06 バイクを見る目のこと
世間様のバイクに対するイメージについて書いてみました。
私達バイク乗りはバイクが大好きだ。
しかし、バイクが誰の目にも好ましく映るとは限らない。
それは、キテレツな改造をした珍妙な形のバイクで、交通ルールを無視して集団で騒音をまき散らすような連中が世間に植え付けたイメージ。
もしくは、交通マナーを考えもせず自分勝手な理屈で法定速度の数倍にもなるスピードで、危険な運転を繰り返すライダー達がバラまいてしまったイメージ。
そんなような負のイメージによって、バイク=不良、バイク=危険、という偏った認識が世間の大人達の中に出来上がってしまったのだと思う。
そんなことを気にする必要はない。解るヒトにだけ解れば良い。
…と言ってしまうのは、バイクの好きな私としては少し寂しく感じる。
クルマと違って搭乗者が剥き出しのバイクは、確かに危ない乗り物かも知れない。
音だって最近のエコカーのように静かではない。
でも、バイクには良いところがたくさんある。
それが私達バイク乗りにしか理解してもらえないというのは、やっぱり寂しい。
実家に用事があってバイクで顔を出した時、私は母に「アンタそんなの乗って危ないんじゃないの?」と言われたことがある。
まあ、病気をしてから少しだけカラダの動きが不便になった私をおもんばかってのことなのだろうが、バイク乗りだった夫をもつ、我が母にしてこれである。
確かに危ない面もあるが、そんなことは乗り物を運転する以上少なからずある。
本当に危なければこれほどバイクは普及しなかったろうし、そもそも私だって免許を取れなかったろう。なにしろ私が免許を取ったのは病気をした後だ。
私は、ちゃんと交通マナーを守って乗っている分には何の問題も無いよ、と母に笑って答えた。
私でも、自転車にのるのと同じように、キチンと練習をすればバイクは何の問題も無く乗れるのだ。
しかしそれでも、職場や公共の場において「バイクなんか乗って」という視線を少なからず感じる時がある。
そんな時、私は「もったいないな」と思う。
確かに迷惑な乗り方や危険な運転をするヒトもいる。
でもバイクの魅力はそんな部分ではない。
勘違いして得意になっている一部のヒトを見て、バイクはこういうモノと決めつけてしまうより、原付スクーターでもいい、のんびりと乗ってみてほしい。
きっと認識が変わるはずだ。
それだけの力をバイクという乗り物は持っていると、私は確信している。
しかし、同時に私はヒトにバイクを勧めない。
大きな矛盾だ。
どうしてかというと、バイクに乗っているとケガをする可能性が高くなるからだ。乗ってみたいと言うヒトには喜んでバイクを貸すが、押しつけたくはない。
後輩が50ccのバイクに乗ってみたいと言った時も、その時持っていた50ccのミニバイクを貸してやった。
結局その後輩はバイク乗りにはならなかったが、バイクの楽しさは理解してくれたようだった。
そのくらいで良い。
バイクについての認識は正当なモノになって欲しいが、自分から選んで欲しいのだ。
バイクは楽しくて、格好良くて、みんなをワクワクさせる、憧れられるモノであって欲しい。
私は時折、技術向上のために駐車場の隅でスタンディング・スティル(止まった状態のまま、足を着かずにバイクのバランスを取る技術)の練習をすることがある。
まるで上手くいかないが、停止状態や低速での技術は、バイクに乗る上で非常に重要で、良い練習になるとアドバイスをもらったことがあるのだ。またこのスタンディング・スティルは、練習に場所がほとんどいらないという利点もある。畳2枚分ものスペースがあれば、好きなバイクの練習がいくらでも出来てしまう。
そうして練習をしていると、小さな子供達が集まってきたりする。
「バイクだー!」
「カッコいいねー!」
「ボクも自転車が乗れるようになったら、乗せてもらうってパパと約束してるんだよ!」
我が家の近所にはバイクに理解のある大人、すなわちバイク乗りが多いせいもあり、子供達は素直に憧れを口にしてくれる。
もちろん、私も憧れた、世代を越えて活躍するあのヒーローの影響もあるだろうが、彼らにとってバイクはまだまだカッコイイものとして捉えられているのだ。
こんな子供達のためにも、バイクを悪者にしたくない。
バイクは楽しくて、ワクワクして、たくさんのことを気付かせてくれる、素敵な乗り物だと胸を張って教えてあげたい。
だからこそ、バイク乗りはヒトの痛みが解る、思いやりを持った、カッコイイ大人であって欲しい。
素敵な笑顔の出来る格好良いバイク乗りが、あの小さく澄んだ瞳に映るように。
バイクって正しい評価をされてないですよね。
純粋な子供達は率直にカッコイイと口にしてくれるんですけどね~。
私も格好良いバイク乗りになりたい!