05-1
夕食後、見習い錬金術師のメドウスは、師のバルサラの書斎へと呼び出された。
師弟二人きりの小さな工房だった。石造りのがっしりとした建物自体は立派だが、もうすぐ寒くなる今の季節は中途半端に広い空間がやけに強調され、メドウスは少し陰鬱な気分になるのだった。
メドウスが書斎のドアを開けると、バルサラは愛用の椅子の背にもたれ、天を仰いでいた。しばらく待っていても、何を言うでもなくじっと黙りこくったままだ。薄くなった頭を指でこすったり、虚空を凝視してみたり。
やっと意を決して向き直ると、一言だけつぶやいた。
「メドウス、お前がこの工房に初めて来たときに、私がなんて言ったか覚えているか?」
「はい、もちろんです。早死にしたくなければ、錬金術を学ぶのはほどほどにして鍛冶屋になれってやつでしょう? 耳にタコができるくらい聞かされてますよ」
「そうだな。私は今までに何度も同じことを言ってきた。言いづらいのだが、たぶんその時が来てしまったのだよ」
私は破門になるのでしょうか。メドウスは焦って聞く。何か失敗をしてしまったのか。それとも、この工房自体を閉鎖するという意味なのか。
私は師の技術、機械に憧れてこの工房に来たのだ。今さら剣を打って暮らすなんて、できはしない。そう訴えた。
あわててバルサラは、勘違いしている弟子の言葉を遮る。
「いや違う、違うんだ。そうではなく、――あと一歩踏み出せば、私は殺されるかもしれん。お前にはそのあとを引き継いでほしい」
殺される?
その言葉を飲み込むのにしばらくかかる。確かにバルサラは有名な錬金術師ではあるが、名前も工房の規模も、平均よりは少し上という程度だ。わざわざ選んで狙うものがいるとは思えない。
とすると。
「昨年あたりからたびたび部品を頼まれていたあれですか? 厳しく言われていたので、あの部屋には足も踏み入れていませんよ」
最近の師は、メドウスにも秘密でとある研究に没頭していた。
詳細を話さずに研究をすること自体はよくあることだが、それはあくまで研究に夢中で説明を疎かにしてしまうだけであり、質問をすればきちんと答えは返ってくる。今回のように工房の一室を立ち入り禁止にしてまで研究内容を隠すなんてことは、初めてだった。
バルサラは、察してくれた弟子に感謝して、静かに頷く。
「新しい機械を作ってみた。蒸気の力で大きな力を生み出す機械さ。が、機械自体はたいした問題ではない。頼みというのが、一度私と仲たがいして出ていくふりをしてほしいのさ」
「そんな、命が危ないならなおさらです。傍でお師匠様を守りますよ。魔術の腕なら私のほうが上なんですから」
「だからじゃよ。私は弟子にではなく、魔術師メドウスに頼んでいるのだ。仲違いしたとして敵の狙いから外れつつ、外部から私を観察して欲しい。
これよりちょうど二十日後に、あの機械を初稼働させる。それから毎夜動かすつもりだ。何日目で敵が動くのか、そしてそのときにどうなるのか、確かめてくれ」
バルサラは椅子に深く座りなおすと、ゆっくりと語り出した。
「この問題は非常に根が深いものだ。私が以前王宮で役人をしていたのは、何度か話したことがあるね。その頃からなんだよ、錬金術師の災難が妙に多かったのは。
工房の火事、主人の失踪、借金での破産。理由は様々だし、例えば火事と言っても、近所からのもらい火事も含まれる。
ただ、ほぼすべてのケースで工房は解体、主人は死亡。もしくは行方不明だ。不自然とは思わないかね?」
思わないかねと聞かれたところで、メドウスは混乱で話に追い付いていなかった。
なぜそんな回りくどいことをするのか。錬金術師の死亡が多いことと、何の関係があるのか。師は、何と戦おうとしているのか。
全く見えてこなかった。
「まあ確かに、急に言われても困るわな。あとはこれに書いてある、読んでくれ」
何も言わない、言えない弟子に、バルサラは一冊の古ぼけたノートを手渡した。そして部屋からドアに手をかけたところで、思い出したように振り返る。
「たぶんこれは私の形見になるだろう。なに、身寄りのない老人一人だ。後のことは何も気にしないでくれ」
その声はわずかにかすれていた。ばたん、という音とともに冷たい沈黙が広がる。
取り残されたメドウスは、崩れるように師の椅子に座ると、震える手で赤い表紙を開いた。
次の朝早く、工房の庭で怒鳴り合う師弟が付近の住人に目撃された。
あんなに仲の良かったのに。しばらく噂にはなったが、すぐに工房の火事により、その話は忘れられていった。