第1話:花香の宴と、薄紅の毒
春祭の前夜、後宮は普段にも増して慌ただしかった。
台所からは饗膳を仕込む香りが立ちのぼり、廊下を走る女官たちは衣装や装飾の準備に追われている。
だが、そのどこかに、確かに“異質な香り”が混じっていた。
「……あれは、紅玉香のはずなのに……」
静華は香壺を抱えたまま、廊下の角で足を止めた。
紅玉香――貴妃専用の特級香。
その深い甘さの中に、わずかに混じる鉄のような匂い。ほんのわずか。普通の人間なら気づかない。けれど彼女の鼻は、それを「香の歪み」として感じ取っていた。
(何か、変だ……)
運ぶ予定だった香壺をこっそり戻し、彼女は別の香壺を選んで宴会の間へと向かう。
その夜。
百花香宴が開かれる大広間で、事件は起きた。
杯を手にした玉貴妃が、突如顔を歪め、倒れたのだ。
「毒か!?」「侍医を呼べ!」
ざわつく宮廷の貴族たち。だが毒見役も、給仕も、すべて無事だった。
疑惑は“香”に向かい、後宮は一時騒然となった。
次の朝、静華はこっそり香調所に呼び出された。
「……貴女、事件の夜に香を入れ替えたのですね?」
呼び止めたのは、若き宦官であり、香調司副長の凌明だった。
知的な目で彼女を見つめながら、静かに問う。
「どうして香を変えたのか、説明してもらえますか?」
静華は、恐れずに言った。
「──香が、嘘をついていたからです」
こうして、彼女の“鼻”は、帝国の裏で渦巻く陰謀の香りを嗅ぎ分けていくことになる。
次に狙われるのは誰か?
香に仕込まれた毒の正体とは?
そして、静華は生い立ちに秘められた、もうひとつの謎とはいったい何なのか?を調べることになっていく。




