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第四章「朝廷」:第五節 昇天

空が染まるより先に、大地が揺れた。


平城の北から東にかけて、黒々とした軍勢の波がうねっていた。丘の上に並ぶ幡、甲冑の鈍い光、槍の穂先が風に踊り、川を越え、谷を渡って押し寄せる。その数、数十万。九州から中国地方まで、倭国を従えた陽見呼の軍が、ついに大和の門に至ったのだった。

市井の者たちは戸を閉ざし、貴族たちは朝堂の奥に身を潜めた。鼓動にも似た太鼓の音が遠くから響いてくるたび、都の空気は緊張の色を深める。だが、陽見呼の軍はすぐには進軍せず、ただ、京の外郭を包囲するように布陣し、沈黙を保っていた。


それは威圧であった。そして、示威であった。剣を振るわずとも心を屈させる

—— 陽見呼の軍は、すでにその段階にあった。


「……本当にここまで来るとはな」


朝堂院の回廊に立つ景行上皇は、遠く霞む山々を見つめながら静かに呟いた。


「この目で見るまでは、夢かと思っていた。いや、悪夢だ」


その背後に控えるのは、日本武尊と神功皇后。上皇は彼らを夜半に呼び寄せていた。


「戦の準備は整っているつもりだった。だが、この兵力差では、我ら中央の軍では支えきれぬ。……それゆえ、会談に応じるしかあるまい」


「賢明なご判断です、父上」


日本武尊が応じる。


「だが、私はそれでも信じられぬ。陽見呼が何を望んでおるのか、いまだに見えぬ。なぜこれほどの軍を率いながら、戦わずして従う道を選ぶのか……その“意図”が見えぬのだ」


神功皇后が一歩進み出る。


「陽見呼様は、血ではなく魂で国をまとめようとしておられます。戦とは、破壊と征服の手段でしかありません。彼女は、秩序を望んでおられるのです」


「秩序だと? では、なぜ“私は天皇にあらず”などと公言する? 天の下に立たぬ者が、国を導くなどありえぬ」


上皇の怒気を孕んだ声に、日本武尊が応えた。


「……陽見呼は、“倭王”という名で人の魂を繋ぐ者。彼女は、自らが神であると信じている」


「そこが恐ろしいのだ」


上皇は苦々しげに吐き捨てた。


「神と称する者が、民の心を奪ってゆく。それは、剣よりも恐ろしい力だ」


その言葉に、日本武尊の胸が鈍く疼いた。



翌日に会談が開かれるという日の朝、陽見呼は日本武尊を私的な場に招いた。

朱の帳が揺れる中、香の匂いが静かに空間を満たしていた。


「よく参られた。……あなたにお願いがあります」


陽見呼は、まっすぐに武尊を見つめて言った。

そして静かに口を開いた。


「わたしを —— 誅してほしいのです」


「……何だと?」


思わず武尊は剣に手をかけかけたが、それが脅威ではないことをすぐに悟る。陽見呼は微笑んでいた。


「あなたがわたしを殺すことで、秩序が戻ります。朝廷はあなたを信じ、民はあなたを仰ぎ見るでしょう。わたしは、あなたのための“踏み台”となる」


「ふざけるな。お前を信じて、ここまで来たんだ」


「だからこそ、お願いするのです。わたしの死によって、この国は収まる」


「わたしは神です。死を迎えぬ存在。肉体は滅びても、魂は移ろう。わたしは、伊吹にてあなたを待っています」


日本武尊は膝に力が入らなくなり、その場に崩れ落ちた。


「……俺に、この剣を振れと?」


「はい。あなたの手で。あなたにしかできません」


陽見呼は、静かに頷いた。



その夜、決行の時は来た。

陽見呼は白き装束を纏い、神殿の庭に一人立っていた。風が髪を揺らし、草木がざわめく中、武尊が剣を携えて現れる。

今朝からこの時間まで、彼の考えはまとまらないままだった。彼はすでに理性的な判断ができない状況に追い込まれていた。

それでも穏やかな笑みを浮かべながら陽見呼はまっすぐに日本武尊を見た。


「これが……お前の願いなのか」


「そうです。どうか、あなたのために」


「俺は、お前を信じた。……それでも、これが道か」


草那芸剣を抜く。煌めく刃が、月光を受けて白く光った。

そして、その刃が陽見呼の胸元へと静かに突き立てられた。

瞬間、天地が光に包まれた。

それは血の色ではなかった。まばゆい金色と銀の霧が舞い、風が神殿を吹き抜ける。鳥たちが天を舞い、草木が震え、香の香りが空一面に広がっていった。


「……近江の地、伊吹で、あなたを待っています」


それが、陽見呼の最後の言葉だった。

身体はゆっくりと崩れ、光とともに、その姿は霧の中に消えていった。



陽見呼誅殺の報は瞬く間に朝廷内を駆け巡った。


朝廷は日本武尊を英雄として称えた。叛乱を鎮めた英雄、天の柱たる者として。

一方、数十万を要した倭国の兵たちは担ぎあげた神輿をなくし統制を取れずにいたが、神功皇后が陽見呼の真意を切々と説き中央に従うことを承諾させた。ここに至っても神意の子である皇子の存在は倭国の兵たちにとっては大きかった。

だが武尊の心は、虚ろだった。彼が手にかけたのは、支え合うと誓った者だった。


「俺は……間違っていたのか」


その呟きに、神功皇后が応える。


「いいえ。陽見呼様は、あなたを選ばれたのです。あなたならば、その痛みを受け止められると信じて」


「だが、俺は……彼女を、殺した」


「その剣で、彼女の願いを叶えたのです。彼女は、神として生き続けます」


神功皇后は、空を見上げた。

日本武尊は、静かに頷いた。彼の腰には、まだ草那芸剣があった。

それは、柱としての証。


「さあ、あなたは向かうべき場所があるはずです」


皇后はそう告げると彼の背中を押した。


ここまでお読みくださり、ありがとうございます。太陽が地上に2つ存在してはいけない、という陽見呼とそれを背負った日本武尊の葛藤…。このあと第五章、そして終章では日本武尊がいよいよ素戔嗚尊として伊吹山で陽見呼・天照大神と再開を果たすストーリーへと進んでいきます。日本武尊の思いとは?そしてその願いとは?。いよいよ物語は予想外の展開へと進んでいきます。


更新は今まで通り、毎日 16:00 です。ぜひご期待ください。

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