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『異界樹物語』  作者: 大井翔
第一章

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第23話 二人の想いと二人のイヴァン

偽物の俺とルナ――

そのふたりから放たれた殺意は人間のものとは思えなかった。

皮膚の奥に針を刺し込まれるような悪寒が走り、気づけば俺は低く身構えていた。

だが、構えが完成するよりも早く奴らは地を裂くような勢いで一気に間合いを詰めてきた。

容赦など最初からなかった。

偽の俺はもはや俺の技をなぞる素振りすら捨てていた。

滑稽だった模倣は消え、そこに残ったのは感情のすべてを削ぎ落とし「殺す」という一点に最適化された俺の顔だった。

その目の奥には憎しみも怒りも恐怖すらない。

ただ、底の見えない空虚だけがあった。


その顔のまま偽の俺は全体重を拳に乗せて俺の胸に真っ直ぐに拳を打ち込んできた。

拳は一直線だった。

駆け引きも防御もない。

ただ、俺を潰すためだけの拳だった。


同時に偽ルナも跳びかかってきた。

スパナの軌道はただひとつ、俺の頭。

単純だからこそ厄介だった。

一撃でも喰らえばそれで終わる。

だから俺は動いた。

二人の攻撃が交差する一瞬、俺はその隙間に身体を滑り込ませた。


狙うは偽の俺の腹部。

重心が前に出すぎていた。

無防備に開いた腹部に俺の右足が唸りを上げて振り抜かれた。


「力任せに突っ込んできやがって……腹がガラ空きだぜ!くらえ、ハリケーン スイング キック!」


靴底が深く食い込み、腹の内側で何かが鈍く潰れるような感触が膝にまで伝わった。

手応えはあった。

誰がどう見ても倒れて然るべき攻撃だった。

だが、倒れなかった。

蹴りを喰らったままの姿勢で首をゆっくりと持ち上げる。

無言のまま俺の脚をがっちりと掴み取った。


「なに……!?」


そのまま一気に引き倒され、背中が地面を打った。


「ぐっ……離せ、このやろう……!」


「ふへへ……ようやく捕まえたぜ。これで終わりだ、天空」


血に染まった口元を歪め、偽の俺は笑った。

蹴りの余波で口内を裂かれ、赤黒い血が垂れていた。

それでも笑っていた。

勝ち誇ったように、まるで自分こそが本物だと告げるかのように。

そして次の瞬間、視界を裂く影が降ってくる。


「死ね、天空!!」


偽ルナがスパナを振り下ろした。

狙いは俺の額。

動けない姿勢。

脚は掴まれたまま逃げ場はない。


けれど俺は手を伸ばした。

そして偽ルナの手首を掴む。

スパナは止まった。

ぎりぎりのところで、頭蓋に触れる直前で。


だが、止まらなかった。

壊れた機械のように腕に力を込めて更に押し込んでくる。

ならばその勢い、もらうぞ。

俺はそのまま手首を引き寄せ、腰を沈めながら体を捩り、逆に投げ飛ばす。


「きゃっ……!?」


偽ルナの身体が宙を舞った。

俺は手首を引き寄せながら身体を反転させ、その勢いのまま偽ルナを投げ飛ばした。

回転した身体は大きな弧を描き、その落下軌道の先には俺の脚を掴んでいた偽の俺の顔があった。


ドゴォッ……!!

頭と頭が破裂するように激突する。

骨が軋み、鈍く重い音が部屋に響き渡った。


だが偽ルナは呻きながらもすぐに立ち上がってきた。


「……おい、マジかよ。まだ立つのか……?」


けれど既にその動きには重さがあった。

さっきまでの勢いはもう消えていた。


「じゃあな、偽ルナ。悪いけど、容赦はしない」


右拳を握る。

拳に全身の力を込め、決意ごと叩き込む。


「これが俺のインフィニット デストラクション パンチだ!」


放たれた拳が偽ルナの腹に深く沈んだ。

刹那、呼吸が止まり、空間が静止した。


そして――

全身をびくりと震わせた偽ルナは、そのまま糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。


しばらくの静寂の中で倒れたその身体が淡く赤い光を帯び始める。

輪郭がゆっくりと滲み、揺らいでいく。

やがて光は空気に溶け込むようにして痕跡すら残さずに静かに消えた。


言葉にならないものが喉の奥まで込み上げた。

けれど飲み込んだ。

偽物だ。

ただの偽物にすぎないはずだった。

……なのに、あいつはルナの顔をしていた。

ルナの声で俺の名を呼び、スパナを振るって俺を殺そうとしてきた。


その姿に迷いはなかった。

だから俺も迷えなかった。

拳に残る感触はやけに重く、そして、悲しかった。

それでも目を背けることはできない。

もうひとり残っている。


「……あとはお前だけだぜ、俺の偽物」


「ちくしょーが!この渾身の一撃でお前をぶっ殺してやる!くらえ、インフィニット デストラクション パンチ!!」


咆哮とともに偽の俺が拳を振りかぶる。

その構えを見た瞬間、理解した。

――こいつはもう、ただの模倣じゃない。


構えに宿る重量。

軌道に滲む意思。

その拳は確かに俺のものだった。

俺に届くためだけに磨かれた、本気の一撃。


「……なんでお前だけが本物なんだよ」


偽の俺が低く呟く。


「お前は仲間を守るために戦ってんだろ?」


偽の俺は吐き出すように続けた。


「だったら俺だって同じだ。痛ぇし、怖ぇし、負けたくねぇ。それの何が偽物なんだよ……!」


――その叫びは、俺自身の声みたいだった。


だが――


「……そうだよ。その技は、そうやって使うんだよ。でも、遅かったな」


静かに構える。

腰を落とし、呼吸を整え、全ての感情を沈める。

拳に込めるのは力ではない。

そこにあるのは自分自身を越えるというたったひとつの意思。


「受け取ってやるよ。その気持ちだけはな……だけど、これは……俺が本物である証明だ!!くらえ!これが本物の、インフィニット デストラクション パンチだ!!」


二つの拳がほぼ同時にぶつかり合った。

刹那、轟音とともに衝撃が爆発する。

爆風が瓦礫を吹き飛ばし、空気が激しく震えた。

視界が白く弾ける。


俺の体は浮きかけた。

だが、耐えた。

拳の奥で確かに伝わる力。

そこには俺ともうひとりの俺、互いのすべてがぶつかっていた。


「ぐ、ああああああああっ……!そんな、馬鹿な……俺が、負けるだと……!?」


吹き飛ばされたのは偽物の方だった。

背中から地面に叩きつけられ、土煙の中で崩れるように沈黙する。


ようやく終わった。


俺は大きく息を吐き、肩で呼吸を整えながらゆっくりと歩を進める。

勝敗はもう覆らない。

偽の俺はうつ伏せのままかすれた声で呟いた。


「……さすが……本物だな。全身が……動かねぇ……完全に、やられたよ……」


その右腕が赤く光を帯び始める。

光は熱を帯びたようにじわじわと広がり、やがて全身を包み込んでいく。

まるで自らの役割を終えたことを知っていたかのように。


「……そうみたいだな」


俺は静かに応じた。

だがこいつは最後まで俺の姿をしていた。

動きも、癖も、声も、何もかもが俺だった。

偽の俺がゆっくりと呟く。


「……お前らは、一体……何者なんだ?魔法も……使わないのに、こんなに強いなんて……下の世界でも、見たことがねぇ……」


その問いに俺は短く返した。


「俺は普通の人間だ。けどな、お前らみたいな化け物に負けるつもりはねぇよ」


偽の俺はわずかに口角を上げた。

まるで、何かをようやく理解したみたいに。


「……そうか……怖いな……上の世界の人間ってのは……」


その声が風に溶けるように途切れた瞬間、偽物の身体は赤い光を放ちながら、ゆっくりと霧のように消えていった。


光の粒子はふわりと宙を舞い、何かを遺すように揺れながらやがて空気の中へと吸い込まれていく。

静寂が戻り、すべてが終わったかのような錯覚が胸を打った。


だがそこにひとつの証が残されていた。

床に転がるふたつの青い宝石。

透き通るようなその輝きはまるで、彼らが最後に遺した「想い」を映しているようだった。


俺はそれを拾い、拳の中でそっと包み込んだ。


(終わりじゃない……まだだ)


「次は、偽ヴァンか」


気づけば自然に言葉がこぼれていた。

そいつがどこに向かったのかなんて考えるまでもない。

やつの標的は決まってる。

そう、イヴァンだ。


俺は拳を握り直し、足元の瓦礫を踏み越える。

大きく口を開ける屋敷。

その闇の奥へ、イヴァンを救うため、俺は迷わず踏み込んだ。


◇ ◇ ◇


天空が激戦を繰り広げていたその頃――

その正反対のように静まり返った屋敷の裏手、影の深い裏口。

そのわずかな隙間にイヴァンは詩織ちゃんと身を潜めていた。


冷えた石壁に背を預け、彼は荒くなった呼吸を殺すように喉の奥で押し留めた。

だが心は決して静まらなかった。

背中越しに守るように立つ彼女の存在が逆に彼の神経を鋭く研ぎ澄ませていた。


筋肉は張り詰め、震え、軋んでいた。

昨夜から続く負傷と疲労がまるで時を待っていたかのように一斉に牙を剥く。

特に後頭部――

昨日、不意打ちを受けて倒れたその箇所からは未だ乾ききらぬ血がじわりと滲み、脈打つ痛みが首筋を走る。

痛みは鈍く、だが確実に意識を削っていく。


そして、その痛みの正体が目の前に現れた。

足音もなく現れたその存在はまるで鏡の中から抜け出してきたようだった。

顔つき、髪の一本一本、肌の色、そのすべてが寸分違わず同じだった。

だが、ひと目見ただけでわかる。

そこに宿っているものは、まるで別の生き物だ。


表情は不自然に歪み、無感情な笑みが皮膚の下から滲み出る。

それは言葉にできないほどの違和感だった。

脳が本能的に警鐘を鳴らす。


「……しまった、敵に見つかった……!」


イヴァンが呟いたその瞬間には背中にはすでにじっとりと汗が滲んでいた。

目の前にいるのは間違いなく偽物。

だが、それは紛れもなく自分自身の姿をしていた。


「ていうか……何だよ、あれ。俺……?どういう……ことだよ……」


言葉にすればするほど現実味が失われていく。


「えっ……!?イヴァンくんが……二人いる……?」


詩織ちゃんの声は震えていた。

その目には現実を受け入れきれない動揺が滲んでいた。

当然だ。

あまりにも突然で、あまりにも異様だ。

イヴァンでさえ目の前の自分をまだ信じ切れていなかったのだから。


だが、思考が追いつくより先に痛みと息苦しさが現実としてのしかかってきた。


今の自分は戦える状態じゃない。

呼吸は荒く、膝は痛み、後頭部には脈打つような鈍痛が走っている。

額から落ちた汗が目に入り、視界がじわりと滲む。

そして何よりあの傷。

昨日誰かに背後から殴り倒されたあの一撃が今になって彼の全身に疼きを刻みつけていた。


(ああ……頭が割れそうだ……。まぁ、痛みの半分は詩織ちゃんのせいなんだけどな……)


脳裏に浮かぶのは彼女に蹴られた瞬間の記憶。

だが、笑う余裕もない。

今はそれどころではなかった。


「詩織ちゃん、隠れてて!」


一瞬だけ戸惑いを浮かべたものの詩織ちゃんはすぐに頷いた。


「うん、わかったわ」


そして気配を殺すように物陰へと身を滑り込ませた。

その背後で偽イヴァンが唇を吊り上げ、不気味に笑った。


「昨日、あれだけ殴ってやったのに……まだ動けるのか。足の一本でも折っときゃよかったな」


その声にイヴァンの中のすべてが一瞬で繋がった。


(こいつらか?俺を縛り、何度も殴りつけ、頭を何かで殴ったのは)


あの一撃の正体が今ここにいる。


「……昨日俺を殴ったのは……お前だったのか」


拳が自然と握られる。

怒りが体の芯に火を灯し、血の気がぶわりと逆流する。


「なんか痛ぇと思ったら、頭から血が出てたわけか……ふざけやがって……。お前だけは絶対に許さないからな」


その声は低く重かった。

決意と怒り、そして明確な殺意がそこに宿っていた。

だが偽物は嘲るようにわずかに肩を揺らした。


「そんな体でこの俺とやり合うつもりか?お前らはもう用済みだ。今すぐ殺してやる――正拳一閃突き!!」


裂くような声とともに偽イヴァンが踏み込み、拳を突き出してきた。

殺意だけで構成されたような直線。

それはただ破壊するための一撃だった。


だが、イヴァンは一歩も退かなかった。


(あんな雑な拳、真正面から来るだけに見切れる……いや、今の俺でも止められる)


膝をわずかに沈め、腹に力を込める。

偽物の拳が腹にめり込んだ瞬間、内臓を揺さぶられるような衝撃が全身を貫いた。

それでもイヴァンは、一歩たりとも退かなかった。


「……何だこの貧弱なオーラは。お前も相当くたばってんじゃねぇか」


偽物が見せた油断。

その瞬間の揺らぎをイヴァンは逃さなかった。


「なにぃ……?なめてんのかよ……!」


「くらえ、偽物……これが本物の――正拳一閃突きだ!」


閃光のように振り抜かれた拳が、風を斬り裂く音と共に偽物の腹に突き刺さった。


「ぐはっ……!こ、これが……本物の正拳一閃突き……か……。威力が……違いすぎる……!」


腹を押さえ、偽者がよろける。

膝が折れ倒れ込んだかと思った瞬間、バネのように立ち上がり、狂ったように背を向けて逃げ出した。


「おいっ!逃げるな、待て!」


イヴァンの叫びが夜気を切り裂く。

だが、偽物は一度も振り返らなかった。

恐怖に突き動かされるようにただ必死で走る。


イヴァンは唇を噛み、全身の痛みを押し殺してその背を追った。


――絶対に逃がさない。

昨日の一撃の代償を、今ここで払わせる。


◇ ◇ ◇


イヴァンが偽物を追って姿を消した、ちょうどその頃だった。

俺は屋敷の中を走っていた。

曲がり角を跳ねるように曲がり、床板の軋みを無視して廊下を踏み抜け、襖を開けて裏口へと駆け抜ける。


吹き込んできた外気が俺の額ににじんだ汗を一気に冷やす。

背筋がぞくりと震えた。

けれどそんな感覚も一瞬で吹き飛んだ。

そこに詩織ちゃんがいた。

ぽつんと裏口の縁に立ち尽くしていた。

まるで誰かに置き去りにされたみたいに。


「……あ、あれ?詩織ちゃん?どうしてここにいるの?」


思わず声をかけると彼女はびくりと肩を震わせ、目を大きく見開いた。

張り詰めていたものがふいに切れたように俺の姿を見るなり目に光を滲ませる。


「え?え?天空くんこそ……どうしてここに……?」


声が震えていた。

無理もない。

ここまでの出来事がどれだけ彼女にとって異常だったかなんて想像に難くない。


「いや、それはこっちの台詞だよ。……詩織ちゃん、イヴァンは?どこにいるか見てない?」


俺の問いかけに彼女はハッとしたように周囲を見渡し、それから躊躇いがちに手を上げて指を差した。


「あっち……あの角を曲がっていった。二人とも……」


「……わかった。ありがとう、詩織ちゃん!」


彼女が差した方向を見た瞬間、もう俺の足は動いていた。

脇腹に焼けるような痛みが走り、呼吸は途切れ途切れだった。

それでも止まらなかった。


――イヴァンが偽物と戦っている。

足が勝手に前に進み、時間の感覚さえ曖昧だった。

けれど気づけば俺の目の前にはさっきの茶室が現れていた。

畳の匂いがまだ残っている静かで落ち着いた空間。


だが、そこにあったのは静寂ではなかった。

そこにいたのはイヴァン。

……が、二人。

まったく同じ制服。

髪型も、顔も、傷だらけの姿まで。

見間違える余地なんてない。

だけど同時に見分けもつかない。


ふたりのイヴァンが互いに睨み合い、張り詰めた空気の中にいた。

どちらも、どう見ても本物だった。

一方は肩を上下させながら荒く息をついていた。

もう一方は口を閉ざしたまま拳に力を込めていた。


まるで鏡の中から抜け出してきた存在同士が今ここで対峙しているようだった。


「天空!やっと来たか!戦うの手伝ってくれ!」


右側のイヴァンが声を上げる。

その叫びに思わず反応しそうになったそのとき――


「天空!こいつが偽物だ!俺じゃない!こいつを早く倒してくれ!」


左側のイヴァンも同じ声で叫び返してきた。


(……おい。何だよそれ。マジでふざけんな)


見分けがつかない。

どっちもイヴァンにしか見えない。


だが、俺はその場で一歩、足を踏み出した。

……見極めてやる。

たとえ姿が同じでも、イヴァンなら間違えるはずがない。

異界樹物語を読んで頂きましてありがとうございます。

ここから世界一面白いストーリーが展開していきます。


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