼれ 拾

 隔世・超常廳本廳舎二階・特殊解析班治療室。

 氷室 記はマスクと真っ赤に染まった手袋を外してゴミ箱の中へ捨てると、治療台に横になっている獣人の少女を見て大きく溜め息を零した。

 「全く、引き篭もって本ばっかり読んでるから体が鈍るのよ。先月といい今回といい……。反省しなさい、憂果」

 憂果は包帯だらけの体を起こして一瞬顔を引き攣らせ、手術の邪魔にならないようにと切って脱がされた着物を手に取り、不満そうに口を尖らせた。

 「この着物、気に入ってたのに」

 「アンタが油断したのが悪いんでしょうが。お気に入りの服をこれ以上なくしたくないのなら、もう少し真面目になることね」

 壁に立て掛けてあったパイプ椅子を無造作に広げて勢いよく腰を下ろした記は、本日二回目となる盛大な溜め息と共に背凭れに背を預け、横のデスクからとうに冷めてしまったコーヒーの入ったカップを取って一気に流し込んだ。

 一方、顔を顰めながら治療台から降りた憂果は、着物と一緒に切り裂かれて見るも無残な姿になっているセーラー服を見て、

 「…………あ、私何も着れるものがない。今」

 「手術着ならいくらでもあるから、好きなだけ着ていいわよ」

 ちなみに憂果は今、一切の衣服を身に着けずに記の前に立っている。全身に深い傷があったために上着もスカートもハイソックスも、全てを脱がせないと治療ができなかったのだ。しかしその状態でも頭のカチューシャは決して外そうとしないのだから、ある意味感嘆に値する。

 清潔な水で濡らしたタオルを記が投げて寄越す。まだあちこちに乾いた血液が付着したままなので、それで拭けということだろう。

 手の仕草だけで礼を伝え、ゆっくりと全身を清めていく。鎮痛剤の効き目は既になくなっており、タオルで体を拭くという単純な作業一つでも全身に痛みが走る。

 その後ろ姿を見た記が、何とも言えない表情で呟いた。

 「…………貴女、随分と傷痕が増えたわね。ここに来た時とは比べ物にならないくらいに……」

 今は包帯でその殆どが隠れているが、その下には大小、形状様々な傷痕が隠れている。しかし憂果の身体に刻まれた最も古い傷は、今は隠せていない。

 背中に斜めに走るそれは、まるで巨大な爪か何かで裂かれたようだ。見ているだけで痛みを錯覚させる程に存在を誇示しているその傷は、三年前に憂果がした決意の証でもあり、責を放棄した代償でもあった。

 彼女を見る記にどんな感情があったのかはわからない。

 しかし憂果は特に気にする様子もなく、自身の失態について本気で反省していた。

 (いくら新人がいたからといって、能力未知数の相手に流韻まで置いて行ったのは失敗だったわね……。雨女(あいつ)一人だったら全力で行けば勝てるだろうけど。……どうにも、そんなに単純な事件じゃないみたい)

 和子が依頼を持って来たのは、憂果にとっては幸運だった。流韻にはまだ知らせていないが、今月中に一定の功績を上げなければ、現す号隊は解散になる。この三年間である程度貯金は溜まっているものの、廳の宿舎を追い出されては行くあてがなくなってしまう。何と言っても姉妹揃って未成年だ。二人共中学すらまともに出ていないのでは、仕事を見つけるのにも家を探すのにも苦労する。それだけは避けなければならない。

 だから先月のす号隊の失態を知らず、すぐに終わりそうな依頼が入った時には人知れず喜んだものだ。

 だが、事態は想定していたよりも面倒なことになっているかもしれなかった。あくまで推測に過ぎないが、雨女との戦闘の最中に幸子が取った行動……憂果は当初、恐怖で気が動転しているものと思っていたが、今思えば的外れな推理だ。

 故にあの時幸子は、憂果を敵視していたのではないか――

 しかしだとすれば、疑問がある。幸子本人の意思か否か、という疑問だ。

 憂果は幸子の声を聞いていない。あれだけ派手に熱やら雨やらが衝突すれば、普通は何かしらの感情が口から漏れる筈だ。だが幸子は一言も発していない。

 何かしらの方法で操られている可能性も十分に考えられる。あの雨女は多少長く生きているように見えるが、そのどこかでそういった類の術か何かを会得したのかもしれない。だがもし操られているのであれば、操っている本人を押さえればいいだけだ。

 (すると問題は……自分の意思だった場合(・・・・・・・・・・)、ね)

 この場合は非常に厄介だ。力技では何ともならない。

 子供の行動というのは実に面倒で、時に大人ですら目を疑う程の意思の強さを表すこともある。一度『こう』と決めたのであれば、それを外から曲げるのには相当な労力を要する。

 解決しようにも雨女は逃がしてしまい、もとより手掛かりらしいものはない。

 (いや…………雨女が自分の意思で雨を止ませることができないのなら、まだ望みはあるかも……?)

 そもそも、今回雨と共に姿を現す必要はなかった筈だ。その中を傘も差さず、雨に濡れずに歩いていては、「私が雨女です」と宣言している様なものだ。

 しかしその場合もいくつか気になる点が浮かんでくるのだが……

 「――ぉぉおおぉねぇちゃぁぁぁあああああぁぁぁぁぁぁああん!!!!」

 清々しいまでの大音声で思考を中断させ、治療室の扉を蹴破らんばかりに乗り込んでくる影が一つ。

 満面の泣き顔に若干鼻を垂らした流韻が全力疾走の勢いを殺さずに最愛の姉の胸に飛び込む……いや、身長差的には飛び込んだ先で胸に沈めた、といったところか。

 よかったよぅ、よかったよぅ!と泣きながらも裸の姉に鼻息を荒くさせている流韻に、後から入って来た結も表情をなくしている。

 ちなみに、憂果はつい先程まで治療台の上で激痛と戦っていた身体な訳だが。

 案の定、口から本来あってはならないような呼吸音を発し、明らかに顔から血の気が失せている。

 治療したばかりの患者を目の前で死なせては沽券に関わる、と流韻の肩に手を置いた記は、

 「あー、流韻。大好きなお姉ちゃんは死にかけてるのよ。現在進行形で」

 「現在進行形で!?くっそ記、あたしのお姉ちゃんにナニをした!?」

 「ナニをした!?はこっちの台詞よドシスコン馬鹿キャットガール。ってか治療室で騒がない!!」

 流韻を引き剥がして治療台に捨てる。いっそこのまま脳の手術でもしようかと思った記だが、そんな無駄なことに時間と労力と機材諸々を使うのはもったいない、と思い直す。

 そんなことより、と流韻が手を叩き、持っていた紙袋を憂果に手渡す。中に入っていたのは赤紫の着物とセーラー服、黒のオーバーニー。宿舎の部屋から持って来たのだろう。憂果の着替えを手伝った流韻は治療台の横の籠にある破れた服を見て、持ち上げたり回したりした後に呻き声を出し、

 「うー、流石にコレは直せないなぁ。もっと綺麗に切ってたらやりようもあったんだけど……」

 肩を落とした。

 余談だが、憂果の来ている服の大半は流韻の手作りだったりする。憂果だけでなく、流韻自身、時には同じ宿舎のせ号の面々の服も直したり、作ったりしている。発言と行動とは裏腹に家庭的な一面のある少女なのだが、その目的は推して知るべしである。

 いつもと変わらない格好に戻った憂果を見た流韻だが、内心今日はズボンかロングスカートを持って来るべきだったと後悔していた。服装的に、どうしても太腿の包帯が見えてしまうのだ。

 その視線に気づいた憂果が、小さく首を横に振る。これは自業自得だと言いたいのだろう。




 ――八時間前。

 ボート乗り場の屋根の下で爆発音を聞いた流韻は、憂果が本気で戦闘を始めたことを知り、十分もしないうちに幼い子供を連れて帰って来るだろうと密かに安堵していた。

 本来ならば自分も共に戦いたかったのだが、今は姉に任せられた仕事がある。気に食わない女と依頼人の女性をここで守ることだ。強引な推理で雨女という妖怪に辿り着いたが、根拠が薄い上に単独犯であるという確証もない。下手に全員で追いかけて取り返しのつかない事態に陥るより、二手に分けて様子を見よう、という作戦の筈なのだが――

 (お姉ちゃんだけで大丈夫っぽいかな。でもあの力を使うってことは、もしかして強い相手なのか、それともただ怒らせただけなのか……)

 後者であれば私の怒りも全てくれてやる、と物騒に瞳を輝かせる。

 (……前みたいには、ならないよね)

 先月の大事件――廳の幹部陣が躍起になって揉み消した、憂果と流韻の失態。ある夫婦と、子供と、その友人たちが、僅か数時間で消えてしまった事件。彼らの肉の裂ける音。鮮やかな赤と、鼻腔を突く粘り気のある鉄の臭い。絶叫と救いを求める声、それらが怨嗟に変わる瞬間の、憎悪と絶望に満ちた表情。

 “不幸”に憑かれた家族と、偶然巻き込まれた子供たち。

 流韻は背筋に寒いものが走るのを感じ、頭を振って思考の隅に追いやる。

 (今はこっちに集中しないと。って言ってもお姉ちゃんの“焔”はもう消えたみたいだし、今回はやることなかったな)

 お姉ちゃん早く来ないかなー、と思いながら、横目で他の二人を見る。

 結に支えられている和子は落ち着きを取り戻したらしく、しきりに礼と謝罪を口にしている。それで、ああ、この人はいいきっとお母さんなんだろうな、とどこか遠い目をしながら、何とはなしに憂果の消えていった先に目をやると――

 服を赤く染め、足取りも覚束ずに向かってくる憂果の姿が映った。

 憂果の元に走って抱きかかえ、屋根の下まで戻って結にエアフォンで救急車を呼ばせる。自分の着ていた服を破いて可能な限り止血をするが、傷が深く出血は止まらない。

 「…………って、……い、ん」

 「お姉ちゃん?大丈夫、救急車来るから!喋ると傷口開いちゃうから、静かにしてて!!」

 しかしそれでも何かを訴える憂果の口元に耳を近づけ、声を聞き取ろうとする。

 「依頼主には、今日はもう、帰ってもらって。詳しい話は、隔世でする。女の子は無事だって、伝えておいて、流韻」

 そろそろ意識がなくなるから、後を頼むと言い残し、憂果は気を失った。

 和子に憂果の伝言を伝えようとした時、エアフォンで通話をしていた結が、動揺を隠せないまま流韻に向くと、

 「きゅ、救急車、事故の影響で渋滞してて、すぐには来れないって…………」

 「ッ……!」

 鼓動が跳ね上がる。すぐにこの程度の傷で死ぬ程弱い姉ではないが、毒や呪いの類に冒されていないとも限らない。状況は一刻を争う。

 流韻は涙目になりながら結の襟を掴んで顔を引き寄せ、絞り出すような声で言った。

 「今からお前の精気を喰う。動くなよ」

 「ぇ、え?精気……ぐむ!?」

 何を言っているのかわからない結を無視して――流韻は結の、唇を奪った。

 「!?!?!?!?」

 時間にして僅か三十秒。

 しかし、二人にとっては限りなく長い時間だった。

 結は自分のファーストキスがこうも唐突に奪われるなど予想すらしなかっただろう。

 「ん、んむ……ぁ、んあ…………は、ぅ」

 全身から力が抜けていくのを感じた結が、その場にへたり込む。

 流韻は思考回路が停止した結から搾れるだけ精気を搾り取り、その場に座る結に、有りっ丈の怒りと羞恥を込めて、

 「お前はいつか必ずコロス……ッ!!」

 理不尽極まりない台詞を飛ばした。そして流韻がいたその場には次の瞬間、烏丸 幸が鬼の形相で立っていた。

 その後憂果を抱き上げた幸(?)は天高く飛翔し、都庁の中の境界門を潜って隔世へ急ぎ、憂果の傷口が開かない様に最新の注意を払いながら記の研究所に転がり込んだのだ。

 憂果の治療中に現世に戻って和子に伝言を伝え、そのまま結との間に重い空気を流しながら戦場となった路地を調べ、暗くなった頃に隔世の宿舎に入って着替え等を済ませて今に至る。

 雨は、憂果が気を失って暫くしてから、まるで初めから降ってなどいなかったかのようにあっけなく止んだ。




 「ようやく姉離れをしてくれたみたいで嬉しい限りよ。おめでとう、恋愛成就」

 「これで貴女も立派な大人ね。コングラッチュレーション」

 「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!違う、違うのお姉ちゃん!!急いでたからああするしかなかったの!!浮気なんかしてないよ本当だよ信じてよぉ!!」

 曰く、流韻は他人の精気を喰らって他人に化けることができる。別に口移しで奪う必要は全くないのだが、そこが最も効率よく吸収できるというのも事実。姉の命と天秤にかけた結果、結とキスをする方法を選んだのだ。

 その流韻の判断は正しかったらしく、記も思っていたよりは治療がしやすかったらしい。

 最も、普段は使わない予備の鎮痛剤を使用する羽目になった、というのは誤算ではあったが。

 本気で泣いているらしい流韻の頭に手を置き、子供をあやすように憂果が言った。

 「冗談よ。助かったわ、流韻。本当に、貴女がいてよかった」

 一瞬間を置いた後、涙を撒き散らしながら憂果に抱きつく流韻。

 記にも礼を言うと、結、憂果、流韻の三人は廳舎を後にし、今後の方針を話し合う為に宿舎へ向かった。

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