毛利の内紛(三)
五、
家人たちによって、無数の松明が離れを取り囲むようにかざされている。
真昼のような明るさだ。燃えさかる炎が、咎人を責め立てるように煌々と揺らめいている。
ちくりと突き刺されたような両眼の痛みに耐えかねて、経友は片手で光を遮った。
その仕草がよほど滑稽に思えたらしい。周囲から湧き上がる嘲りの笑い声は、底冷えするような不快感を感じさせた。
「不自由をさせたな。すぐに後始末をするから、しばし待て」
「……はい、四郎様」
悠然と灯火を背負いながら、元綱が横たわる娘に労いの言葉をかける。娘は何処か熱のこもった視線を彼に投げかけながら、嬉しそうに頷いた。
「さて、千若殿? 牛若丸の真似事にご執心なところ申し訳ないが、ここは鬼一法眼の屋敷ではありません。よって目当ての六韜もありはしないのです」
切れ長の瞳が愉悦に歪む。
彼の芝居がかった口調は、その整った容貌と相まって、ただでさえ光輝いている存在感を更に高めるのに一役買っていた。
だが、煌びやかな見てくれに反してそのまなざしは冷酷で、どこか世の中に絶望しているようにさえ見える。
「お前、四郎殿か……?」
「……? 先日といい、千若殿は良く分からぬ質問をしますな」
経友は何か釈然としないものを感じ、元綱に問いかけた。
馬鹿げた質問であるとは自分でも分かっている。が、経友には眼前のこの男が、どうしても記憶の中の相合四郎元綱と上手く重ならなかったのだ。
以前の元綱は誠実だった。
才に溢れているにもかかわらず、それを鼻にかけることもない。
瞳をぎらぎらと輝かせ、己が才を磨くためにひたむきに努力する。
山口で良く顔をあわせていた幼馴染の一人、相合四郎元綱とはそう言う男であった。
だが、今目の前に居るこの男はどうか。
成る程、その溢れんばかりの才能は以前と少しも変わるところがない。
身動きのできない松寿派の家老たちと相対しながら、彼らに付け入る隙を与えず、更には不意の侵入者を予測して待ち構える……その判断力、立ち回りたるや、同年代の若者をはるかに上回るものだ。
まさに生まれながらに勝者たることを約束されたかのような立ち回りだ。
だが……それに反して彼の瞳は、勝者の持つ『それ』にしては、あまりにもくすんだ色をしているように思えた。
「……昔のお前はそうじゃなかっただろ。何がお前をそうさせた……?」
「ふむ、むしろ変わらぬ貴方の方がおかしいと考えるべきでは? 人は変わるものでしょうに」
短い問答の後に、元綱は短く息を吐いた。そして、懐から扇子を取り出し、形の良い口元に当てる。
「諦めたのですよ」
厭世観漂う声色で紡がれた言葉が、経友を更に驚かせる。
「どれだけ才を磨こうとも、どんなに努力を重ねようとも……私が妾の子である以上、それを存分に振るう機会は訪れない。龍になれるのは鯉と決まっている。取るに足らない雑魚に、天は決して道を示してはくれぬのです。どんなに鮮やかな衣装を身に纏おうとも、下人は……下人でしかないのです」
扇子で顔を隠しながら、元綱は肩を大きく震わせる。
表情は見えない。だが、彼の背中からは妬みや憤りと言った黒い感情が、煙のように轟々と舞上がっているように感じられた。
釣り上がった眼が、扇子の上からちらりとこちらを覗いてくる。
凍てつくような悪意――それを身に受け、経友は思わず身震いした。まるで経友の周囲だけ真冬になったかのようだ。
「千若殿、私は貴方が嫌いではなかった。国人の三男風情が分不相応な努力を重ねていると言う一点において、むしろ共感を抱いていたと言っても良い。ですが……貴方と私は似ているようで似ていなかった。英雄の背中を見て育ってきた貴方と違い、私の上に位置する者たちは……揃いも揃ってぼんくらが過ぎたのです」
「お前、それは……」
慌てて口を挟もうとするも、彼の扇子がそれを制するかのようにぱたりと閉じられる。
経友は機を失い、苦みばしった顔で虚空を見つめる冷たい瞳の行く末を追った。
「父が愚鈍であることは構わない。死した後に子がそれを正してやれば良いのですから。だが、兄や姉まで愚かでは、風下に立つ私の気持ちはどうなるのか。文弱の兄上が死んだかと思えば、次は姉上だ。底の浅い我侭を言っては、私の心をささくれ立たせる……もう、疲れたのです」
そう言い終えると、元綱は長いため息をついた。
しばしの沈黙。そして、段々と彼の背負う黒い感情が大きくなっていく。
抑えきれぬほどに高まった『それ』は形を求めて乱れ狂う。そして、結実した言葉は、
「だから……私が上に立つ」
ごくごく短いものであったにも関わらず、彼の抱いてきたもの全てが詰まっているように思えた。
明白なる下克上の意思。経友の喉が、音を鳴らして唾を飲み込んだ。
「幸いにして、今の世には下克上とやらが蔓延っている。細川のような天下人とて、親兄弟で争いあう外法の末世だ。そうだ……時代は私を後押ししてくれているッ……」
元綱の声が大きく、そして色を帯びていった。
もう、経友の知る相合四郎元綱の面影は欠片も残っていない。今、自分の目の前に立っている男は、才に溢れた潔白な若者ではない。
悪徳をその身に食らった奸臣――いや、乱世に身を委ねる梟雄の一人であった。
強く歯噛みする。
痛みを訴える肩を意識の向こう側にやりながら、眼前の男に心を飲まれないよう、必死に睨みつけた。
「松寿はどこだ……」
「ふむ……?」
「あいつを何処にやったと聞いているッ」
「さてね。たとい冥土の土産であったとて、それを教えてやる義理はない」
「四郎ッ!」
経友の呼びかけが心底癪に障ったのか、元綱の顔が面白くなさそうに大きく歪んだ。
懐に扇子を仕舞い込み、片手を挙げて周囲に指示を送る。
「もう良い。こいつを射殺せ。生きてこの城から出すでないぞ」
「四郎ッッ」
「英雄の孫でありながら、その愚鈍さ……まことに救いがたい。死んで、その出自に詫びるが良い」
死の宣告とともに、彼の片手が経友へと向けられる。
それに従って、幾つもの矢先がこちらに向けられた。
◇
「放てッ!」
元綱の号令とともに、数多の矢が飛来してくる。
そのいずれもが狙い違わず経友目掛けて飛んできていた。このまま坐して待っていれば、たちまち全身を串刺しにされてしまうことだろう。
「くぅッ」
経友は狐ヶ崎を抜き放つと、急所に届かんとしていた幾つかを全て斬り払った。
銀色の閃きが十文字をかたちどった後、真っ二つに断たれた矢が四散していく。
(更にッ!)
残りの矢が降り注いでくる。
その数は十を超えており、一振りや二振りでは到底払いのけられる量ではない。
経友は来るべき痛みに備え、奥歯を強く噛み締めた。
身体を半身に構え、眼前に迫る鉄矢の雨に集中する。
一本目は無事に避けきった。二本目は鼻先を掠めた。三本目は避けきれず、腿に浅くない裂傷をつけていった。
……まるで雨の中を濡れずに歩くような所業だ。成功するはずがない試みと言える。だが、経友はそれを懸命に続けていった。
十本目の矢が経友の喉元に浅い傷をつけた時、辺りには経友の血が盛大に飛び散っていた。
(だが、生きているッ……!)
瞬時に息を整え、次なる行動に備える。
まずは、この包囲を突破しなければならない。
周囲を取り囲む家人たちから、かすかな動揺が感じ取れる。先ほどの矢を受けて、まさか立っていられるとは思っていなかったのだろう。
(突破するならば、今しかないッ)
経友は、狐ヶ崎を八相に構え、包囲している家人の中でも特に動揺の色が濃いと思われる箇所に向かって斬り込みをかけた。
「何をやっている、無能者めがッ! 貸せッ」
配下の余りの不甲斐なさに業を煮やした元綱が、苛立たしげに声をあげる。
家人の手から弓を奪うと、荒々しく弓を引いた。
「弓とはこう扱うのだッ!」
放たれた矢は、迅雷のような速度で経友目掛けて飛んでくる。
到底避けられるものではない――
瞬時の判断の末、経友はすでに矢の刺さった肩を盾にすることにし、斬り込みを続行した。
ずぶりという嫌な感触を感じ、焼け付くような痛みが身体を駆け巡った。
「ああああぁぁぁああッッ!」
痛みに固まる身体を奮い立たせようと、経友は叫んだ。
更に一歩、足を踏み入れる。更に一歩。雑兵の狼狽した顔が隅々まで確認できる距離にまで近づいた。
烈火の気合を伴った狐ヶ崎の一撃が振り下ろされる。
「ひゃ、ひゃあぁぁあッッ?」
雑兵の腕が宙を舞う。
たまらずに倒れこんだ雑兵を乱暴に踏み越え、経友は何とか包囲を突破する。
「役立たずどもがッ……間断入れずに囲めぇッ」
呆然としていた家人たちであったが、元綱の声に自分の為すべきことをはっと思い出すと、慌てて刀を抜いて追いかけてきた。
経友は、追いすがってくる敵を相手に二合、三合と斬り結び、門を目掛けて駆けていく。
時折放たれる鉄矢は、庭木を盾に何とか凌いでいった。
「はぁっ……はぁっ……!」
肺が空気を欲しがり、身体が休息を欲してくる。
だが、ここで立ち止まるわけにはいかない。
心の中に、助けを求める松寿を確かに感じ、一心に駆けていった。
周りの景色がめまぐるしく移り変わっていくも、経友は脇目も振らずに駆け抜けていく。
主屋の曲がり角を転がり込むように飛び出て、ようやく視界の端に捉えた正門は――やはりと言うべきか、閉ざされていた。
門前に待ち伏せていた家人たちがこちらへと向かってくる。このままでは挟撃を受けてしまいかねない。
「くそッ。まだ手詰まりには早いだろうッ!」
まだ、窮地を脱することのできる道筋は残されているはずだ。
経友は必死に考える。
侵入経路は一方通行であった。もう同じ道を辿って戻ることはできない。裏門へと向かう余裕も残されていない。他に残された道は……
その時、経友の視界に防衛用の矢倉がちらりと映った。
「あそこだッ……!」
迫っていた雑兵を横薙ぎに斬り払った後、経友は行く先を変えて矢倉へと無我夢中で走る。
流石に矢倉にまで待ち伏せの兵はいなかった。経友は喝采をあげながら、大急ぎで梯子に取り付いた。
「だれか、あいつを引きずり落とせッ!」
階下から元綱の怒号が聞えてくる。
幾人かの家人たちが経友を追って梯子を上ってきているが、それらを何度も蹴落としては、ただひたすらに上を目指していく。
梯子は数人分の重みを受けてぎしぎしと揺れ、何度も経友の頬を下から放たれた矢が掠めていく。
どっと冷や汗が引き出してくる。
出血と連戦、そして緊張が祟って何度も気を失いそうになるが、その度に唇を噛んで懸命に耐えた。
(あと少し、あと少しだ……!)
自分に言い聞かせながら、手と足を動かす。
「良しッ……!」
梯子の終点を告げる堅い床の感触に歓喜の声をあげ、勢い良く矢倉の上へと這い出る。
地面よりも強い風が、経友の血に濡れた身体を容赦なく打つ。
眼下には暗い森が延々と広がっており、経友は本能的な恐怖を感じて息を呑んだ。
「く……思ったよりも……高い」
階下からは相変わらず雑兵が上ってくる音が聞える。ここで立ち止まっている暇などありはしない。
……もはや選択の余地はないのだ。
「くそ、くそっ……おぉおおおおッッ!!」
覚悟の雄たけびと共に、経友はその身を柵の外へと投げ出す。
肝を掴まれるような不快な感覚。重みを支える場所を失った経友の身体は、一旦ふわりと停止した後、地面に向かって真っ直ぐに落ちていった。
途中、木の枝が何度も経友の身体を強かに打つ。
そして、すぐに経友の身体を襲う大きな衝撃。
「――ッッ!」
声にならない悲鳴を上げた。
落下の衝撃で、胸を強く打った経友は地面の上で悶絶する。
胃の中のものが逆流してくるのを押さえられない。
「げほっ……げほっ……」
呼吸もままならない状態の経友を、開門の音が無慈悲に追い立てる。
この場に留まっていては意味がない。経友は、激痛の走る身体に鞭打って転がり落ちるように山を駆け下りていった。
「松寿……松寿ッ……」
かすれる視界に、幼馴染の幻影を浮かび上がる。
経友は意識を闇に持っていかれないよう、彼女の名前を繰り返しながら懸命に引きずる足を動かした。