14-1
ディーコンは目を覚ます。三階にある仮眠室で彼は寝ていた。
起き上がり、不安げに頭をふり、左を向く。警戒のためにつけられたままのランプの明かり。眠る前と変わらぬそれを見て、少し安心する。恐ろしい悪夢を見た気がする。内容はみじんも覚えていないが、ぞわりと背中を黒いものが撫でていく感覚はいまだに残り、汗でじっとりと湿っている。
彼が見た悪夢は、グレンの展開したマナを無意識に感じ取ったせいだった。
別にディーコン個人を狙ってのことではない。グレンは、マナを薄く広く、一瞬だけにおわせた。何かあったと、誰かが気付けるように。何があったのかはわからないように。
宮廷魔術師の長であるディーコンは、それを敏感に感じ取る。それをなしたのは長年の経験と、鋭敏な感覚。
ディーコンが起きたのはそんな必然からだったが、声を聴いたのは偶然だった。
悪夢のせいかは知らないが、ひどく暑い。喉が渇く。湿って体にへばりついてくる布が、不快だった。布団を出ると、隣で仮眠をとっている仲間を起こさぬように、気を付けて窓へと歩いていく。
何の気なしに窓を開ける。冷たい風が服の隙間に入り込み、ディーコンの脊椎を震わせる。
そこで、声がした。澄んだ空気に乗って届いた、男の声。「殺した」と聞こえた気がする。
穏やかじゃあないな。しかし、どこから聞こえた? この上はちょうど女王の寝室にあたる。しかし、まさか。
耳を澄ますが、既に声も物音も聞こえない。ディーコンは不吉な考えを打ち消そうと頭を振る。しかし、何かあってからでは遅いのだ。確かめなければならない。
すぐに隣の部屋に行き、担当の兵士に声をかける。人を集めるように指示をする。
部屋を出たところで、グレンに会う。
彼は一人きりだったが、腰に拳銃を構えている。何か異常を感じ取ったのは明白だった。
「グレン、君の持ち場は下だったはずだが?」
「上から妙な物音がした。あんたらの持ち場のはずだぜ」
言いたいことはあるが、話している時間も惜しい。寄ってきた三人の部下に簡単に状況を説明すると、階段に足を向ける。
三名の部下の手には、樫の警棒が握られている。兵たちはそれぞれ剣を持ってはいるのだが、異常事態を確認する前に、軽々しく抜刀するわけにはいかない。炎の使用も厳禁だ。街中でも禁じられているのに、よほどのことがない限り、王宮内で許されるはずもない。
グレンは聞く。
「おい、俺はどうする?」
銃を隠そうともしないグレンを苦々しげに眺め、ディーコンが言う。
「グレン、君はここにいろ。階段を守りつつ、集まった部下を指揮しろ」
「了解」
グレンは素直に頷く。
ディーコンはこのいけ好かない男が嫌いだった、なぜ女王はこのような品が無い男を近くにおくのか。特権を与えるのか。
とはいえ、ディーコンもその実力は認めている。冒険者としての数々の実績も知っているし、一緒に仕事をしたこともある。グレンの勘の良さには、宮廷魔術師として最高位であるディーコンをして、舌を巻くほどだった。
味方であるうちは頼もしい男だ。上階へつながる唯一の階段を守らせるのに、グレン以上の適任はいなかった。
「行くぞ」
それだけ言うと、ディーコンは自ら先頭に立って進み始める。
一方、女王の部屋で最初にそれに気付いたのは、ラトルだ。石の壁越しとはいえ、彼女の耳の良さは人間の比ではない。しかし、少しばかり遅すぎる。
「ノゾミさん、メドウスさん、足音が」
二人は言葉も無く、顔を見合わせることすらせず、即座にマントをかぶる。
『私たちのことは、極力ごまかして』
どれだけその言葉に効果があるかはわからない。そもそも女王にとって、ノゾミたちは無礼な侵入者でしかないのだ。それでも言わずにはいられなかった。
ドアを開け、滑るように外に出る。時間をおかずにガチャガチャと音を立て、何人かの兵が登ってくる。先頭はローブを着た魔術師風の男だった。
まずい。人数が多い。
いや、本当にまずいのは、この狭い通路のせいだ。広ささえあれば、すれ違うことさえできるなら、マントの力でどうにでも逃げられる。しかしこの通路ではその手が使えない。マントは透明になるだけであり、幽霊になれるわけではないのだから。
二人は素早く兵士たちと逆方向へと走る。角を曲がり、ドアを目指す。祈りを込めてノブをひねる。
――しめた。
鍵はかかっていない。手ごたえはなく、すんなりと回る。扉は軽く、音もなく開く。
メドウスは感謝する。きっと今まで支払ってきた税金の一部は、この蝶番に差す油代となったのだ。不法侵入という罪は犯したけれど、支払ってきた税金の御利益のほうが、どうやら上だったようだ。
「メドはそのまま部屋の隅に隠れてて!」
ノゾミはマントから飛び出し、周囲をざっと調べる。人の警戒は最初からしていない。もしいたのなら、どうせ向こうから騒ぎ出している。
ここはバスルームか? 窓には鎧戸。家具にも隠れられそうな場所はない。大きめの、しかし王族の物にしては少々控えめな湯舟が一つ
水の供給用らしき像がある。へたくそなカバの像で、口には穴が。きっとここから水を出すのだろう。
ノゾミはつぶやく。
「これしかないか」
ノットマンを突撃モードに。同時にマジックモーメントも最大限に使用する。
「持ち上げるんですね。思いっきりどうぞ、スキルでサポートします」
頼もしいラトルの声。ノゾミは像を抱きかかえる。腰を落とし、ゆっくりと持ち上げる。
「ちょっとノゾミ、一体何を」
何をするつもりなのか、メドウスにはわからない。驚くが、さすがに大声を出すようなことはしない。
「……くっ、うう、っ。 ……よい、しょっ」
像がゆっくりと持ち上がる。
ノゾミはそのまま体を傾け、速足で歩きながら、勢いをつける。
向かう先は窓。
けたたましい音がして像が窓へとぶち当たる。ガラスは一瞬で砕け散る。鎧戸の細い金棒はほんの少しだけ我慢をしたけれど、一抱えもある石像の重みには、耐えきれるはずもなかった。
開かれた窓、吹き込む冷風、ばたばたとはためくカーテン。
音を聞きつけた兵士たちは、素早かった。猶予は数十秒もあっただろうか。どかどかと音を立て、三人の男たちが部屋へと入ってくる。しかしノゾミたちはすでにマントの中だ。
大穴が開いた窓を見て、兵士たちは騒ぐ。
「外だ、窓から外へ逃げた!」
使い古された子供だましの手ではあるが、完全に消えることのできるマントを使うとなると、有効性はぐっと上がる。実際、この短時間でとれる対応として、これ以上効果的な手はなかっただろう。
ネタが割れていなければ、だが。




