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安芸の柊、春近し【架空戦国記】  作者: 三郎
安芸の柊、春近し
15/22

昔日(三)

「……千若様。申し訳ありませぬ。玖姫の御一件、協力することができなくなりました」

 その言葉を最後に、黙りこくる元綱。

 気まずくなった二人は各々の準備に戻ることにした。

 視線を落とす元綱と別れ、経友は賭弓の会場へと移動する。

 会場は馬場からそう遠く離れていない場所に設けられていた。

 会場に面する形で設けられた建物は、落ち着いた色の瓦が葺かれ、南北に長く伸びている。

 部屋には演武を物見できるよう襖や障子といった類のものは備え付けられておらず、床は屋敷内の他のものと比べても一段高い。ただ、古木を利用した柱が何本も建っているのみである。

 屋内の何処に座っても会場を一望できるようなつくりになっているのは、物見しやすいようにと工夫が重ねられた結果であろう。

 このような建物を都では弓場殿ゆばどのと呼んでいるそうだ。

 的当ての行事の際には、いつもここが観客席になっていた。

 観客席の上にはすでに宴席が設けられており、殿上に待機する大勢の観客たちの顔は、皆ほのかに赤い。すでに酒を呑んでいるのかも知れない。

 彼らは賭弓の開催を心待ちにしながら、西国の情勢や日々の雑談に花を咲かせていた。

 経友は、つい観客の中に身内がいないか探してしまうが、すぐに諦めてため息をつく。

(まあ、いるわけないか)

 気を取り直し、そのまま視線を演場へと移した。

 観客席の眼前には射手の立ち台が設けられており、そのすぐ傍には漆の塗られた弓置きが備えられている。

 射手の位置から、的がかけられる台までの距離はおおよそ三十間(約70メートル)といったところだ。

 戦においても弓巧者が敵将を狙い撃てるぎりぎりの距離であり、それだけに腕の見せ甲斐がある。

 大内家で開かれる射的の行事は概ねこのくらいの距離が踏襲されていた。

 と、大内の家人が的を持って会場に入ってくる。

 両手に持った革張りの的を見て、

「ち、小さい……」

 ただでさえ緊張を隠せずにいた演者たちの表情が、にわかに険しさを増していった。

 人の胸より小さい程度であろうか。

 朱色で描かれた丸字は、常日頃用いていたものよりも、明らかに一回り小さくこしらえられていた。

 個人差もあろうが、人の急所を狙い打てる距離と言うのは、大体にして十間(約20メートル)前後が目安となる。

 つまり、遠的においては「当たれば上々」なのであり、さらに「狙い打つ」と言う動作まで強いられるなどあまりに常識外れの要求だと言えるのだ。

「おい……聞いていないぞ」

「ぐぬ……」

 突然の事態に周囲が動揺する中、

(何かの手違いか、いや……)

 客席を見やると、客席のさらに一段高い位置で義興が微笑んでいる。

 貴人と談笑する彼の表情は、してやったりといわんばかりに愉悦に歪んでいた。

 予定外の事態に激昂するどころか、表情すら変えることがない。

 それを見て、経友は即座に理解する。

(これくらいは射抜いて見せろということか)

 面白い、と自身の頬をぴしゃりと叩く。

 この予定外の介入を、天下人からの挑戦と受け取った経友は、闘志をあらわに握り拳を固めた。

 そんな経友の気負いに対し、

「おいおい、必要以上に構えていては、勝てるもんも勝てなくなるぞ」

 見知った声が、待ったをかける。

 驚いて声の主へ振り返ると、そこには白髪混じりとは思えない活力に満ちた笑顔に、六尺を超える巨体。

 声の主は経友の祖父、吉川経基であった。

「基爺っ、来てたのか?」

「あん、何だ。俺が来ちゃいかんのか?」

「あ、いや。その」

 恥ずかしくなって俯く。

 予想外の出来事に、嬉しさのあまり声が上擦ってしまう。

 兄たちと違って、経友は父から大切な扱いを受けているわけではない。もとより国人の三男坊など、一族の中でも下人に近い扱いを受けるのが通例で、責任のある役割を与えられることなど、ほぼ無いと言って良い。

 おのずと家庭内での自分の立場を理解していた経友だからこそ、身内が自分の活躍を見に来てくれたと言うことに感動を覚えていた。

 だから、経友は鼻息荒くして、

「基爺、見とけよ。勝って見せるからな」

「へえ、一丁前な口を叩くもんだな」

 意気込みを見せると、基爺はにやりと口の端を持ち上げながら、経友の頭をわしわしと撫で回してきた。

 太陽の香りのする豪腕を頭の上に乗せられ、経友は口元が独りでに弛んでいく。

 そんな爺と孫のやりとりが続く中、

「駿河守様ーっ、駿河守様ーっ」

 基爺を呼ぶ少々か細い青年の声が遠くより聞こえてくる。

 聞き慣れぬ声に、経友が耳をひくつかせていると、

「おう、俺はここだーっ。うちの愚孫もここにおったわ」

「ああっ、駿河守様まことにかたじけない。ありがとうございます、ありがとうございます」

 基爺の返事を聞きつけ二人の前に姿を現したのは、声の通りに線の細い青年であった。

 歳の頃は二十歳前後であろうか。

 妙にへこへこと頭を下げながら、常に困ったような笑みを絶やさない。

 何とも情けない、貫禄のない様子であったが、顔のつくりは丹精そのものであった。

「千坊。こちらが、大内家の安芸多々良(たたら)家当主、興豊おきとよ殿だ」

「ああ、どうもどうも。ご紹介に預かりました興豊です。千若様のお噂はかねがね聞き及んでおりました。此度はどうかよろしくお願いします」

 青年の自己紹介に、経友は目を見開いて、口を半開きにする。

 今、基爺は彼を指して多々良家当主といった。多々良とは大内の本姓であり、遠い昔に日ノ本へと流れ着いた異国王の一族を指す。

 つまり、目の前の青年は天下人の同紋衆だということになるわけだが、それにしては彼の物腰はあまりにも腰が低過ぎた。

 興豊は経友の反応が気になるのか、困ったように頬を指で掻いている。

 その、全く「らしくない」風体に、経友が基爺の言をにわかには信じられずにいると、

「お前、今えらく失礼なことを考えていただろう」

 図星を突かれた経友は、

「う、あはは……」

「全く、自分の念人(支援者のこと)の顔すらも知らぬとは」

 笑ってごまかす経友を見て、基爺はおおげさなため息をつく。

「念人?」

「お前、賭弓に参加すると言うのに、自分の支援者のことすら知らなかったのか。顔合わせもせずに一体何をやろうとしていたんだ?」

 その言葉にはっとさせられて、経友は申し訳なさげに縮こまる。

 賭弓は、所有する宝物を賭けて行う競技である。

 当然、賭けに参加するには参加に見合うだけの宝物を用意しなければならないのだが、大抵の武人は宝物を用意するだけの財力を持ち合わせていない。

 よって、念人――つまり、支援者に富の支払いを肩代わりしてもらうことによって参加することになるのだ。

 昨年まで、経友は若衆の中でも西国一番の弓上手として選ばれていただけに、その支援を大内義興が引き受けていた。

 ゆえにいちいち念人を探す必要がなかったし、相手が当主であるがためにいちいち会う必要もなく、経友は気楽なものであったのだ。

 しかし、今年一番の弓上手は元綱である。

 言うまでもなく、義興は元綱の念人に変わってしまっているはずだから、本来ならば経友は念人探しを行う必要があった。

 それをせずにいられたのは、

「全く……そんなこったろうと思ったぜ。興豊殿は、おまえが失念しているだろうからと、あらかじめ願い出てくれていたのだぞ」

「えッ」

「いえ、元から私は千若様の弓を見るのが楽しみでしたので」

 謙虚に手のひらをぱたぱたと振る興豊を見ながら、事態を察した経友は顔面を蒼白にした。

「か、かたじけない……」

「いえ、お気にせずとも。それよりも打ち合わせを行わなくては……千若様が弓を撃った後には、私は笛を吹かねばなりませぬ。曲目は――」

 すまなそうにしょぼくれる経友を見て、興豊が何てことないといった風に人の良さそうな笑みを浮かべる。

「う、うん」

 てきぱきと段取りについて一つ一つ確認を求めてくる興豊。

 経友は彼の言葉の一つ一つを真摯に受け取り、相槌を打った。

 


「的中」

 見極め役を勤める家人の声に、会場が一斉にどよめいた。

 一射目を終えた経友の残心を、興豊が奏でる笛の音が優雅に彩る。

 的の中心から寸分たりとも外れることはなく突き刺さる矢を見ながら、軽く息を吐く。

 いくら的が小さいとは言え、元から過剰なまでに鍛錬を積んできた経友だ。

 慣れぬ的に戸惑う演者を尻目に、概ね順調と言って良い成績で勝ち上がっていくことができた。

 まず、一射目。

 動揺に呑まれてしまった幾人かが脱落した。

 罰酒を受け、彼らはすごすごと控え席に戻っていく。

 続く、二射目。

 全く同じ動作を何度も繰り返し強いられたためか、はたまた経験不足からくるものか。

 緊張感に耐えかねて、手元の狂った幾人かが脱落した。

 さらに、三射目。四射目。五射目。六射目。

 初回の緊張を克服してしまえば、繰り返すことはそう難しいことではない。

 残った弓巧者たちが、集中力を保ちながら何とか食らいついていった。

 勝負が大きく動き始めたのは、七射目からである。

 六射目までは見事な射を見せていた演者たちも、ここまでくると集中力が途切れ始めてくる。

「あッ」

 手元が狂って、矢を離す機会を間違えてしまう者。

 必要以上に力んでしまい、矢を狙った場所へ飛ばすことができなかった者たちが、口惜しそうに地団太を踏んだ。

 そのような中、

「山県源太郎殿、的中」

「吉川千若丸殿、的中」

「毛利四郎殿、的中」

 経友を含む、三人の演者が小気味良い音を響かせながら的の中心に矢を突き立てて見せた。

 ふん、と鼻息荒く意気込む重房。

 涼しい顔の元綱。

 彼らは弓競べのたびにいつも顔をあわせることになる面々であり、それと同時に同郷の昔馴染みであり、遊び仲間でもあった。

(だから、手強さも良く知っている)

 元綱が脱落しないのは当然としても、経友と同じかそれ以上に要領の悪い重房までもが、慣れぬ的相手にここまで善戦してきているのだ。

 恐らく人知れぬ努力を重ねてきたのだろう。

(負けられない)

 自分のため、そして妹のため――。

 手のひらにできた肉刺(まめ)をじっと見つめた後、経友はぐっと拳を力強く握り固めた。

 そして、八射目。

「――クソッ!」

 重房の顔が苦悶に歪む。

 彼の無骨な指から放たれた矢は、的の中央に描かれた小さな丸時から外れて、的の縁に突き刺さってしまう。

 ……これで重房の脱落が決定した。

 大柄な体が口惜しさに打ち震え、無念さを乗せた拳がごつんと大地に叩きつけられる。

 傍に控えていた武田家の者も、実につまらなそうな顔をしている。

 苦虫を噛み潰したような表情には、落胆と失望がありありと浮かんで見えた。

「山県源太郎殿、罰酒を」

「……」

 見届け人に急かされて、重房は用意された杯をぐいっと飲み干した。

 口を拭って経友たちを睨みつけるも、すぐに視線を落とす。

 経友は、宝物の一つを手にとって席に戻る重房を見届けた後、

「次、吉川千若丸殿」

「うん」

 家人の呼び声に応えて立ち台に乗った。

 すうっと深呼吸を行い、眼を細めて的を見る。

 重房のように失敗するかもしれない。よしんば上手くいったところで、元綱に果たして勝てるのだろうか……

 襲い掛かってくる様々な雑念を取り払い、矢を番える。

 長い静寂が訪れる。

 ただ、当たれと静かに念じ――そして、経友は矢を放した。

 放たれた矢は螺旋を描き、

「的中」

 会場が一層の熱気に包まれた。

 緊張を解いて、深く息を吐く。

(大丈夫)

 まだ余力はあるようだ。手のひらを閉じたり開いたりして、疲労の度合いを確かめる。

 妹の泣き顔が少し遠のいた気がした。

「次、毛利四郎殿」

「……はい」

 元綱が涼しげな顔で立ち台に上る。

 緊張感など微塵も感じさせない優雅な身のこなしに、見物していた若い姫たちから熱の篭ったため息が漏れ出た。

 一瞬の静寂。

「すっ」

 短い呼気の後に放たれた矢は、見事的の中心を捉えて見せた。

 わあぁぁっ。

 弓巧者たちの接戦に観衆が沸く。

 経友と元綱――果たして覇者となるのはどちらなのか。

 残された二人の演者に、観客の注目が一斉に向けられた。 

 期待と羨望、そして憧憬の念が一身に降りかかってくる。

 それに対し、元綱は眉をぴくりとも動かさない。平静そのものといった具合だ。

 対する、経友は気が気でない。

(この土壇場に来て、四郎の弓が鋭さを増した……)

 天井知らずの才能を目の当たりにして、経友の心にぞくりと戦慄が走る。

 元綱の八射目――彼のはなった矢が的に突き刺さった瞬間、経友は思わず目を奪われてしまった。

 それは、今まで見た中でも最も美しい射であったからだ。

 勝負の最中に試行錯誤を繰り返し、より良い型を目指していく。

 積み重ねたことを必死に捻り出すだけの経友には、逆立ちしてもできない芸当であった。

(……だからと言って、諦められるか)

 強張る身体を無理やり伸ばし、次に備える。

 そして、九射目が開始された。

「吉川千若丸殿、的中」

「毛利四郎殿、的中」

 二人の健闘に、場の熱狂は最高潮にまで達した。

 大抵の弓競べは、どんな弓上手が参加していたとしても九発も行えば雌雄が決するため、十発目まで雪崩れ込むことは稀である。

 だから、経友と元綱の勝負は、傍から見れば近年稀に見る好勝負と言えた。

(射る側からすればたまったものじゃないっ……)

 噴き出す汗を手で拭いながら、元綱を見やる。

 彼は汗一つかいていなかった。

 ぶつぶつと小さく独り言を漏らしながら、ああでもないこうでもないと射方について検討を重ねている。

 それに比べて、経友は一射ごとが真剣勝負である。

 結果の上では互角と言えど、内面で繰り広げられる戦では完全に元綱が凌駕していた。

「くそっ……」

 経友の心に敗北の二文字が重くのしかかってくる。

(まだ負けたわけじゃない……気持ちで負けてしまってどうするんだッ!)

 頭では理解していても、萎える心はどうしようもない。

 挫けそうになる心を経友は必死に叱咤し続ける。

 そんな経友の耳に、

「……千ちゃんっ、しっかり!」

 馴染み深い少女の声が届いた。

「……松寿?」

 慌てて、彼女の姿を観衆の中に探し求める。

 松寿は、基爺や玖とともに固唾を呑んで勝負の行く末を見守っていた。

 隣にいる基爺は、酒杯を片手ににやにやと笑みを浮かべており、玖は念仏でも唱えるかのように必死に目を瞑っている。

 今まで声をあげなかったのは、肉親である元綱を配慮してのためであったのか。

 どちらを応援したらよいものか……松寿の顔は戸惑いに満ちていた。

「こら、松寿ちゃん。男の勝負に水を差しちゃあいけない」

「で、でも……」

 基爺の言葉に、松寿は恥ずかしげに縮こまった。

 彼女の姿を一目見て、萎んでいった闘志が再び息を吹き返す。

(四郎がいるのに声をかけてくれたってことは……俺があまりにも情けない面しているせいだろうな)

 これ以上格好悪いところは見せられない。

「次、吉川千若丸殿」

「おうッ!」

 経友は気力を振り絞って家人の呼び声に応えた。

 そして始まる十射目――。

 会場が歓喜の声に満たされた。

「吉川千若丸殿、的中」

「毛利四郎殿、的中」

 まさかの両人、的中……雌雄決することなく、両者引き分けと相成った。

「むむ……どちらも中心を射抜いているのか?」

「どちらも的の中央を貫いております」

 まさかの事態に行事の進行を担っていた重臣たちまで顔を見せ、見届け人と協議を始める。

 それでも出だされる結論は甲乙付けがたしといったものであった。

「や、やりましたな、千若様。これにて再び西国一番の弓上手に返り咲けたのですぞ」

 興豊が興奮冷めやらぬ口調で、諸手をあげて喜んでいる。

 しかし、経友は、

「いや、引き分けでは……」

 素直に喜べずにいた。

 元綱が母のために単衣を望んでいる以上、玖の願いをかなえてやるためには確実に打ち負かす必要がある。

 何よりも、このままでは元綱に勝つという自身の目標を達成できずに終ることになるのだ。

 元綱とて、それは同じであったようだ。

 今まで少しも崩さなかった表情を歪め、あからさまに不満の表情を浮かべている。

「しかし、千若様……折角拾った勝利なのですぞ。そうも頑なにしていては――」

 経友をなだめようとする興豊の言葉が最後まで続けられることはなかった。

「……つまらん、優劣がつくまで続けよ」

 先ほどまで歓喜に沸いていた観衆が、さあっと冷や水を浴びせかけられたかのように静まり返っていく。

 言葉の主は、大内義興であった。

「お、御屋形様、それでは今後の予定が……」

 不満そうに鼻を鳴らす当主をどう諌めようかとうろたえる重臣たち。

 だが、彼の言葉は演者の二人にとって渡りに船であった。

「お受け致す」

「無論です」

 力強く頷いて、勝負の続行を求める。

 二人の瞳に宿っているものは、勝利への飽くなき欲求であった。



「……吉川千若丸殿、的中」

 的を貫いた矢が二十本目を超えた辺りで、見物客の中に接戦を喜ぶ者は誰もいなくなった。

 例外と言えば、義興と基爺くらいであろうか。

 相も変わらず、笑い声をあげて談笑を続ける義興であったが、接待している公卿の笑顔は凍りついたように引きつっている。

 基爺も場の雰囲気などお構いなしに酒を呑み、矢が的中するたびに無邪気に拍手している。

 だが、周囲が彼に追随しようとしないため、一人の拍手が静まり返った会場に響き渡るといった具合であった。

 この前代未聞の大事態に、誰もが食いつくように魅入っている。

「……的中」

 元綱の放った矢が、経友と同様に中心を射抜いた。

 二十一発目。二十二発目、二十三発目……。

 緊張のあまりに擦れる見届け人の声が、重ねられていく。

「つ……次、吉川千若丸殿」

 呼び声に応え、幾度となく繰り返された所作と寸分違わぬ型でもって矢を番える。

 そして、再び精神を集中し、

(――ッ?)

 経友は絶望のあまり叫び声を上げてしまいそうになった。

 右手に奇妙な違和感がある。

 感覚を失っているのだ。

 疲労によるものか故障によるものか分からないが、いずれにせよ……わずかな感覚が成否を分けるこの局面において、致命的過ぎるほどの痛手であると言えた。

『一昼夜続けては流石に身体が持ちませぬ』

(ここにきて鍛錬のやりすぎが祟るのかよ……ッ)

 心の動揺が瞬く間に全身を駆け巡っていく。

 指が震え、思うように力が入らない。

 分かる。このままでは外れてしまう。

「千若丸殿」

 催促の声に気持ちが逸る一方で、

「あっ――」

 経友の放った矢は、中心からわずかに外れてしまう。

 悲嘆の篭った声が各所から上がった。

 だが、それらは経友の比ではない。

 ……結局、元綱を超えることはできなかった。

 ……妹と交わした約束を果たすことはできなかった。

 経友は泣き崩れた妹の顔をまともに見ることができず、ただひたすらに俯いて歯を噛み締める。

『――嘘つき――』

 玖の心の声が聞こえてくるような気がした。

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