第16話 それぞれの決意と待ち受ける未来
◇ ◇ ◇
ルナはゆっくりと階段を上がり、二階の奥――天空の部屋へと足を運んだ。
扉を閉める音すら立てぬまま静かに部屋に入り、ベッドの縁に腰を下ろすとそのまま背筋をまっすぐに伸ばしたまま長い思索へと沈み込んでいった。
カーテンの隙間から差し込む曇天の光が床にかすかな影を落としている。
ここに身を置いたまま彼女はいくつもの出来事を遡るように思い返していた。
この異なる世界に来てからまだ十五時間ほどしか経っていない。
それは一日のうちのわずかな時間に過ぎなかったが、そこに詰め込まれていたのは到底受け止めきれぬほどの密度を持つ現実だった。
まず何よりも彼女を襲ったのは恐怖だった。
自然に溶け込むように在った精霊が人の形を模すまでに歪められた――否、それはもはや精霊ではない。
穏やかな心を奪われ、魔物と化したその存在に追われるという現実が彼女の中に最初の衝撃を刻みつけた。
だが事態はそれだけでは終わらなかった。
それらが実の父によって人工的に造られた可能性――その予感は希望ではなく、むしろ一層深い絶望となって胸の底に沈殿していた。
しかしそれらを上回る衝撃があった。
それは彼女が強制的にこの地へ転送されるよりも前――まだ下の世界にいた頃には、すでに亡き者として記録にも人々の記憶にも残っていなかったはずの姉、セレネエレシアの存在である。
彼女は死んだのではなかったのか。
あの記憶――いや、断片的な映像の中で見た彼女の姿は命の灯を失ってはいなかったように思えた。
だが、その姿は決して希望の光ではなかった。
生きていたからこそ痛ましかったのだ。
無数のケーブルに繋がれ、意思を表す術すら奪われ、まるで機械の一部として扱われるかのように囚われていた姉の姿が網膜に焼きついたまま離れなかった。
天空は言った。
自分が王女である以上、本来ならば元の世界へ戻るべきだと。
それは正論だった。
実際、ルナもそのつもりでいた。
初めからここに長く留まる気などなかった。
己の記憶の意味を掘り下げ、その果てに帰還する――それが彼女の本来の計画だった。
だがその計画はもはや現実味を失っていた。
理由は単純でそして重い。
彼女が「追われる身」になってしまったからだ。
倒しても次にはより強大な何かが控えているかもしれない。
逃げ切れる保証などどこにもなかった。
だが彼女の足を縛っていたのは恐怖ではない。
脳裏にこびりついて離れなかったのはケーブルに繋がれ意識も曖昧なまま、それでもなお生きていると感じさせた――あの姉の表情だった。
それを見た瞬間ルナは悟ったのだ。
自分はもう、帰ることなどできない――。
「私にもっと……力があれば……姉上を助けることができたのに……」
誰に向けるでもなく、誰に届くこともないその言葉は喉の奥でかすかに震えただけだった。
だが同時にルナは理解していた。
そう願ってもそれは叶わない。
今の自分では追ってくる魔物の一体ですら対処できない。
それなのに元の世界へ戻ったところで何を変えられるというのか。
彼女は現実から目を背けなかった。
無力であることの意味を痛いほどに知っていた。
だからこそ彼女は考えを切り替えようとしていた。
現実逃避にすがったところで姉は救えない。
幻想に身を委ねても誰も守れはしない。
ならば、今、自分が本当にすべきことは何か――それを考えなければならない。
天空とイヴァン。
あの二人は自分と同じ年頃とは思えないほどに強い。
彼らの背中が遠くに見えることが羨望と同時に焦燥をもたらした。
それでも彼らが自分を匿ってくれている現実がある。
だが、いずれこのままでは限界が来る。
より強大な魔物と遭遇した時、彼らの力をもってしてももはや守り切れなくなるかもしれない――そんな不安が喉元を締めつけるように疼いた。
本当にそれでいいのだろうか。
ただ守られているだけの存在でい続けて本当にいいのだろうか。
そう問いかける声が内側から湧き上がってくる。
「もっと強くならなきゃ……。私も、闘えるように……」
思考が静かに動き始めた。
現状のままの中途半端な魔力では到底通用しない。
新たに現れるであろう敵を撃退するには今の力では足りない。
彼女はその事実を受け入れ、選択を迫られていた。
まずは支えることを考える。
無理に前に出るのではなく後方から確実に貢献できる術を探さなければならない。
彼女が注目したのはあの水の魔物が放った技――ウォーターガンと呼ばれた相手の動きを封じる技だった。
天空でさえ、イヴァンでさえあの技には苦戦していた。
動きを封じられて対応が遅れれば一瞬で形勢を崩される危険と隣り合わせの技だった。
ならばそれを模倣できれば逆に強力な抑制手段となるはずだ。
何よりあの技の性能も構造も彼女の記憶にははっきりと刻み込まれていた。
恐怖と共にそれは記憶に焼きついて離れなかった。
魔法を発動させるために必要なのは対象を具現化するイメージ。
彼女はこれまでその部分でつまずいていた。
頭の中に構築するイメージが曖昧で魔法が安定しなかった。
だが今の彼女は違っていた。
実際に目にした戦いが、恐怖を伴って脳裏に焼き付いている。
その鮮烈な記憶は模倣のための設計図とすらなり得た。
水の流れ、圧力の集中、噴射の瞬間――その全てがまるで刻まれた映像のように鮮やかだった。
そう、彼女は少しずつ強くなっていた。
誰かに守られるだけではない、自分の力で何かを為すために。
姉を救うために――そして再び誰かを失わないために。
その時、ルナの中で何かが動き出していた。
それはまだ名もなき決意だったが確かな形を持ち始めた最初の一歩だった。
◇ ◇ ◇
一方その頃、一階の居間ではイヴァンと俺が沈黙の中に座っていた。
先に口を開いたのはイヴァンだった。
「なあ天空、その……ウェルシュナー博士って人、死んだと思うか?」
彼の声は落ち着いていたが、どこか引っかかるような違和感があった。
単なる疑問ではない。
そこに混じるのは警戒――いや、ほとんど確信めいた直感だった。
俺は少しだけ息を吐いて答えた。
「うーん……むしろもうこの世界に先に来てるかもしれないな」
そう、俺も同じことを考えていた。
こういうタイプの人間は簡単には死なない。
倫理なんてとっくの昔に捨てた連中ほど何故かしぶとい。
そしてその生き延びた先でまた別の厄介ごとを起こす――そんな気がしてならなかった。
イヴァンは目を伏せて更に考えを続けた。
「その博士を先に見つけて直接話を聞けたら一番なんだけどな……でも手掛かりが全然ないんだよな。俺たちは顔も知らないし、居場所も見当がつかない。そもそも生きてるかどうかすら分からない」
俺は静かに頷く。
目の前に霧が立ち込めているようであらゆる予測が曖昧になる。
それでもイヴァンの思考は止まらなかった。
眉を寄せながら慎重に言葉を選ぶように彼は口を開いた。
「それとさ……ルナちゃんがこの世界に来てからまだ十五時間くらいしか経ってないんだよな。たったそれだけしか経ってないのに、敵はもうここまで迫ってる。何かおかしいと思わないか?準備が良すぎるんだ」
その指摘に俺も内心で唸った。
確かにそうだ。
まるで最初からこの町に来ることを知っていたかのような動きだった。
「ああ、敵はルナがこの町に来るってことを最初から知ってたみたいだった。……だけど、いくらなんでも見つかるのが早すぎる。普通じゃあんなタイミングで俺の家に襲撃なんてできない。あいつらはルナの到着を確信してたってことになる」
口にしながら自分でもその違和感をなぞるような気分だった。
イヴァンは黙って聞いていたが、ふいにうつむいてからぽつりと答えた。
「……もしかしたらルナちゃんはずっと彷徨ってたんじゃないか?あの異次元ってやつの中を何日も……いや、下手したら何か月もさ」
その言葉が落ちた瞬間、室内の空気が少しだけ重くなった気がした。
彼の声には漠然とした恐れと確信に近い直感が入り混じっていた。
「その間に敵はこっち側に手を回してたってことか。時間をかけて何体も送り込んで……じゃあルナがこっちにたどり着いた時点で包囲は始まってたってことになる。もしそうなら俺たちは最初から後手に回ってるってことになるな」
「……ルナちゃん……」
イヴァンがつぶやいた名はどこか痛々しかった。
ルナの身を案じるというよりも彼女が通ってきた過程の過酷さを想像してしまったような響きだった。
「でもさ、ルナには意識があったんだろ?だったら、その空間――異次元とかいうやつは普通の時間とは流れが違う可能性もあるんじゃないか?異次元の中での数時間がこっちの数日とか――いや、もっとかもしれない。時間が歪んでるならすべて辻褄が合う気がする」
そう言いながら自分の中の理屈にすがるような思いもあった。
少なくとも彼女が無傷で生きているという事実はひとつの救いだった。
「まぁ……とりあえず今のルナは特に問題なさそうだ。目もしっかりしているし、頭の中もハッキリしている。無事にこっちの世界に来れた。それだけでも……今は十分だろう」
言葉で自分を納得させているような感覚があった。
イヴァンも似たような気持ちだったのかもしれない。
だが、彼の表情には別の疑念が浮かんでいた。
「なぁ、天空。最初に現れた魔物……家の窓を割っていきなり飛び込んできたんだろ?その時点で他の魔物にもこの家の場所が知られてた可能性は……」
「それは考えた。だけどあの狼のやつは明らかにルナの匂いを追ってきてた。だから今はルナに香水を使わせて匂いを断ってる。奴らが嗅ぎつけてくるのはその手段しかないようだったからな。しかも俺の部屋に入って来たのは一体だけだ。俺がすぐに追いかけて倒したから他の魔物に報告されたとも思えない」
「じゃあ、今のところこの場所はバレてないと……?」
「もしここがバレてるならもうとっくに他の魔物が押し寄せてきてるはずだ。だからこそ、まだ何も起きてないのが逆に怖いけどな」
イヴァンは立ち上がってソファに掛けていた上着を羽織ると、ためらうことなく玄関へと向かった。
その背中にはどこか決意のようなものが滲んでいた。
「でも、念のため今日は一日中警戒しておこう。お前は怪我がひどいんだからまずは身体を休めてくれ。俺が代わりに外の様子を見てくる」
「……わかった。頼む」
玄関の扉を開けるその背に俺は何も言えなかった。
イヴァンが今、一人になりたがっているのがわかっていたからだ。
彼の中で何かが渦を巻いている。
自分の力不足をかみしめているような悔しさを押し込めているような気配が背中越しに伝わってきた。
だから俺はただ静かに見送った。
黙って、それでもしっかりとその背を目で追いながら。
◇ ◇ ◇
居間に一人きりになった天空は敵がこの家を襲ってくるかもしれないという切迫した事態よりもむしろ別のことに思考を占められていた。
――自分が負けた。
それが彼の脳裏にいつまでも焼き付いていた。
たしかに深夜からの連戦が続いていた。
体にはいくつもの傷があったし、万全な状態ではなかった。
それでもあの水の魔物にあっさり力を押し切られてしまった事実は言い訳の余地なく彼の中に突き刺さっていた。
誰に責められたわけでもない。
だが、どこかで彼はその日々に退屈していた。
天空は子供の頃からずっと「強い男の子」だった。
何をやっても他人より早く、正確に、力強くできた。
力でも技でも勝っていた。
周囲の誰もが彼を褒め、称え、時に恐れた。
そして彼自身もまたそれを当たり前として受け入れていた。
だがどこかで彼はその日々に退屈していた。
そんな彼の人生にある日突然変化が訪れた。
イヴァン――かつて日本にやって来たその少年と初めて武道大会で拳を交えた日。
あの瞬間から彼の世界は鮮やかに塗り替えられた。
生まれて初めて自分と互角、いやそれ以上の強さを持つ存在に出会った。
初めて勝てないかもしれないと感じた。
その事が彼の胸に火を灯した。
燃えるような情熱が毎日の訓練に張り合いを与え、生きる意味さえも与えてくれた。
けれどそれから数年が過ぎた。
イヴァンとその家族がすぐ近くに住んでいるという状況はやがて日常になった。
隣に「最強」がいる生活はそれだけで刺激を削ぎ、かつて心を焦がしていた「強くなりたい」という衝動を少しずつ蝕んでいった。
慣れ、馴れ合い、惰性――。
訓練は続けていた。
だがあの頃ほどの熱はもうどこにもなかった。
いつの間にか彼は闘志そのものをなくしていた。
だが、今――敗北という現実が鈍っていた心を殴りつけた。
あのとき倒れた瞬間の無力感、奪われそうになった命の重さ。
ルナの震えた手の感触。
守るべき誰かの存在がこんなにも身近にあるという事を痛みと共に思い知らされた。
「……俺は、強くならなきゃいけない」
ぼそりと誰に聞かせるでもなく呟いた言葉は部屋の空気に消えた。
「ルナを守るために。そして誰にも心配されないために。たとえ俺一人でも勝ち続けなきゃならないんだ」
その瞬間、再び心に火が灯るのを彼は感じた。
あの日のようにただ拳を握り締めるだけで震えるほどの衝動が胸の奥から蘇ってくる。
それは敗北によって得たもう一つの始まりだった。
――一方その頃、天空の家を出たイヴァンもまた独りで思考の迷路を彷徨っていた。
風が吹く。
湿り気を帯びた風が髪を撫でる。
辺りは静まり返っていたが彼の心の内は穏やかではなかった。
複雑な感情が言葉にならず渦巻いていた。
あの異形の水の魔物。
次元を超えた脅威。
そして……ルナ。
イヴァンの中で何より引っかかっていたのはルナの父親の存在だった。
「……許せないんだよな。俺は」
誰に聞かせるでもなくイヴァンは低くつぶやいた。
彼は父に厳しく育てられてきた。
それはいつだって愛情の裏返しだった。
殴られたこともある。
反発したこともある。
けれどその根底にあったものが怒りや支配欲ではなかったと今なら分かる。
だが、ルナの父親は違う。
彼女の言葉や態度からにじむ怯えが何よりそれを証明していた。
「ルナちゃんがあんな場所に帰ったとしても……父親に何をされるか分からない。だったらこっちで――普通の女の子として生きる方がよっぽど幸せだろう……」
ふと、思考が止まる。
ほんのわずかな時間だった。
だが、その一瞬に別の現実が脳裏をかすめた。
このままルナちゃんを匿い続けたらどうなる――?
敵は必ずまた来る。
そしてその矛先が自分だけで済まなくなる未来も容易に想像できた。
父が、母が、兄が巻き込まれてしまう可能性が現実として迫っていた。
父親に真実を伝え、ルナをこの町から安全な別の場所に移した方が良いかもしれない。
「……でも、今この話を父さんにしても信じてくれるとは思えないな」
異次元だとか魔物だとか。
あまりに現実離れした話が多すぎた。
信じてほしい気持ちはある。
けれど現実を受け入れてもらえる保証はなかった。
「話すのはまだ早いか」
胸の中でそう決めるとイヴァンはゆっくりと空を見上げた。
あれほど澄み渡っていた空が気づけば重く沈んだ雲に呑まれていた。
その暗さが今の彼の迷いを代弁しているようにも思えた。
けれど願ってしまう自分がいた。
どうかこの問題が――時間と共に自然に解決してくれればいいと。
そう願うことしか今の自分にはできなかった。
だが、その願いはいつだって無力だった。
彼の心のどこかでそれを知っている自分もまた確かに存在していた。
◇ ◇ ◇
その夜――イヴァンは遅くまで俺の家の周囲を見回ってくれていた。
けれど魔物が現れることはなかった。
空気は冷えていたが不穏な気配はどこにも感じられず、夜は静かに更けていった。
ルナは俺の部屋で休むことになり、俺は前と同じように一階のソファに毛布を引っ張ってきて横になることにした。
ソファは狭く、硬く、寝心地がいいとは言えなかったけれどルナが安心して眠れるならそれで充分だった。
イヴァンは「明日も朝から来る」と言って自分の家に戻っていった。
俺は彼の背中が見えなくなるまで、玄関先に立ち尽くしていた。
妙に心細く感じたのは、身体が本調子じゃなかったせいかもしれない。
それとも――俺はただ、自分の無力さに打ちのめされていたのかもしれない。
朝が来た。
いつものように唐突に。
俺が寝ぼけ眼で顔を洗い、ルナが俺の部屋からそっと出てきた頃、リサイクルショップで買った商品がトラックで届いた。
段ボールを開けた瞬間、ルナの顔がぱっと明るくなる。
まるで部屋の中に朝日が差し込んだようだった。
「うわぁ……全部、ほんとに届いたのね!」
両手を広げて新品同様の家具や雑貨に駆け寄るルナを俺はしばらく無言で見つめていた。
あの子はかつて一国の王女だったはずだ。
誰もが頭を垂れ、望むものはすべて手に入っていた人生。
なのに今はリサイクルショップで買った中古の家具やぬいぐるみを目の前にしてこんなにも嬉しそうに笑っている。
……不思議な感覚だった。
そういえば昨日一緒に買い物に行った時に少し予算を超えていた気がした。
案の定、運んできてくれたリサイクルショップのおじさんは少しだけ苦笑いを浮かべていた。
「いやぁ、ルナちゃんが選びすぎちゃってね。実は宝石を売った分よりもちょっとオーバーしちゃったけど……まあ、いいよ。こんなに買ってくれたんだからおまけしておくよ」
だがルナはぴしゃりと言った。
「そんな事出来ないよ。私が選んで買ったものなんだからちゃんと支払うわ」
そう言って昨日家に戻ってから大切に保管していたアクセサリーを全て手に取り、それをおじさんの前に差し出した。
「はい、これを。王家にとって価値のあるものよ。これなら足りるでしょう?」
おじさんは困ったように、それでいてどこか感動したような目でそれを見つめた。
「……本当にいいのかい?これ、すごく高そうだけど」
「うん。大丈夫。もう私には必要ないから。どうぞ持っていって」
「……そうか。じゃあありがたく頂くよ。ありがとうね、ルナちゃん」
そのやりとりを見ていたイヴァンがふと思い出したように口を開いた。
「そういえばさ、水の魔物を倒した時に青い宝石みたいなのを拾ったんだよな」
「マジか?それはかなりいい戦利品だぞ。下手したら数万円、いや数十万するかもな」
「(だから昨日、リサイクルショップに行ってたのか)……あれ?どこ置いたっけ?ああ、多分俺の家だ。明日、学校行く前にまた持って来るよ」
そう言ってイヴァンはルナの新しい部屋になる予定の二階の部屋へリサイクル品を運ぶのを手伝ってくれた。
おじさんが運びにくそうにしていた家具をあいつは軽々と抱えて階段を上がっていく。
ついでにおじさんには俺の部屋の壊れた窓も簡単な工具で直してもらった。
すべての搬入が終わるとリサイクルショップのおじさんは軽く頭を下げてトラックに戻っていった。
その後ルナは新しく整えられた部屋のドアをそっと閉じてこちらを見ずに言った。
「今日は一日、この部屋で……少し考え事をさせて。夕食の時になったら呼んでちょうだい」
俺とイヴァンは深追いせずそのまま彼女をそっとしておくことにした。
イヴァンはその後も俺の家の周囲を何度も出入りしながら見回りを続けてくれた。
誰に言われるでもなく、自分から進んで動いてくれる。
そんな彼に俺は心の底から感謝していた。
――おかげで少しだけ眠る時間を持てた。
体力もゆっくりとだが回復してきている気がする。
明日は……学校か。
まあ、三日も休めば何とかなるだろう。
テストも無いし。
長かった。
そして怒濤のように過ぎていったこの数日間の休日がようやく穏やかに終わりを迎えようとしていた。