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安芸の柊、春近し【架空戦国記】  作者: 三郎
安芸の柊、春近し
16/22

昔日(四)

三、

「千若様……何度頭を下げられようとも、こればかりはどうにもできないのです」

 元綱の返事はにべもない。

 石に鍼を刺すような行為であると分かっていたが、それでも経友は頭を下げ続けた。

 歯を食いしばりながら、黙って地面に額をすりつけ、必死に頼み込む。

「頼む……譲ってくれ」

 色好い返事は返ってこない。

 事情を知らない赤の他人がこの光景を垣間見たならば、経友のことを武士の面汚しだと声高に罵っただろう。武人が誇りも忘れて懇願するなど、何事かと。それほどにありえない光景であった。

 だが、経友は懇願を繰り返す。

 今の経友にとって、体面や誇りなどは全く問題にならないのだ。

 ぐるぐると回り続ける失意の念に苛まれる中、脳裏にあるのは、ただ一つ。

 妹の泣き顔だけであった。

『兄様の……嘘つきッ』

 妹に放たれた一言が、いつまで経っても頭の中を反響し続ける。

 ただでさえ、連敗という大きな挫折に見舞われていた所に、約束破りの烙印まで押されてしまったのだ。

 生まれてから十四年間、ひたすらに誠実に生きてきたはずの経友にとって、それは耐えがたいほどの苦痛であった。

(せめて嘘つきにはなりたくない)

 敗北は覆しようがないとしても、何とか妹の約束は叶えてやりたい。

 毛利邸にまで足を運んで、無我夢中で土下座を重ねる今の経友を突き動かしているのは、妹への配慮と……それ以上の自己防衛意識であった。

「千若様……」

 元綱の顔は悲嘆に暮れていた。

 彼とて吉川兄妹と知らぬ仲ではない。大抵のことならば、進んで協力してくれたであろうし、何もできないことを歯がゆく思っているはずである。

 しかし、今回ばかりは事情が違った。

 母である相合の方からの願い。それは元綱にとって、何よりも優先すべき例外中の例外であったのだ。

「母様は私の全てなのです……」

 深々と頭を下げる元綱の背中は、何処か口惜しげに見えた。



(どうしたらいいんだよ……)

 毛利邸の正門を出た経友は、途方に暮れてへたりとその場に座り込んだ。

 木柵に体を預けながら、どうしたものかと空を仰ぎ見る。

 相合の方と元綱。

 二人の絆の強さは、経友もよく理解している。

 先代の毛利当主が酒に溺れた結果、正妻との仲をこじらせたことは、安芸の国人の中で知らぬ者はいないほど有名な話であった。

 正妻と仲が悪くなれば、妾に情が向かう。これは必然である。

 愛情と言う天秤が傾いた影響は、家中の様々な場所に歪みを生じさせた。

 まず第一に子供の扱い。

 正室の子供である松寿たちは、一時期相当煙たがられていたようだ。

 顔を赤く腫らした彼女の姿を見たことがあるから、暴力を振るわれたこともあったのだろう。

 一方で、妾の子である元綱に対しては、随分と調子の良いことも言っていたらしい。

 元綱はあの通り才気に溢れた若者だ。「次期当主に……」などといった言葉が出ていてもおかしくはない。

 何はともあれ、この先代当主によるえこひいきが非常にまずかった。

 松寿と元綱はあの通りの人柄であるから、直接争い合うといったことはなかったのだが、松寿たちの祖父にあたる福原広俊が、まず怒り狂った。

 正室の子を守るために重臣たちを糾合し、一大派閥を作り上げる。

 そして、これに対抗するために相合の方も反対勢力を集結させる。

 毛利家中は、二つの派閥に大きく分裂してしまったのだ。

 家人たちがいがみ合う中に置かれた子供たちの心境はいかばかりのものであったのか。

 家中に明確な序列のある吉川家で生まれ育った経友にとって、その壮絶さはとても想像できるものではなかった。

(でも、生臭い政治闘争の中でも二心なく接してくれる人間と言うのは必ずいる。元綱にとってはそれが……)

 実の母である相合の方。そして元綱の武芸指南役である渡辺勝であった。

 彼らは何よりも大切にすべき宝物のような存在であったのだ。

(そんな母からの願いを断れるわけないよな……)

 断れるわけがない。経友が同じ立場であったとしても、同じ選択をするはずだ。

 彼の心情が手に取るように分かるだけに、

「絶望的だ」

 ため息の回数が増えていく一方であった。

 事態を打開するにはどうしたら良いのか、とんと見当がつかない。

 かと言って、このまま家に帰っても妹に合わせる顔がない。

 仰ぎ見た空の色は、何時雨が降ってもおかしくないような厚い雲に覆われていた。

「千ちゃん」

 幼馴染の呼ぶ声に、経友は生気のない瞳を走らせる。

 松寿は経友の様子に大分戸惑っているようであった。

 手には笠が握られている。雨の予兆を知らせようと出て来てくれたのかもしれない。

「どうしたの……? 大会。すっごくかっこよかったよ。何でそんな顔をしているの?」

「格好良い訳あるもんか。負け犬な上に約束破りだ」

 吐き捨てるように言い放つ経友を、

「負け犬なんて言っちゃダメ。千ちゃんは多くの武人の上に立っているんだよ」

 眉を顰めて諌める松寿であったが、すぐに怪訝そうな表情に切り替える。

 経友の発言の中から、理解のできない単語を拾い取ったのだ。

 松寿は、小首をかしげてこう言った。

「約束って何?」



 後日、涙で目元を赤く腫らした玖の元に、毛利家から行李(こうり)(衣服を仕舞う箱)が届けられた。

「玖ちゃん。これ、毛利からの贈り物だよ」

 松寿が期待を満面に広げた笑みを投げかける。

 はじめは気圧されるように一歩引いてしまった玖であったが、やがて躊躇いがちに行李を開け、

「え、これって……」

 眠たげな猫目が驚きに見開かれた。

 若草色に光り輝く色鮮やかな単衣が収められている。

 それは、紛うことなく賭弓で陳列されていた単衣であった。

「松寿……これは――」

 同席していた経友も、これには仰天して松寿に問いかけようとするが、

「しっ」

 彼女から投げかけられた沈黙の合図に、思わず口をつぐむ。

「これはね。千ちゃんが一生懸命四郎君に頼んでくれたんだってさ。良かったね」

「え、兄様が」

 玖の白い頬が、見る間に赤く染まっていく。

 その様子を見た松寿はにっこりと笑った後、見るからに羨ましそうな表情を浮かべた。

「ああ、良いなあ……私もこんな素敵な着物欲しいなあ」

「……あっ、しょ、松寿姫様にはあげないっ」

「むう、羨ましいなぁ」

 単衣を抱え込んでいそいそと行李に仕舞う玖と、羨ましがる松寿のやり取りを、経友は狐につままれたような表情で眺めていた。

「千ちゃん、ちょっと」

「松寿、あれは一体……」

 松寿の手招きに応じて、忍び声で耳打ちする。

「私だって玖ちゃんに何かしてあげたいもの。だから郡山の兄様に文で相談してみたんだ。そうしたら、相合のお母様に相談してくれたの」

「そんな無茶なッ!」

 経友は絶句した。

 松寿自身がどう思っていようと、彼女にとって相合の方が敵対派閥の主であることに違いはない。

 そんな女性相手に、ただ友人に単衣を送りたいから譲ってくれなどと頼めるわけがあるだろうか。

 応えは否だ。相合の方とて、そんな願いを叶えてやる道理はない。

 関係派閥の調整。その見返り……。

 考えの足らない経友にだって、この無茶を通すのに膨大な障害があったことくらいは想像できる。

 松寿たちと相合の方の関係を知っていたからこそ、彼女がどれだけの努力を払ってくれたのか、経友は手に取るように理解することができた。

 しかし、松寿はそんなことなど朝飯前だという風に、

「いっつも私、千ちゃんに頼ってばかりだもん。こんな時くらい手伝わせて、ね?」

 両手を合わせて、嬉しそうに微笑みかけてくる。

 松寿の発する真っ直ぐな親愛の情に、経友は思わず顔を赤くしてそっぽを向いてしまう。

 本音は正直、涙が出そうになるくらい嬉しかった。

「あの、松寿……その」

「ううん、お礼は良いから。それより見て」

 松寿が促す視線の先には、嬉しそうに単衣を見つめる玖の姿。

 彼女はとても幸せそうであった。

「良かったね」

「ああ……」

 久しぶりに見た玖の表情に、経友も笑顔を綻ばせる。

 何とか、約束を守ることができたという安堵の念。

 そして、これを機に玖が変わるのではないかと言う期待感。

 経友の心に、久方ぶりの平穏が訪れた。

 玖が笑い、松寿が微笑み、経友がはにかむ。

「そうだ。兄様、松寿姫様。久しぶりにすごろくしよう」

「うん、やろう。玖ちゃん」

「げえ、そういう頭を使うのは苦手なんだが……まあ、たまにはいいか」

「じゃあ、すぐ持ってくるっ」

 表情を明るくはじけさせ、軽い足取りで席を立つ彼女を見て、経友と松寿は顔を見合わせて笑った。



 幸せな時間は長くは続かなかった。

「どういうことですか。姉上ッ!」

 血相を変えて怒鳴り込んできた元綱の第一声に、玖が驚いてすごろくの盤を床に落とす。

 松寿にしても、彼の青天が霹靂を飛ばすような勢いに、口をぱくぱくさせて言葉も出ない様子であった。

「え……どうしたの、四郎君。何でそんなに怒ってるの……?」

「とぼけないで頂きたいッ。母様から、単衣を取り上げたのはどういう了見かと申し上げているのですッ」

「え……え……?」

 わけがわからないといった風に、目を白黒とさせる松寿。

 元綱は歯をぎりりと噛み締めながら、彼女に文を見せ付けた。

「『御家の為だと己に言い聞かせても、涙を拭う袖すら見つからぬ』……母様から私に送られてきた消息です。私は確かに母様に単衣をお贈りしたと言うのにッ」

「うそ……そんなわけない。だって、私も相合のお母様に確認したし、兄様だって――」

「でまかせを言うなッッ!」

 元綱の絶叫が屋敷内を揺るがした。

 荒々しい呼吸で、元綱は松寿を睨みつける。

 そこには普段の涼しげな彼の面影は、微塵も感じられない。

 正気を失った獣の姿が、そこにはあった。

「……母様はいつだって虐げられている。妾だから……正妻ではないからッ」

「し、虐げてなんか――」

 松寿が必死に否定しようとするも、元綱は聞く耳を持たない。

 瞳に宿る疑念。

 その奥には、確信に満ちた何かが宿っているように感じられた。

「分かってる。全部私が悪いんだ。妾の子だから……家中に不和を呼び込んだから!」

「四郎君は悪くないよッ」

 たまらずに松寿が声を張り上げる。

 経友と玖は事態が飲み込めずに、一言も口を挟むことができずにいた。

 金切り声の後に訪れる静寂、そして元綱は、

「……またそうやって嘘を吐く」

 底冷えのする声で、そう言った。

「母様が此度のことは全て坂に聞けと、そう仰った。坂は全てを話してくれましたよ」

 怒りに声を震わせながら、元綱は言葉を続けていく。

「此度の件は……兄上の策略だと聞きました。私の手柄をうやむやにして家督から遠ざけんとする」

「何、それ……」

 色を失う松寿。

 経友とて、それは同様であった。

 いくら、元綱の才能が飛びぬけているとは言え、その手柄まで揉み消そうなどと考えるはずがない。そんなことをすれば、家中に要らぬ不和を作り出してしまうからだ。

 松寿の兄は、平凡ではあるが善良だ。

 松寿はもとより、彼がそのような策略を弄そうとするとは到底思えなかった。

「そんなでまかせを――」

「じゃあ、母様がでまかせを言ってるって言うのか――ッ!」

 激昂する元綱に対し、松寿は口を挟む余地すら与えてもらえない。

 火がついたように怒り狂う弟を扱いかね、経友に助け舟を求めた。

「せ、千ちゃん……」

「四郎。これは何かの手違いだ。とにかく、まずは落ち着こう、な?」

 経友は彼をなるべく刺激しないように、やんわりと語りかけた。

 が、元綱は失望したような眼差しをこちらに向け、

「ここに至って、日和見かよ……」

 無念そうに首を振った。

「坂はあんたのことだって言及していた。そもそも、此度の一件を持ちかけたのは、千若丸だと」

「な、何言ってんだ――」

「だったら、何で姉上に頼んだ! 私があれだけ嫌だと断っていたと言うのにッ!」

 経友が真っ青になる。

 他意はなかった。ただ、絶望的な心情を松寿に愚痴った。それだけだったのだ。

 こんなに大事になってしまうとは露ほども思わなかったのだ。

「あんたのことは数少ない友達だと思っていた。一本気の通った素晴らしい武人だと尊敬だってしていたのに……」

 歯をむき出しにして、元綱が経友を睨みつけてくる。

 明確なる敵意。

 それは戦場に出たことのない経友にとって、初めて遭遇する感情であった。

「裏切り者」

「四郎、お前ッ」

 かっと頭に血が上った経友が、元綱に飛びかかる。

 握り拳を固めて経友の顔を殴りつけ、押さえつけ、更に殴りつける。

 元綱も黙ってはいない。

 血の滲む唇を噛み締めながら、経友に対して殴り返してくる。

「ちょ、ちょっと……やめて、やめてよぉっ!」

 松寿の悲痛な叫び声を聞いても、二人の取っ組み合いは止まることがなかった。



 この事件はすぐに吉川・毛利家中で取り沙汰されることになり、真相の究明が行われた。

 一応の真相は『連絡の不行き届き』とされている。

 早急に連絡を担った下人が処罰され、双方に落ち度なしということで、四人は両家の当主の元で和解の誓約を交わすことになった。

 そこに政治的な判断が介在していたことは間違いない。

 結局のところ、誰が悪かったのか。

 毛利家の当主が一策講じたのかもしれないし、相合の方が偽ったのかもしれない。

 経友に真犯人を知る術はなかった。

 いずれにせよ、この一件を機に四人の関係が急速に冷え込んでいったことは確かである。

 元綱は近寄りがたい雰囲気を身に纏うようになり、彼と口を交わすことは滅多になくなった。

 玖は、山口から安芸へと帰っていった。本人が強く望んだのだと言う。

 松寿だけは相変わらずであったが、それでも寂しげな表情を見せることが多くなった気がする。

 幼い頃のすれ違い。

 もし、あの時に経友が賭弓で勝っていれば――

 もし、あの時松寿に相談しなければ――

 こうして今、元綱と対立することもなかったのかも知れない。

 たられば話に意味などないが、それでも経友は考えずにはいられなかった。


「あれ、起きていたのか」

「随分前からな。少し考え事をしていたんだ」

 豪快な武人然とした声がして、障子ががたりと引き開けられる。

 経友の前に姿を現したのは、大男であった。

 無骨な指に、伸びるに任せた口ひげ。

 ぎょろりと大きな鷹の目が、床に伏した経友を見下ろしていた。

 大男は、一瞬ぽかんと口を開けた後、

「ああ、考え事? 似合わないねえ、手前さんはうちの助六と同じ手合いだろうに」

 耳をほじくり、気色悪そうに顔を歪めた。

 彼の名前は、国司くにし有相ありすけ

 毛利家の宿老の一人であり、渡辺勝と並ぶ武人である。

 今は若い息子に家の全てを任せて、悠々自適の生活を送っているそうだ。

「うるさいなあ」

 経友は見るからにうざったそうな顔をすると、眉間に皺を寄せた。

 有相とは知らぬ仲ではない。

 彼は松寿の御守り役であり、ことあるごとに彼女を連れ出そうとする経友に対し、その度に拳骨を見舞わせる役割も担っていた。

(要は口うるさい親父が増えたようなもんなんだ)

 と、口を尖らせ、頭をぼりぼりと掻く。

 布団をはねあげて、上体を起こす経友に有相は、

「傷が開くぜ。寝ておきなよ」

 と声をかけてくる。それに対して経友は、

「もう、あらかた治ったさ」

 腕をぐるぐると回して応えて見せた。

「ああ、若いって嫌だねえ。こう……ぶっとばしたくなるわ」

「おっさん、何しに来たんだよ」

 見るからに羨ましそうな表情を浮かべる有相を、経友は呆れ顔で問い詰める。

「うちのひい様から薬の差し入れだよ」

 投げられた膏薬を受け取りながら、

「松寿は?」

 と、問い詰める。

 松寿を無事救い出したあの日から、既に三日が過ぎていた。

「既に陣触れが出ているからなあ。諸勢力の調略や懐柔、兵の集結と息をつかれる暇もねえよ」

「そうか」

「ああ、だからって無駄に動こうとか思うんじゃねえぞ。お前さん、ほとんど死にかけみたいなもんだったんだ。戦は毛利のもんに任せて、ゆっくりと眠っていろよ、な?」

「そうもいかない。四郎とのことは……俺も、ちゃんとけりをつけなきゃならない」

 言って、経友は力を込めて立ち上がる。

 数日間寝込んだお陰で、身体の痛みは大分取れたようだ。

 軽く身体を動かし、鈍っていないか確かめる。

 その様を見ていた有相が、

「ああ、嫌だ嫌だ。若いって嫌だねえ。こう……蹴りとばしたくなるわ」

 見るからに嫌そうな顔をする。

「おっさん、ほんと変わらないな……」

「変わらないから、おっさんなんだよ。若いゆえの傲慢って奴だぜ、手前さんの言葉は」

 悲しそうに肩を落とす有相。

 経友は聞かなかったことにして、傍にたたんであった装束を身に纏った。



「兄者……」

 部屋を出た経友の耳に、妹の声が聞こえてくる。

「お前、小倉山から来てたのか」

「……ごめん、四郎を止められなかった」

 驚く経友と視線を合わせないよう俯いたまま、玖は悲しそうに応えた。

 張りのある肌には、無数の赤い痣が浮かんでおり、彼女の利き腕には添え木が当てられている。

 満身創痍の身体を見れば、彼女が激しい戦いを繰り広げてきたことは容易に読み取れる。

「ごめん……」

 何度も謝罪の言葉を繰り返してくる。

 繰り返される言葉に含まれている感情は、深い後悔。

 先程まで、経友が思い出していたあの一件に起因するものであることは疑いようがない。

 恐らく……玖もあの一件については自分なりに思うところがあったのだ。

「はぁ」

 経友はため息をついて、妹の頭をぽんと叩いた。

「そんな顔すんな」

「でも……」

 まだ言い足りない妹の頬を、指で引っ張ってやる。

「兄者、痛い……」

「そんな面をしてるからだ」

 頬をさする妹を横目で見ながら、経友は鼻息を鳴らす。

「俺は負けず嫌いでな」

「……?」

「賭弓からこの方、負けっぱなしじゃたまらない。この『喧嘩』は誰にも譲るつもりはないぞ。玖、お前にもだ」

「……うん」

 玖は一瞬驚いたように口を開けた後、すぐに頷いた。

 経友は、聞き分けの良くなった妹の頭をもう一度撫で、その場を後にした。

 向かう先は松寿の許。

 軍陣の張られた戦場であった。



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