表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/124

第5話 魔法と必殺技

「燃え盛る古の炎――我が声に応え、その力を我が手に集い、解き放て」


女の子の口から発せられた呪文を唱える声が静かな森に響いた。

まるでその言葉がこの場の理を一瞬だけ捻じ曲げたかのように彼女の両手が赤く光を帯びた。

指先から溢れる光は脈動し、次第に渦を巻いて火花を散らし始める。

掌の上で光がゆらめき、周囲の空気がわずかに温かくなる。


俺はそれをただ、呆然と見ていた。

生まれて初めて目の前で見る魔法という現象に。


「あれが……魔法……炎の魔法ってやつか……!」


この状況でそんなものが現実に存在していると知る驚きと、同時に湧き上がる安堵と希望。

あの狼の化け物も明らかに警戒していた。

光を目にした途端、後退しながら身構え、距離を取った。

知っているのだ、炎というものが自分にとって脅威になることを。


俺は思った。

これなら、やれるかもしれないと。

少女が魔法を成功させれば、あの怪物を――燃やし尽くせるかもしれない、と。


「ランベリ フローガ!」


彼女の声がはっきりと響いた。

炎の呪文が放たれる……はずだった。


だが、次の瞬間――

ふっと、両手の炎が掻き消えた。

周囲が静まり返った。


シーーーン…………。


辺りは完全な沈黙に包まれた。

そして、何も起きなかった……。


冗談だろ?

今のは失敗したフリか何かで、実は隠された真の魔法が――とかいう演出じゃないのか?


「よしっ!上手く呪文を唱えられたわ!」


……こいつ、マジで言ってやがる。


「てめぇ!この生きるか死ぬかの場面で魔法少女ごっこなんかやってんじゃねぇよ!」


「はぁ!?今のは今までで一番上手くできた方よ!?両手が光ったの見えたでしょ!」


「見えたけど!で、火はどこ行った!?状況わかってんのか!こっちは命懸けで化け物と戦ってるんだぞ!」


「私だって真剣よ!急に魔法出せって言われてもそんな簡単に出るわけないでしょ!」


言い争いの最中――


ゴッ……と、鈍い音が頭に響いた。

咄嗟に振り返る。


背後から狼の化け物が飛びかかってきていた。

こっちの油断を見逃すはずがない。


だが予測はしていた。

来るとわかっていた。

俺は首を反らし、その右腕が振り下ろされる直前に身を捻り、狙いすましたタイミングで拳を跳ね上げた。


「うおりゃああああ!」


狙いは化け物の顔面。

寸分の狂いもなく放ったが――


「ぐっ……!!?」


――吹っ飛ばされたのは俺の方だった。


体が横に弾き飛ばされ、次いで背中から木に叩きつけられ、さらに後頭部が激しく幹に衝突する。

衝撃で肺から空気が漏れ、何が起こったのか理解できずに地面に崩れ落ちた。


どういうことだ……俺は確かに当てたはず、いや、あいつが俺の攻撃を――


脳裏に焼き付いていたのは一瞬の光景だった。

化け物は俺の拳の軌道を寸前で身体をひねって外し、そのまま捻った腕を裏拳の軌道に転じて顔面に叩き込んできたのだ。


まるで見えていたかのような動き。

予測ではない。

経験と反応、そして……本能による戦い方だった。


「いってぇぇぇぇ……マジかよ……」


口からこぼれた声は情けないほど震えていた。

体中が痛みを訴え、頭がぐらつく。

耳の奥には甲高い金属音のような残響が残り、周囲の音が遠のいていた。

その静寂の中で妙に鮮明な声だけがはっきり聞こえた。


化け物は冷笑しながら言った。


「この俺が子供の浅知恵なんかに引っかかると思ってるのか?」


あの狼の化け物が、口元を歪めて冷ややかに笑っていた。


「お前は常に俺を見ていた。俺の隙を探していたな。だが……俺はその視線をずっと感じていた」


低く唸るような声に混じるのは獲物を確実に追い詰めたという確信と仕留める寸前の歓喜だった。


「人間の子供にしては悪くない。普通の子供よりは骨がある。だが、所詮は未熟な命。その程度だ。……それに、もう逃げ道はない。その血の匂いじゃ、隠れても無駄だ」


脈打つ傷口から滴る血が土を濡らす音がした。

頭がズキズキとうねり、まともに立っていられるのが不思議だった。

だが、それ以上に異様だったのは――心臓の音だった。


ドクン、ドクン、ドクン、ドクン。


胸が重く波打ち、鼓動が速くなるのを感じた。

聴覚が鈍る中で、その音だけが鮮烈に響いていた。


(……そうか。集中してなかったんだ、俺)


ようやく理解した。

あの化け物の視線は常に俺の奥を見ていた。

ただの獰猛な獣じゃない。

冷静で、狡猾で、戦いを理解している。


逃げられないなら――立ち向かうしかない。


「……恐怖心、邪魔だな」


俺は自分の血で濡れた頭蓋に拳を叩きつけた。

理性を叩き起こすように。

何かを吹っ切るために。


鈍い衝撃が頭に響いた瞬間、それまで霞んでいた視界が一気に晴れる。

色が、空気が、音が、戻ってきた。


――あれ?なんで俺、逃げようとしてたんだっけ。


戦えばいい。

ただ、それだけのことだ。


あいつが強くて、デカくて、速くて、怖くて――だから何だ。

今なら分かる。

俺の体はまだ動く。

手も足もきちんと反応してくれる。

恐怖はある。

だが、もう動きを鈍らせたりはしない。


(いける。やれる)


「腹減ったなぁ~……お前を切り刻んで今すぐ食ってやる」


奴が低く体勢を落とし、一直線に俺へ向かって走り出した。

――来る!


その瞬間、俺は体を滑らせて飛びのき、奴の突進をかわす。

すかさず、カウンターで拳を放つ。

だが、また同じ動きだ。

あいつはそれを読んでいた。

体をひねって裏拳を繰り出してくる――だが、今の俺には見える。


あらかじめ腰を落とし、ギリギリのところでその裏拳をしゃがんで回避した。


「よし!避けれた……!」


そのまま反転しながら足を振り上げ、回し蹴りを顎に叩き込む。


「おらあああぁぁぁ!」


バキッ――!


明確な衝撃音が鳴り、奴の顔が跳ね上がった。


「攻撃が単純なんだよ!バカヤロー!」


手応えがあった。奴の動きがほんの僅かに鈍る。

距離を取りながら構え直すと、自分でも驚くほどに冷静だった。


格闘技は得意だった。

だが、それはあくまで同年代の、しかも人間相手の話。

こんな化け物に通じるとは思っていなかった。

だけど今、たしかに通じている。


◇ ◇ ◇


狼の化け物は、心のどこかでかすかに――確かに感じていた。

何だ、この子供は。細く、軽く、弱々しく見えるはずのその体のどこに、こんな異常な力が潜んでいる?

単なる人間の子供じゃない。

大人の男を遥かに上回る……いや、それ以上の何かがある。


◇ ◇ ◇


その一瞬の戸惑い。

その微細な変化を――俺は見逃さなかった。


「へぇ~。狼の化け物でも驚いた顔するんだな」


挑発するように口角を吊り上げながら吐いたその言葉は、もう恐怖に裏打ちされた震えではなかった。

声の芯には明確な意志があった。

これから殴るために、仕掛けるために、命を奪るために喉を震わせていた。


「……何だと? 餌の分際で俺に話しかけてくるんじゃねぇ!」


咆哮とともに奴の足元の土が跳ねた。

爆発的な加速。

両腕を広げ、獣のような姿勢で突っ込んできた。


爪が閃く。

斜め上から振り下ろされ、すぐに横に振り抜かれた。

続けざまに胴を裂くような一閃。

そして腰を落としてからの鋭い突き――それら全てが一瞬の流れで襲いかかってくる。


だが、もうその攻撃は――当たらなかった。


体が自然に動いた。

攻撃を避けるというより、動きの隙に入り込んで次の位置に先回りしていた。

化け物の体勢のわずかなズレを見抜き、そこに身を差し込む。

振り抜かれた爪の軌跡を頬の皮膚がかすめる。


「もう当たんねえぞ!そんな遅い攻撃!」


呼吸一つ乱さずに口にしたその声がむしろ化け物を煽る。

怒りに任せて襲いかかってきたはずのその攻撃はもはや「隙」を晒す行為にすぎなかった。


「黙れぇぇぇ!」


奴が咆えた瞬間、もう俺は踏み込んでいた。

重心を低く保ったまま、足の裏を地に這わせるようにして間合いを詰め、奴の懐に潜る。

反射的に伸びた腕を肘で弾き、視界を奪い、そのまま体を半回転――


――そして、打ち抜いた。


「くらえええぇぇ!!」


拳が鳩尾に当たった。

固い感触があり、しっかり効いたのが分かった。


「ぐっ……」


狼の化け物の息が止まり、体がそのまま後方へ吹き飛ばされる。

土煙が舞い上がり、巨体が地面に激突する音が続けて響く。


決して軽い攻撃じゃない。

手を抜いたつもりもない。

だが――倒れても、まだ終わっていないと本能が告げていた。


俺は拳を握ったまま一歩ずつ前に進む。

視線の先では狼の化け物が呻きながら体を起こしていた。


だがもう、戦況は逆転している。

最初に圧倒していたのはあいつだった。

けれど今は――俺が優位に立っている。

もう何も恐れていなかった。


問題は――


「はぁ……、はぁ……、くそ!」


俺の体力。


この狼の化け物は確かに速くて力もあるけど――

こいつは格闘家じゃない。

洗練された構えも、間合いも、誘いも、フェイントもない。

動きは直線的で、思考は短絡的。

爪を振り下ろし、牙を剥き出しに突っ込んでくる――ただそれだけの獣だ。


だからこそ読みやすい。

俺が隙を晒さずに冷静に動き続ければ絶対に当たらない。


――だが。


「……くそ!何度も倒しても起き上がって来る!」


背中に汗が流れ、胸が苦しかった。

肺が空気を求めて痙攣し、筋肉が動きにくくなってきた。

集中力はまだある。

だが、体が――限界に近づいていた。


「人間の子供!お前は攻撃が非力だ。それに体力も落ちてきてる。そろそろ限界が近づいてきたんじゃないのか?」


狼の化け物が嘲るように低く笑った。

だが、その言葉には苛立ちが混じっていた。

明らかにダメージは蓄積している。

俺の攻撃は確実に通っている。

問題はその一撃一撃が「軽い」ことだった。


一撃で仕留める力が足りない。

どれだけ的確に打ち込んでも、それは削るだけで止めにはならない。


(……そうだよ。決定打が、ない)


疲労は確実に溜まっている。

視界が狭まっていく。

反応が鈍る前に――この流れの中で一発で仕留めなければいけない。

でなきゃ、逆転される。

喰われる。

死ぬ。


なら、叩き込め――全てを賭けた一撃を。


俺は考えていた――どうすればイヴァンのような重い一撃を放つことができるのか。

あいつのように相手の動きを視る力もなければ拳に圧し潰すような威圧を乗せる技術も持っていない。

イヴァンは相手のオーラの揺らぎを視ている。

相手が何をするか、その息遣いや意志の流れすら読み取っている。

そして自らのオーラを拳に収束させて打ち込む事でただの一撃を破壊の一撃へと昇華させている。


俺にはそれが見えない。

できない。

ただ反応して考えて踏み込むだけだ。


けれど、そのただの中に――俺だけの戦い方があるはずだと思っていた。


◇ ◇ ◇


脳裏に浮かぶのは、昔、イヴァンの父さんに投げかけた問いだった。


「オーラってどうすれば見えるようになるんだ?」


「ガハハハッ!自分の体から出てるオーラすら見えんうちに、他人のオーラが見えるわけあるかい。天空はオーラが見えるようになるまでにはまだまだ時間がかかりそうだなぁ」


「イヴァンずるいな!あいつの重い必殺攻撃飛んでくるじゃんか!」


「それでもお前はイヴァンと互角にやり合っただろうが。それが何よりの証拠だ。もっと自分に自信を持ってみい。重い攻撃は、天空、お前にも打てるはずだよ」


◇ ◇ ◇


……あれは、本気で言っていたのだろうか。

俺はあの頃ただの慰めだと思っていた。

けれど今、狼の化け物を目の前にして思い出す。

あの時の笑い声と俺の拳をぽんぽんと叩いてくれた手の感触を。


俺の……重い一撃――それを今こそ掴まなきゃならない。


狼の化け物が咆哮を上げながら両腕のように太い前肢を振り下ろし、次の瞬間には首を傾けて鋭い牙を突き出してくる。

それを読み切り、斜めにずらして身を沈めながら俺は再び問いかけていた。


◇ ◇ ◇


「どうすれば、俺にもあんな攻撃ができるんだ?」


「それはな……技に名前をつけるんだ」


「名前をつける?」


「そうだ。そうすればオーラが見えなくてもその技に不思議と集中できる」


「名前を……付けるだけで?」


「天空、お前は理屈より感覚の男だろ。やってみろ」


◇ ◇ ◇


当時は半信半疑だった。

技に名前を付けたくらいで強くなれるなら誰も苦労しないと思っていた。

だが今、目の前にあるのは化け物の咆哮と死に直結する牙と俺の拳。

それだけだ。


――俺の……重い一撃。


狼の化け物は猛り狂ったように爪を振り下ろすと同時に牙を突き立てようと頭を傾けた。

だが、その連撃はすでに読めていた。

俺は身体を軸でずらし、わずかに後ろへ重心を引きながら空気を滑るように回避する。

そして踏み込みと同時に拳にすべての意志を込めて叫んだ。


「インフィニット デストラクション パンチ!」


――ズドドドン!!

拳が風を割き、皮膚を裂き、肉を穿ち、骨を揺らす。


その瞬間、手応えが――重みが確かにあった。

叩き込んだ拳はただ接触したのではない。

振動のような衝撃が何層にも重なって収束し、狼の化け物の腹に深々とめり込んでいった。

骨が悲鳴を上げる音とともに、喉の奥から泡混じりの血を吐き出し、白目を剥いて巨躯が崩れ落ちた。


倒れた衝撃で地面に衝突音が響いた。

そして、何もかもが静かになった。


◇ ◇ ◇


「どうせなら空手の技を教えてくれよ」


「天空、お前は型に縛られると感覚が鈍る。決められた動きは逆にお前の良さを殺す」


「それじゃ、俺に合った技って何なんだよ」


「……だから、名前をつければいいんだよ」


「またそれかよ。名前って、何にだよ」


「お前の拳だよ。例えばインフィニット デストラクション パンチ。で、どうだ?」


「長くない?それ」


「いいんだ。英語の勉強にもなるし、技名は3ワード固定な」


「……マジかよ」


◇ ◇ ◇


そう言って俺が渋々納得した時、あの人はいつものように笑っていた。

当時は分からなかったが――今は違う。

全てがこの瞬間のためにあったように思える。


疲れきった身体をそのまま地面に投げ出すようにして俺は背中から倒れこんだ。

土の感触が服越しに伝わってきて、戦いが本当に終わったのだとようやく実感した。

息を吐いた。

腕が、脚が、痛いほど重い。

けれど不思議と満たされていた。


砂を踏む音が近づいてきてすぐに影が差し掛かる。

あの女の子が心配そうな顔で駆け寄ってきた。


「へへ……疲れた……」


「助けてくれて、ありがとう。キミ、すごく強いんだね」


言葉は柔らかくて、まっすぐで――疲労をほんの少しだけ拭い去ってくれた気がした。


「なぁ、こういう化け物……あと、何匹いんの?」


「……たくさん。……怖い?」


「……ああ、怖い。めちゃくちゃに怖い」


素直にそう口にしてから俺は自分でも驚くほど自然に笑っていた。

心臓がまだバクバクと騒いでるのに身体の奥では何かがじんわりと温かく燃えていた。


「だけど……」


「だけど?」


女の子が顔を少し傾けて俺の言葉を待つ。

その瞳はまっすぐだった。

俺を測ろうとせず、ただ俺の声を信じようとしている瞳だった。


「……心のどこかでこういう戦いを――求めてたのかもしれないなぁ」


静寂の中で自分の言葉がやけに大きく響いた気がした。

本音を言葉にしてようやく自分の気持ちが輪郭を持ったような感覚がある。

女の子は少しだけ黙ったまま俺を見て、それから――小さく笑った。


「……キミ、変わってるね」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ