表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
18/18

自由を得るための対価


 波の音と潮風がカーテンを揺らしている。

 海辺の別荘の客間で、シュウが重い瞼を開けたのは、昼をとうに過ぎた頃だった。

 三日月の昨夜、ようやく見つけ出したルルディを捕まえ、我を忘れて貪るように唇を重ねた。

 思い出すだけで喉が灼けそうなほどの歓喜と、その後に耳元で聞いた穏やかな子守唄。

 ここ数日、ルルディを探していたシュウは一瞬たりとも休まることがなかった。

 それが嘘のように軽くて、自分の単純さに笑ってしまいそうになる。


「……ルルディ」


 掠れた声で愛しい名を呼び、シュウは上体を起こした。

 整えたはずのオールバックは乱れ、黒いノーカラーシャツは少し皺が寄っている。

 眼鏡を探そうと枕元に手を伸ばしかけた、その時だった。


「お、やっと起きたか。いつまで寝てんだよ」


 ガラリと遠慮のない音を立てて引き戸が開いた。

 そこに立っていたのは、革鎧を着ていかにもバイト明けといった風体のS級冒険者――レインだった。


「……君は、確か公爵家の」

「今はただのしがない新婚の夫さ。ルルディなら、今うちの嫁と一緒に庭で魔力コントロールのトレーニング中だぜ」


レインは部屋に入ってくるなり、シュウの足元にドサリと大きめの買い物籠を放り出した。


「お前の彼女、歌うと魔力がダダ漏れになるバグ持ちだろ?

うちの嫁には予め俺が人外向けの魔力制御の知識を仕込んどいた。

で、美月は『まずは呼吸法と日本の発声練習からね』って張り切っちゃってさ。

人魚化のコントロールも含めて、今つきっきりで見てやってる」

「ルルディが……、美月さんに?」

「おお。うちの嫁は面倒見がいいからな。優しくて可愛すぎるだろ?……で、本題だけどよ」


 レインはしれっと惚気けた直後に、つまらなそうな顔をして、自身の腹のあたりをぽんぽんと叩いた。


「俺の嫁が他人の彼女に付きっきりってことは、何が起きると思う?

そう、俺の昼飯がまだ作られてねぇんだ。

しかも美月は『ルルディちゃんにスタミナのつくものを食べさせたいから、今日はお肉のメニューかしら』なんて言ってた。

俺も肉は好きだ、ていうか、嫁が作るならなんだって好きだ」


 そこまで言って、レインは不機嫌そうに、すべてを見通すようなアイスブルーの瞳でシュウを睨みつけた。

 その後、拗ねて子供っぽく唇を尖らせる。

 レインの柄の悪さと子供っぽさのギャップに、マイペースに惚気を混ぜる自分勝手さ。

 人外であるレインの正体を知らないシュウは、なんだこの変わり者は、と内心思う。


「俺はこれから、美月を独り占めされた寂しさを紛らわせるために、ちょっと小遣い稼ぎに魔物狩りに行ってくる。

……お前ら、タダでここに住むつもりじゃねぇよな?

医者だか何だか知らねぇが、居候するなら働けよ」

「……僕に、何をしろと?」


 シュウが冷ややかな声音で問い返すと、レインは買い物籠を顎でしゃくった。


「城下町の市場に行って、飯の材料買ってこいよ。

美月の指定は『鶏肉と、なんか葉物の野菜たくさん』だ。

あ、俺のために隠れて酒も買ってこい。

美月にバレたらお前の飯を抜きにするからな」

「…………」


 シュウは、保健室でブチ切れて折った万年筆の代わりに、今度は自身のプライドがバキバキと音を立てていくのを感じた。

 仮にも王立学園の養護教諭であり王宮の医師であった自分が、年下の、それも得体の知れない変わり者の冒険者の男にパシリにされている。

 普通なら、ここで穏やかに笑いつつ、相手の神経を鋭く抉るような言葉を返すところだ。

 だが、窓の外からは、聞き慣れた、そして以前よりもずっと伸びやかで健康的なルルディのソプラノの歌声が風に乗って聞こえてくる。


『――それが恋!恋なの!』

『上手よ、ルルディ。その調子でお腹に力を入れてみましょうね』


 美月という少女の優しそうな声と、それに弾んだ声で応えるルルディの声。

 それを取り上げ、どこか遠くへ連れ去って自分だけのものにすることも、今のシュウにはできた。

 だが、あのひまわりのような満面の笑顔を向けられてしまっては、もうあのドス黒い手段を取ろうとする思考回路に戻る気にはなれない。

 

「……惚れ込んだ方が負け、か」


 シュウは小さく自嘲の溜息を吐くと、ベッドから足を下ろした。

 乱れた髪を指先で手早く整え、黒縁の眼鏡をかける。

 床に落ちていた買い物籠を、細身ながらも筋張った腕でひょいと持ち上げた。


「いいでしょう。労働の対価は今日のルルディの授業料、および滞在費として相殺してください」

「話が早くて助かるぜ。

あ、言っとくけど、そのいかにも恋人が出来たってばかりに色気だして緩んだ顔を、鏡をみて引き締めることを薦めとく。

市場の女どもがそのツラ見て色めき立ったら、買い出しに時間がかかるからな」

「余計なお世話です」


 ふいっとレインから背を向け、シュウは静かに客間を出た。

 別荘の玄関を出る際、庭の芝生の上で、楽しそうにステップを踏みながら発声練習をしているルルディの姿が視界に入る。

 その脚にかすかに煌めく真珠光沢の鱗は、心なしか昨日よりも落ち着いているように見えた。


「あ、シュウ先生! お出かけですか?」


 シュウの姿を見つけるなり、ルルディがパッと顔を輝かせて駆け寄ってくる。

 シュウは、手にした買い物籠をさりげなく身体の後ろに隠しながら、いつもの、のらりくらりとした大人の微笑みを浮かべた。


「ええ、ちょっとね。ルルディ、美月さんの言うことをよく聞いて、無理のないようにね」

「はい! わたし、早く人間の姿をコントロールできるようになって、先生の自慢のお嫁さんになりますから!」


 ドサクサに紛れて、またしてもストレートな愛を叫ぶルルディ。

 隣でそれを見ていた美月が「あらら、ごちそうさま」とからかうように微笑んでいる。


「……ありがとう。楽しみにしているよ」


 シュウは少しだけ目元を赤く染め、ルルディの柔らかな真珠色の髪を優しく撫でた。

 ――護るためならば、悪魔にだって魂を売ろう。

 そう決めたはずの男が、今、愛しい人魚姫の健康的なご飯のために、使用人のように買い物籠を提げて城下町へ向かって歩いている。

 

 大人のプライドはズタズタだったが、シュウの胸の奥は、かつてないほど穏やかに、そして幸せに満ち溢れていた。


(さて……鶏肉と野菜、だったね。ルルディの口に合う、甘いお菓子も少し買って帰ろうか)


 誰も知らない海辺の町で、激重ヤンデレ医師の、せっせと尽くす同棲生活が、今静かに始まったのだった。


よろしければ★を頂けると嬉しいです。


本作は「雨の日には君を想う。」と登場人物が繋がっているので、気が向いたらぜひご覧ください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ