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安芸の柊、春近し【架空戦国記】  作者: 三郎
安芸の柊、春近し
12/22

様々な思惑(三)

三、

 玖は長さ五尺あまりの手槍をゆっくりと頭上で振り回し、その勢いを以って自身の足元を薙ぎ払った。

 ザッ、

 と硬いものを押し潰したような音とともに、辺りに大きな土煙が立つ。

 手槍が宙へと跳ね返り、彼女が元の構えへと戻った時には、両者の間に一本の深い線が刻み込まれていた。

 風が石突から垂れ下がった化粧紐を、単衣の端を、彼女の軽やかな短髪をたなびかせる。

「生憎だけど、ここより先へ通すわけには行かない」

 遠巻きに様子を窺う騎馬武者たちに向かって、玖は静かに警告した。

 何事も無かったかのように涼しい顔をしている少女の身からは、凄まじい闘気が発せられている。

 果たして、この小柄な体躯にどれほどの実力が秘められているのか――

 彼女の立ち姿に底知れぬ覇気を感じ取ったのか、元綱の傍に仕えていた騎馬武者たちは、緊迫した面持ちで得物を持つ手をぎりりと握り固めていた。

「何故、君が此処に?」

 緊張を高める家人たちなど全く眼中に無いと言った風に、元綱は頬を撫でながら問いかけた。

 どうやら、先ほどの攻撃を完全には避け切れていなかったようだ。手に付着した血糊を舐め取り、流れるような眼差しで玖をねめつける。

 両者の視線が交錯する。

 元綱は彼女のまなざしの内に、明確な敵意とかすかな懐かしさを感じ取り、思わず頬を緩ませた。

「そのいでたち……久方ぶりの再会にしても、少しはしゃぎ過ぎでは?」

 彼女の派手な装束を見て、元綱はくすりと笑った。

 決して嘲っている訳ではない。

 ただ、元綱の記憶にあった彼女と今の彼女の姿が上手く重ならなかっただけである。

 山口で初めて出会った頃の彼女は、他人と語り合う事もできない、おとなしめで優しげな少女であった。

 元綱と対面しただけで、顔を赤らめて何も言えなくなってしまう……そういった少女であった。

 彼女のあまりの変貌に元綱はくつくつと腹を抱える。

「それがこうも様変わりするとはね……」

「それはおあいこ。あんたも大分変わったでしょう?」

 冗談めかす元綱に対して、玖がぴしゃりと言いのける。

 玖と出会った頃の元綱は、まだ未来を信じるまっすぐな若者であった。

 彼女の言葉で、幸せに満ちた少年時代を思い出し、自嘲気味に顔を歪める。

 山口で勉学に励んでいた頃、元綱は何をするにしても同世代の学友たちから頭一つ飛びぬけていた。

 礼法、軍学、武芸……

 切磋琢磨した知識や技能は、全て自分に明るい未来をもたらしてくれると信じていたのだ。

「変わった、ね。本当に……何故私がこうも身を堕とさねばならなかったのだろうね」

「心変わりなんて、とどのつまりは自分次第だ。あたしと同様にね」

「君は自分で選んで、変えたのか」

「うん」

 そう言うものか、と元綱は小さく笑う。

 実際彼女の言う通りなのかもしれない。

 もし、幼い頃の彼に寛容と謙虚さが備わっていれば……目の前に理不尽の一つや二つ立ちはだかったところで、ここまで姉たちへの憎悪を深めることはなかっただろう。恵まれぬ自分の立ち位置に怒りを覚えることはなかったであろう。

 そう、彼の心構え次第では、今と違った未来とてあったはずなのだ。

 だが、以前の彼には理不尽を許すことができるほどの心の余裕がなかった。

 今義経、安芸の麒麟児……彼を称揚する二つ名だ。

 彼は少々、周囲に持ち上げられすぎていた。

「いずれにせよ、一度踏み出してしまった道を今更戻るわけにはいかない。私にも信用と責任があるからね」

「そう……」

 玖が寂しげに息を吐く。

 まるで今生の別れのような表情だ。元綱はいじらしくなって彼女に微笑みかけた。

「今夜君に会えたことは本当に嬉しかった。君は変わったというが、相も変わらず可憐で美しい。……その単衣、私が与えたものだね」

「違う。これは兄者から贈られたもの。それ以外の何物でもない」

 玖の頑なな否定に、元綱は解せないと言った表情で首を傾げた。

「しかしそれは、賭弓(のりゆみ)で……」

 山口での一件を思い起こす。

 あの日、大内家の当主、大内義興(よしおき)は山口に集った若者たちに賭弓を命じた。

『戯れぞ。我は諸君らの仕上がりを見てみたい。最もこわき弓使いには手ずから褒美をやろう』

 当主の言に、元綱たち若人は奮い立って参加した。

 自らの鍛錬成果を世に知らしめる絶好の機会であったからだ。

 並み居る強敵たちを下すのは多少骨が折れたが、それでも元綱は見事に勝利をもぎ取ることができた。

 彼女が着ている単衣が、その時の褒美である。

 初めは、最愛の母へと贈るつもりであった。

 だが、吉川の三男坊に嘆願されたので譲ってやったのだ。正確には、譲らざるを得なかった(、、、、、、、、、、)のだが……

 そこまで考えて、元綱はようやく彼女の心情が読めてきた。

「ああ、そうか。君は優しいのだな」

 恐らくは地べたに頭を擦り付けてまで、単衣を所望した兄の体面を思ってのことなのだろう。

 元綱は彼女の優しさに感じ入ると共に、三男坊が彼女の心を縛り付けていることに苛立ちを感じた。

「君の婆娑羅(ばさら)な風体も、もしやすると兄に恩義を感じてといったところか。君のような人が、盆暗のために人生を不意にすると言うのは良くないよ」

 そう、彼女はあんな男のために人生を捨てて良い女性ではない。

 元綱は悲しげに顔を歪ませ、刀を抜き放った。

 彼女とは戦いたくなかったが、意思の篭った両眼を見る限り、戦闘は避けられないであろう。

 元綱は彼女が矛を収めてくれるよう願いながら、その細い首目掛けて刃を向けた。

「小倉山へ帰れ、玖姫。君はこの争いが収まってから、全てがあるべきところに落ち着いてから……ゆっくりと君という人間を輝かせれば良いのだ」

 優しくゆっくりとした口調で、そう諭す。

 玖は元綱の言葉を聞きながら、唇を噛み締め、悲しそうに身体を震わせた。

「やっぱり、何も分かっちゃいない」

 彼女の透き通った瞳に、決意の灯火がぼうと浮かび上がる。

「この装束はあたしに対する戒め。四人の……あるべき関係を崩してしまったのは、あたしだから」

 玖の覇気が噴き出すように広がっていき、元綱たちの肌をちりつかせる。

 彼女の迫力に反応した従者たちが、一斉に彼女に対して得物を向け始めた。

「四郎、あんたを殺す」

 数多もの刃を前にして、彼女は怖じることもなく対峙してみせる。

 凛とした声には、確固とした覚悟が宿っていた。



 月明かりに照らされた草原に、山吹色の疾風が駆け抜けていく。

 玖は自らを手槍を逆手に持ち替えると、鮮やかな単衣を靡かせ、元綱との距離を詰めるべく踏み込んだ。

 まず相対するは、前方を守る二騎の武者。

 玖はこれを、軽やかな跳躍により切り抜ける。

「なッ?」

 驚愕の表情を浮かべる彼らの面をちらりと見た後、玖は元綱のいる方へと焦点を定めた。

 突き刺すような殺気に、周囲の空気がじりりと震える。

「おのれッ」

 残りの二騎が及び腰であった身体を奮い起こすように気勢を上げた。

 元綱を守るように、太刀を構えて立ちふさがる。

「邪魔……ッ」

 彼女は吐き捨てるように言葉を発すると、何時の間にやら手にしていた飛礫(つぶて)を思い切り投げつけた。

 しなやかなバネを最大限に利用して投擲された飛礫は、唸りを上げて従者の顔へと叩き込まれていく。

「ぎゃッ」

 先刻も響いた鈍い音と共に、四郎を護衛していた従者の一人が顔を押さえて落馬した。

 その威力に、傍らにいたもう一人の顔が青ざめていく。

 ――印地(いんじ)打ち。

 平安の御世より日ノ本に伝わる投擲の技である。

 古くから戦ごとにおける必須技能として、研究に継ぐ研究が積み重ねられてきた。

 いかに投げれば人は死ぬか。

 彼女の放った飛礫は、熟練の技能者が修練を重ねてきた『それ』と全く遜色のない威力を備えていた。

「落ち着け、ただの印地であるッ!」

「そう、これはただの印地打ち。けど、夜戦において飛礫ほど威力のある得物もない」

 玖の言を証明するように、傍仕えたちの動揺は最高潮に達していた。

 不甲斐ない部下たちを叱責する元綱目掛けて、玖は身体を滑り込ませる。

 低い体勢から見上げる彼の両眼は大きく見開かれ、わずかな驚きを湛えて揺れていた。

「すぅッ……!」

 玖は短い呼気を放ち、逆手に構えた槍を横薙ぎに斬り上げた。

 甲高い剣戟の音。

 鋼がぶつかりあい、火花が盛大に飛び散っていく。

「うつけどもが、主を守ることすらできんのかッ」

 玖の一撃を難なく防いだ元綱が、苛立たしげに部下たちを怒鳴る。

 先ほどの攻撃は、彼の心胆を寒からしめることすらできていなかったようだ。

「ならば」

 手槍を持ち替え、突きを上下に振り分けながら連続で放つ。

 迅雷の連撃。だが、これも目標に届くことはない。

 常人では初撃すら防ぐことのできないであろう槍捌きだというのに、元綱はそれを馬上において危なげなく捌き切ってしまった。

「流石玖姫、短い期間で良く修練をされたものだがッ」

 元綱が嬉しそうに口の端を上げる。

 玖は手を休めることなく続けざまに槍を突き上げた。

 が、これも元綱は上体を反らし、寸でのところでかわす。

「私を倒すというのならば、うちの勝か、国司(くにし)程度にはなってもらわなくてはな!」

 端正な顔立ちに似合わない野獣のような咆哮をあげ、元綱は上体を反らした余勢を駆って馬を飛び降りた。

 そのまま袈裟に斬りつけてくる。

 轟音と共に迫り来るこれを、玖は柄で軌道をずらしてみせた。

 更に返す刀で、滑らせるように指を狙う元綱の追撃を、槍から一瞬手を離すことで対処する。

「ははッ、見事ッ!」

 まるで二人の薄氷の上を渡るような競り合い。

 上下左右縦横無尽。

 正手搦め手織り交ぜられた両者のやり取りが続けられる。

 両者の身に纏う具足や露出した装束が、避け損ねた一撃を受けて飛び散っていった。

「殿ッ」

 元綱の従者が我に返り、玖の背後から襲い掛かる。

 が、玖は後ろを振り返ることもなく、石突で従者の顎を打ち上げた。

 泡を吹いて倒れていく従者を見て悲しむこともなく、元綱は驚きと喜びに満ちた声をあげた。

「やはり、君は素晴らしい。最高だッ! そうだよ、これが盆暗との器の違いという物だよな。やはり千若程度とは物が違うッッ」

「兄者は鳳だ。誰よりも強い翼を持っている。ただ飛び方を知らないだけッ」

 感極まって声高に叫ぶ元綱に対し、気炎を上げて対抗する。

(まさか、ここまで差があるなんて……)

 一向に底の見えない元綱の実力に、弱気な考えが玖の心を支配していく。

 だが、こんな所で挫けるわけには行かない。

(せめて、兄者が無事に松寿姉を助け出せるだけの時間稼ぎを……ッ)

 怖気づく心を必死に鞭で叩いて、前へと向き直らせる。

 これにより萎える心は無事に立ち直った――が、それでも一瞬の隙が生まれてしまう。

 彼女の心の隙を敏感に感じ取ったのか。

 玖の瞳に、体重を乗せた突きを放つ元綱の姿が入り込んだ。

 途端に浮かび上がる無数の選択肢。

(力を反らす? いや、それも織り込み済み。これは触れてはならない一撃だ……!)

 見る間に加速していく渾身の一撃を――彼女は跳ぶ(、、)ことで避けることにした。

 槍を杖に自重を乗せる。

 きしんだ手槍の反発を利用し、彼女の身体は宙高くへと舞い上がった。

躍超物おどりごえ! そのような古法まで御爺様に学ばれたのかいッ?」

 元綱の肩先を飛び越え背後へと回り込む。

 感嘆の声を耳にしながら、玖は絶好の機会が訪れたことを悟った。

(これが勝機ッ)

 着地と同時に、手槍を腰溜めに構える。

沈丁花(じんちょうげ)……ッ!」

 全身が爆ぜるような感覚。

 玖の身体が旋風のように翻る。

 大地を踏み抜き、下段から繰り出される神速の一撃は、螺旋を描きながら元綱の首目掛けて跳ね上がった。

 まるで龍の(あぎと)が肉も骨も砕いていくように、振り返ろうとする元綱の半身を抉っていく。

 元綱の身体に鮮血の徒花(あだばな)が花開いた。

「ぐッ……?」

 元綱の顔が、苦痛と驚愕によって大きく歪む。

 巧みに身体を反らして刃の顎から身を守ろうとするが、彼女の放った『それ』は吸い付くように離れない。

 数年の修練の末に基爺から授けられた奥義の一つである。

 吹き出る血飛沫が華麗な華を彷彿させるが故に、この名が付けられた。

 応仁の大乱において、数多の猛者たちを葬ってきたこの技ならば、元綱の才に抗し得るであろう。

 なけなしの希望を胸に、玖は槍を握る力を強めた。

(これならッ)

 彼女の願いを込めた一撃が、元綱の身体を削りながら突き進んでいく。

「がああぁぁッ!」

 元綱の絶叫が大気を震わせる。

 血煙が辺りを真っ赤に染め上げた。

 玖は身体中に元綱の血を浴びながら、薄目で彼女の刃が命を刈り取ることができたのかを確認する。 

 果たして、槍の刃先は――

 彼の首には届かなかった。

「は……はは、生き延びた。生き延びたぞッ!」 

 ぎらぎらとした生気を瞳に宿し、元綱は寸前で止まった槍の穂先に視線を向けながら、邪悪な笑みを浮かべる。

 三叉に分かれた穂先を受け止めていたのは、彼愛用の名刀と、その鞘。

 彼は咄嗟の機転により、刀の鞘までも利用して必殺の一撃を見事に食い止めて見せたのだ。

 元綱は玖を太刀の腹で払い飛ばすと、血に塗れた半身を満足げに見つめ、狂ったように笑い出した。

 身の毛もよだつような、おぞましい笑い声であった。

(そんな……)

 絶望が彼女の心に満ちていく。

 沈丁花は自らが打てる最高の一手であった。これを防がれては、もう玖に彼と抗し得る手段は無い。

 彼女の消沈を後押しするように、元綱の手が彼女の腕を掴んだ。

「玖姫、痛むと思うが許しておくれ」

 みしりという鈍い音と共に、玖の利き腕に激痛が走る。

 腕が折られた。

 反撃の糸口を完全に潰された玖は、地べたに突っ伏しながら、玖は口惜しげに下唇を噛む。

(止めることができなかった……)

 涙がひとりでに流れ落ちていった。

「くふっ……あは、あはははッッ! やはり、やはり私は天に見捨てられてはいなかった。私の努力は報われる……私は、愛されているのだッ」

 元綱の涙混じりの声が、うっすらと白みかけている安芸の空を暗く翳らせていく。

 安芸を揺るがす争乱の幕開けであった。

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