第27話 お祭りの記憶とカウントダウン
――『2、30』
無情にカウントを刻み続ける霧の数字が俺の視界に浮かんでいた。
残り二回――それだけしかもう残っていない。
この数字が『0』になった時に何が起きるのか……それだけが分からない。
ルナは「どこかに飛ばされるかも」と言っていた。
だが、それで終わるとは限らない。
そもそも飛ばされるって……どこに?いつまで?
それとも、それをきっかけに何かが始まるのか?終わるのか?
考えれば考えるほど寒気が背筋を這い上がってくる。
喉が乾く。
心臓の鼓動が異様に速い。
この現象が「死」と関係ないと言い切れる根拠はどこにもなかった。
……いや、違う。考えるべきことはそこじゃない。
恐れても、震えても、時間は止まってくれない。
今は、起こるかもしれない何かに怯えるより、抜け出す方法を見つけなきゃならない。
俺は額に浮かぶ汗を袖で拭いながら、意識を無理やり冷静に引き戻した。
「落ち着け……何か他にきっかけがあったはずだ。あのお面じゃないとすれば、他に……祭りで俺は何をした?思い出せ……!」
無理やり脳の奥に潜り込み、眠った記憶を手繰り寄せた。
◇ ◇ ◇
さかのぼること昨日の夜――
イヴァンとルナ、そして俺の三人はあの提灯の灯る通りを歩いていた。
ルナは頭の後ろに狐のお面を括りつけて、すっかり祭りに馴染んでいた。
「ねぇねぇ天空、あれやってみたい!」
ルナが指差した先には古めかしい木製の棚を持った射的の屋台。
その上には駄菓子や人形、そしてどこかチープなぬいぐるみたちが並んでいた。
「おー、射的か。いいじゃん、一回やってみようぜ!イヴァン!」
「おう。……勝負するか?」
「するに決まってんだろ。落とした景品の数が多い方が勝ちだ!」
「はっ、後悔すんなよ」
それぞれが銃を構え、景品に狙いを定める。
ルナはというと――
「えいっ……うぅ、当たらない!」
「お前自分の魔法も真っすぐに飛ばせなかったしな」
「天空!うるさい!」
隣ではイヴァンが冷静に狙いを定め、一つ、また一つと景品を落としていく。
「ふっ、どうだ。なかなか上手いだろ」
「くそ、意外とやるな……!」
俺も試しに撃ってみた。
……案外簡単に落とせた。
これなら逆転できるぞ。
と、その時。
棚の一番奥に他の景品とは明らかに雰囲気の異なる何かが目に入った。
……招き猫。
くすんだ白の陶器製。
片手を挙げたその姿がまるでこちらを呼んでいるように見えた。
「……なあ、あれ見えるか?あの猫、気にならねぇか?」
「ほんとだ。あれ……なんであんな奥にあるんだ?」
「よし。最後にあれを落とした方が真の勝者ってことで!」
「乗ったわ!」
ルナが目を輝かせ、イヴァンは黙って銃を構えていた。
ふと、店主が首を傾げてつぶやいた。
「……あれ?景品にあんな招き猫、あったかねぇ……?」
「おじさん、あれ撃ってもいい?」
ルナが無邪気に聞くと、店主はやや考え込んだ様子のまま苦笑して答えた。
「ま、いっか。落とせたらあげるよ、お嬢さんたちに」
「よっしゃあ!」
銃口を向けて狙いを定める。
静寂が一瞬、屋台を包む。
――パンッ!
乾いた音が夜に弾けた。
招き猫がぐらりと揺れる。
「……え?」
そして、それはルナの撃った弾で棚の上からあっさりと落ちた。
「やったー!」
ルナが両手を挙げて跳ねる。
店主は拾い上げた招き猫を手に取り、それをまじまじと見つめながら言った。
「……ふぅん。ずいぶん古い招き猫だな。ま、約束だ。お嬢さん、はいよ、景品の猫さんだ」
「ありがとう!」
ルナはうれしそうに受け取り、猫の顔をじっと見つめた。
◇ ◇ ◇
「招き猫の置物……あれだ!あれに違いない!」
閃きが頭を貫いた瞬間、俺の視界の端で数字がひとつ無情に減った。
――『2、5』
「くそっ、やべえ……!」
一刻の猶予もない。
あと二回しか残っていない。
そして、その二回すら秒単位で削られている。
心臓が嫌なリズムで脈を打つ。
手のひらがじっとりと汗で濡れていくのを感じながら俺は階段を駆け下りた。
足を滑らせかけながらも強引に着地して居間へと飛び込む。
「おはよう、天空!今日起きるの遅いね。朝ご飯作って待ってたのに……寝坊した?」
ルナがいつも通りの笑顔でテーブルの前に座っていた。
その手元には見覚えのある黄色いオムレツ――そして、添えられていたのは……やっぱりそれだった。
「おはよう、ルナ!それマヨネーズじゃなくて歯磨き粉だからな!」
「え?……うそ?」
ルナが困惑した声を漏らすが、俺は構っている余裕すらなかった。
「ルナ、昨日の祭りの射的で取った招き猫の置物……あれ、どこに置いた?」
「え?……うーん、玄関の入口。下駄箱の上に置いたはずよ」
「よしっ!」
俺は返事を聞き終わるや否や、居間を飛び出して玄関へと突進した。
視線を巡らせ、下駄箱の上を探す。
あった――白くくすんだ陶器製の招き猫が片手を上げてこちらを見ているような、妙に冷たい雰囲気を放ちながら置いてあった。
「こいつだ……!こいつしかない!」
ためらいなく俺はそれを掴み、そして――
「終われええええぇぇぇぇぇ!」
思い切り床へと叩きつけた。
ガシャァァァン!!
陶器が砕ける鋭い音が玄関中に響き、白い破片が四方に飛び散った。
「はい!俺の勝ちーっ!残念でしたあ!」
叫んだその瞬間――
「……天空?何やってるの?」
背後から降ってきたルナの声はあまりにも静かだった。
振り向くと、彼女はまるで頭のおかしくなった人を見る時の目でこちらを見つめていた。
「……いや、その……違うんだ、ルナ。これはその……」
と言いかけた瞬間。
――『2、0』
俺の目の前で数字が残酷なまでに静かに切り替わった。
次の瞬間。
眩い光が視界を包み込んだ。
真っ白な閃光が脳天を突き刺すようで息が止まる。
そして、気が付けば俺はまたベッドの上にいた。
――『1、30』
「……なっ……?」
呆然と漏れたその声は情けないほど空っぽだった。
身体が熱くなり、血が逆流しているような感覚に襲われる。
ベッドから跳ね起きた。
止まらない動悸が全身に警鐘を鳴らしている。
違う……招き猫じゃなかった……?
あんなに確信してたのに――
(もうあと1回しかねえ……!)
思考が焦燥で焼かれていく。
冷静になれと念じても恐怖は胸の奥から染み出してくるばかりだった。
「……マジで、どうすりゃいいんだよ……」
あと一度。
次で失敗すればもう二度と目を覚ませないかもしれない。
視界の端で無慈悲な数字がじりじりと減っていく。
(考えろ……もっとよく思い出せ、俺。まだ、何かある……)
祈るような気持ちで昨日の祭りの記憶を必死に引き戻していく。
(あの後、俺は何をした?何を言った?どこに寄った?)
◇ ◇ ◇
さかのぼること昨日の夜――
夜空に浮かぶ無数の提灯の明かりが、星々の存在をかき消すように通りを照らしていた。
どこか浮ついた空気の中で俺とイヴァン、そして両手に射的の景品を抱えたルナが笑いながら歩いていた。
「天空、見て!くじ引き屋さんだって!やってみようよ!」
ルナがふいに足を止め、指さしたのは通りの端にひっそりと構えられた古びた屋台だった。
赤と白の布で飾られた小さな店先には「大当たりのみ!」と書かれた怪しげな札がぶら下がっている。
「……大当たりのみって何だよ。普通外れも入ってるもんだろ」
イヴァンが皮肉を飛ばすが、ルナはまるで聞こえていないかのように屋台へ駆け寄った。
「ねぇねぇ、イヴァン、そんなの気にしなくていいでしょ?お祭りなんだからこういう怪しいのも楽しまなきゃ損だって!」
「……お、おい、ルナちゃん……」
イヴァンは呆れ顔でため息をついた。
「いらっしゃいませ、お嬢さん方。今夜は運命の糸がよく回るようでしてな」
屋台の奥から姿を現した店主は、白い眉がやたらと長い奇妙な風貌の老人だった。
その眼差しは細く、笑っているのか見透かしているのかどこか得体の知れないものを感じさせる。
声はかすれていたが、ひとつひとつの言葉がやけに耳に残った。
「ささ、運試しにどうぞ。お兄さんたちに役に立つ物が当たればいいですなぁ」
「じゃあ、私から!」
ルナは楽しげに小さな木箱に手を入れて、くじを一本引き抜いた。
紙を開くと、ぱっと笑顔を弾けさせる。
「わっ!やった!三等だって!」
「おお、なかなかいいじゃんか」
老人は頷くと小さな鈴のキーホルダーを差し出した。
それは掌に収まるほどの金の鈴で、動かすたびにちりんと、か細い音を鳴らした。
「……はい、お嬢さんに幸運を」
「次は俺だな」
イヴァンはあっさりとくじを引くと無造作に紙を開いた。
「五等かよ……まあ、こんなもんだろ」
差し出されたのは、『大当たり!』とやたら派手な文字の入ったうちわだった。
イヴァンは目を細めてうちわをまじまじと見つめた後、顔をしかめた。
「おい!じじい、ふざけんなよ!大当たりのみってこういう事かよ!」
「まぁまぁ、落ち着けって……」
俺は怒るイヴァンをなだめていた。
「よし!じゃあ、最後は俺だな」
俺も箱に手を入れて一本のくじを引き抜いた。
紙の端を指でつまみ、ゆっくりと開いていく……。
「……特賞?」
声が漏れた瞬間、イヴァンとルナがこちらに振り返る。
「おい、マジかよ、そんなの本当に当たるのか?」
「うわああ!すごいすごい!何が当たるの!?」
俺たちの反応を見ながら老人は笑みを深め、奥の棚から細長い木箱をそっと取り出した。
中を開けた瞬間、一瞬だけ数字のような光が浮かび、すぐに消えた。
そこに納められていたのは漆黒の石を削って作られた小さな時計の置物だった。
時計といっても針はない。
円形の文字盤に淡い青い光で数字が浮かんでいて、それがまるで生命を宿すかのように明滅していた。
「特賞は……古の時を記す刻の石じゃ。大切に扱えば役に立つこともあるじゃろう。ただし、時に選ばれし者が持てば、その刻は回り始めるやもしれませんぞ」
「……これは動くのか?針がねえじゃん」
「そう見えるかも知れませんが時に針など無意味なものですよ。大切なのは、何を刻むかでしてな」
「……なんか怖いな、その言い方……」
「天空、でも見た目かっこいいじゃん!文字光ってるし、不思議な感じで……!」
「そうか……ま、いいか。せっかくだしもらっとくか」
老人は一拍置いて、目の奥に妙な光を宿したまま言った。
「ほっほっほ、大切にするんじゃぞ」
老人のその言葉は、まるでお前はもう運命を引いてしまった……そう言われたような気がした。
そして俺は何の疑問も抱かず、その刻の石を持ち帰ってしまったのだ。
◇ ◇ ◇
(待てよ……浮かび上がる数字……針のない時計……あれだ!)
「あのじじい!あの時計だ!間違いねえ!」
俺の頭に雷が落ちたように閃いた。
黒い石でできた不気味なまでに重苦しい時の置物――あの時、祭りのくじ引きで手に入れた特賞。
浮かび上がる数字、針のない時計。
あれこそがこのループの原因に違いない。
視界の端で数字が動く。
――『1、5』
残された時間はもう五分すらない。
時計は止まらず、無慈悲に刻み続ける。
「くっそ……間に合うか……!」
机の上にある木箱へと駆け寄り、躊躇なく蓋を開ける。
中から姿を現したのは、鈍く黒光りする石の時計だった。
針もなく、文字盤だけが淡く明滅している。
冷たい石の感触が指先を這い、触れた瞬間に心臓がひとつ脈を打ったように感じた。
これを壊すには金槌が要る。
場所は分かってる。
1階、玄関の靴箱の中。
「くそ……間に合え……!」
俺は息を詰めながら階段を駆け下りた。
脇目も振らず、ひたすら金槌を求めて玄関へと向かう。
……だが、その途中。
視界の端で見慣れた金髪がふわりと揺れた。
「おはよう、天空!今日起きるの遅いね。朝ご飯作って待ってたのに……寝坊した?」
ルナが笑顔でオムレツを差し出してくる。
しかし、ルナの手に握られているのは例によってマヨネーズと書かれた歯磨き粉のチューブだ。
「おはよう、マヨネーズ。お前、それ、歯磨き粉だからな!」
「……はぁ?誰がマヨネーズよ!……って、もぐ……っ!な、何これ!?まっず!」
ルナの顔が見る間にしぼんでいく。
だが今はそれどころじゃない。
俺は玄関の靴箱を開けて無造作に中身を探った。
足音、心音、鼓動、時間――すべてがバラバラに高まり、交錯していく中、指先が冷たい金属に触れた。
「……あった、金槌!」
――『1、3』
タイムリミットはもう目前に迫っている。
俺は金槌を握り締めたまま、飛ぶように階段を駆け上がった。
「頼む間に合え間に合え……!」
部屋に駆け込んだ俺の視線の先、机の上にはあの時計の置物が転がっていた。
重たく、冷たく、何かを待っているような沈黙でこちらを見ている。
――ここで終わらせる。
迷いはなかった。
俺は金槌を高く振り上げ、一気に力を込めて振り下ろす。
「これで終わりだ!」
ガンッ!ガンッ!ガンッ!
鈍い衝撃音が部屋に響く。
黒い石がひび割れ、砕け、ついには粉々に弾け飛んだ。
砕けた瞬間、一瞬だけ周囲の音がすべて消えた気がした。
まるで、本当に時が止まったかのように。
「どうだ!?止まったか!?これで……!」
一瞬、そう思った。
どこからも音はしない。
時計も、数字も、何も反応がない。
だが、視界に浮かぶ数字は、
――『1、2』
「……う、そだろ……?」
砕けた破片の先、ただの石になった壊れた時計が転がっている。
それでもカウントは止まらない。
「違うのかよ……これじゃないってのか……!」
何かを間違えた?
壊すだけじゃダメだったのか?
そもそも本当に原因はこれなのか?
――『1、1』
もう一分。
あと一分しかない。
思考が追いつかない。
手が震える。
何が違った?本当にこれが原因じゃなかったのか?
「頼む……止まってくれ……お願いだ、神様、頼む……!」
――『1、0』
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