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地ノ震迷、天ノ黄昏  作者: 日仁希瑠
KNOCKIN’ ON PARADISE DOOR
15/23

無能と落ちこぼれ 捌

 さて、勢いよく走り出してみたもののどうしたものかと、憂果は考えていた。水気を搾り取ったばかりの服は再び雨に打たれて忽ちに濡れ、全身に絡みついてくる。さらに、走る度に跳ね上がる泥があちこちに付着してくるので、憂果は段々と苛立ちを感じてきた。

 (全く、何で私がこんな雨の中を走らなきゃならないのかしら……。ってか、本当もう帰りたい。面倒事は誰かに押し付けて帰ってシャワー浴びて本読んで寝たい)

 数分前に見せた隊長らしさは何処へ行ったのか。全身からやる気のなさを全力で放ちながら、しかしそれでも足を止めない。普段の憂果であればそもそも依頼を引き受けることすらしないのだが、冗談を抜きにしてそろそろ本気で限界だ(・・・・・・・・・・)窮地(ピンチ)だ。す号隊はもう後がない、という所まで来てしまっている。

 まあ、その原因は他でもない、憂果と流韻にあるのだが。

 「……………と、いう訳なので。少しお時間頂きます」

 既に公園の外に出ていて、簡素な住宅街へ入っている。雨樋を伝う水と、地面を打つ雨以外には、家々の向こうから聞こえてくる車の音以外何も聞こえない。それ程までに雨脚は強まっていた。

 憂果が追っていたのは幸子だけではない。というより、その傍らに佇むもう一人の人物を追っていた、というのが正しい。

 薄手のコートを始め、全身を白一色で統一している様は、どことなく雨の飛沫を思わせる。だが対照的に、その背にかかる長髪は今にも振り出しそうな雨雲の様だった。

 憂果の十メートル程前に立つその人物は、黄色い雨合羽を着た幼い子供と手を繋ぎ――黒い髪を靡かせて(・・・・・・・・)振り返った。

 既に警戒していた憂果だが、その女性の酷く穏やかな笑みを見て、一瞬背筋を凍らせた。そこに敵意があったとか、殺意を感じたという訳ではない。

 本能的に警戒心を限界まで高め、ゆっくりと近づく。

 「おばさんに何か用かな?迷子になっちゃった?」

 とても五、六歳の子供がいるようには見えない女性が、道で迷子に声をかけられたかのように優しく問う。憂果はそこで足を止め、横目で周囲を確認する。家のベランダに干していた洗濯物を慌てて取り込む主婦が映ったが、それもすぐに部屋の中へ消えていった。

 「……ええ、迷子を捜しているんです。数日前にそこの公園でいなくなった、小さな女の子を。こんな風に急に雨が降って来たんじゃ、風邪をひいてしまうかもしれませんし……。ところで、娘さん(・・・)の雨合羽、可愛くて綺麗ですね?」

 「…………ふふ、ありがとうお嬢ちゃん。まだ買ったばかりなの」

 コートのポケットに入れていた手を出し、口元に当てて微笑む。それと同時に、女性が半歩前へ出た。雨合羽を着た子供の表情は、女性の陰に隠れて見えない。

 ――瞬間。

 憂果の右手の中に、紅く燃え上がる炎が生まれた。

 「超常廳です。詳しく話を聞かせてもらいます」

 「あらあら、お若いのにすごいのね。どこに入っているの?」

 憂果は警告のつもりで炎を生み出したのだが、女性は全く臆していない。先程と変わらず悠然と立っているだけだ。

 同行を促す憂果と、遠回しに詮索を拒否する女性。このまま燃やしてしまおうかと本気で考えるが、抵抗をされている訳ではないのでそうもいかない。

 二人の間を、ゆったりと時間が流れる。服を着たまま海にでも潜ったのかと思う程になった頃、憂果が沈黙を破った。

 「……いい加減、全身が気持ち悪い。黙ってついて来てくれないかしら、雨女さん」

 「あらあら、雨女だなんて。私はただの普通のおばさんよ?」

 「へえ。普通のおばさんは、雨に打たれても濡れないのね。勉強になるわ」

 再び口元に手を当てて笑う女性――雨女。傘を差していないにも関わらず、その前身は濡れてはいなかった。まるで雨など降っていないかのように、髪も、肌も、服も、全てが乾いていた。

 雨女の方も、追いつかれた時点で言い逃れることができないと理解していたのだろう。だが投降する素振りはなく、かといって依然敵意も感じられない。

 「どこに入っているのか教えてくれるなら、行ってあげてもいいんだけど」

 人差し指を唇に当て、はぐらかすように言う。

 アスファルトに当たって砕ける雨の音。再度沈黙が訪れる。

 憂果は一つ、大きく溜め息を吐いて、それくらいなら問題ないだろうと問いに答える。

 「妖課、す号隊。答えたんだから大人しく――」

 「――す号隊?はっ、落ちこぼれ(・・・・・)のす号隊か?随分舐められたものじゃな」

 一転、雨女の雰囲気が激変した。

 先程のような当たり障りのない母親の仮面から、老婆のような話し方に変わる。髪と同じ、嵐の前のような双眸には老獪さが浮かんでいる。

 憂果は残る左手からも炎を生み、あらゆる状況に対応できるように全身を支配していく。

 「見つかるのなら、もっと強い……えりぃとたちだろうと踏んでおったのだが。……ふん、よもや廳の末子(・・・・)とはな」

 心底つまらなさそうに吐き捨て、髪を掻き上げる。

 初手に備えて重心を落とした憂果は、両手の炎を勢いよく燃え上がらせながら最後通牒を発した。

 「もう一度だけ言うわね。大人しくついて来て、話を聞かせなさい」

 返答次第では刹那の判断力を試される。幸子の安全を最優先に、雨女を拘束する。抵抗が激しければ、最悪の場合は討伐することになるだろう。言う分には簡単だが、実際に行うとなると厳しいものがある。何よりも立ち位置が悪い。幸子と雨女の距離が今よりももう少し離れていればまだよかったのだが、真後ろに隠されてしまっている。人質として利用されれば、一人でこの場にいる憂果は手を出すことができなくなるだろう。向こうからやってきてくれたこの状況、失敗は許されない。

 だが、相手は雨を呼ぶという雨女。万一にも負ける筈がないと自分を鼓舞した憂果は――

 「黙って連れて行かれるなら、今まで隠れとりはせん。来んのならば儂は帰るぞ」

 「そう――それは残念!」

 両手の炎を推進力に、一呼吸で雨女の前へ跳んだ。

 腰を捻って回転を加え、左足で右側頭部を蹴り抜く。回転の勢いを殺さないまま、炎で角度を微調整して右手を伸ばす。幸子を掴み、引き寄せようとしたその腕は――あっけなく空を切った。

 同時に襲う衝撃。全身を針で刺されたような痛みと、雨水に混じって僅かに鼻腔に広がる鉄の匂い。

 そこで初めて、憂果は自分が倒れているのだと気付いた。

 完全に不意を突いた筈の一撃は理解の及ばぬうちに防がれ、逆に憂果は雨女の攻撃を全て喰らった。それも、何をされたのかわからない程の速さで。

 「返答の直後という油断を利用したつもりじゃろうが……さて、貴様は自身の油断には気付かなかったようじゃな」

 頭部を強く打たれたからか、何処から聞こえてくるのかわからない。耳鳴りのように脳にへばり付くだけだ。

 地面に伏せたまま頭を押さえる憂果を見た雨女が、何の表情も浮かべないままに一歩下がる。勝利を確信して不用心に近づこうとしないあたり、初めから意識は憂果の動きにあったのだろう。その中で敢えて隙を見せて誘い込んだ。

 「実際に廳のモノと対峙したのは初めてじゃが……。よもや、皆貴様程の実力しか持ち合わせていないなどと言うまいな?……ああ、貴様らを落ちこぼれと評したのは儂じゃったの」

 歳は取りたくないのう、と嘲る雨女。彼女は抱きかかえていた幸子を下ろし、雨合羽のフードの上から頭を撫でた。

 憂果は倒れたまま、敵の攻撃の考察をしていた。確かに直撃を受けはしたが、身体に残るダメージとしては、アスファルトに叩きつけられたことくらいだ。頭部を襲った衝撃も、今尚続く針の様な痛みも、獣人である憂果にはどうということもない。

 故に、彼女が考えているのは雨女の“能力”だ。憂果は初手で蹴り抜いた(・・・・・)。これは確かな感覚として覚えている。しかし雨女にダメージはない。とすれば、あの時蹴ったのは雨女の側頭部ではなく、他の何か――

 (防御した――でも腕じゃない。なら……能力で生み出した何か。でもそんな動きは――……)

 どちらにせよ、あまり長い間こうしているのは得策ではない。よろける振りをしながら上体を起こし――ふと、違和感を感じた。

 腕や脚、肌が露出している部分にできた、不自然な傷。ペーパーパンチで開けたような大きさの傷が、無秩序に広がっている。それも、片方の面だけに。

 成る程――と、憂果は敵の能力に当たりを付ける。

 立ち上がった憂果を興味なさげに眺め、撫でていた手を止めた雨女が、全身の傷を見て忠告する。

 「限界まで(・・・・)手は抜いた。妖狐風情では儂には勝てん。……次は殺す」

 明確な殺意をもって宣言する。憂果の能力は住宅街では十全に発揮できないと踏んだのだろう。あれで最大火力だとは思っていないが、民家の立ち並ぶ路地で派手なことはできない筈だ。

 幸子を庇う様にして憂果を睨む雨女だったが――

 「――は、はは、あははははははは…………………はぁ」

 「……なんじゃ?」

 頭を打って壊れたか、と若干憐みの色を浮かべる雨女。ならばいっそここで始末した方がこの娘の為かもしれん、と一歩踏み出した時、

 「――……いるのよね。よくいるのよ。初対面で化け狐扱いしてくるクソみたいな輩がッ……!!」

 全身から徐々に黄金色の光を発し、やがて雨が上がったのではないかと錯覚させる程の眩い炎を纏う。雨粒は憂果に触れることなく蒸発し、その熱は季節と天候を無視して陽炎すら引き起こす。髪も耳も尾も全てを金に染め、無表情の中に真紅の双眸だけを輝かせて眼前の敵を睨む。

 「最近は本当に……ええ、本当に色々あったからッ……!…………少しは抑えて真面目に大人しく寡黙に誠実にしようと思ったけど…………。あぁ、あは、あはははは」

 豹変した憂果は最早、周囲の影響など眼中にない。二次災害など取るに足らず、と纏う炎を膨脹させていく。

 雨女は危機を察したのか、幸子から離れて臨戦態勢を取る。右手を天に掲げ、降雨量を瞬時に倍増させるが、アスファルトが溶解していく程の劫火の前では意味を成さない。

 憂果が一歩、前へ進む度に後退する。二歩、三歩、四歩――五歩目に憂果は足を止め、

 「有罪ね。……貴女、有罪よ。分子レベルで消してあげるわ」

 爆発音を響かせ、紅蓮の弧を描きながら雨女を蹴り抜いた。

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