02 バイクが開く世界のこと
バイクに乗るようになって感じたこと
12月2日 画像を追加しました。
バイク乗りは季節の移り変わりに敏感だ。
バイクに乗るようになってたかだか1年程度の私が口にするのもどうかとは思うが、季節に敏感になるのは当然といえば当然だ。
クルマと違って搭乗者が剥き出しのバイクは、夏には灼熱の陽射しに焼かれ、冬には凍るような北風にさらされる。雨が降れば雨に濡れるし、風が吹けば簡単に影響を受ける。
移動手段としては実に不便だ。
しかし、バイクに乗る人間は決まってそれが良いという。
彼らは目的地に移動するためにバイクに乗っている訳じゃない。
大袈裟な言い方だが、バイク乗りは『旅』をするためにバイクに乗っているのだ。
バイクに乗らない人間から見れば馬鹿馬鹿しい限りだろうが、こればかりはやってみないと解らない。
現代の交通手段は年々そのスピードを上げることに心血を注いでいる。
開業当時は最高時速200kmだった新幹線が、今では時速300kmを超える。市販されているクルマやバイクも、最高時速300km以上という信じられないような高性能のものまで存在する。
しかし、バイク乗りにとってスピードは『バイク』という機械の持つ要因の一つでしかない。
確かに、エンジンの鼓動がもたらす、人力では到底到達できないような加速は魅力的ではある。
魅力的ではあるが、全てではない。
バイク乗りはアクセルを開けた時、自らの周囲の加速する世界を直接体で感じているのだ。
たとえばそれは風かもしれない。
視界の端を後方に流れる木々の緑かもしれない。
山影の向こうを己と並走するかのように見える夜空の月かもしれない。
そんな時、バイク乗りは世界をその体に感じる。
移動すること自体が『旅』になる。
それがバイク。
クルマや新幹線ではただ通り過ぎるだけの道端の花が、川面の輝きが、バイクに乗っていると目に入ってくる。
そして、季節を感じる。目も眩むようなスピードは必要ない。
桜の花が舞う春を、ヒマワリの咲き誇る夏を、紅葉の色づく秋を、梢が北風に揺れる冬を、目とその体で感じる。
バイクに乗るようになって世界が広がったというバイク乗りがたくさんいる。
それは単純に行動範囲が広がったという意味ではない。
言葉通り、世界が広がる、いや、開けるのだ。
それまで何となく通り過ぎていた景色が、はっきりと輪郭を際立たせ、認識を求めてくる。
沈む夕日の色に染まる空が、銀色に輝く夜空の月が、世界の美しさをバイク乗りに魅せ付ける。
さあ、今日もカメラを持って出かけよう。
ほんのそこまででも良い。
バイクが私に世界を開いてくれるだろう。
東の空が曙色に染まるまであと2時間も無い。