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安芸の柊、春近し【架空戦国記】  作者: 三郎
安芸の柊、春近し
17/22

松寿の采配(一)

一、

「ひい、ふう、みいよお……ほへえ、良くもあんなに集められたもんだなあ」

 経友の隣にいる青年が飄々とした声をあげる。

 その声色に翳りはなく、まるで危機感が感じられない。

 青年は刃渡り四尺(約120センチメートル)を越える大身槍を肩に担ぎ上げながら、穂先にくくりつけた鈴の音をちりんと鳴らした。

 現在、松寿の軍勢は、右手の郡山、左手の江の川に挟まれた平地にて元綱軍と向かい合っている。

 こちらの数は六百弱。対する相手が四百以上。彼我の戦力差はさほど大きくない。

 まさに予断の許さぬ状況だと言えた。

「坂率いる毛利一門衆に、渡辺党。一所衆(足軽のこと)も多いなあ。それにあの馬印は……うお、麻原衆か。没落庶家が夢を見て――てぇ感じかねえ。どう思うよ、千若?」

 だと言うのに、当事者の一人であるはずの青年は楽しくて仕方がないといった表情をしている。

 鈴の音交じりの明るい声が一向に鳴り止まないものだから、

「おい、うるせえぞ。助六」

 と、経友は青年を睨みつけた。

 彼は国司有相の嫡男、助六元相(もとすけ)と言う。

 早くから父の代わりに家政を取り仕切っていたために、山口で共に学ぶ機会は無かったのだが、立派な幼馴染の一人である。 

「ちぇ。なんだよ、折角の戦だってのに仏頂面なんかしやがってなあ」

 口を尖らせる助六に取り合おうとせずに経友は、

「……それより、ありゃ何だ? 槍にしちゃやけに長い」

 相合勢の中に混じっている異質な集団を指し示した。

 視線の先には渡辺党の旗指物。それを取り囲むように、背の高い槍が天を突いている。

 その様はまるで杉林のようであった。

「んあ、ありゃあ長槍だな」

「長槍……?」

「そう、確か三間(5,6メートル程度)くらいはあったはずだ。何でも京都五山の門跡連が考案した最新の軍法なんだとさ」

 いまいち理解が追いつかないといった風に、助六は怪訝そうな表情を浮かべる。

 その理由は経友にも良く理解できた。

「あんな長い得物を振り回せるのか?」

 経友の呟きに、助六が「だよねえ」と同意を示してくる。

 一般的に武器は、その長さが長ければ長いほど良いという。

 刀で槍に勝つのは難しく、槍で弓に勝つのは難しい。

 しかし、それも武器の持つ長さを十全に活かすことができた上での話である。

 例えば、槍持ちが刀相手に息のかかる距離まで近づかれれば、流石に苦戦を強いられる。

 弓とて、矢を番える暇のない距離まで詰められれば危うい。

 そう言った不慮の危機を凌ぐために人は武芸を磨くのだが、かの長槍と言う得物は少しばかり……長すぎるように、経友には思えた。

 武芸を磨くにしても、槍の長さが三間もあっては満足に振るうこともできないだろう。

 それどころか、隣り合った兵とぶつかり合ってしまう恐れすらある。

 正直利点が分からない。 

 経友は頭に浮かぶ疑問符を処理しきれずに、ただ首をかしげるばかりであった。

「まあ、それでも毛利最強の渡辺党。勝殿の兵だからな。あれは強いんだろうさ」

 反面、助六が疑問をとりあえずは捨て置いて、嬉しそうに何度も頷いた。

「お前、何で敵を嬉しそうに語るんだよ」

「ん、尊敬しているからに決まっているだろ? 当たり前だろうが」

「お前、何で松寿の側についたんだ……」

 助六は呆れ顔の問いかけにきょとんとした後、

「そら、勝殿が四郎様についたからに決まってる。味方にいたら戦えないだろ?」

 したり顔でそう言った。



「――鶴翼(かくよく)を以って、敵に当たります」

 陣中に松寿の凛とした声が響き渡った。

「その御心やいかに」

 重臣の問いかけに、松寿が頷く。

 身に纏った白い姫具足ががちゃりと重い音を立てた。

 ふわりとした長い髪は、動きやすいようにと後ろで一つにまとめられている。

「連日の調略により、周辺勢力は静観を保ってくれております。そのために敵味方双方に、援軍が来ることはまずありえません(、、、、、、)

「すると、このまま真正面から力比べができると?」

 他の一人が吟味するように考え込む。

 鶴翼とはまるで鳥が翼を広げたような布陣を布くことから名づけられた陣形であり、多勢が少勢を包囲殲滅する戦に適している。

 包囲殲滅――それはつまり、敵を生かして返すつもりはないと言っているに等しかった。

「ここで雌雄を決します」

 そう言い放つ彼女の瞳には、覚悟の炎が宿っていた。

「兵力差で我々は勝っております。ゆえに敵は集中突破を狙って魚麟を布くことでしょう」

「なるほど、それで包囲のできる鶴翼と……確かに理屈の上(、、、、)では合っておりますな」

 とある武将がもっともらしく頷いた。

 彼の発言に評定に集った他の重臣が色めき立つ。

(初陣だからって、こけにしすぎだろう)

 末席にいる経友も内心毒づく。

 あえて「理屈の上」と前置きした、棘のある発言……。

 彼の発言が松寿の判断能力を疑ってかかってのものであることは明白であった。

 ただ、彼の懐疑的な態度も分からなくはない。

 何せ、今相対しているのは若くして頭角を現した天才、相合四郎元綱である。

 既に戦の経験を積んでおり、華々しい戦果を挙げている彼に対し、未だ実力の明らかになっていない松寿を比べてみると、どうしても見劣りしてしまうのは確かであったのだ。

 まだ表には出ていないが、恐らく疑念を投げかけた彼のような将は他にもいるのだろう。

 松寿側に与しているのは、政治的な事情。派閥の関係でしかない。

 心服していない将の扱いをどうするのか。経友の脳裏に一抹の不安がよぎった。

「その通り、戦場では何が起きるか分かりません……だからこそ、諸将の奮闘を切に願っております」

 だが、松寿は自身に対して向けられた数多の懐疑的な感情を跳ね除ける。

 その上でさらに憤ることもせずに頭を下げて見せた。

 一家の当主に頭を下げられて、悪い気のする人間はいないだろう。

 あたりに蔓延していた剣呑な雰囲気も、彼女の対応が功を奏して和らいでいった。

「右翼には式部様率いる一門衆を配します。国司衆は合力してください。左翼は爺やが志道衆を率いて相対してください。与力は児玉衆。そして、本陣備えは……」

 次々と陣触れが出される中で、最後に出された命令に驚きの声が上がった。

 当主を守る最も大事な役割を担う本陣備えを任されたのは、井上党。

 先程、松寿に対して懐疑的な発言を行った男が率いる軍勢であった。

「ちと宜しいか、女当主殿?」

 『女』という言葉を、殊更強調するようにして、井上党の大将は口を開いた。

 猪のような猛々しい面構えの中に、不満の感情がありありと見て取れる。

「何でしょう、元兼様」

「こう言ってはなんだが、毛利の御一門衆よりも我々の方が堅強であろう。何故我々を後ろに回すのだ?」

 元兼と呼ばれた男の発言に、陣中がざわめく。

 中にはあからさまな敵意を向ける家臣までいる始末だ。

 辺りに一触即発の空気が漂う。

 しかし、彼に対して文句を言うものは誰もいない。

 明らかに不敬であると言うのに、一同口を閉ざして憤怒の感情を押さえ込もうとしていた。

 何故、毛利家臣が彼の不敬に口を挟めないのか……。

 それもそのはず、この元兼という男はただの家臣ではない。

 実は毛利という家は幾つかの国人領主が寄り合いを為す大所帯である。

 最も大きな一族は、毛利家。これには一門衆である福原家や坂家、志道家が連なっている。

 更に毛利家を支えるように、渡辺、井上といったいくつかの国人勢力が合流している。

 彼らの力は強大で、非常に堅強だ。こと単純な軍事力においては毛利家を凌いでいるといっても言い過ぎではない。

 そのため毛利家との関係も、単なる家臣には収まらず、盟友といった立場を獲得しているのだ。

 そして彼、元兼はまさに盟友・井上家を率いる当主であった。

(不躾な発言も矜持ゆえ。そして力があるからこそ、無理も通せる)

 うんざりとした顔で、経友が頭を乱暴に掻き毟る。

 幼い時分の記憶の中で、涙を流す松寿の姿がちらついて見えた。

 彼女を猿掛城から追い出したのも、井上の一族であったのだ。

「後ろ備えであるからこその、井上党なのです」

 松寿がこくりと頷き、口を開いた。

「相合勢には、屈強と名高い渡辺党がおります。あの突破力を真正面から受け止められるのは、毛利家中で最も強力な井上党のみ……元兼様、どうか毛利家をお救いください」

 そう言うと、彼女は再び頭を深く下げた。

「ははは、当主殿も中々分かっているようではないか。……まあ、任せておけ。わしが渡辺の首を打ち落として見せようぞ」

 愉快そうに腹を揺する元兼。

 その様子を見て経友は、

(ちょっと媚を売りすぎじゃないか……?)

 と、不満げに低く唸った。

 確かに士気がなければ戦もできない。

 ゆえに戦の前に諸将の士気を上げるのは総大将の役目なのだが、経友には松寿の懇願が少し卑屈が過ぎるように思えた。

 素直に頭を下げるということは、一見して良策のように思えるが、実は主従逆転を引き起こす恐れのある諸刃の剣である。

 使い所を間違えれば、逆に家中の統制を欠いてしまう恐れすらあるのだ。

 ――少々、上から物を見すぎだろう。

 誰にも聞こえぬようにぽつりと呟いた言葉が、聞こえたかは定かでないが、

「何か文句でもあるのか。吉川の」

 元兼は不快げな表情を浮かべる経友に対し、獣じみた威嚇とともに噛みついてきた。

「誉れ高き吉川の紋も背負えぬ貴様が、このわしに意見かよ」

 元兼の口撃に、ぐうの音も出ずに押し黙る経友。

 確かに軍議の場に顔を出しているとは言え、経友は軍勢を率いる身分ではない。

 実家の立場を考えれば、戦闘中に名乗りを上げることも叶わないだろう。

 この場において、どちらの存在が勝敗に影響を及ぼすか。

 そんなことは考えずとも明白であった。

「千ちゃん」

 その時、二人の間に口を挟むようにして、松寿から声をかけられる。

「松寿……?」

「千ちゃんにはお願いがあるの」

 そう言うと、彼女は「これが最も大事なのだ」とばかりに、経友の目を真っ直ぐに見つめてきた。

「私の傍で……何があっても(、、、、、、)私を守ってね。絶対だよ」

 経友は拍子抜けしたように肩を落とすと、

「当たり前だ。何の為にここに残ってると思ってんだ」

 苦笑いして、握り拳を作って見せた。



 所変わって相合勢の陣中――

 元綱は、諸将と最終的な打ち合わせを行っていた。

衝軛こうやく三列を以って、松寿勢と相対する」

「三列……にございますか?」

 聞き慣れない単語に、坂広秀が考え込むように口元に手を当てる。

 衝軛とは縦に長く陣を布いたものを指す。

 その様は蛇にも喩えられ、別名を長蛇ちょうだと言った。

 幾重にも層が厚くなるために魚麟などに次いで突破力がある。が、いかんせん後列に遊びが生まれるのが欠点と言えた。

 広秀が眉間に皺を寄せる。

 無理もない。

 基本的に一人よりも二人の方が強い。それは子供でも分かる理屈だ。

 だからこそ、数で上回る敵を相手に、わざわざ遊びの生まれる陣を布く理由が分からない。彼の表情からは、そうした疑問がありありと透けて見えた。

 元綱はくすりと笑みをこぼしながら、更に続けていく。

「然様。各備の間隔は、一備程度通れる位にあければ良い。左列に広秀を置き、右列を私が務める。中央は勝が担え」

「……四郎が中央ではないのか?」

 今度は渡辺勝が、驚いて口を挟んでくる。

「私を守る必要はない。各備が独立してことに当たれ。ただし、勝の率いる渡辺党は前に出るなよ? 左右と付かず離れず、同じ程度の位置を保て。そして、敵の陣形が崩れた時が、お前の出番だ」

「遊軍はいかがしますか」

 広秀が苦言を呈するが、元綱はそれにかぶりを振って切り返す。

「生まれても構わぬ。そも、一々相手の土俵に立って戦う必要はないのだ。敵が算を乱して崩れるまでは、どっかと構えておれば良い」

「成る程……状況が動くまで、まずは耐えよと言うことでございますか」

 ここに至って元綱の言わんとすることが理解できたのか、広秀は深く頷いた。

 そう、元綱はこの戦が単なる正面衝突には終らないと予測していた。

 松寿の頭は悪くない。

 恐らく、何らかの策を持ってこの戦に臨んでくるだろう。

 そして、野戦において用いることのできる最も有効な策は、

「伏兵だ。伏兵に備える」

 遊軍はいざと言う時のために配置しておく予備軍でもある。

 通常時は疲弊した前衛の交代要員として備えておき、不意の新手が来た場合の転ばぬ先の杖として機能するのだ。 

「総力を用いて敵の援軍にやられては、目も当てられぬ。良いな、敵の援軍が来ないとも限らんのだ。我々が用意しているようにな……」

 元綱はくつくつと声を殺して笑った後、表情を引き締めた。

「これが我が行く末を定める最初の戦になろう。必ず勝つ……そして、私は戦国の表舞台に上りあがるのだ」

 両陣営から発せられるときの声が、安芸の空に上っていく。

 ――戦の口火が切って落とされた。

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