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転生上がりのストリートチルドレンが官吏登用試験を受けてみた結果  作者: コロトック


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第3話 秘書様

 配属から数日。俺はフィリア様の執務室で、崩れかけた書類の山と格闘する日々を送っていた。


 「そういえば、自分は秘書補佐だったのですが、その秘書の方はどこに?」


 ふと気になって聞いてみる。補佐がいるということは、当然本業の秘書がいるはずだ。今のところ影も形も見ていない。


 「あ、あの、す、すいません。多分、外に出てます……」


 「多分?」


 「今日は、その、たぶん……いつも通り、かと……」


 いつも通り不在らしい。もはや職務怠慢という単語がぴったりくる。


 「困りましたね」


 「は、はい。でも、その方は……侯爵様の、ご子息、ですから。力的には、あちらが、どうしても、上、で……」


 なるほど、身分の壁というやつか。前世にはなかった不便なシステムだ。試験で言われた実力主義の欠片もない。



 話を聞くと、事情はもっと根深いらしい。


 「その秘書殿、普段は何を?」


 「た、たしか……お茶を、飲みに行ったり……お昼寝、されたり……」


 「仕事してなくないですか」


 「わ、私も、そう思う、のですが……」


 思うだけで終わっているのが問題だ。


 「一度、注意されたことは?」


 フィリア様の肩が、目に見えてびくりと震えた。話しかけるだけで反応が出る体質は相変わらずだ。


 「あ、あります……その、一回、だけ……」


 「どうなりました」


 「『殿下のために動きやすいよう、あえて外で情報収集しているのです』って……言われて……その場では、納得、してしまって……」


 完全に言いくるめられている。話術だけは達者らしい。


 「情報収集の成果は?」


 「聞いたことは、ないです……」


 聞いても答える気もなかったんだろうな、というのが正直な感想だった。実務能力ゼロ、肩書きだけで居座る典型例。前世で見た覚えのあるタイプの人間だ。



 その後も書類仕事は続く。フィリア様は事務処理そのものは真面目にこなす人だった。ただ判断を求められる場面になると急に手が止まる。


 「殿下、この予算案、承認印はどうしますか」


 「え、あ、その……セ、セナさんは、どう、思いますか……」


 「俺に聞かれても」


 「で、でも……セナさんの、判断のほうが……きっと、正しい、ので……」


 自分で決めることを、根本的に恐れているらしい。理由はまだ聞いていないが、たぶん一度や二度の失敗で済む話ではなさそうだ。


 「殿下がお決めになったことなら、俺は従いますよ」


 「そ、そんな……」


 「間違ってても俺が拾いますし」


 「拾わせるわけには……」


 「拾うために雇われてるので、遠慮なくどうぞ」


 しばらく黙り込んだあと、フィリア様は震える手で印を押した。それだけのことに、何十秒もかかっている。


 「押せましたね」


 「は、はい……セナさんの、おかげ、です」


 「殿下が押したんですよ」


 小さな成功体験のはずなのに、フィリア様は今にも泣きそうな顔で喜んでいた。この人にとっては、これくらいの一歩でも十分な進歩なんだろう。


 ここまでの数日で分かったことが一つある。フィリア様は無能なんかじゃない。ただ、失敗した時に守ってくれる人が、これまで一人もいなかっただけだ。



 仕事の合間、ふと窓の外に目をやる。


 リーシャの姿が見えない。別にあいつを見なくても俺の業務に支障はない。ないのだが、どこに配属されたのかは地味に気になっていた。


 試験の首席が事務仕事に回されるとは考えにくい。もっと上の部署に取られていてもおかしくない実力だった。


 「殿下、リーシャという受験生をご存知ですか。今年の首席だったはずですが」


 「リーシャ、様……? あ……もしかして、その方……」


 フィリア様が何か言いかけたところで、執務室の扉が勢いよく開いた。


 「やあやあ、遅れてすまないね、殿下。今日も情報収集で忙しくてね」


 悪びれもせず登場したのは、金髪を撫でつけた優男だった。腰の低さと自信過剰さが同居している、妙なバランスの持ち主だ。


 噂の秘書殿が、ようやく本人登場である。


 「…こちら、新任の、秘書補佐です」


 フィリア様が消え入りそうな声で紹介すると、優男はこちらを一瞥した。値踏みするような視線が、頭のてっぺんから足先まで往復する。


 「おや、見ない顔だ。新しい補佐かい?」


 「先日付で着任しました、セナです」


 「へえ、平民が。まあ、殿下のお役に立つならなんでもいいさ。僕は情報収集で忙しいから、殿下のことはよろしく頼むよ」


 言うだけ言って、上着を脱ぎ捨てソファに寝転がる。情報収集という単語の定義を、一度きちんと問い詰めたくなった。


 「情報収集の成果、うかがってもよろしいですか」


 「……君、なかなか失礼だね」


 柔和な笑みの下から、初めて刺のある声が返ってきた。フィリア様が慌てたように俺の袖を引く。侯爵の息子相手に、平民が正面から突っかかったのがまずかったらしい。


 「し、失礼、しました……セナさん、その辺で……」


 フィリア様が間に入ろうとするが、声が小さすぎて優男には届いていないようだった。


 「殿下、この補佐、少し躾がなってないようですね。平民は平民らしく、大人しくしているものだと教えて差し上げないと」


 「あ、あの……その……」


 フィリア様は何か言おうとして、結局何も言えずに視線を落とした。何度もこうやって丸め込まれてきたんだろうことが、その反応だけで想像できた。


 「殿下は俺が判断できないことを聞いたら、自分に相談してくださいと仰っています。今のところ相談をした記憶はありませんが今回がはじめてになりそうです」


 半分は嘘だ。フィリア様がそこまで言ったわけではない。だが、これくらいの牽制は許されるだろう。


 優男の眉が、わずかに動いた。


 「……面白いことを言う補佐だ。殿下、この子、気に入りましたよ」


 気に入られた覚えはない。むしろ危険信号にしか聞こえない台詞だった。


 目が合った瞬間、優男の口元だけが笑ったまま、目だけが笑っていなかった。


 「そういえば、名乗るのを忘れていたね。僕はグレアム。ビスハイル侯爵家の三男だ。以後、よろしく頼むよ」


 「よろしくお願いします」


 「殿下のことは僕に任せておけばいい。君は雑用だけこなしていればいいから」


 雑用しかさせない気満々の物言いに、思わず言葉に詰まる。フィリア様がおろおろとこちらとグレアムを交互に見比べていた。


 「では、僕は情報収集に戻るとしよう」


 言うだけ言って、来た時と同じ勢いで部屋を出ていく。滞在時間はものの数分だった。あれで給金が発生しているなら、世の中間違っている。


 「あ、あの……大丈夫、でしたか……セナさん」


 フィリア様が心配そうにこちらを覗き込んでくる。


 「殿下こそ、あれで大丈夫なんですか。ずっとあの調子だったんでしょう」


 「は、はい……その、逆らうと、もっと、面倒なことに、なるので……」


 「面倒なこと?」


 フィリア様は一瞬口を開きかけて、すぐに首を横に振った。


 「な、なんでもないです……その、今は」


 何かを知っていて、言えない事情がある。その反応だけで十分に察しがついた。


 「話は戻りますが、リーシャについて、言おうとされてましたよね。何か関係あるんですか」


 「そ、それは……その、あの……」


 言い淀んだフィリア様は、結局最後まで答えてくれなかった。何かある。それだけは確信できる反応だった。


 グレアムの態度も、フィリア様の怯えも、リーシャの存在も、情報が多すぎる。事務仕事だけのはずが、思ったより面倒な職場に配属されたのかもしれない。


 窓の外はすっかり夕暮れだった。三ヶ月分の書類はまだ半分も片付いていない。

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