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安芸の柊、春近し【架空戦国記】  作者: 三郎
安芸の柊、春近し
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安芸の柊、春近し(二)

「はぁっ……はぁっ……ぐ……うぅ……」

 落馬した際に折った足を引きずりながら、元綱は必死に敵から逃げていた。

 よろよろと山道を登っていくその様は、先刻までの覇気を纏った若者とは似ても似つかぬ姿であった。

 背中に受けた矢傷から、赤い血の色が装束一面に広がっている。

 今、身体を突き動かしているのは、ただ生への渇望のみ。

 死にたくない。

 とにかく、生きたい。

 それだけを考えて、元綱は必死にあがき続けた。


 ――えい、えい、おう。えい、えい、おう――


 山の麓から勝どきの声が聞こえてくる。

 戦は松寿勢の勝利に終わったのだ。

 生まれて初めて経験する純粋なる敗北。

「うっ……うぅっ……」

 元綱は泣いていた。

 溢れ出てくる涙と鼻水を拭おうともせずに、ただ慟哭する。

 松寿の追っ手はやってこない。

 深追いされなかったのは慈悲によるものか、それとも単なる侮りか。

 すべてを省みず、ただ生き残ることのみを一心に考え続ける元綱には判じようがないことであった。

「勝ぅ……ッ」

 討ち取られた腹心のことを想う。

 本家に弓を引くという修羅の道を歩む元綱に、文句も言わずに付き従ってくれた武人。

 結局、自分は彼の期待に応えてやることができなかった。

 天下の表舞台に上がって見せると豪語しておきながら、彼の忠義に何も報いてやれない自分が何とも惨めで……

 それなのにこの苦しみから何とか抜け出したくて、未だ彼に助けを求めているこの性根が情けなくてたまらなかった。

「勝、ごめんよ……」

 必死に天へ懇願する。

 もし、彼が生きていたのならば、どん底に落ちた元綱を見てどう思うのだろう。

 情けないと叱るだろうか。

 ……いや、恐らくは手を差し伸べてくれるだろう。

 そう言う男であった。

「母様……」

 最愛の母のことを思う。

 息子が敗れた以上、派閥の長たる母親もただでは済むまい。

 良くて追放……最悪の場合は処刑もあり得よう。

「申し訳ありません、母様……」

 一体、何処で道を違えたのか。

 姉のせいか?

 それとも、吉川の三男坊が元凶か?

 先刻までなら、彼らの顔かたちを思い起こしただけで激情に駆られたはずなのに、今となっては最早敵を恨む気力も湧いてこなかった。

 まるで、あの雷撃のような矢撃に魂を吹き飛ばされたかのようだ。

 恨みの矛先が外へと向かわなければ、それは自然と内側へ向けられる。

 元綱は、自身の傲慢と浅慮を省みて、強く、強く後悔した。

「妾の子として生まれ……分不相応に力を持ち、母に要らぬ野心を抱かせて、それを諌める心すら持てず、憎しみに任せて乱を起こした」

 何処かで歯止めをかけてさえいたならば、と考えずにはいられない。

 結局のところ、元綱は自分で進む道を選んでいるわけではいなかった。

 父の言葉に乗せられて、母の期待に持ち上げられ、周りの家臣に囃し立てられる。

 そう、ただ流されていただけなのだ。

「尼子に逆らってまで縁談を断った姉上の方が……よっぽど心が強かったんだ」

 松寿という大器を見極められずにいたことを強く恥じる。

 慢心と憎しみに曇った眼には、彼女は『我侭な愚か者』としか映らなかった。

 その誤解が彼女とのいさかいを招いたのだ。

 挙句の果てには凡愚と侮った好敵手にまで完膚なきまでに叩きのめされ、全てを失う羽目になり――

 と、そこまで考え、元綱は「……ああ、何だ」と納得した。

「やっぱり私のせいじゃないか……」

 笑うことしかできなかった。

「……玖姫、君の言うとおりだったよ。とどのつまりは自分次第なんだな」

 それはこの場にいない幼馴染に向けて放ったつもりの言葉であったが、

「四郎……」

 果たして答えは返って来た。

「玖姫……?」

 後ろを振り返る。

 悲しげに潤んだ猫目に、癖のついた短髪。

 彼女は必死に山を駆け上がってきたのか、随分と息を切らせていた。

 いつぞやの夜のような戦装束ではなく、動きやすい小袖と短めの袴を身に纏っている。

 その姿は幼い頃に目にした彼女の姿と比べると、大分やんちゃに思えたが、それでも十分可憐であった。

「そうか、私はここで君に殺されるのだな」

 彼女の左手に納められている小太刀に目を向け、元綱は静かに呟いた。

「それも良いのかも知れないな」

 そっと目を閉じる。

 狂おしいまでの生への渇求は、何時の間にやら霧散していた。

「謝らなくちゃと……思っていたんだ」

「何故?」

 死を待つ元綱に、玖の涙声が届けられる。

「あたしが皆の絆をかき乱したから……あたしの、せいなんだもの――」

「それは違うよ、玖姫」

 悲しみに震える玖の言葉を、元綱は優しく否定する。

 毛利家の抱えていた不和は、玖一人がいないだけで何とかなるほど生易しいものではなかった。

 あの時、彼女が我侭を言わずとも、いずれは何処かで瓦解したはずなのだ。

「……ここで終わりにしよう」

 そう言って玖を促し、最期の時を待つ。


 ――だが、彼女の刃は、いつまでも元綱の胸元に届かなかった。

「優しいのだね」

 そう言って笑うと、元綱は涙をはらはらと落とす玖に背を向ける。

「今更姉上たちと共に歩もうとは思わない。私はこのまま何処かへ消えるよ」

「四郎――」

「さようなら、玖姫。姉上たちに、ごめんとだけ伝えておいてくれ」



 一方、出雲の月山城――

「そうか、姫が勝ったのか」

「はい」

 松寿勢勝利の報告を聞き、月山城の主・尼子経久は嬉しそうに頬を緩ませた。

「……あれだけ目をかけてやったのに、この体たらく。相合への支援に一体どれだけの手間と銭をかけたと思っているのだ……!」

 重臣の亀井安綱が、顔を赤黒くして吐き捨てる。

 毛利家への調略を一手に引き受けていた彼にとって、今回の相合勢敗退はまさに今までの努力が全て無駄になったようなものであったのだろう。

 武田を初めとする諸勢力への要請に、安芸へ送った兵たちの損害。

 頭痛の種は山ほどにあった。

 それゆえ、なおも愚痴愚痴と続けようとする安綱であったが、

「まあ、あの娘がそう望めば、そうなるのであろうなあ」

 さも当然といった経久の言葉に、彼の怒りはかき消される。

「そこまでの器ですか」

「さあのう」

 訝しげに問いかける安綱をはぐらかすように、経久は笑った。

 対する安綱の困惑は更に深まっていく。

 ほとんど顔を会わせたことのない少女に対して、何故このような評価ができるのか。

 そう言わんばかりの表情であった。

 彼はまるで、自分の調略が失敗するものだと言われているように感じたのか、 

「笑い事ではありませぬ」

 呈した苦言が、余計に経久の笑いを誘った。

「分からん奴じゃ」

 手にした扇子をぴしゃりと閉じて、安綱の額をこつんと小突く。

「いずれにせよ、こたびの内乱で、安芸の国人一揆は揺らぎを見せるじゃろう。我々はその隙にゆるりと石見を切り取ればよいだけよ」

「しかし、毛利の恨みは深うござる。これでは、今後の障害になりましょう」

「阿呆」

 呆れ気味にため息をついて、

「そのための武田であろう? 腐っても虎に違いはないのだから、存分に暴れてもらえよ」

「はっ……」

 静かになった安綱から視線を移し、澄んだ青空を仰ぎ見た。

「しかし、あの若造がのう」

 まるで春風のような若者。

「確か千若経友と言ったかな」

 彼が此度の騒動を収めた立役者の一人であることは間違いがないだろう。

 物怖じしない一本気には、経久も何処か好感を覚えた。

「まだ祖父には遠く及ばぬが、いずれは鷹に……なるとも知れぬな」

 経久はそう言うと、眩しそうに眼を細めた。

 いずれ自分に相並ぶかも知れぬ若者たちを思いながら、彼らの『完成』を心より願う。

「若造どもよ、乱世の舞台にはよ上がってこい。ほんにこの世は良い所じゃぞ」



「千ちゃん、ここにいたんだ」

「ん」

 寝ながら松寿に声をかける。

 さんさんと降り注いでくる柔らかい日差しの中で、元春はうとうとと舟を漕いでいた。

「……帰るとこもねえしなあ」

 呆けた頭で考える。

 結果はどうであれ、実家の方針に楯突いた以上、今の元春には帰る家がなかった。

 吉川家にも建前というものがある。

 尼子方につくと宣言した以上、実家も松寿に与した身内を受け入れるわけにはいかないであろうし、元春自身もこれ以上不利益をもたらそうという気にはなれなかった。

 いわば浪人と変わらぬ身の上だ。

 生活のことを考えれば、すぐにでも今後のことを決める必要があった。

 そこで、とりあえずは、と考えを巡らせる。

「食い扶持ができるまで、しばらく厄介になるけど、良いか?」

「し、しばらくと言わずに何時までもっ!」

 何気なく言った元春の言葉に、松寿は思いの外食いついた。

 身を乗り出し彼女に驚いて、少しのけぞりながら、

「お、おう」

 乾いた返事をする。

 すると、松寿は取り乱した自分に気が付いたのか、こほんと一度咳払いをした後、

「千ちゃんみたいな武将が無禄なんてありえないもの。何処に行ったって侍大将がつとまるよ。で、うちは今人材不足でしょ? まさにうってつけじゃないっ」

 もっともらしい理屈をすらすらと並び立てていく。

 元春には、そんな彼女の仕草が妙におかしく感じられて、 

「まあ、『春』だしな。助けの欲しい時は言ってくれよ」

「う、うん」

 くすりと笑って、再び昼寝を楽しむべく目を瞑った。

 穏やかな風が頬を撫でていく中、

「ありがとうね」

 松寿が元春に笑いかける。

「ん?」

「四郎君のこと」

「ああ、ちょっと目を逸らしたんだ。気づいたら、もういなかった」

 何でもないように返す。

「どう思われていても良いから……やっぱ家族には生きていてもらいたいもん」

「そっか」

 寂しげに微笑む彼女のふわりとした長い髪が、風に揺られて浮き上がる。

 元春は、彼女の黒髪を彩る白い花飾りに目を留めて、

「髪飾り、ちゃんとつけてるんだな」

「うん。だって、つけなきゃもったいないじゃない」

 恥ずかしそうに目を逸らす松寿に対し、

「それもそうだな」

 と相槌を打った。

「あ、あのね。椿をくれた意味って、その……やっぱり……」

 急にどぎまぎとし始める松寿を見て、

「ああ、それな。悪い」

 元春は思い出したように声を上げた。

「へ……?」

「椿って、あまり縁起良くないんだ。基爺が人の首みたいにぽとぽと落ちるって言ってさあ」

「むう」

 想像していた答えと違ったのか、松寿は何故か頬を膨らませ、不満げな表情を見せる。

「ん、どうした?」

「何でもないッ」

「変な奴だなあ」

 ぷいとそっぽを向く松寿の髪から、嗅ぎ慣れた香りが漂ってくる。

 春を待つ、柊の香りが元春の鼻をくすぐった。


長い間お付き合い頂きありがとうございました。

途中、一ヶ月ほど更新期間を空けてしまい、本当に申し訳ありません。

途中詰まることもありましたが、今までモチベーションを保ち続けることができたのは、ひとえに読者の皆様のお陰です。

重ね重ね、お礼を申し上げます。

さて、区切りも付いたので、これで『安芸の柊、春近し』は一端の終了とさせていただきます。

しばらく、設定の練り直しや改稿作業(もしくは新作執筆)を行いたいと思いますので、是非ともご了承ください。

もっと読者を楽しませることができるように、これからも修練を重ねていく予定です。

なにとぞこれからもよろしくお願いします。

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