12-3
その部屋は、むんとする熱気に包まれていた。
目に入ったのは、床一面を満たすスカイブルーの泉。そして、その中に浮かぶいくつもの蓮。いや、睡蓮か。
一つ一つの葉は人間が楽に座れるほどの大きさがあり、ところどころに咲いている花がなければ、それと気付けなかったかもしれない。それほどノゾミの知る睡蓮とは違っていたが、美しさは遜色のないものだった。
ブディズム最高の境地の一つに、極楽浄土というものがあるそうだ。ノゾミが思い出したのは、その光景だ。
地獄のまっただ中に極楽とは、皮肉にもほどがある。
ただ一つノゾミの知識と違うのは、それらの浮かぶ池が、異様なまでの熱を持っているということ。
熱水。それも、今にも沸騰を始めそうなほどの。
立ち上る湯気と汗で、ノゾミの着衣は早くもべとべとだ。
不快さもあったが、それよりも先に思ったのは、
「この湯気、レーザー対策かしら?」
「可能性はありますね。泉がただのお湯なら、この程度は何の問題もありませんが」
ラトルはそういうが、やはりあの時の戦い、失態を思い出してしまう。
「こんなところに客とは、何年振りか」
突然声がした。紺色のローブを纏った男が立っていた。
フードを目深にかぶり、表情は見えない。ゆっくりと蓮の葉を踏みしめる。金の刺繍が施されている高そうなローブを、惜しげもなくそびきながら歩みを進める。
「ようこそ、六大地獄の終焉、オセアンへ」
その声、仕草。ノゾミはちらりとバンクスのことを思い出す。
メドウスは早くなる鼓動を無理やりに押さえ、聞いた。
「六大? 七大地獄じゃないんですか?」
「ほう、儂の知らぬ間に、七つ目の脅威が発見されたか。西方の人間も、なかなか侮れん」
六大? 終焉? 微妙な食い違いに、メドウスははっとする。
「私はメドウスという魔術師です。あなたの名前を聞かせていただけませんか?」
男は、ローブの内に隠していた杖を高く掲げ、言った。
「儂の名はヴィエント。かつては群青のヴィエントと呼ばれていた。今は、名を呼ぶものもおらんがね」
知っているかと、ノゾミはメドウスに横目で訴える。メドウスは頷き、小声でノゾミに説明する。
「ゴードンは、東の地で、濃紺のローブを着た魔法使いと戦ったってさ」
会話を聞いていたわけではなかろうが、ヴィエントは薄ら笑いを浮かべていた。
「なるほど、最後のアグアスは、あんた自体ってわけね。魔法使いヴィエントが、このダンジョンのボスってわけだ」
ヴィエントは杖を振りかざすと、ゆっくりとこちらへと、葉の上を渡り始めた。
聞きたいことはすべて聞いた。ノゾミは返事を待たずに、一足飛びに距離を詰める。
「ラトル、スピード上げて!」
空中で叫ぶ。ノゾミは水切りの石のように、蓮の上を滑っていた。メドウスは一瞬でノゾミを見失う。目が追い付いたのは、ギンという鈍い金属音の後。
丸い葉が連続して揺さぶられ、その中心には細い亀裂が連続していた。いかにその葉が分厚くても、スキル込みのノゾミの踏み込みは受け止めきれなかったのだ。それでもなんとかもったのは、マジックモーメントのおかげだろう。
一度目の折衝は、互角。互いに後ろの葉へと飛び下がった。
ノゾミは跳ねる熱水を避けて、体勢を整えた。対するヴィエントは、無理にこらえず、自分から後方へと飛んだ。
「炎よ!」
かすかにしゃがれた声とともに、熟れて落ちた柿のような炎の塊が、ノゾミへと迫った。
一皮だ。ほんの一皮むけば、その蕩けた果肉がノゾミにまとわりついただろう。熱で頬がチリチリいぶされる。下からのものとは、明らかに質の異なる熱。
ノゾミは足首を掴んでくるような感覚のする葉を蹴り飛ばし、避けた。ぶよぶよと頼りない足元は、背筋を凍らせる。
着地したノゾミは葉に手を付くと、トカゲが這うような体勢で低く飛び掛かる。
ヴィエントは既に杖を構えなおしていた。
距離を取ると炎にやられる。そう思ったノゾミは、剣をまっすぐに突き出す。杖を眼前に構え、それを受け止めようとするヴィエント。
待て、ゴードンの杖の魔法は何だった?
そう、炎と――
とっさのところでノゾミは剣を逸らす。勢いを殺しきれなかったものの、とりあえずは別の葉へと飛び乗った。
「ほう、良く避けたな。知っていたのか?」
パチリ、とヴィエントの杖が青い閃光を発した。
――雷だ。




