07-3
「ノゾミさん、そろそろ薬の用意を」
ラトルは、部屋に入る前から既に異変を感知していた。濃度はさほど高くありません、安物の草でも燃やしているんでしょう。そう報告してくれていた。
これが三度目の連絡。報告は警告に変わる。ノゾミは口の中に隠していた錠剤を噛み砕く。
口の中にひんやりする感覚が広がり、ほんのりとした甘さが広がる。錠剤は口腔内の粘膜部を保護し、異物をある程度まで分解する。甘味があるのは、反応している証拠だ。
バンクスはノゾミに語りかけた。私なら君の望むものを用意してやれる、と。ノゾミは手の中で白刃を遊ばせる。バンクスの用意してやれるものとは、殺し殺される日々だそうだ。
きっとそれなりに甘美なのだろう。ノゾミの求める刺激のベクトルがもう少しずれていたら、誘惑は成功していたかもしれない。
「そうか。君は退屈してるように見えたんだがね」
実際それは当たっていた。管理された平穏は、ノゾミにとって苦痛だったから。答える代わりに、ノゾミは正眼に剣を構える。
「いいさ。じゃあ、あとは君たちの時間だ。存分に殺し合いを楽しむがいい」
バンクスは心底残念そうだった。舞台役者のように恭しい仕草で袖に引っ込むと、それを合図に殺陣が始まる。
筋肉男が腰の剣を抜き、切りかかる。
「だめ、受けずに右に飛んで!」
耳元でラトルがさけぶ。背後に隠れていた人影が何かを発射する。椅子の背に矢が突き立つ。おそらく毒のトッピング付きの。
ノゾミが飛び込んだ先には、短剣を持ち飛び掛かろうとしていた別のアサシンが待っていた。
不意に間合いを詰められかけたアサシンは、椅子を蹴り飛ばして刹那を稼ぐ。ノゾミの遅れた袈裟懸けが届くころには、既に二本目の短剣を抜いていた。
短剣? 違う、刃のみだ。腰部のアーマーがノゾミの筋肉を無理やりひねり上げる。細いメスのような手裏剣が、ノゾミの眼前を通り過ぎる。
ひとまず距離を取って息を整える。白い煙が、肉眼でもわかるほどに立ち込めていた。筋肉男が懐からマスクを取り出し、口を覆う。
残り二人も顔を隠しているが、中には同様の装備を付けているのだろう。口内にまとわりつく唾液がさらに甘ったるくなっていく。
三対一。じりじりとアサシンたちがノゾミを包囲する。
さすがに軽率すぎたかなと、ノゾミは少し反省する。今の位置で囲まれたまま炎を使われていたら、少々まずかったかもしれない。ただ、使ってこないだろうという予想もしており、実際にそれは当たっていた。
炎の存在を知り、一番最初にメドウスに聞いたことは、この力が社会的にどう規制されているのかだ。
原理や理論なんてのは学者に任せればいい。戦闘のことだけ見れば、似たような武器なんていくらでもある。弾速や殺傷能力を考えると、銃のほうが対処はずっと困難だ。炎の一番の利点は、その携帯性。なにせ、道具も何も使わずに、素手で使えるのだから。
一般人がこんな力を使えるのなら、警戒の度合いを頭から見直さなければいけない。街中で不意に殺されるなんて事故はごめんだから。
そしてノゾミの予想していた通り、街の中での炎の使用は、固く禁じられていた。また、炎は使う人間によって固有の波長があり、使用した痕跡が残るらしい。それをたどることで犯罪の証拠ともなるため、慣れた者ほど炎の使用は控える。
つまるところ、街中で犯罪などに使われるのは、ナイフや毒などの既知の武器。ノゾミの知る世界とそう変わりなく。
しかしそれは、犯罪者たちが武器の扱いに長けているということの裏返しでもある。アーマーに搭載されているソードマスタリーのサポートがあっても、三人の攻撃を凌ぐだけで精一杯だった。
ノゾミのレーザーには、マナの痕跡を残さないというアドバンテージがある。とはいえ気軽には使えない。本質はどうあれ、見た目は炎なのだ。
ほぼ確実に先手を取れるだろうが、直後に残る二人から炎による報復を食らうのは目に見えている。
突破口を探していたノゾミは、あることに気付く。
「あんた、もしかして路地裏で会ったアサシン?」
ぴくりと短剣男の動きが止まる。
「ジェニファは死んだ」
絞り出すような声だった。ジェニファの名に聞き覚えはないが、あの女アサシンのことだろう。
「あんただって、何人も殺してきたんでしょう」
「ジェニファは返してもらう」
うんざりだった。恨まれるのも、まとわりつかれるのも。
「おいゼームス、落ち着け」
仲間の声も耳に入らないようだ。ゼームスと呼ばれたアサシンは、武器を構え、ゆっくりとすり足で迫ってくる。天空をゆっくりと旋回する猛禽類のように。
そのナイフは嘴で、ノゾミは羊だった。




