第三章「告白」:第三節 九州平定
皇后の出産の後、陽見呼は香椎宮を離れ、九州各地を巡っていた。宮中で神功皇后の傍らにあった彼女は、すでに天啓を受ける巫女ではなく、現実の政を担う者として、歩み始めていた。
熊襲、隼人、伊都、高千穂 ―― 名を知られる豪族たちのもとを、陽見呼は慎重に、だが堂々と訪れていった。
「天より神託を受けた」と語る女を、最初は多くの者が警戒した。とりわけ男たちは、彼女の中に宿るとされる“神”に疑念を抱いた。
「女が王になるなど、前代未聞だ」
「呪いで国が治まるはずがない」
それでも、陽見呼は退かなかった。彼女の語る言葉は穏やかで、同時に強く、ひとつの筋を通していた。
「神は、我らが争うことを望まぬ。血の上に築かれた統一は、やがてまた血を呼ぶ。私が望むのは、共に生きる道です」
言葉に、力が宿っていた。その力を、彼らは“神力”と呼んだ。
ある夜、伊都の大豪・阿曇連が陽見呼の陣を訪ねた。従者を遠ざけ、囲炉裏の前に座すと、沈黙ののちに問うた。
「そなた、本当に神に選ばれし者か」
陽見呼は答えず、ただ静かに彼の眼を見つめた。やがて、彼女の胸元から淡く光るものが現れた。それは古の玉、神々の記憶を宿すとされる神宝であった。
「私は見た。神功皇后が子を産むその瞬間、天の裂け目から光が降り、神が祝福するのを。あの子が生き延びる運命にあると、神は言われました」
その語り口には、芝居じみたところはなかった。ただ、厳かな真実だけがあった。
阿曇連は口をつぐみ、そして低く言った。
「……ならば、我らの王となる資格があるやも知れぬ」
こうして、一人また一人と、陽見呼のもとに膝を折る者が現れ始めた。だが、全てが和やかに進んだわけではない。
高千穂の豪族・天野一族は、陽見呼をあくまで“神託を告げる器”としか見ていなかった。
「王たるは我らが血筋。呪術は道具であり、おまえはその媒に過ぎぬ」
陽見呼はそれに対し、毅然として答えた。
「ならば、道具に膝を折った他の豪族は、何を見たというのです?」
その言葉が、彼らの誇りを打った。だが、それ以上に、彼女の中にある揺るがぬ信念が、彼らの心を動かしたのだった。
ある日。
香椎宮に戻った陽見呼の前で、日本武尊が静かに立ち上がった。
そこには未だ陽見呼に忠誠を誓えない豪族たちも集結していた。
「我が命である。陽見呼をこの西国の王として認める」
その言葉は、雷鳴のように空気を震わせた。九州中の有力豪族が集う会議の場に、一瞬の沈黙が広がる。
神功皇后が、陽見呼の肩に手を添え、続けた。
「この者には、神が宿っている。そのことを、私はこの腹で知っている」
まだ幼き皇子が神の子として生まれ出でる運命を背負った、その命が証明するのだと、彼女は言う。
やがて、豪族たちは目を見交わし、無言で膝を折った。
反感を抱いていた者の中にも、それを演技として膝を折る者がいた。だが、心の奥底では、陽見呼という存在の不可思議な力を否応なく感じ始めていた。
女王即位の儀式が執り行われる日の朝。
陽見呼は、山深くにある古代の祠を訪れた。そこに封じられていた神器 ―― 銅鏡と剣を、慎重にその手に受け取った。
「これは、天照が瓊瓊杵尊に授けたもの」
傍らの日本武尊が、神器を見つめ、呟く。
「ならば、それは俺の祖のものでもある」
陽見呼は鏡を掲げ、静かに言った。
「そう。あなたが持つに相応しい剣。そしてこの鏡 ―― これは私の魂そのもの。これを通じて、あなたにあらたな神託を授けます」
東の空が白み始め、儀式が始まった。
九州中の豪族が見守るなか、陽見呼は玉座の前に進み、神器を捧げ持ち、天に祈りを捧げた。
「天の神々よ、この地に平和を。民に安寧を。そして、この身に神の導きを」
その瞬間、空を覆っていた雲が裂け、太陽が差し込んだ。
誰かが、息を呑む音を立てた。
それはまるで、天が彼女を認めたかのようであった。




