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第二章「神託」:第二節 それぞれの思惑

陽見呼が香椎宮に現れてから数日後、筑紫の諸豪族の間には、奇妙な緊張と高揚が走っていた。


「神託を得た女がいる」


「天照大神の声を聞く“日見呼ひみこ”だと……」


こうした噂が、まるで風に乗った種子のように各地へと広がっていた。古より天孫族の末裔を自認する九州の豪族たちは、その名が意味するものに敏感だった。「日を見る女」。太陽を戴く名が示すのは、天照大神との深きつながりである。


この動きを無視できなくなった筑紫の長たちは、ある夜密かに一堂に会した。場所は、日向族が古くから祀ってきた山間の社。かつて天孫・瓊瓊杵尊が降臨したという言い伝えの残る神域である。

月明かりの中、焚き火を囲むようにして集まった面々の間には、歴史の深層に触れるような沈黙があった。


「―― 彼女を“女王”とし、我ら九州の地を束ねる旗印とするのだ」


そう切り出したのは、筑後の老長・御炊みけしであった。

老将の顔は長年の戦と政治を語るように刻まれ、琥珀色の瞳が火の揺らめきを映している。年若い族長たちが言葉を失っている間、彼は淡々と語り続けた。


「この地には、中央からの使者ばかりが来ては命じ、搾取していく。だが、香椎に現れた巫女は違った。彼女は神の声を伝える。しかも、我らの地を“起点”とするような話ぶりだった」


「中央を否定するのか?」


と問うたのは、肥前の若き族長である。彼の声にはまだ中央政権への畏怖が残っていた。


「いや……中央を、“再び蘇らせる”という神託だった」


御炊の答えにざわつく会議。中央との断絶ではなく再編、それは過去千年の支配の歴史を覆しかねない挑戦だった。


「我らは常に“日の本の端”に追いやられてきた。都がどれだけ変わろうとも、この地に届くのは重税と軍命ばかり。だが今度は ―― 我らの地が“日の本の起点”になるのだ」


そう語ったのは、糸島の若き族長・伊織。火の粉を払うような勢いで言葉を繋ぐ彼に、老将たちは静かに耳を傾けた。


「その中心が、陽見呼と?」


伊織の問いに、御炊はゆっくりと頷く。


「そして彼女には、既にあの“武神”が引き寄せられている。これは神話の再演。陽見呼は天照の化身、そして日本武尊は……」


「素戔嗚の再来、か…」


誰かの呟きに、焚き火の火花が大きく舞い上がる。思いがけず神話の構図に自らの時代が重なる感覚に、会議の空気は張りつめていく。


「忘れてはならぬ。天照と素戔嗚は、かつて争い、和解し、世に秩序をもたらした。だがその再演が成されるならば、今度は秩序を“新たに築く”必要がある」


老将の言葉に、若者たちは身を引き締めた。


「女が王となることに、民は耐えうるのか」


「呪術使いが“政治”を行えば、また争いを招くのではないか」


不安は尽きぬ。しかし、それを吹き飛ばすように、伊織が言う。


「ならば見よ。陽見呼が現れてから、香椎の祭政は穏やかになった。難病の者が癒え、作物もよく実っている。これは偶然ではない。神の力が現れているのだ」


「……たしかに、筑後でも“声”を聞いたという者が増えた」


「稲の育ちが不自然なほどに早い。あれも、神の力か……?」


それぞれの地で起こり始めている“兆し”が、陽見呼の神託と結びついていく。まるでかつての神世が、現代に蘇っているかのように。


「日本武尊が彼女の傍にあることも、ただの偶然ではあるまい。神功皇后をも巻き込み、彼女を軸に国が動こうとしている。ならば……その波に乗るべきだ」


最後にそう言ったのは、薩摩の豪族・屋久の長。厳しい目つきで知られる男が、珍しく希望を滲ませた声音だった。

そして誰からともなく、祭壇の前で手を合わせる者が現れた。

やがて全員が静かに立ち上がり、山の中にある古社の前に集まった。

その中心には、神を迎えるために敷かれた白布と玉串。かつて瓊瓊杵尊を迎えたとされる“天の道”が、焚き火の向こうにうっすらと浮かび上がる。


「我らは、再びこの地から始めよう」


御炊が呟くように言った。


「神と人とが共に歩む道を。今度こそ、我らがそれを築く」


その声に誰も反論はなかった。


陽見呼は、まだ真に何者でもなかった。

だが、彼女に託された期待の重さは、すでに一つの国の輪郭を成し始めていた。


―― 夜が明ける頃、九州の神々の血を引く者たちは、陽見呼という巫女を“日の本の女王”として担ぎ上げる覚悟を決めていた。


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