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安芸の柊、春近し【架空戦国記】  作者: 三郎
安芸の柊、春近し
14/22

昔日(二)

二、

 経友たちに給されている宅地は、元々大内家に仕える重臣の一人が利用していたものであったらしい。

 屋敷内の庭園には、四季折々の木々が並び立つ中に大きな池や築山(つきやま)が造られている。

 安芸の実家とは比べるべくも無いほど豪奢な設備だ。恐らくは見る者が見れば、趣深いと感じるものなのだろう。

 だが、生憎と経友は風雅の分野にすこぶる疎い。

 だから、経友にとって、これらの設備は肩がこるものでしかなかった。

 主屋の四方には離れである対屋(たいのや)が付属している。

 玖はその中でも北西に隣接する対屋に寝泊りしていた。

 北側には水回りが集中しているし、家人たちの住む長屋があるため、身の回りの世話がしやすい。

 そういった利便性の関係から、本来北側の対屋は家主の正室にあてがわれるのだが、山口に上ってきている一族の人間は、経友と玖の二人しかいないため、彼女がこの部屋に住むことになったのも、ある意味必然であった。

(とは言え、便が良すぎるのも考え物だな。顔を合わせようと思わなければ、会う機会も無くなってしまう)

 そろそろ部屋替えも視野に入れるべきなのかもしれない。

 今後のことを考えながら、長廊下を通って玖の部屋へと向かう。

 四月の下旬には珍しい雲の無い夜空を背景に、北の対屋は無人かと錯覚してしまう程の静寂に包まれていた。

「玖、いるか?」

 部屋の主へと声をかけてみても、中から反応は返って来ない。

(留守か? いや、もう日も遅いし、そんなことは無いと思うが……)

 胡乱げな眼差しで、ひょいと中を覗き見る。

 すると、唐紙で作られた衝立ついたて障子(しょうじ)の向こう側に、紙燭(しそく)のぼんやりとした灯りが揺れていた。

 どうやら、玖がいることは確かなようだ。

 寝ているのか、それとも居留守を使っているのか。

 判別のつかない経友は、

「玖、入るぞ」

 部屋の主に一応断りを入れて、中へと上がらせてもらうことにした。

 玖は畳に寝転がりながら、書を読んでいた。

 長い茶髪をばさりと床に広げながら、不貞腐れたように桜色の唇を切り結んでいる。

 経友が入ってきたというのに、彼女はこちらを向こうともしない。

「……何しに来たの?」

 つっけんどんな挨拶に経友は、

「目、悪くするぞ」

 と、紙燭の油を継ぎ足しながら、経友は玖の態度をたしなめる。

「関係ない。兄様なんか知らない」

 対する玖は、頑なな態度を崩そうとしない。

 頬を膨らませ、ぷいと顔を背けていた。

「お前なあ。人が心配してやってんだから――」

「うそ、兄様はいつも松寿姫様のことばっかり。先々週だって……折角の祝事だったのに」

 と、玖に言われて思い出す。

「ん、十三参りのことか?」

 十三参りとは、十三歳を迎えた子供が虚空菩薩を本尊としている寺に参詣し、その加護を授かろうという行事である。

 要は七五三(しちごさん)のようなものだと理解しておけば差し支えないと思う。

 何にせよ、玖は先々週に十三歳の祝い事を終えたばかりであった。

 山口の近辺で、虚空菩薩を本尊としている寺は馬関(現在の下関)にしかない。

 馬関は山口から船を足に使っても二日はかかる場所にある。

 当然幼い玖を一人で行かせることはできないから、この時は経友も彼女に同行した。

 そう、同行したのだ。

 経友は、同居している唯一の肉親としての本分は全うしたと思っていたから、彼女が何を不満に思っているのか分からなかった。

「あの時だって、ちゃんと祝ってやったじゃないか」

 彼女の真意を測りかね、心外そうに眉をしかめる。

 玖は経友の言葉を聞いた瞬間、雷に打たれたように跳ね上がり、こちらをきっと睨みつけてきた。

「あんなの全然嬉しくないッ。だって途中から兄様、ずっと松寿姫様と話してばっかりだった! 玖のお祝いなのにッ」

「な、何だよ」

 彼女の瞳はうるうると涙で湿り気を帯び、小さな身体は小刻みに震えていた。

 経友は彼女の剣幕に戸惑いを隠せない。

 十三参りの時には、毛利姉弟も同行していた。四郎も玖と同じく十三歳になっていたからだ。

 それは賑やかな方が玖も楽しめるだろうという経友なりの配慮であった。

 誓って言えるが、断じて玖のことをないがしろにしているつもりはなかったのだ。

 それだけに彼女が全く楽しめていなかったという事実は、経友にとって思いも寄らぬことであった。

「……山口になんて来なければ良かった。父様や母様は玖を厄介払いしたかっただけなんだ。兄様だって、邪魔に思ってる」

 経友が途方に暮れて二の句が告げられずにいると、彼女は堰を切ったようにあふれ出る涙で畳を濡らしながら、声を上げて泣き始めた。

 わんわん泣く彼女を見ても、経友には何故彼女がここまで激情に駆られているのか分からない。

 兄を取られたやきもちか……。それもあるかもしれない。玖にとって自分は数少ない“話せる”肉親の一人だから。

 だが、すぐにそれだけではないと思い直す。

 彼女の発した『厄介払い』という言葉には、単なるやきもち以上の何かが込められているように思えたのだ。

 原因が分からぬ以上、どうあやしたら良いのか見当もつかない。

 経友はうろたえながら彼女を何とかあやそうとするが、元々言葉が巧みでないものだから、

「そんなことねえよ」

 と、否定することしかできない。

 いくら知恵を振り絞って言葉を重ねてみたところで、

「うそだ」

 彼女の癇癪は治まる気配が無い。

「松寿姫様みたいに扱って欲しい……ッ!」

 畳に突っ伏しながら、玖は思いの丈を赤裸々に叫んだ。

「玖が松寿姫様みたいじゃないから、皆要らないと思っているんだ。玖も松寿姫様になりたいよぉっ!」

 松寿になりたい――

 自己を全否定する妹の言葉を一身に受け、経友ははたと思い出した。

 玖が山口に来てからも周囲に溶け込むことができずに虐められがちであったことを。

 それと同時に経友の内に強い感情が湧き上がる。

 自分のことで手一杯であったとはいえ、配慮が足りずに妹の心を傷つけてしまったという申し訳なさがまず半分。そして、もう半分は玖に対する共感……。

 玖が抱く苦悩の本質は、経友の苛んでいるものと酷く似ていたのだ。

(そうか、玖もままならない自分に嫌気が差していたんだな)

 ここまでくれば、一般的な人間よりも大分察しの悪い経友だって、彼女の嫉妬が単に『仲の良い肉親を他人に取られた』程度のものではないことくらい容易に理解できる。

 恐らく玖は、松寿の生き方そのものを羨んでいるのだ。

 両家の関係が深いこともあって、松寿は玖にとって最も近しい同性の他人と言える。

 考えてみると、内気な所も良く似ているし、玖も松寿を意識することが多かったのだろう。

 だと言うのに、二人の立ち位置には大きな隔たりがあった。

 松寿は決して恵まれた環境にあるわけではない。幼くして両親と死別するなど、つらいことを幾つも経験している。

 それなのに弱音など吐かずに、健気に生きているのだ。

 では、対する玖はどうだろうか。

 生来の人見知りが災いして、彼女は周りから疎まれた存在になっている。

 そうした現状を良しとしていないことは、彼女の泣き顔を見れば明らかだ。

 まだ幼い少女が渡世の巧拙を論じるなど傍から見れば馬鹿げた話であるのかもしれないが、それでも彼女は彼女なりに不甲斐なさを痛感していたのだろうと思う。

 自分と言う存在がひどくつまらないものに思えてしまうことが、とてもつらいことであることは、経友も良く理解していた。

 故に、経友は他人事ではいられない。肉親である事を差し引いてもだ。

 同じ悩みを持つ者として、彼女を何とか救ってやりたかった。

 だから、経友は考える。

 自分と鏡映しのこの少女が、嫉妬に苛まれぬようになるためにはどうしたら良いのかを。

 ただ、構ってやるだけで晴れる悩みでは無いだろう。

 彼女が少しでも自分に自信を持てるよう……何か変わるきっかけが必要だった。

「ううん、玖は……お前は、松寿のどういったところが羨ましいと思っているんだ?」

 経友は落ち着いた声色で彼女に問いかけた。

 先ほどとは打って変わった態度で語りかけてくるものだから、玖もきょとんとして目を丸くする。

「それは……松寿姫様は綺麗だし。すごく強い方だし……玖とは違う所いっぱい持ってて……」

 玖の呟きを一言一句聞き漏らすまいと耳を傾け続ける経友。

「成る程なあ」

 一通り聞き終えた経友は考え込むように深く頷いた。

 性根の部分はそう優劣のつけられる部分ではないと思うし、心がけについてはこれから変えていく部分だ。

(とすると、姿かたちの問題かな……着物ならば、何とか俺でも工面できるかもしれない)

 経友は、慎ましやかながらも品の良い着物を身につけている松寿の姿を思い浮かべ、ふと思いついた。

「そうか、賭弓の褒美は確か京ごしらえの単衣だったな……」

 馳せ馬の際に陳列された褒美の数々を思い出す。

 大内義興が掲示した褒美には、白銀財宝、天下に名高き武具の他、色彩豊かな単衣が混ざっていた。

 あのような立派な単衣を身に纏えば、誰もが玖に一目置くことだろう。

 上手く行けば自信を持つきっかけになるかもしれない。

 納得のいく答えを得た経友は、胸を張って玖に言った。

「分かった。俺が賭弓で弓上手に選ばれて、お前にとっておきの単衣を贈ってやろう」

「え」

「あんな立派な着物は松寿だって着たことが無い。安芸一番の美人さんになれるぜ」

「ほんとッ?」

 玖は一瞬目を輝かせるも、すぐに何かに気づいたように目を悲しげに伏せる。

「でも……」

 玖に遅れて、彼女が案ずることに気づいた経友は、胸を拳で叩いて意気込んで見せた。

「大丈夫。勝って見せるさ」

 頭の良い彼女のことだ。

 経友が元綱に対して感じていることも、薄々は気づいているだろう。

 今回の賭弓だって、勝てるかどうかなぞ保証できない。むしろ、元綱の伸びを考えるならば、負ける公算の方が大きいと言える。

(とは言え、変われって後押しする人間が変われないんじゃ格好がつかないものな)

 兄としても、まずは自分が変わって見せなくてはならない。

 肩にぐんとのしかかってくる重責を肌で感じながら、

「ああ、約束する」

 経友は指切りをしようと小指を差し出した。



 瞬く間に日は過ぎていき、端午の節句が訪れる。

 山口の街は、今日という日を待ちわびたように活気に満ち溢れていた。

 碁盤目に軒を連ねる屋敷のあちらこちらからは、餅を蒸す香りが漂っており、門前には菖蒲(しょうぶ)の葉が立てかけられている。

 大路に飾られた薬玉(くすだま)は煌びやかに陽の光を受けて輝いており、それが人の心を自然と高揚させていた。

 元来、端午の節句とは病魔を退けるために健康を祈願する行事である。

 しかし、健康を願うことは体の頑健さを奨励することにも通じるため、奈良朝より続くこの行事が、武人たちにとって特別な日に変化するのに、さほど時間はかからなかった。

「き、緊張してるわけなかろうが、うつけがッ」

 当主館の馬場には、本日武芸を披露することになる若武者たちが集まっていた。

 各々の顔からは緊張がありありと見て取れる。

 それもそのはず、今日行われる賭弓は各国の守護大名や幕府要人にも広く宣伝されていた。

 当然彼らも見物に来るわけで、情けない姿は見せられない。

 自分の武芸がそのまま御家の名誉に関わるのだから、身にのしかかる重圧も並々ならぬものがあった。

 山県重房などが、大柄な体躯をがちがちに固めて空元気を振り回しているのも無理のない話であったのだ。

「千若様」

 経友が弓の確認を行っていると、元綱が親しげに話しかけてきた。

 その表情からは緊張や不安といった類の感情は全く窺えない。

 以前の経友ならば、やはり元綱は器が違うと嫉妬していたことだろう。

 だが、今の経友には嫉妬している余裕などなかった。

「四郎殿、今日は負けられないからな」

 強い口調で迷いなく宣言すると、元綱は小さく口を開けた後、嬉しそうに微笑んだ。

「良かった。やはり、差し出がましい心配は不要でありましたな」

 と、明るい調子で語りかけてくる。

 もう、二人の間にあったわだかまりは、何処かへ消えうせてしまったようだ。

 互いの調子を確認しあうと共に、何気ない雑談をし始める。

「玖は大分参っていたよ。教えてくれてありがたく思っている」

「ん、玖姫は立ち直ることができたのでしょうか」

「立ち直らせるさ。そのためにも単衣は頂いていく」

 心配そうにこちらを窺う元綱に対して、経友は力強く返事する。

 それに対し、元綱は一瞬何のことだかわからないといった表情をした。

 が、すぐに事態を把握して何度も縦に頷く。

「単衣を……? あ、そうか。成る程。それは良い考えだと思います。是非ともそうしてあげてください。私もできる限りは協力いたしましょう」

 彼の言葉に経友は眉をぴくりと持ち上げる。

「手を抜くというのか?」

 元綱が手を抜くというのなら、経友は諌めるつもりであった。

 何故なら、今回の一件は玖のためのものであるのと同時に、自分が変わるためのものでもあるのだ。

 手を抜かれて勝った所で、そのような勝利に意味はない。

 経友は元綱の真意を推し量るべく、じっと彼を睨みつけた。

「そんな無粋なことをせずとも、褒美は幾つもございます。私が単衣を選ばなければ良いだけではありませんか。私とて負けるつもりは毛頭ございませんよ」

 どうやら、経友の懸念は杞憂であったようだ。

 元綱は経友の考えを見透かしたかのように、片目を瞑って笑いかけてきた。

 その様子に経友はほっと安堵の吐息をつく。

 これならば余計なことを考えずに、競技に集中することができる。経友がそう考えたその時、

 ――当主館の方から賑やかな管弦の音が聞こえてきた。

 若武者たちが一斉に館へと視線を走らせ、平伏する。

 経友と元綱も他に倣って、頭を深く下げた。

「御屋形様のおなり」

 先払いの声の後、長廊下に姿を現したのは大内家の当主であった。

 大内義興。

 西国、いや日ノ本屈指の勢力を率いる事実上の天下人である。

 都を牛耳る細川京兆家とて、彼に真っ向から立ち向かえば無事ではすまないであろう。

 煌びやかな装束に身を包み、雅な烏帽子のかぶり方をしていながらも、彼の一挙一投足にはおよそ常人にはかもし出せぬ凄みが感じられた。

 その面相はまさに精悍そのもので隙がない。

 まるで王者の徳と戦人としての覇気が同居しているような面構えに、誰もが彼の顔を直視できずにいる。

「今日は良き日じゃ。皆励め」

「一所懸命にてッ!」

 義興の一言に、若武者たちが声を張り上げる。

 天下人の激励を身に受け、若武者たちの瞳は燃えるように揺らめいていた。

 義興はくすりと笑い、その場を後にする。

 彼に続いて、各地の大名や高官が次々に顔を見せ、その中に、

「ああ、四郎ッ。会いたかったぞ」

「母様ッ」

 元綱の母親――相合の方が含まれていため、元綱は驚きの声を上げた。

 はっと飛び起きるように面を上げると、元綱は母の元へ駆け寄っていく。

(そうか、安芸の人間も当然来るのだよな)

 経友も自然と家族の姿を探し求めるが、見当たらない。

 三男坊だから当然ともいえるが、それでもほんの少しの寂しさを覚えた。

「御身、息災のようで何よりにございます」

「ああ、四郎や。またも見違えたのう。わらわは本当に嬉しい」

 と、廊下の上から息子の頭を優しく撫でる。

 元綱は心底嬉しそうに、母の温もりを感じていた。

「主の活躍。わらわは楽しみにしておるぞ」

「お任せくだされッ。母様のため、四郎は身命を賭して勝利を掴み取って見せましょうぞッ」

「ふむ」

 元綱の言葉を満足そうに聞きながら、相合の方はにっこりと微笑んだ。

「ならば、わらわはあの単衣が欲しいのう」

「え、あ、その……」

 元綱の表情にさっと翳が差す。

 経友の方に視線を送り、どうしたら良いものか困り果てているようであった。

「あれさえあれば、わらわは更に輝くことができる。御屋形様が亡うなってからというもの、わらわは本妻の息子に無碍にされ続けておる」

 言いながら、相合の方は袖で顔を覆った。

「母様……」

「頼むぞ、四郎。わらわのために励んでおくれ」

 元綱の頭に自らの額をこつりとやった後、相合の方は元綱の返事も聞かずに行列の波に混ざってしまう。

 後に残された元綱の顔は険しく、先ほどまでとはまるで別人のように青ざめていた。

「……千若様。申し訳ありませぬ。玖姫の御一件、協力することができなくなりました」


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