表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
安芸の柊、春近し【架空戦国記】  作者: 三郎
安芸の柊、春近し
20/22

松寿の采配(四)

 二つの竜巻が、互いを食い合うように激突を繰り返す。

 袈裟懸けに振り下ろされる大太刀を、経友は柳の枝が揺れるように上体だけで受け流す。

「ぬん」

 勝による、その場の全てを根こそぎ抉り取るかのような一撃が。

「すぅっ……」

 経友による、雷のような神速の射撃が、何度も何度も両者の間で交わされる。

 ぶるる、と両者の戦いを彩る名馬たちが、勇ましげにたてがみを振るわせた。

「豊国ッ」

 経友の意思を漏らすことなく汲み取り、蒼い疾風が敵の攻撃を避けきって見せる。

 豊国の後ろ足が大地を蹴り、経友の身体がぐんと持ち上がった。

 全ての重さが消え失せたように感じる。

 その足運びは羽根が生えたように軽快であり、まるで春の嵐を思わせた。

「避けろ、雲雀紫電」

 勝の声に応えるように、漆黒の巨体が大地を揺るがせる。

 巨体を背負う渡辺の馬は、重量感溢れる身のこなしで、経友の弓を避けていった。

 名馬の格は、全く互角。

 後は乗り手の力比べであった。

武士(もののふ)が御家に逆らうとはなッ。忠君の道を忘れたか!」

「忘れてない。尽くす相手が異なるだけだッ!」

 横薙ぎの一撃に前髪を切り飛ばされつつ、経友は叫ぶ。

「吉川が、吉川を捨てて、それでお前は何なのだ!」

 螺旋を描き、空気を切り裂く弓撃が、勝の鉢金を掠めて火花を散らす。

「ただの千若。松寿の……『春』だッ!」

 神速の二連射を以って、敵の愛馬を狙う。

 急所を狙った致死の鏃を、勝は大太刀を振るって全て斬り払った。

「……そうか、『春』か! では、『春』よ。貴様が春なら、わしとて春。四郎を明るい道に引き上げるため……貴様はここで、必ず屠るッ」



「どうしたことだ、これは……」

 元綱が苛立たしげに爪を噛む。

 備えておいた伏兵を用いて、松寿勢を前後から挟撃することに成功した。

 突出した敵本陣に、こちらの最高戦力をぶつけて乱戦に持ち込んだ。

 全ては計算どおり……であるはずなのに、

「何故、崩れない」

 算を乱した軍勢は脆いものだ。

 満足に陣を組むこともできなくなり、後は逃げ惑うだけになる。

 少なくともその場に留まり、敵の突撃を受け続けることなど不可能なはずなのだ。

「そう、こちらは突破力を勘案し、わざわざ縦列に厚くしているのだ。それを背後に敵を抱えたままで、受けられるはずが……――?」

 何か重大な思い違いをしている。

 基本的に、理論と言うものは絶対だ。そうでないと考えている者は、ただ理解が足りていないだけなのだ。

 どんな事象にも原因は存在する。

 二人で一人にあたって勝てぬ原因が、味方の貧弱さゆえであり、敵の強大さゆえであり――。

「考えろ。敵は何故『突破を受け止めることができる』のか……」

 考え得る一つめの推測。

 それは敵兵力の測り違い。

 ……ありえない。敵兵力の測り違いは、往々にして恐怖に由来するものだ。例えば、鳥の羽音を軍勢と勘違いして臆病風に吹かれた古の武将のように。

 その点、元綱には敵に対する慢心も恐怖もありはしなかった。

 ならばと、二つめを考える。

 古今無双の武将が軍の侵攻を止めている可能性はないだろうか。

 いや、これもありえないだろう。例えば、唐国の張飛は一騎で万の軍勢を相手にしたが、過去と現在では事情が違い過ぎる。

 一人で数十人を相手取れる将など、源平の世でもあるまいし、いるわけがない(、、、、、、、)

 となると、三つめは……。

「前提……が。前提が破綻していると言うのか?」

 ――例えば、伏兵と言う前提が存在していなかったとしたら?

 「いや、そんなわけがない」と首を横に振る。

 確かに、法螺貝の音と共に松寿勢は背後の敵を殲滅するために陣形を変えた。

 その際に物見にも走らせ、確認までさせたのだ。

 結論として『新手の軍勢は確かにいた』。

 そもそも、松寿の拉致と言う突発的な事件を起こして以来、元綱は慎重に継ぐ慎重を以って、計略の構築に勤しんだのだ。

 尼子との連絡に、周辺勢力との交渉。

 更に大方の諸勢力に静観を求めた。これは松寿も行っているはずであり、両勢力の間で意思の疎通ができているという事実が、宍戸や高橋、そして武田等を代表とする諸勢力による突然の侵略を防ぐであろう。

 その上で、領土的な野心を持たず、尚且つ尼子の意向を通すことのできる家――つまり、吉川家に狙いを絞り、援軍の要請を行ったのだ。

 全ては順調であったはずなのに……

「待てよ、例えば……『挟撃』と言う前提が崩れていると言う可能性はないのか……?」

 伏兵は確かにいたとして。

 それが『挟撃』の完成と同義であるとは必ずしも言えないのではないだろうか。

「『伏兵』がいて、『挟撃』に至らない理由……そんなものが……ぁ――?」

 瞬間、元綱の顔から大量の汗が噴き出していった。

 その両眼は動揺に揺らぎ、焦点と色を失っていく。

 元綱の聡明な頭脳が導き出した、『挟撃に至らぬ理由』とは、まさに戦況を一変させる最悪のものであったのだ。



「ぐぬっ……」

「ッ――」

 勝の肩当が矢の衝撃に吹き飛んで行き、経友の射篭手が大きく切り裂かれる。

 刹那の時間が永遠にも感じられる死闘が続けられる中、

「今一度だッ」

「おう!」

 硬い金属音が響き渡り、二人の表情に驚きの色が混ざる。

 経友は太刀を抜いていない。

 勝の大太刀を受け止めたのは経友ではなかったのだ。

「おい、こら千若! 勝殿は俺の獲物で、お前のじゃねえ。殺すぞ、この野郎っ」

 これ見よがしに怒声が張られ、凄まじい槍の一撃が勝の首筋を掠めていく。

 両者の拮抗を乱す者。それは、

「す、助六ッ?」

「――国司のせがれ、助六殿が何故ここに……っ」

 鈴槍の若武者であった。

 助六は、ここが戦場であると言うことを忘れさせる危機感のない声に、穂先の鈴をちりりと鳴らし、

「勝殿、お久しう! さあさあ、俺と死合いましょうぞ!」

「は――?」

 出会い頭のその言葉に、経友は呆気に取られて声を漏らした。

「――っ、お久しうじゃねえよ、助六。何でお前がここにいるんだ。背後の敵兵はどうしたんだッ!」

 助六は伏兵を迎え撃つべく後方に移動していたはずだ。

 それが何故、前衛に戻って来ているのか。

 もし、この深刻な時期に自分の持ち場を離れてこちらに来たのだとしたら、笑い事では済まされない。

 経友は語気荒くして、強敵との邂逅に身をうずうずとさせていた助六を問い詰めた。

「は? 敵なんて初めからいやしないよ」

 そんな経友の剣幕などお構いなしに、怪訝そうな表情を浮かべる助六。

 ――気づけば、三騎を取り巻く乱戦の模様は、松寿勢優位に進められていた。



「これは……」

 勝が呆然として呟いた。

 経友も同じく信じられないといった表情で、辺りに視線を走らせる。

 場を埋め尽くしているのは松寿勢。

 勝が率いる渡辺党は、徐々に徐々に後ろへと押し返されていた。

(井上党の働きなのか。いや、それにしては……)

 無論、井上党の奮戦も理由の一端ではあるのだろうが、それだけではない。

 確実に味方の数が増えていた。

 よくよく見てみれば、志道勢や毛利一門衆、そして国司衆など、背後の敵を迎え撃ちにいったはずの味方たちが、次々に前線へと復帰してきている。

 何故彼らが? 背後に現れた吉川の軍勢は一体どうしたのか?

 『いるはずのない援軍』が渡辺党を追い立てている。

 理解の埒外にある光景に、経友はただ彼らの突撃を見送ることしかできなかった。

「凄いよ、千ちゃん」

 その時、感極まった松寿の声が経友の耳に届く。

 左右を前進する兵たちに挟まれながら、松寿は興奮冷めやらぬ様子で、その場に立っていた。

「松寿……?」

「私、眼の一つや二つ、手や足の一本は覚悟していた。それだけの戦だと思ったから……でも、千ちゃんは本当に私を守ってくれた。やっぱり千ちゃんは、『春』なんだ……!」

 小太刀を前に振りかざし、松寿は涙で潤んだ瞳に更なる闘志を宿らせた。

 ほんのり染まった唇が、意思ある言葉を紡ぎだしていく。

「次は私の番だよ。良く見てて」



「毛利の勇敢なる兵たちよッ。ここに至って我が策成れり! 釣られた敵を全て討ち取り、安芸の平穏取り戻せッッ!」

 少女特有の可憐な声が、沸き立った戦場に不思議と響き渡った。

 渡辺党の援軍に前線へと寄せていた元綱の耳にもこれは届き、痛恨の表情を浮かべる。

「くそ、くそ、くそッ……!」

 松寿の声を聞き、元綱は戦場に何が起きているかを全て悟ることができた。

「つまり、『伏兵』自体が……敵の『伏兵』でもあったのだ……!」

 松寿は、相合勢が吉川を巻き込むであろうことを予測した。

 その上で、恐らく彼女は吉川の当主に、こう提案したのだ。

『相合勢の与力として動いてください。その上で、我々の軍勢と接触後、“静観”を決め込んでいただきたい』

 軍勢を動かした時点で、吉川の面目は保たれている。

 彼らの動きは既に尼子にも報告が行っているであろうし、両者の関係はより良いものになるだろう。

 ――その面目を確保した上で、日和見の提案を行ったのだ。

 恐らく、吉川の当主はこう考えたはずだ。

 策が看破されている以上、松寿が何らかの対抗策を講じないとも限らない。例えば大内への援軍要請などがそれに当たるだろう。

 対抗策が講じられてしまえば、両者の力関係は拮抗し、いたずらに安芸の立場を悪くする羽目になる。

 ……それは吉川にとってもあまり面白い話ではない。

 松寿はこの泣き所を突いたのだ。

『軍を動かした上で日和見を。その後、我々が負けそうならば相合勢に加勢すれば宜しい。我々が勝ちそうならば、そのまま戦を続ける振りだけしていれば宜しい。いずれにせよ、吉川に損はなく、両家の間にわだかまりは残りません』

 吉川の現当主は、慎重派として知られる。

 どう転んでも損がない策があったのならば、躊躇い無くそれを選ぶだろう。

「こうして、挟撃の成功に沸き立つ我が軍を懐まで釣り出した……」

 肉を切らせて骨を断つ。

 往古の兵法、苦肉の計が脳裏に浮かんだ。

 更に言うならば、何故本陣備えに井上党を配したのか。

 そこにも松寿のあざとい策謀が見え隠れしていた。

 井上家は独立心の強い国人領主である。ゆえに、捨て置いては下克上を許す恐れもあった。

 だが、この戦で少なからぬ被害を受けた井上党は、復興までに多くの時間を費やす羽目になるだろう。

 松寿は、『自分にとって要らないものを囮に用いて』敵を釣り出して見せたのだ。

借屍還魂(しゃくしかんこん)、調虎離山、抛磚引玉(ほうせんいんぎょく)、関門捉賊、上屋抽梯じょうおくちゅうてい、樹上開花……そして苦肉計。全て、兵法ではないか!」

 松寿の策は、全て兵法に則ったものであった。

 それに気づけなかったと言う屈辱。

 天才と呼ばれた男が、初めて味わう『敗北』の空気。

 元綱が絶望に打ちひしがれている間にも、松寿勢は新たな陣を構築していく。

 追撃の手は緩めずに、形取られる姿は鋭利な矢印。

 幾重にも積み重なった兵たちが、鏃と化して相合勢を食い破っていった。

 ――鋒矢(ほうし)の陣。

 それは軍全体が一筋の矢となり敵を打ち抜く、史上もっとも攻撃に特化した陣形であった。 

「三十六計七つお披露目。その仕上がりは……『伏せ鋒矢(ほうし)』ッッ!」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ