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安芸の柊、春近し【架空戦国記】  作者: 三郎
安芸の柊、春近し
19/22

松寿の采配(三)

三、

 長大な槍が一斉に振り下ろされる。

 風を切り裂く音がして、次いで矢盾の割れる音がした。

 長槍備えの圧倒的な突進力に一部の隊が蹴散らされる。

 悲鳴を上げて押し潰される者、次撃の槍衾で串刺しにされる者。

 井上党は叫喚と怒号の渦に巻き込まれていった。

「ええい、畜生め。見慣れぬ軍法を用いてきおってからに。あんな長物、すぐには動けぬ! さっさと回り込んで、蹴散らしてしまえぇっ」

 元兼が憤怒の表情をあらわにし、唾を飛ばしながら指示を下すが、中々反撃に移る機会が引き出せない。

 長槍備えは最初の突撃を終えると、腰を低くして槍を腰だめに持ち、穂先をこちらへと向けてきた。

 どうやら、敵を待ち構える体勢に入ったようだ。

 無数の穂先がまるで針山のように密集しており、安易な突撃を許さない。

 凄まじい圧力だ。これにはさしもの井上党の猛者たちも気圧されて、自ずと二の足を踏んでしまう。

 ――が、その隙を見逃す渡辺党ではない。

「弓隊、構え……斉射ぁッ」

 後備えが矢を放ってくる。

 長槍隊の頭上を飛び越え、数え切れぬほどの矢雨が井上党に襲い掛かった。

「ぎゃっ」

 渡辺党の流れるような連携によって、雑兵たちが次々に倒れていく。

 弓を放っては槍を突き、槍を突いては弓を放つ。

 骨の髄まで調練された兵士たちは、さながら動く堅城のような働きを見せていた。

「この程度、退けてみせいっ」

 具足を頼みに、元兼が兵を叱咤する。

 井上党の中でも全身を具足で身を固めた重武装の兵を前面に押し出し、前へ前へと進んでいく。

 まさに力押しといえる。が、井上党にしかできない芸当であった。

 前へ、前へ通し進む。

 その間も、徐々に兵たちは倒れていっており、被害は決して浅くはない。

 だが、それでも井上党の闘志は揺るぎを見せず、果敢に押し返していった。

「今ぞ。わしも出る。馬廻りは準備をせいっ」

 そして、反撃が開始される。

 安芸有数の実力者という矜持を胸に秘め、飾り立てられた具足を鳴らして、反撃を開始した。

 乱戦。

 味方が敵を斬り倒し、敵が味方を突き殺す。

 むせ返るような死臭の中で、経友は松寿を守るべく前に立つ。

 またがる愛馬が、低く嘶いた。

「分かってる、豊国」

 豊国のたてがみをそっと撫で、弓を番えてぎりりと引き絞る。

 これだけの乱戦の中、数多の凶刃から松寿を守りきることは至難の技だろう。

 今までの救出劇とは訳の違う、圧倒的な殺気が経友の身体を圧し伏せようとしていた。

「来たッ」

 兵たちの壁をすり抜けて、右前方から敵兵が飛び出してきた。

 長槍を捨て、太刀を引き抜きこちらに迫り来る。

「――ッ」

 経友は臆せず、引き絞った矢を放つ。

 一瞬光が煌いた後、渡辺党の兵士は前のめりに倒れていった。

 が、ほっとする暇も無い。

 更に二人が飛び出て来たため、経友はこれを、

「すっ……」

 疾風のような速度で更に矢を二連放ち、倒していく。

 矢は全て、敵の急所に深く突き刺さっていた。

「ああああぁぁぁッ!」

 渡辺党の雄たけびが間近まで迫っている。

 経友は眼を鋭くして、前方の砂塵をねめつけた。

 視界に映るは数多もの敵兵の姿。

 乱戦に持ち込むことで井上党がその多くを阻んではいたが、それでも彼らは確実にこちらへ向かってきていた。

 その勢いが止まる気配は一向に見られない。

 直に討ち漏らした兵士たちがこちらの喉元にまで飛び込んでくるだろう。

 まるで野犬だ。獲物に群がる野犬の群れを思わせた。

 これを全て撃退しようとなると、とてもではないが手が足りない。

 経友は苛立たしげに毒づくと、

「ええい、焦れったい!」

 経友は矢筒から数本の矢を取り出し、口に咥えた。

 飛び出してきた敵兵の全てを視界に納め、まず一本目を番える。

 ぎりりと引き絞り、そして射抜く。

 命中。

 更に、口元から一本を取り、射抜く。

 こうして、射ては番え、射ては番えを繰り返し、経友は井上党が仕留め損ねた敵兵の全てと渡り合っていく。

「し、信じられん……」

 呆気に取られた本陣備えの側近の呟きを耳に捉えながら、経友は口惜しげに歯噛みした。

(これじゃまずい)

 こんな曲芸が何時までも続けられるわけはない。

 こちらの身体は一つに過ぎず、敵の身体は無数にあるのだ。

 勢いと数を頼みに突撃を繰り返す敵を相手に、その全てを食い止め続けるなど土台無理な話というものなのだ。

 この拮抗はいずれ破綻を来たす――受け入れたくない事実ではあったが、明白であった。

「くっ――」

 そして始まる敵の侵入。

「お、おのれっ」

 松寿の傍に控える側近たちが、覚悟を決めて敵と斬り結ぶ。

「落ち着いて。総力を持って迎え撃ちます!」

 松寿自身も小太刀を引き抜き、切っ先を前方に向ける。

 彼女は初陣だと言うのに少しも臆することは無く、気丈に大将としての役割を全うしている。

 とは言え、それで彼女の戦闘能力が上がると言うわけでは勿論無く、敵に組み敷かれてしまえば、為す術もなく討ち取られてしまうだろうことは、経友にもよく分かっていた。

(くそ、このままじゃ……)

 足元で聞こえる剣戟の音。

 懐に飛び込んだ敵兵を仕留めるには、弓では少々具合が悪い。

 弓は遠方の敵を仕留めるために作られている。

 決して、目の前を縦横無尽に動き回る敵を射抜くためには作られていないのだ。

 苦みばしった顔で経友も一瞬躊躇い、

(狐ヶ崎を抜くか――いや)

 すぐに考えを改めた。

 ここで刀を抜いてしまえば、確かに足元の敵に斬りかかることができるかも知れないが、刀一つで幾人もの敵と相対できるわけではない。

 弓であるからこそ、今まで複数人を相手に渡り合えたのだ。

 ならば、刀に切り替えた瞬間、新手への対抗策を失ってしまうことになる。

 それではまずい。

 殺到してくる敵に対し、成す術もなく飲み込まれてしまうことだろう。

(あちらを取ればこちらが立たず、こちらを取ればあちらが立たない……)

 まさに絶体絶命と言えた。

 常人なら絶望に打ちひしがれても仕方ない状況下で、経友はわずかな光明を探し求め、必死に考えをめぐらせる。

(『今度』は失敗できないんだ……!)

 今回は今までの難関とは訳が違った。

 ここで経友が失敗しては、幼馴染の、松寿の命が危ういのだ。

 ――諦めるわけには行かない。

 足りない頭を全力で回して、記憶の全てを引っ張り出そうと試みる。

 こんな時に、どうしたら?

 こんな状況を覆せる人間はいるのか――?

 絵物語に出てくるような英傑たちなら、経友の友人たちなら、兄なら、父なら、そして……

 ――『お前は器用じゃない。だから、弓でそれを目指せ』

 基爺の太陽の笑顔がありありとまぶたに浮かんで見えた。

 経友の瞳に光明が宿っていく。

(そうだよ、こんな状況を覆せる人間がいるじゃないか!)

 彼は応仁の乱の真っ只中で、数多の兵と単騎で渡り合った英雄であった。

 こんな状況を覆すことのできる人間が存在する。

 その事実は、経友の心を隅から隅まで晴れ渡らせた。

 無論、英雄である基爺のできることを自分もできると思うなど、思いあがりも甚だしいのかも知れない。

 だがしかし、それでもやらねばならない。

 できるかできないかなどは二の次だ。

 近きも遠きも弓で射抜く。

 経友は口の端を持ち上げて、全身に力をたぎらせた。

「つまらんことは考えない。何せ俺は不器用だものなッ!」

  


 これを契機に経友の動きが変わった。

 静かに矢先を移ろわせ、視界に入る全ての敵を射抜いていく。

 足元を駆ける雑兵の急所を寸分違わず射抜いた直後に、遠方を駆ける将の額に矢を突き立てる。

 まるで、矢の届く範囲で起こり得る全ての事象が手に取るように理解できた。

(あれは、まだ届かない。こちらは、うん。いける)

 射る前から矢の軌道が見えているように感じられ、まるで外す気が起きない。

 一人。

 二人。

 三人。四人。五人。六人。七人。八人。九人。十人。

「千……ちゃん?」

「心配するな、松寿。敵はそこまでやってこない(、、、、、、)

 驚く松寿に、経友が笑いかける。

「ば、化け物だ……」

「誰か、誰かあいつを止めろッッ」

 敵味方が呆気にとられる中、経友の弓の冴えはますます冴え渡っていく。

 耐えかねた敵から矢雨のけん制が放たれても、経友はそれを、

(あれを避けたら、松寿に当たるな。これは豊国に……こちらは捨て置いても良いか)

 冷静に全てを見極め、

「――な、なっ……?」

 矢の一本を掴み取り、更に一本を篭手で散らし、必要のない矢を全て受け流した。

 頬から流れる血を拭おうともせずに、経友は掴み取った矢を再び番え、

「ひぐッ」

 敵兵を射殺した。

(何となく分かる。これが基爺や、野洲殿が見ていた『世界』なんだ)

 達人にのみ感じ取れる空間。

(ほんの少し、心を一段深く沈めただけでこんな『世界』が広がっているなんて……思っても見なかった)

 野洲との鍛錬が功を奏したのか。

 絶体絶命の状況が経友の力を引き出したのか。

 それとも、元綱への対抗心か。

 松寿を守らんとする想いからか。

 一体、自分の身に何が起こったのか。経友には良く分からなかったが、今はただこの天恵に感謝した。

 経友の認識する円形の『世界』の中で、敵味方の感情が蠢いている。

 先程からの経友の奮戦に呆気に取られている者。

 心の底から恐怖を覚えている者。

 訳が分からずに怒り狂っている者など。

 様々な気配を読み取りながら……その中でも一際大きな存在感を放っているものが、こちらへと一直線に向かってきているのを感じ取った。

(あれは――)

「――ッ?」

 寸暇を置かずに眼前に迫ってくる飛来物を、経友は篭手で受け払った。

 弓ではない。

 重々しい手ごたえと共に地面に突き刺さった『それ』は太刀であった。

「古今無双の働きをしている英傑がいるかと思えば、千若丸殿か。合点がいった!」

 勇ましい声と共に、前方の人だかりが蹴散らされる。

 敵味方の誰もが恐怖して道を開けてしまう程の存在感。

 対面しただけで命が消し飛んでしまうほどの闘志を肌に感じながら、経友は眼前に迫ってくる敵大将――渡辺勝と相対した。

 妖殺し、渡辺(つな)の子孫にして、安芸で一、二を争う豪傑。

 彼はその巨体を重々しい具足で身を包み、触れれば八つ裂きにされそうな威圧感を身に纏い、

「やはり、血筋というものか。英傑の血を受け継ぎしものは、やはり鳳になるのだなあ」 

 やたら嬉しそうに口を歪め、二振りの野太刀を抜き放った。

 馬でも両断にできそうな質量が、血糊を滴らせ煌いている。

 あんなものをまともに受ければ、瞬時に真っ二つにされてしまうだろう。

 経友は豊国に指示し、いつでも飛びかかれるように力を蓄積させた。

 これは好都合であった。

 何せ敵将自らが陣中に乗り込んで来たのだ。

 ここで仕留めれば、この戦の趨勢は逆転する。

 ――勝てる。

 身の内から湧きあがってくる感情が、武者震いに変わっていく。

 経友は興奮を抑えきれずに上擦った声で、

「血筋なんかじゃねえよ」

「ほう、ならば何とする」

 問答した後、興味深げにこちらを窺う勝に対し、こう返した。

「良くわかんねえッ!」

「そうかッ」

 一瞬二人は笑いあう。

 そして、次の瞬間には眼前の敵を討ち取らんと、後ろ足を爆ぜさせた。

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