00 そのバイク乗りが生まれた訳
私がバイク乗りになった経緯のようなものです。皆さん、健康は大事ですよ。
12月2日 画像を追加しました。
何故?
と訊かれれば、何となくとしか答えようがない。
朝起きようとしたら左脚と左腕に力が入らず、立ち上がれなかったのがおよそ一年半前。
前日に大量の重い荷物を運んだため、今回の筋肉痛は痛みを通り越して感覚がマヒしちゃったのか…、とのんびりと考えながら病院に行ったのを覚えている。
病院ではすぐに車いすが用意され、たちまちそれがテレビドラマでよく見るガラガラと移動できる簡易なベッドに変わった。
大袈裟だなぁと苦笑いする私の顔を不安そうに妻が見る。
どこも痛い訳じゃないし、大丈夫だよ。
そう言う私に妻は笑い返してはくれなかった。
CTスキャンにMRIと次々に検査を受けさせられた私に医者がいった病名は、脳梗塞だった。
脳梗塞…
落ち着いてくださいね。
諭すように医者は言ったが、私は別に落ち着いていた。
そうか、筋肉痛じゃなかったか。
今となっては笑ってしまうが、これがその時に私が抱いた感想だ。
このまま入院になります。今、奥さんを呼びますからね。
入院か…、のんびりできて良いかな…
そうぼんやりと考えてから、頭の中を片付けないといけない仕事の一覧が流れていった。
こんな時にも仕事か…
先生、電話かけてもいいですか?
これからSCUという脳卒中の患者さん専用の集中治療室に入っていただくので通話はダメです。メールならベッドの上からしてもいいですよ。
はあ…
キチンとしたベッドに移されて病室に運ばれながら、どうしたもんかなと考えた。とりあえず先ほど頭の中を通過した一覧に処理方法を付けた長いメールを同僚に送った。
職場の上司には妻から電話を入れてもらう。
それで終わりだった。
私がしなくてはいけないのはベッドの上でおとなしくしていること。トイレすら尿瓶を使うように看護士さんににこやかに念を押された。
左腕も左脚も動かない訳ではない。
ただ、力がうまく入らない。思ったように動かない。
たったそれだけだが、立ち上がれないし、起き上がれない。
一日中点滴につながれ、塩味の薄い食事を食べ、携帯電話の画面を眺めて過ごす。
SCUを出て一般病室に移れたのは一週間後だった。
でも、そこからの回復は早かった。
点滴は相変わらずだったが、翌日からリハビリを始め、3日ほどで点滴台を杖代わりに歩き始める。
周りの心配をよそに、順調に回復をしていく私の体は、さらに1週間で杖無しでも歩けるようになり、なんとか階段を昇り降りできるようにまで回復した。
退院は入院から3週間後の月曜日だった。
妻に迎えに来てもらい、久し振りに家に帰った私を、子供達が作った折り紙の飾りつけが迎えてくれた。
ぱぱ、おかえりなさい。だいすきだよ。
壁に貼られたひら仮名だけのメッセージに涙が出そうになった。
まだ6歳と4歳の娘と息子は、私が入院した日からしばらくは泣いてばかりで大変だったと妻に聞かされた。それと、入院当日に妻が医者から聞いた説明は、私が聞いたものとは少し違っていたらしいことも。
妻が聞いた医者の説明では、油断できない状態…‥すなわち最悪の事態である『死』についての説明もあったらしい。
幸い、血管の詰まった部分が瘤になって破裂することも無く、点滴による治療で症状の改善がみられたので、手術することも無く回復できたようだが、妻にも大きな心配と気苦労をかけてしまった。
どうりで看護士たちが血圧の数値をしきりに気にしていた訳だ。
しかし…、ちょっとのんびりできるかな程度にしか考えていなかった私は心底申し訳ない気分になった。
退院してからは1ヶ月間の自宅療養。
リハビリは通院でおこなうこととなり、その間に日常生活に問題無いレベルにまで回復した。
職場は私のいない間、何の変わりも無くとまではいかなかったそうだが、特別仕事が回らないという程でもなかったようだ。
所詮、会社などそんなものだろう。
むしろ1ヶ月半の病気休暇を快く認めてくれたことを喜ぶべきか。
仕事に復帰した私は、さすがにそれまでよりも健康に気を遣うようになった。仕事で迷惑をかけたことよりも、妻や子供たちに心配をさせたことの方が理由だ。
この一年半の間、さすがに体を動かすことについては病気前と同じにはならなかったが、普通に生活をしている限り、私が病気をしたことに気が付く人がいない程度にはなった。
そして思った。
変わり映えのしない日常に倦み、別にいつ人生の終わりが来てもそれほど惜しくはないなどと考えていたが、家族に泣かれるのは辛いなと。
同時に、やりたいと思ったことは出来るうちにやっておかないと出来なくなる…‥と。
ここで冒頭に戻る。
私はそれまでいらないと思っていた二輪免許をとった。
バイクの操作自体は50ccのスポーツバイクに乗っていた経験もあったので問題無かったが、病気で落ちた筋力は教習を少々てこずらせた。
とはいえ、既定より1時間オーバーしただけで教習を終え、無事に免許を取得し、中古の250ccのバイクを買った。
40歳にもなって急にどうしたの?
バイクで出勤した私を見た人はみんな同じようにこの言葉を口にする。
何故?
訊かれれば、何となくとしか答えようがない。
意識こそしなかったものの、病気をして感じたのは『死』の身近さと、身体が動かなくなることへの恐怖だった。
でも、そんなことを言葉にしてみたところで、上手く伝えられる訳が無い。
だからいつも答えは「なんとなく」なのだ。