第55話 約束と帰還
サリゴフォラスの背に乗りがら俺は夜の砂漠を駆け抜けた。
夜明け前の冷たい風が頬を打ち、砂が無造作に舞い上がってくる。
俺の目の前ではゼリオクスたちが魔法車と装甲車を走らせ、必死に移動を続けていた。
アジトまではもうすぐだと言うがまだ着く気配はない。
だが遠くの砂地が不自然に揺らめいているのが見えた。
「ん?なんだ?……やっと着いたのか?」
いや、違う。
遠くの砂地が不自然に揺らめいているが、砂が波打つようにうごめき、わずかに盛り上がっていた。
嫌な予感がし倒れはすぐに手綱を引いた。
「ゼリオクス! 何か来るぞ!」
俺はサリゴフォラスを魔法車の横に寄せてゼリオクスを呼んだ。
ゼリオクスも異変に気付いたのか即座に叫んだ。
「まずい!このまま突っ切るぞ!」
次の瞬間、砂が爆発した。
そして轟音とともに巨大な幼虫のような生物が砂の中から姿を現した。
長い身体が夜の中でうねり、無数の牙を持つ顎が月光にぎらりと光る。
「魔物!あれは……デザートスクリーキ!?」
ヤニスが絶望的な声を上げる。
こんな場所で立ち止まれば、確実に喰われてしまう。
「くそっ、今は戦えねぇ……!」
ゼリオクスの判断は速かった。
「速度を上げろ! まともにやり合ったら終わりだ!」
俺たちは一斉に加速した。
サリゴフォラスは本能的に危険を察知したのか、砂を蹴り上げながら猛然と駆ける。
俺の後ろでは魔法車と装甲車が必死に追随し、車輪が砂を噛みしめて唸っていた。
デザートスクリーキが砂の中に潜り、再び動く気配を見せる。
どこから襲ってくる……!?
「天空!おまえの横だ!!」
ゼリオクスが叫んだ瞬間、サリゴフォラスのすぐ脇で砂が炸裂した。
デザートスクリーキの巨大な顎がまるで大地そのものを食らうように飛び出す。
「おい!あの子供やられるぞ!」
「天空!その場から離れろ!スピリ フォティノス!」
捕虜が悲鳴を上げるのと同時にヤニスが閃光の魔法を撃ち込んだ。
爆風が砂を巻き上げ、閃光がデザートスクリーキの目をくらませると動きが鈍くなった。
その隙にサリゴフォラスはさらに速度を上げた。
ゼリオクスたちも魔法車の魔力を上げて、俺たちに続く。
砂漠の地平線の向こうにようやくアジトの影が見え始めた。
「あった!……あれがゼリオクスたちのアジトだな!」
俺は歯を食いしばりながらサリゴフォラスの背に身を預ける。
アジトの門が開くのが見えた瞬間、デザートスクリーキが最後の攻撃を仕掛けようと砂を盛り上げた。
「あとは装甲車だけだ……間に合え……!」
装甲車が最後の力を振り絞りアジトの門をくぐった。
直後、門が重々しく閉じられた。
外では、デザートスクリーキがしばらく砂を暴れさせた後、やがて静かに沈んでいった。
「マジかよ……砂漠を普通に走るだけでも危険がいっぱいじゃねぇかよ」
「そうだ。だからタリーシャの力が必要だったんだ」
ゼリオクスが息を整えながら呟いた。
魔法車と装甲車の両方がボロボロで砂埃にまみれた俺たちは疲労困憊だったが、それでもここまで生き延びたという安堵の感情が胸を満たしていた。
「開けろ! 俺たちが帰って来たぞ!」
ゼリオクスが叫ぶと門の上から警戒の視線が降りてくる。
「ゼリオクス、お前か? 本当に無事なのか? 何があったんだ……?」
「ああ、俺だ! ぐずぐずしてる暇はない! すぐに門を開けろ!」
門がギギィと音を立てて開かれると俺たちはそのままアジトへと車を進めた。
アジトの中へ足を踏み入れるとひんやりとした空気が肌を撫でた。
外の灼熱の砂漠とは対照的にここは岩に囲まれた天然の要塞だった。
天井は高く所々に穴が開いており、そこからわずかに光が差し込んでいる。
壁は削られたようにゴツゴツと荒々しくところどころに布や木材で補強された住居が並んでいた。
アジトには何千人もの人々が暮らしていた。
男も女も老いた者も若者もみんな痩せこけ、疲れ切った顔をしている。
服装はぼろぼろで布の端はほつれ、砂埃にまみれていた。
それでも誰もが生きるために必死だった。
火を囲んで食事をする者、壊れた道具を修理する者、子供たちをあやす母親。
この岩の中でそれぞれが自分の役割を果たしていた。
ここにいる者たちは皆スコロピオス軍の支配を逃れ、生き延びるために集まってきた者たちだった。
だが食料も物資も不足し、今にも崩れそうな生活を強いられている。
そんな中、俺たちが食料を抱えて戻ってきたのだから皆の視線が集中するのも当然だった。
中へ入ると、待ち構えていた仲間たちが駆け寄ってくる。
「ゼリオクス! 無事でよかった……でも、他のみんなはどこだ?」
ゼリオクスは重く息を吐き、ゆっくりと答えた。
「ヤニスは無事だ。タリーシャは重傷で今すぐ治療が必要だ。だが他の仲間は……」
誰もが察した。
その場にいる者たちの顔が曇り、沈黙が走る。
「……そうか」
その一言だけでどれほどの痛みが込められていたか言葉にしなくても伝わってきた。
「……でも、食料は? 皆ここでお前たちの帰りを信じて待っていたんだぞ……」
誰かが問うとゼリオクスは疲れた目で荷台を指した。
「食料はここに積んである! 俺たちの戦いは無駄じゃなかった……そう言えるはずだ……」
その言葉に周囲の空気が少しだけ変わる。
「本当か……! まさか本当に命懸けで取り戻してきたなんて……!」
「やった……! みんな、みんなに知らせないと……!」
「これで……少しは持ちこたえられる……! もうこれ以上、誰も飢え死にせずに済む……!」
その時、焦ったような足音が響いた。
「お姉ちゃん!」
透き通る声が群集の中に響く。
駆け寄ってきたのはタリーシャの妹、ナターシャだった。
ゼリオクスを見るなり彼女はすがるような目で問いかけた。
「お姉ちゃんは? 無事なの?」
「ああ、無事ではあるが意識がない。一刻も早く治療しなければならない」
ナターシャはその場に崩れるように膝をついた。
「そんな……お姉ちゃん……」
涙をこぼしながらナターシャはタリーシャのいる車の方へと駆け寄っていく。
仲間の一人が静かに言った。
「……犠牲はあったが、お前たちが戻ってきたことは我々の希望だ」
ゼリオクスはうなずき、暗くなったアジトの中を見渡した。
「それで……その方たちは?」
アジトの仲間の一人が俺たちの背後に立つ五人の捕虜を見つめながら尋ねた。
彼らは砂にまみれ疲れ切った顔をしていたがその目にはまだ警戒の色が残っていた。
ゼリオクスが一歩前に出て短く紹介する。
「スコロピオス軍の捕虜だった人たちだ。こいつらは俺たちを助けてくれた」
仲間たちの間に緊張が走る。
スコロピオス軍と聞いただけで敵意を向ける者もいた。
「信用できるのか?」
「今のところはな。少なくとも道中俺たちを裏切るような動きはなかった。むしろこいつらがいなければここまでたどり着けなかった」
ヤニスも口を開いた。
「この方たちの魔力を使わせてもらったおかげでスコロピオス軍の追手を倒して、俺たちの魔力が尽きても装甲車と魔法車を動かす事が出来た。おかげでここまで辿り着く事ができたんだ」
ゼリオクスが腕を組んで言葉を続ける。
「ひとまず監視付きで収容してやってくれ。今後は戦力になるかもしれない。少なくとも生きるために協力しようとはしてる」
「……わかった」
仲間の一人がうなずくと捕虜たちは静かに従って歩き出した。
「それと……」
ゼリオクスは俺を指差した。
「こいつはスカイ。今回の作戦で俺たちと一緒に戦った。こいつがいなければ俺たちは生きて帰ってこられなかったかもしれない。」
仲間たちが一斉に俺を見る。
俺は無言でその視線を受け止めるしかなかった。
「スカイ……?」
その中の一人が俺の名を繰り返し、しばらく俺を見つめた後ポツリと呟いた。
「……お前、まさかあのスカイか?」
「あのって……なんだよ?」
「まさか、死の砂漠をさまよいながらも生き続け、未来を導く存在として語られる伝説みたいな話の……」
仲間の間にざわめきが広がる。
「……はぁ?」
俺はゼリオクスを睨むように見た。
ゼリオクスは苦笑しながら俺の肩を叩いた。
「ま、詳しい事は後にしよう。今はまずみんなに食料を行き渡らせるのが先決だ。さあ食料を配ろう」
そう言い残し、仲間たちに食料を配るよう指示した。
ゼリオクスは俺を見つめ、低く静かな声で言った。
「……お前に話がある。ついてこい」
周囲のざわめきの中でその言葉だけが妙に重く響いた。
タリーシャの妹がまだ彼女の手を握ったまま涙を浮かべているのを横目に俺はゼリオクスについていくことにした。
アジトの奥へと進むと道は細く天井も低くなり時折壁に埋め込まれた松明の炎が揺れていた。
しばらく歩いた後ゼリオクスは足を止めた。
そこは周囲に人の気配は無く、アジトの中でも比較的静かな個室のような場所だった。
ゼリオクスは振り返りながら鋭い目を俺に向けた。
「お前は……上の世界から来たのか?」
その問いに一瞬息が詰まる。
何もかも見透かされているような鋭い視線。
「……なんで、そう思うんだ?」
「俺たちは長い間ずっとスコロピオス軍と戦ってきた。だがお前みたいな奴は見たことがない。お前は一体何者なのかをずっと考えていた」
ゼリオクスは壁にもたれながら続けた。
「お前の動き、考え方、魔力が全く無い事……どれも俺たちとは違う。ここで生まれ育った人間のものじゃない。そしてお前が狭間天空と名乗った時にピンと来た。名前に天空なんてつけるやつはこの世界にはいない。つまりお前は上の世界から来た人間だと」
この問いにどう答えるべきか俺は考えた。
嘘をつくこともできる。
だがゼリオクスの目を見れば、適当な誤魔化しは通用しないことがわかる。
俺はゆっくりと息を吐きながら口を開いた。
「……ああ、そうだ。俺は上の世界から来た」
ゼリオクスの表情がわずかに変わる。
驚きというよりも何か確信を得たような顔だった。
「……やっぱりな」
「ゼリオクス、あんたは上の世界のことを知っているのか?」
俺の問いにゼリオクスはしばらく沈黙した後、小さく笑った。
「知ってるさ。お前たちから見て俺たちがいるこの世界は下の世界。上の世界は下の世界にいる者なら誰しもが憧れる場所だ」
ゼリオクスは更に俺に質問をしてきた。
「それで……お前はどうして下の世界に来たんだ?」
「……俺の親友がアルテミスハースト城に連れ去られた。だから助けに来たんだ」
「なっ……?アルテミスハースト城だと?」
「知ってんのか?どこにあるんだ?」
それを聞いてゼリオクスは急に黙り込んだが、考え込んだ後にすぐ言葉を返した。
「ま、とりあえず今日は少し休め。俺もクタクタで頭が働かねぇ。2、3日だけでいい。そこにあるものは全部好きに使っていいからな」
ゼリオクスが歩き出したその瞬間、
ガシャーン!
突如として上から牢屋の柵が降り、俺は閉じ込められた。
「おい! 何だよこれ! 俺は今すぐ助けに行かなきゃいけないんだ! どこに行くんだ! ゼリオクス! 待ってくれ! ゼリオクスーーーッ!」
──あれから二日が経った。
ゼリオクスとヤニスは食事を持ってきながらこちらの世界のことについて独り言のように話してくる。
そして、あと一日休んだら俺をここから出してくれると言っていた。
だが二日目の夜。
ベッドで横になっている時、異変が起こった。
ガタン!
「……ん? 何だ?」
柵が上に上がった音で俺は目を覚ました。
目の前にいたのはタリーシャの妹──ナターシャだった。
「お願い、助けて。お姉ちゃんが……目を覚まさないの」