穴
ゆるゆると流れていく川のように、サラサラと落ちていく砂時計のように、ゆっくりゆっくりと、でも確実に失っていくものを感じていた。
体の真ん中辺りに、のんびりと生まれる穴がある。
ゆっくり、確かに、着実に大きくなっていくその穴は、本当なら目で見ても気付かない穴だった。
それが何でこんな風に広がったのか、自問自答してもきっと欲しい答えは出て来ない。
今ではすっかり、その奥の景色が見えてしまうくらいに広がる穴。
恐る恐る手を伸ばしてみた。
掴めるものは何もなく、その穴を通る風が手を撫でていくのを感じる。
呼吸は苦しくない、体は動く、ちゃんと考えられる。
だから大丈夫。
自分の胸を叩けなくて、穴に手を当てた。
昔から人と接するのが苦手で、自分の領域に入られるのを極端に嫌っていた気がする。
今もそれは変わらずに、むしろ悪化の一途を辿っているところ。
年々上手くなるのは、相手の考えを少しでも読み取ろうとする力や、愛想笑いばかり。
手の甲で頬に触れる。
その奥の表情筋は、決して柔らかいわけじゃなくて、無理矢理動かすせいで引き攣っていた。
体の真ん中辺りに空いた穴は、それを感じるだけでもゆっくりと広がる。
「しんどー」
ほろり、と溢れる言葉に感情は乗らない。
言葉として吐き出されるだけで、誰かに届くこともなくて、またしても穴を広げた。
塞がることのない穴は、ただただ、広がるだけ。
体を逆に飲み込もうとしているようだった。
そもそも何でこの穴が出来たんだっけ、と初めて違和感を感じた日を思い出す。
ゆっくりと再構築されていく記憶の中では、私がある一つの枠からはみ出しているのが見えて、何となく原因を感じ取れてしまう。
仕方のないことと言うのは、この世界にはいくつもあって、どうしようもないことは、山ほどあるのだ。
だから私のこれも仕方のないことで、どうしようもないことなのだろう。
最初からその枠の中に、収まれなかった私が悪いのだ。
そのせいで穴が出来たのだとしても、その原因は私にあって、私が悪いことになる。
私が私であることが、そもそも全ての原因だ。
胸の間に指を這わせる。
人間らしい一定の鼓動を感じれば、生きている、を実感出来た。
まだ、私は生きている。
心臓が動いていて、自分で考えて行動に移せるはずなのだ。
涙腺が消えてなくなったように、もうしばらく泣いていない。
静かに目を閉じて、自分の体に空いた穴を思い浮かべてみても、涙なんて出て来ない。
泣けなくなったのは、こうして穴を意識するようになってから。
目を閉じて想像の世界で穴に触れる。
何も無いそれは、別に何の感触もしないし、特に何かあるわけじゃない。
本当にただの穴。
その穴は私の体を食い尽くして、いつか私が穴になるんだろう。
ゆっくりゆっくり、気付いた時には手遅れなんだろう。
きっと、そうだ。
生きているという主張を聞きながら、またしても穴が広がったような気がした。