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安芸の柊、春近し【架空戦国記】  作者: 三郎
安芸の柊、春近し
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安芸の柊、春近し(一)

「爺やッ!」

「はっ」

 少女の声に、並び立つ老齢の重臣が応える。

 思慮深い瞳の色を、烈火に染め上げながら毛利の老臣――志道翁が、ずいと一足前に出た。

「機を与える。一族の恥は一族が以って雪いで見せよ」

「かしこまってござる。兵を前に上げるぞ、上野ッ!」

 息子の名を呼び、手勢に対して命を下す。

「我らが名誉のために、裏切り者を討ち滅ぼせ!」

「えい、えい、おう!」

 死兵となった志道衆は、雪崩のような勢いで坂の備えに食いかかっていく。

 及び腰になった敵兵に反撃する余力は最早ない。

 巨体の獣が、まるでその身をかじり取られるように、彼らは相合勢本体から切り離されていった。

 名のある将が次々と討ち取られていく。

 その四散していく様は、さながら蜘蛛の子を散らすようであった。

「式部ッ」

「ここに」

 次いで松寿が命を下すは、祖父の福原式部。

「敵が腹を露わにした。勢の崩れた軍勢を、数を頼みに押し潰せ」

「承知」

 衰えを感じさせない嬉々とした声で、式部が笑う。

「この歳になって、かような戦に出会えるとは。もしや姫様は八幡大明神の生まれ変わりか」

 式部率いる一門衆が、逃げ惑う敵兵を呑み込んでいく。

 逃げる者には背中から斬りつけ、その場に立ち竦む者には複数人が襲い掛かる。

 戦場はさながら地獄絵図と化した。

 大風がすすきを薙ぎ倒すように、生者が死人に変わっていく。

 ばったばったと倒れていき、ついに姿を現すは、相合の大将・四郎元綱。

「四郎君……」

 割れた人波を道筋に、松寿と元綱の視線が交錯する。

 憎悪と嫉妬に塗れた瞳の色に、松寿は薄化粧をした表情を苦痛に強張らせる。

「やらなきゃいけないんだ」

 松寿の唇から、かすかな声が漏れる。

 小鳥が咽ぶような忍び声は、他の誰にも聞かれることなく、ただ経友の耳元にだけ届けられた。

「安芸のこれからを考えたら、もう内紛は許されない。絶対に……四郎君を、こ、こ……ころ……」

 二律背反する理性と良心。

 己の良心をひたすらに抑え込み、ただ肉親を滅ぼさんとする修羅の決意を搾り出そうとしている。

「……見てられない」

 経友の口から、独りでに言葉が漏れ出でた。

 苦悶している彼女の姿を見るに耐えかね、

「それ以上は言わなくて良い。俺がやる」

 言って、松寿に手を差し伸べる。

「千ちゃん」

「その小刀を貸してくれ。(ほつ)れた糸を切ってくる」



「ぐっ、こやつら……四郎、四郎――!」

「おっと、逃がしゃしないぜ。勝殿ッ」

 全てをなげうって、四郎を救わんと身を翻す勝に向けて、助六の鈴槍が振り下ろされる。

「邪魔だ、若造。そこをどけぇぇッ!」

「んなもん、駄目に決まってるだろうが」

 助六の猛攻をすんでの所で見切り、勝は叫んだ。

 大太刀と槍がぶつかり合う。

 戦の要であった渡辺党も、いまや井上党と国司衆によって本隊と分断されている。

 先刻までの鬼神のようなおもかげは、もう何処にも見られない。

 松寿勢の牙は、確実に元綱の喉元へと食い込んでいた。

 形勢逆転に続く、神速の突撃――。

(悔しいが、ものが違う)

 少女に秘められた凄まじい才に、勝は強く歯噛みした。

 毛利家の松寿姫。

 彼女は、ただ流されるだけの内気な少女ではなかった。

 この戦国に名を打ち立てることのできる、強大な伏竜であったのだ。

 彼女のか細い手から発せられる号令は、軍配は、戦働きは、恐らく安芸の将の誰と比べても見劣りしない。

 いや、それどころか大内や尼子さえも、あるいは――。

 西国を統べる覇者たちと肩を並べるなど、誇大に過ぎるのかもしれないが、それでもいつかはそうなってしまう……

 そんな予感を感じさせる大器であった。

「だが、それでもわしは四郎を支えると決めたのだ……」

 真鋼のような忠義の心が、改めて赤く燃え上がる。

 勝の元綱に向ける親愛の情は、親のそれとも良く似ていた。

「このような所で負けてたまるかッ……!」

 裂ぱくの気合。

 豪腕が繰り出す大太刀の一撃は、助六の胸元を掠め、紺色の具足を斬り飛ばした。

 助六の胸に浅くない刀傷が浮き上がる。

 吹き出た血の臭いに、助六は鼻をひくつかせ、

「がっかりだ、勝殿」

 心底つまらなそうな顔をした。

「忠義にしては、温すぎる。その感情は『武人』の持つものじゃない」

 鈴槍を逆手に持ち、若い瞳をぎらつかせる。

「矢雨の降る戦場に、人の親はお呼びじゃない。……ここでその首打ち落とさせてもらうぜ」

 馬の腹を蹴り、修羅を宿した助六が迫り来る。

 ちりん、ちりんと鈴を鳴らし、黄泉路への手向けとばかりに奥義の名を呟いた。

無憂華(あそかばな)

 痛みはなかった。

 瞬時に意識が刈り取られ、勝の身体が地面へと倒れていく。

「し――ろ――」

 長年に渡って元綱を支えた、まさに親代わりとも言うべき存在が呟く今際の言葉は、当たり前と言うべきか、愛すべき主の名前であった。



「勝――」

 信頼を寄せる片腕が討ち取られていく様を目の当たりにしながら、元綱は絶句した。

「殿、お逃げくださいッ」

「あ――あ……」

 言葉が言葉にならずに口から出る。

 涙が独りでに流れ落ちる。

 元綱に訪れる輝かしい未来を、その横で讃えてくれるはずであった男――

 彼が無残にも命を散らしていった事実を、元綱は受け入れられずにいた。

「駄目だ、勝……私たちはここで終る人間ではないだろう――」

 今にも彼が不屈の精神で立ち上がってくれる……。

 そうであって欲しいと何度も願うが、勝の巨体はぴくりとも動かない。

 元綱の悲痛な願望が叶えられることはなかった。

「うそだ……うそだ……」

 悲痛に顔を歪ませて、何度も何度もかぶりを振った。

『四郎、逃げるぞ。まだ機はやってくる』

 破綻した心を平静に持ち直さんと、幻聴が聞こえてくる。

 だが、戦場はそのような夢想に浸る暇すら、彼に与えてはくれなかった。

「相合殿、お覚悟をッ」

 先程とは立場が逆転し、今度は元綱に対して殺到する松寿勢の兵たち。

 迫り来る死の濃密な気配が、元綱を現実へと引き戻した。

「ああああぁぁぁぁぁああああああぁぁああああああッッ!」

 元綱は絶叫した。

 自身の首を取らんと刃を向ける兵たちを斬り倒し、手元の愛馬を引き寄せる。

「ここで私まで討ち取られるのは駄目だ。絶対に駄目だ……何のために立ち上がったか分からんではないか……!」

 全ての感情を吐き出して、元綱は即座に頭を切り替えた。

 自身の命運はまだ尽きていない。

 生きていればいくらでもやり直せる。

 これからも努力を重ねていけば、必ず未来を掴み取れる……。

 そう言い聞かせながら、元綱は重臣たちに号令を発しようとして、

「退くぞ、者ども。馬に乗――」


 ――その表情が怒りに塗り替えられた。

「待てよ、四郎」

 若草色の戦装束に身を固め、無双の名馬を従える若武者が、元綱の前に躍り出る。

 この男がいなければ。

 この男が邪魔をしなければ。

 眼前の若武者は、憎んでも憎みきれない――昔馴染であった。

「千……若……経友、貴様……」

「松寿の代理だ。決着をつけよう」

 経友はそう言うと、毛利の家紋が刻まれた小刀を頭上にかざした。

「郡山殿の守り刀だ……」

「元春公の……毛利家の家宝だと……ッ?」

 重臣たちが、口々に慌てる。

 経友がかざしたそれは、毛利家中興の祖――南北朝の英雄、毛利元春の刀であったのだ。

 ……いつの間にか、曇り空は晴れていた。

 さんさんと降る日光を身に受けて、『元春の小刀』は目映いほどの光を放つ。

「元春……? 知らん名前だが、良い名だな。『元就の春』とはおあつらえ向きじゃないか」

 経友は一瞬怪訝そうな表情を浮かべた後、

「その名前、頂戴しよう。俺は今から『元春』だ」

 高らかに宣言する。

 この経友の……いや、元春の名乗りを元綱はどうしても許すことができなかった。

「貴様が……私の先祖の名を、その名前を……名乗るんじゃないッッ!」

 激昂した元綱が馬に飛び乗り、刀を抜き放つ。

 数年越しの再戦が、今始まろうとしていた。

 


「千若ぁぁぁぁッッ」

「すぅ――」

 二面を兵に挟まれた、長く細い人壁の道を二人の騎馬武者が駆けていく。

「貴様さえいなければぁッ!」

 横薙ぎの一撃を、元春は上体をそらしてやり過ごす。

「賭弓以来の真剣勝負だ。全てをぶつけて、かかって来い」

「うるさいッ、うるさいッ、うるさいッ――お前が、上から私を見るなッ!」

 元春の神弓が、元綱の肩当を弾き飛ばす。

 二頭の名馬が何度もぶつかり合い、その度に決死の打ち合いが繰り返された。

「元就だと……? 元春だと……? ふざけるなよ、そこは貴様らがいる『場所』じゃない!」

「居て良い『場所』かどうかは自分で決める。そんなものはお前に言われる筋合いもない」

 虚実を交えた元綱の超人じみた連撃を、元春は顔色も変えずに愛馬の歩速を変えて避けきってみせる。

 その身を反らせば、刃が鼻先を掠め、篭手を上げては受け流す。

 完全に空間を把握した元春にとって、元綱の攻撃をあしらうことは最早造作もなかった。

「何故だ……何故届かん――」

「運が良かっただけさ」

 長年羨んでいた存在が、見る影もない。

 二人の間に生まれた差は、努力の質では断じてない。

 ただ巡り合わせた天運に差があったのだ。

 様々な出会いに、大きな挫折。

 そして松寿への思いが元春を強くした。

「終わりにしよう、四郎」

 決着の覚悟を以って、元綱を見つめる。

 仲の良かった馴染みの顔は、今や憎悪に彩られていた。

 何時の間にやら周囲に兵の壁はなくなっている。

 戦の喧騒も遠ざかり、山間の平野が静かに広がっていた。

「すぅ――」

 元春は一旦駆け足を速めて元綱の前に出ると、短い呼気と共に身を翻した。

 両者向かい合う形になり、共にぶつかりあわんと駆け始める。

「おのれぇぇぇぇぇッッ!」

 名馬の脚が大地を踏み抜き、その身に春風を纏わせる。

 千若元春の感じ取る『世界』の中で、予測される敵の攻撃が虚像となって点々と描かれた。

 このまま駆け合えば、一歩、二歩、三歩目で元綱の刃が振り下ろされ、この身を両断することになるだろう。

 まず、一歩。

 そして、もう一歩……。

「豊国!」

 必勝の確信が脳裏を走り、元春は跳んだ。

 愛馬の脚が大地を離れ、宙を舞う。

「あ――」

 驚いた元綱の顔を、背中(、、)から窺い、

「椿落」

 すれ違いざまに矢が放たれる。

 祖父から伝えられた技の名前を誰ともなしに投げかけて、元春は勝利の到来を宣言した。

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