第61話 観光地とひとときの休息
フリズネイラとの戦闘を終え、ナターシャとともに岩盤地帯のルートをなんとか抜け出した。
そして目の前に広がるのは――狂おしき風の砂塵の谷。
視界を覆い尽くす砂塵が荒涼とした大地を包み込んでいる。
砂に紛れてスコロピオス軍の男たちが鋭い目つきで周囲を警戒していたが今のところ俺たちに干渉してくる様子はない。
だが、その中心にそびえ立つ巨大な建物が異様な存在感を放っていた。
「あそこの大きな建物が狂おしき風の砂塵の谷の中心か?なんだか思ってたイメージと全然違うんだけど……」
「ええ、そうみたいね。行ってみましょう」
俺はナターシャとともにその建物へと足を踏み入れた。
中に入ると外の過酷な環境とは一変し、そこはまるで別世界だった。
涼やかな空気が満ち、華やかな装飾が施された広間には豪奢な衣装を身にまとった貴族や上位階級の人間たちが優雅に談笑している。
足元には細やかな模様が施された大理石の床。
壁一面のガラス窓の向こうには、狂おしい砂嵐が渦巻いていた。
それをまるで美しい風景の一部であるかのように、貴族たちはワインを片手に楽しげに眺めていた。
「……ここ、本当に砂漠の真ん中か?まるで観光地みたいな感じじゃねえかよ……」
あまりにも外の世界と違いすぎる。
「砂漠の過酷さすら、王国側の上級階級の人達にとっては娯楽なのね」
ナターシャが冷めた目で周囲を見渡す。
確かにここにいる者たちは砂漠の民でも戦士でもない。
まるで別世界の住人のようだった。
そんな中、一人の男が俺たちに近づいてきた。
「おや、新顔だね。ここへは何の用だい?」
優雅な口調だがその目は鋭かった。
紳士風の男だが、ただの案内人ではなさそうだ。
俺たちは互いに視線を交わし、慎重に答えを選ぼうとしたその時――。
「おーい!こっち!こっち!」
突如聞こえた声に反射的に振り向いた俺は目を疑った。
そこにはさっき戦ったはずのフリズネイラがいた。
喫茶店のような優雅な空間でティーカップを手にしながら余裕たっぷりの笑みを浮かべてこちらを見ている。
「……は?」
あまりにも予想外の光景に俺は思わず固まった。
ナターシャも驚愕し、俺とフリズネイラを交互に見つめる。
「ちょ、ちょっと待て。お前さっきまで戦ってたよな? 俺を通すとか言って消えたよな?」
「ええ、そうよ。でもね、私はここでのんびりお茶を楽しむのも好きなのよ」
フリズネイラは涼しい顔でティーカップを傾ける。
「……いや、意味が分からん」
彼女は俺の驚きをよそに、微笑みながら椅子を示した。
「せっかく来たんだから座ったら?何か飲む?ここの名物のお茶、美味しいのよ」
まるで戦いなどなかったかのような態度。
俺とナターシャは戸惑いながらも目の前の椅子に腰を下ろした。
ガラス張りの建物の中は外の砂嵐とは対照的に落ち着いた雰囲気だった。
貴族たちも最初は明らかに場違いな服装の俺たちを少し警戒するような目で見ていたが優美で気品があるフリズネイラと一緒にいるのを見て、特に気にすることなく静かにしていた。
きゅるるるっ…。
突然お腹の中で何かが暴れるように鳴った。
「天空、お腹減ってるの……?」
「まあ……な……」
ちょうど空腹を感じていた俺の前に、なんとフリズネイラがメニューを差し出した。
「遠慮しなくていいわよ。お姉さんのおごりよ」
「え?マジかよ。ここに来てまともなご飯を食べてないから今の俺はめっちゃ食うぞ?」
「ええ、いいわよ。ほら、ナターシャちゃんも遠慮しないでたくさん食べて行ってね!」
……まさか、下の世界に来て魔物にご飯をおごってもらう日が来るとはな……。
テーブルには次々と運ばれてくる料理。
砂漠のオアシスで育った希少な果実を使った料理や、香ばしく焼かれたスパイスたっぷりの肉料理が並ぶ。
独特な風味のハーブティーが添えられ、思わず食欲をそそられる。
「何だ?この料理。マジでうめえな!こんな美味しもの今まで一度も食べた事無いぞ」
「でしょ? ここの料理は王国の一流の料理人が監修しているのよ」
俺は次々と運ばれてくる料理を食べながら、フリズネイラを見た。
「そう言えばここってずいぶんと雰囲気が違うよな。外は砂嵐が吹き荒れてるってのに中はこんなにも整ってて、貴族みたいな人もいるし砂嵐が見える広いガラスの壁があるし……なんでこんな場所ができたんだ?」
肉をかじりながら尋ねるとフリズネイラは小さく笑い、ワイングラスを傾けた。
「数年前、ここは命を奪う砂塵が渦巻く誰も近づけない危険地帯だった。でも王国がこの地を手に入れて、ある計画を実行したの」
俺はフォークを置き、じっとフリズネイラの話を聞く。
「計画?」
「そう。ここをただの荒れ地じゃなく魔法の研究所にするための計画だったわ」
フリズネイラはナプキンで口元を拭い、続ける。
「王国は魔法技術を駆使してこの谷の風の流れを変え砂嵐を制御した。そしてまず先に砂漠の中でも快適に過ごせるようにこの場所を作り変えたのよ。研究施設として利用するためにね」
……研究施設か。
俺は少し考えてから口を開く。
「……それがなぜこんな観光地になったんだ?」
フリズネイラは苦笑した。
「この地域で王国が戦争を続けていた頃までは、ここは研究施設として重要な役割を果たしていたの。でも戦争が終わった後、この研究施設をどうするかが問題になったのよ。そこで煌焔家の当主のパイロス煌焔が提案したの。ここを商業の中心地にしてしまえばいいってね」
ナターシャが驚いた顔をする。
「じゃあここは戦争のための研究施設だったのに今は観光地になったの?」
フリズネイラは頷いた。
「そういう事。もともとここに集められていたのは人間の中でも高位の魔法使いや魔法技術の研究者、錬金術師だったけど、彼らの技術は戦争以外にも役立つものだった。だから今はここを砂漠の観光地として売り出すことにしたのよ」
俺は少し納得しながらも違和感を覚えた。
「……それで、ここに来ている貴族たちはただの観光客ってわけか?」
フリズネイラはニヤリと笑った。
「全員が観光客だとは限らないわ。実際、スコロピオス軍の兵士があちこちで休憩してるのもよく見るし。せっかくだからここにいる間にいろいろと見て回るといいわ。何か面白いものが見つかるかもしれないしね」
俺たちはそれぞれ考え込みながら料理を口に運んだ。
フリズネイラは微笑んだまま、視線をナターシャへと向けた。
「それより、あなた達の方こそ何か目的があってここまで来たんでしょう?」
ナターシャはしばらく沈黙していたが、やがて小さく息をつき、ゆっくりと話し始める。
「……私はここに、あるものを探しに来たの」
「あるものって?」
「回復魔法が込められた魔導具。私の姉……タリーシャを救うために」
ナターシャの表情がわずかに曇る。
「お姉ちゃんは……大怪我をしていて……どんな治療をしても駄目だった。でも、ここにお姉ちゃんを助ける事が出来るかもしれない魔導具があるって聞いたの」
フリズネイラは黙ってナターシャの話を聞いていたが、やがてティーカップを置きゆっくりと口を開いた。
「うーん……見ての通り施設の中に高位の魔法使いはいないわね」
「えっ、そんな……」
「でも、あのお方に会えば、もしかしたら助けてくれるかもしれないわね」
「あの方って誰のことだ?」
俺の問いにフリズネイラは微笑んだ。
「ふふ。実は……この狂おしき風の砂塵の谷には、ある人物がいるのよ」
「……誰だ?」
「大魔法師様よ」
フリズネイラがカップを置くと、静かに視線を上げた。
「大魔法師様なら回復の魔法を使えるし、そういう魔導具も持っていると思うわ。もしかしたら彼が力になれるかもしれないわね」
ナターシャが息を呑む。
「本当に? その人なら……もしかして、お姉ちゃんを助ける事が出来るかもしれない?」
フリズネイラは微笑みながら、俺たちを見つめていた。
「でも彼の力を借りる為にはある試練が必要よ。それに彼がいる場所は狂おしき風の砂塵の谷の真下」
そう言ってフリズネイラはガラス越しに渦巻く砂嵐を指さした。
「……は?あんな場所までどうやって行くんだよ?」
「ええ、普通の人はあそこまで行く前に渦巻く風に飛ばされて即死するわ」
俺は思わず口をつぐんだ。
あの砂嵐の奥に道があるなんて、にわかには信じがたい。
「……ちょっと待てよ。じゃあ、大魔法師様はどうやってそこに行ったんだ?」
「彼は特別なのよ。砂嵐に巻き込まれることもなく、風と一体化するように進んでいけるからね」
フリズネイラはそう言うと、再びカップに口をつけた。
「だけどあなた達はそうじゃない。だから別の方法を探すしかないわね」
彼女はゆっくりと指を立て、少し意味ありげな笑みを浮かべながら言った。
「この施設には一時的に砂嵐を制御する装置があるわ」
「……本当か?」
俺もナターシャも驚き、思わず身を乗り出す。
「そんなのがあるなら最初からそう言えよ!」
「ふふふ、焦らないで。これでも貴重な情報を出してあげてるのよ?」
フリズネイラは楽しそうに紅茶を口に運んだ。
「でもその制御装置を動かすにはそれなりの魔力が必要なの。しかも長時間使うと逆に砂嵐が暴走する危険性もあるから簡単に使えるわけじゃないわよ」
「……でも、今の私は魔力を使い果たしている状態。魔力が枯渇している今じゃ装置を動かすなんて無理だわ」
「それならスカイが装置を動かせばいいんじゃない?」
フリズネイラは俺に向かって何気なく言った。
「いや、俺はもともと魔力が無いから装置を動かす事なんてできないんだ……」
「あら?そうなの?……という事は、スカイは……」
「あーーー!あーーー!」
俺は必死にフリズネイラが次に言おうとすることを止めた。
フリズネイラは俺の必死な反応を見て、察してくれたのか笑いながら言葉を飲み込んだ。
「でも大丈夫よ。ナターシャちゃんが飲んでるそのお茶には魔力を回復させる効果があるのよ」
「え?」
ナターシャが驚いてカップを見つめた。
確かにさっきから体の奥が少しずつ温まり、心地よい力が戻ってくる感覚がある。
「どう? 少しは楽になった?」
「……うん。さっきまで重かった体が軽くなってきた」
フリズネイラは満足げに頷く。
「ここは王国が管理している施設だから貴族たちが長居できるように、こういう魔力を回復する飲み物が用意されているの。お茶だけでなくて料理にも少し魔力を回復させる成分が入ってるわ」
ナターシャは驚きながらも、もう一口お茶を口にした。
確かに、飲むたびに魔力がゆっくりと満ちていくのを感じる。
「つまり……私はもう魔法を使えるってこと?」
ナターシャは手をかざして小さく魔法の光を灯してみた。
その光がかすかに揺れ、彼女の回復が目に見える形で現れた。
俺はそれを見て、ほっと胸をなでおろした。
「よし、じゃあ砂嵐を制御する装置を動かせるな」
フリズネイラは頷きながらガラス越しの砂嵐を見つめた。
だが、その時だった。
――ギィィ……
重々しい音が響き、施設の入り口が開かれる。
「……なっ!?」
俺は思わず驚いた。
入ってきたのは筋肉質な体つきでひときわ大きな男だった。
「まさか……なんであいつがここに?」
「スカイ、どうしたの?」
ナターシャが息を呑んだ。
「あいつは……俺が倒したはずの……砕滅将ロートス……!」
ロートスは施設内をゆっくりと見回した。
背後には数人のスコロピオス軍の兵士が控えている。
「……案内人。さっきこの施設に入った客について教えろ」
施設の受付にいた男が少し怯えながらも答える。
「は、はい……怪しい二人組がさっき入ってきました……ええと、砂漠の民の少女と、もう一人は若い男で……」
ロートスはその言葉を聞くと鋭い視線を俺たちの方へ向けた。
「……いた!なっ?あのガキは……」
目が合った瞬間、背筋に冷たいものが走る。
「スカイ……!あの男は誰なの?」
ナターシャが警戒しながら俺の隣に立つ。
フリズネイラはカップを持ったまま、静かにため息をついた。
「やれやれ、面倒なことになったわね」
――その瞬間、俺は動いた。
「逃げるぞ!」
ナターシャの腕を引っ張りながら一気に店の奥へと駆け出す。
「追え!絶対に逃がすな!」
ロートスが叫ぶと、兵士たちが一斉に俺たちを追いかけてくる。
施設内の優雅な空気が、一瞬で戦場の緊張感へと変わる。
そして、俺たちは再びロートスから逃げる事になった――。
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