07-1
ノゾミは宿へ帰る途中、飲み屋街の近くの通りへ立ち寄ってみた。
冒険者ギルドの酒場がそのまま広がったような光景だった。夜市も開かれており、投げやりで活気のある、不思議な雰囲気の通りだった。
正面から一人の男が小走りで向かってくる。男は何か焦っているようで、幾人かにぶつかりながらもその足はさらに速くなる。帽子を深くかぶり直し、何かを抱きしめるように、コートの前をしっかりと締める。
すれ違いざま、男が懐に小さな紙袋を抱えているのが見えた。
ノゾミは気付いた。その男は――
ラトルは、遠くから別の足音を拾っていた。カツンカツンと石畳を叩く特徴的な音。騒々しい市場の中でも、規則正しいその音がやけに響いて感じた。姿は見えないが、さっきの男を追っているのだろう。
ノゾミに詳細を伝える。
捕まるのも時間の問題だなと、ノゾミは思った。
やれやれだ。
気付いてしまったからには、放っておくのは寝覚めが悪い。ノゾミは踵を返し、追いかけることにした。
夜市からいくらも離れていない通りだが、脇道に逸れると灯は一気に減る。
「ラトル、あいつらはどっちへ?」
「その先の右の路地へ。急いで。三人、既に足を止めてます」
「ありがと」
角に身を隠し、様子をうかがう。助けてくれと、命乞いの声が聞こえる。相手は二人、黒っぽい服に身を包んでいる。背丈はメドウスと同じくらいか、少し高い。やや細身だがしっかりとした体つき、武器は見えない。
確認を終え、静かに路地へ踏み込む。夜の海に潜るように。
「ちょっといいかしら、その男の知り合いなんだけど。今日のところは引いてもらえないかしら?」
黒い影が振り向くが、驚いているようには見えない。荒事は慣れているようだ。「一応言っておくが」と前置きし、男が口を開く。低い声だった。
「こちらは仕事でやっている。そのまま下がれば追わない。踏み込めば、殺す」
アサシン。簡潔なセリフはプロの証拠だ。
とはいえ、ここで引くようなら最初から追いかけてなど来ない。それは相手もわかっている。「一応」とは、そういうことだ。
無言でノゾミは歩き始める。三歩目が地に着いたのを合図に、二人目の影が体を傾ける。ノゾミがそちらに目を向けた瞬間、影が一気に加速する。左手あたりが鈍く光る。刃物だろうか。
ノゾミは影を巻き込むように体を回転させると、その勢いで足を払う。一瞬聞こえた悲鳴は女性のものだ。
まずい。そう思った時には既に遅かった。予想よりも軽いその体は、ノゾミの想定よりもわずかに大きく回転した。
固い地面に打ち付ける音が響く。
ノゾミはそのまま女を組み伏せると、彼女が取り落としたナイフを奪い、首に当てる。ぬるりとした感触があるが、今は無視だ。
「引いてもらえないかしら?」
初めてアサシンがうろたえる。演技ではなさそうだ。首を縦に振ると路地の片側に背を付け、追われていた男に顎で合図をする。
男は恐る恐るアサシンの眼前を駆け抜け、ノゾミの後ろへと身を隠す。
ノゾミ達はそのままゆっくり下がり、路地から出た。警戒しつつその道を離れる。
走りながら確認する。
「ラトル、さっきの女は?」
「頭部に損傷。あの時点で呼吸は既に停止していました。この星の医療ではまず助かりません」
だろうな、と赤く染まった袖口を見てあきらめる。
何度か適当に道を曲がり、追手がいないことを確認し、二人はやっと一息ついた。
「はあ、はあ……、あ、ありがとう、追われてたんだ。死ぬかと思った」
声は震え、早口で聞き取りづらい。そこでやっと男は気付く。
「ノゾミ、かい? もしかして」
「そうよ、スチーヴ。あんたのせいでとんだ厄介ごとに巻き込まれたわ」
ゴブリンに襲われたキャラバンから逃げ出してきた、あの男だった。
ノゾミは寂れた宿を選び、スチーヴを引っ張るように入る。幸いと言っていいものか。飲み屋街が近いせいで、そういう宿はいくらでもある。
受付の老婆に多めに金を渡すと、ギシギシうるさい階段を速足で登っていく。向こうも商売人だ、察してくれるだろう。
部屋に入ると、ノゾミはさっさと服を脱いだ。血で濡れた上着で汚れた腕をぬぐうと、部屋の隅のゴミ箱に苛つきながら投げつける。スチーヴはベッドに腰かけたままで一言も発しない。
シャツ一枚になったノゾミは、憐れむような眼でスチーヴを見る。深いため息を吐き、一言。
「コート、もらってもいい?」
スチーヴは大切そうに懐の紙袋を置くと、無言でコートを脱ぎ、差し出す。あの時と比べてずいぶん老け込んで見えた。
「それ、どうせろくなもんじゃないんでしょ。あんた運び屋? それとも、キャラバン自体が?」
「俺だけだ。そろそろ足を洗おうと思ってたんだよ、それなのに――」
ノゾミは薄っぺらいコートに袖を通すと、興味無さそうに背を向け、埃っぽい棚を漁っている。
いくつか並んでいた酒瓶のうち、比較的ましそうなものを選ぶ。栓を開けるとアルコールの臭いだけはわかったので、ゆっくり口に含んでみた。舌がピリピリする、意外に悪くない味だった。
酒瓶をスチーヴに渡して忠告する。
「とりあえず飲むがいいわ、スチーヴ。そして袋のことなんか忘れて、朝一番にベーメンを出なさい。そしたら命くらいは助かるはずよ」
「簡単に言うね、あんたら冒険者は」
「冒険者だから冒険者らしく、命の心配をしただけよ。生活相談なら政府に言えば?」
沈黙が続く。
「さよなら」
一人になり、スチーヴはベッドに倒れ込んだ。枕に顔を埋め、ぼんやりと階段の足音を数えていた。




