第三章「告白」:第四節 決断
即位から数ヶ月後。倭国に新たな秩序が芽生えつつある中、陽見呼は一つの重大な決断を下そうとしていた。
香椎宮の奥深く。香の煙がたなびく静寂の中で、陽見呼は日本武尊と対座していた。
「この国の安寧には、外の力が要る」
と、陽見呼は口を開いた。
「民は未だ不安に揺れています。私という存在が、“神の声を聞く者”として認められても、外にはそれを否ずる者がいる。だからこそ、我が国の正当性を天の下に知らしめなければなりません」
日本武尊は眉をひそめた。
「異国の王に頭を下げることが、本当に正しいのか?」
彼の言葉には、武人としての誇りと、中央の血統に連なる者としての葛藤が込められていた。
陽見呼は静かに首を振った。
「頭を下げるのではありません。漢、いや、いまは魏。その威光を借りるのです。“倭王”の称号を得ることで、我が統治が神に認められたものであると、内外に示すのです」
彼女の眼差しは鋭く、そして悲しみを帯びていた。倭国は広大でありながら、統一の名のもとに生きる民は未だ限られていた。豪族たちの思惑は複雑に絡み合い、陽見呼が祈りを捧げても、それが全ての心を動かすとは限らなかった。
「かつて、天孫・瓊瓊杵尊が天照大神の命を受けてこの地に降り立ったとき、天の印を携えていました。その鏡と剣が今、私の手にあります。ならば、私はその系譜に連なる者として、ふたたび“天の証”を得るのです」
陽見呼は神話を口にすることで、彼女の決断が天意であることを説いた。
「あなたの剣を、無駄にしないためにも」
その一言に、日本武尊の顔に影が走った。仲哀天皇の死を経て、自らが代行者となり、剣を振るうことを誓ったあの日が脳裏をよぎる。
神功皇后がそっと言葉を添える。
「この国に新たな秩序を。倭の国の王として、天の下に名を刻むのです」
その言葉に導かれるように、陽見呼は使節を編成する決断を下した。
倭国の中でも言葉と礼を尽くす者、諸国の文物に通じた者たちが選ばれた。彼らは幾度も儀礼の稽古を重ね、魏の制度を学び、礼文を整えた。
使節団は南の港から出発し、新羅を経て朝鮮半島を北上、帯方郡を通じて、魏の都・洛陽を目指した。
それは数ヶ月に及ぶ過酷な旅だった。
一方、魏の皇帝・曹叡(明帝)は、使者の到来を静かに迎えた。
「倭の女王、陽見呼…。神を司る者と」
彼は使者からの言葉に耳を傾けながら、その背後にある政治的意図を読み取っていた。
曹叡にとって、東夷の一国が服属の意を示すことは、内政の安定と対外的威光の示威に繋がった。中原を制することが目的ではなく、周辺国を掌握し、魏の名のもとに秩序を築くことが重要だった。
「東夷における統一者、神を語る者か……面白い」
数日の審議の後、正式な詔が下された。
「倭女王”卑弥呼”に、親魏倭王の印を授ける」
(我が威光にすがる卑しき呪術師…。”卑弥呼”と呼ぶにふさわしい…)
儀式は厳粛に執り行われた。魏の高官たちが立ち会い、使者の前で金印と紫綬が手渡された。その金印には、こう刻まれていた。
【親魏倭王】
それは単なる称号ではなかった。
中華の皇帝が、倭国における支配者を公的に認めること。そして、女でありながら国を統べる陽見呼の存在を、政治的にも宗教的にも認めた証であった。
印と共に授けられた詔書には、こうも記されていた。
「倭王卑弥呼は、神意を受け治める者なり。魏はこれを嘉し、親交を結び、礼を重んず」
使節団がこの報を携えて帰還するまで、さらに数ヶ月の歳月が必要だった。
そして、香椎宮に帰還した使者たちの手によって、その金印が陽見呼の前に差し出された瞬間。
陽見呼は静かに膝をつき、掌にそれを受け取った。
「これは、神が与えしもの」
彼女の声が微かに震えていた。
「この印をもって、倭国は新たな道を歩みます。争いを鎮め、神と民を結ぶ、その道を」
その日から、陽見呼のもとにはより多くの豪族が参集するようになった。
金印の威光は疑いを払拭し、陽見呼の“神力”は天命と理解されるようになっていった。
だが ――
その決断は同時に、倭国が大陸の権威に結びつくことを意味した。やがてそれは、新たな対立の火種ともなる。
陽見呼の選んだ道は、ただ一つの平穏ではなかった。
それでも彼女は前を向いていた。
「神が導く限り、私はこの道を行きましょう」
その言葉が、倭国の運命を刻む新たな響きとなって、大地に響いていくのであった。
ここまでお読みくださり本当にありがとうございます。
ここで第三章は完結です。
次の第四章では「倭王」のお墨付きを得た陽見呼が朝廷・大和へ向かう行程を描きます。日本武尊のなかで擡げた野心、神功皇后の思い、そして想像だにしない陽見呼のサプライズが、みなさんを待っています。
ぜひご期待ください。
引き続き、更新は毎日 16:00 を予定しています。




