夢、部屋、影
まっさらな空間。明るくもなく、暗くもない。それは限りなく無に近い場所で、あるいは自分の無意識下で想像でき得る最大限の無なのかもしれない。気づいた時に、僕の存在と意識はそこに在った。進んでも進んでもそこには何もない。五分歩いたのか、それともそれは五時間だったのか、時間的な感覚は無くなっている。しばらくの間目的もなく歩くと、そこにどこからともなく部屋が現れた。いや、正確には僕が部屋に現れたのだ。無機質なコンクリートの壁が剥き出しになった部屋。広さは自分の家の3倍はある。部屋の真ん中には大きな四人掛けのソファが置かれ、その横には正方形のコーヒーテーブルが置かれている。テーブルの上には小説が積み上げられ、床にはちぎられたページと思われる紙が散乱している。最初の違和感はそこだった。通常ソファとは何かに向けて置かれるものだ。しかしそのソファはどこを向いているわけでもなく、ただそこに置いてあるのだ。恐らく綺麗な正方形のその部屋の1つ目の角にはキッチン、2つ目の角には大きなベッド、3つ目の角には自分が立っていて、4つ目の角には大きな鉄のキャビネットが4つ置かれている。ありふれた会社のありふれた事務所に置いてあるような鉄のグレイのキャビネットだ。それぞれに引き出しが5つ付いている。そして開けるまでもなく、引き出しはとても大事なもので埋め尽くされているのが分かるのだ。
これは夢だ。
見えないものが分かる、というのは夢の特徴の1つだ。
人は生きていて何かを知るためには、五感のうちの二つには触れさせる必要がある。カレーライスは視覚的に見て、次に匂いを嗅がないことには食べられるものとは到底思えない。しかし、夢ではそんな人生の決まり事は当てはまらない。そのキャビネットには何か大事なものが詰まっていて、僕はそれを何なのか知りたい。ただ、もう一つ僕には分かることがある。それは見てはいけないということ。これも決まりだ。この部屋は僕の部屋ではないが、他人の部屋でもないことは分かっていた。それはあまりにも明白な事実として、最初から僕の頭で分かっていた。
僕は部屋の真ん中に置かれたソファに腰掛けた。座り心地は悪くはない。ソファから見える壁には拳ほどの大きさのシミがあった。コンクリートの壁の一部が濡れているかのようにも見える。。そのシミは随分と長い間そこにあるらしい。その部屋に訪れるもの––恐らくそれは僕なのだが––を待ち構えていたかのようにそれはそこに存在する。
僕はソファに座りそのシミを眺めるともなく眺めていると後ろから扉が開く音がした。扉の方を振り返ると、そこには僕の影が立っていた。僕と目が合うと、彼の唇は少しだけ曲がった。そして影はごく自然に僕の隣に腰掛けた。
「待たせたね」影は言った。
「僕もここに来たばかりだ」と僕は伝えた。
「ここはすぐに分かったかい?」影からの問いに「分かった」と返した。
「僕は君がいない時でも基本的にはこの部屋にいるんだが、今はたまたま外に出ていたんだ。別に何かをしていたというわけでもないんだけどね。この部屋には全てがあるから、たまに何もない場所に行きたくなるんだ。そして君がこの部屋にやってきたのが分かったから、帰ってきた。この部屋はどう?落ち着く?僕はまだあまり気に入ってなくてね。これだけの広さがあるからもっと色んなものが置けるような気もするんだけど、それは僕の力でどうにかなるわけではないから」と影は残念そうな表情を浮かべて言った。
「ここはどこ?」僕は壁のシミを見つめながら聞いた。
「ここはどこだろう。ここはどこなんだ?」と影は僕に体を向けて言った。
そして僕はまた深い睡眠に戻った。




