第156話 死の支配と抗い続ける限界の攻防
月明かりが差し込む中、冷たい風を受けながら俺は一直線にタナエルへ向かった。
狙いは、こちらへ向けられた左手。
(あの手が握られる前に――潰す)
地面を蹴った瞬間、一気に距離が詰まる。
二歩で間合いに入り、そのまま正面へ踏み込む。
「くらえ!インフィニット デストラクション パンチ」
拳を叩き込もうとした瞬間――
「ステレオン アイギス」
青白い光が空間を覆う。
拳が弾かれ、硬い壁に叩き返されたような衝撃が腕を駆け抜け、骨の奥まで響く。
そのまま後ろへ押し戻され、地面を滑るように距離を取った。
(やっぱりそう来るか……!)
視線を逸らさず、タナエルを睨む。
微動だにせず、俺を見据えるその姿に冷たい気迫が宿っていた。
「俺を寄せ付けない戦い方……カティフラクトの戦い方とそっくりだな」
呼吸を整えながら言うと、タナエルはわずかに目を細めた。
「その程度の攻撃で、この私に触れられると思うな」
淡々とした声。
まるで最初から結果が見えているようだった。
「へっ……そうかよ」
俺はすぐに踏み込み直す。
今度は正面からではなく、一歩目で左へ流れ、視線を外す。
二歩目で軸を戻し、右へ回り込む。
(俺の動きが読まれてる……なら)
拳を振り抜くそぶりを見せ、寸前で止める。
その勢いのままもう一歩踏み込み、腰を捻って回し蹴りを叩き込む。
「無駄だと言っているだろう」
振り向きざまにタナエルの右手が鋭く上がる。
「――ステレオン アイギス」
再び展開された魔法障壁に蹴りが弾かれ、衝撃が脚にまで返る。
着地と同時に距離を取り、横へ回り込む。
流れるように踏み込み、勢いのまま地面を蹴って跳ぶ。
「これならどうだ!スピニング アックス クラッシュ!」
回転の勢いを乗せた踵を上から叩きつける。
だが――
「同じことだ」
タナエルは視線すら動かさず右手を上にかざす。
青白い魔法障壁が展開され、衝撃は再び弾き返される。
空中で姿勢を崩され、体勢を立て直せないまま地面へ落ちる。
(こいつ、全部魔法で防いできやがる……)
足裏で地面を削りながら距離を取る。
(だけど、さっきから防いでいるのは当たる直前だけだ。……それなら)
「うおおおおぉぉぉ!」
再び正面から突っ込む。
「くらいやがれ――インフィニット デストラクション パンチ!」
「……無駄だ」
直前で魔法障壁が展開される。
だがその手前で俺は腕を交差させた。
「センソーラ!!」
指先が青白い障壁に触れた瞬間、内部の魔力の流れが浮かび上がる。
弾くために集められた魔力が広がる――その中心へ、指をねじ込む。
「な……!?」
タナエルの表情が初めて揺れる。
青白い障壁に細い裂け目が走り、次の瞬間には一気に広がった。
腕を内側へ食い込ませ、隙間を押し広げながら身体ごとねじ込む。
間合いが消える。
――捉えた。
「今度こそ喰らいやがれ!」
踏み込みと同時に全体重を乗せて拳を叩き込む。
――その直前、タナエルの右手が白く光った。
「スピリ フォティノス」
視界が白に塗り潰される。
光が爆ぜる。
次の瞬間、衝撃が叩き込まれる。
「――がっ!」
肺の中の空気が一気に吐き出され、地面に叩きつけられる。
背中に衝撃が突き抜け、呼吸が止まる。
その勢いのまま地面を転がる。
地面を削りながら、それでも無理やり顔を上げる。
タナエルはわずかに口元を歪めていた。
「ステレオン アイギスを破られた後のことを、私が想定していないと思ったか?」
低く、抑えた声。
その余裕が神経を逆撫でする。
(くそ……こいつ、右手だけで魔法を放ってくる。近づくことすら難しいのか……)
息を整えようとした瞬間、胸の奥で心臓がひときわ強く脈打った。
――ドクン。
ただの鼓動じゃない。
内側から握り込まれるような圧迫が遅れて全身に広がる。
「……くっ」
息が詰まり、肺がうまく動かない。
それでも無理やり吐き出し、崩れかけた体勢を必死に立て直す。
足に力を込める。
止まったら終わる――その確信だけが身体を動かしていた。
正面を外すように横へ回り込み、円を描くように距離を詰める。
視線はタナエルから一瞬も逸らさない。
左手だ。
あの手がこちらを向いている限り、胸の圧迫は消えない。
指先の握る動きに合わせて、苦しさが波のように押し寄せる。
対して右手にはいつでも魔法を撃てるだけの光が集まっている。
(……守りながら、俺を殺すことに徹底してやがる。だけど、あれじゃ……)
舌打ちしそうになるのを抑え、視線を外さず口を開く。
「お前のその左手……ずっとこっちに向けてなきゃ成立しないみたいだな」
ゆっくりと一歩、踏み込む。
「それに――教会でケノリアを殺した時よりも随分時間がかかってるじゃねぇか。俺が嘘を言わないせいか?」
タナエルの目がわずかに細まる。
「貴様に死が訪れるのは時間の問題だ。結果は変わらん」
即答。迷いは一切ない。
だが、その言葉にはどこか不自然な冷たさが残る。
「そうかよ!」
考えを振り払うように地面を蹴る。
「だけど守ってばかりじゃ、俺は殺せねぇぜ!」
一気に間合いを詰める。
視界の端で右手が動くのを捉えたが、もう止まらない。
「くらえ!インフィニット デストラクション パンチ!」
踏み込みと同時に腰を回し、全身の力を拳に叩き込む。
「性懲りもなく同じ事を……ステレオン アイギス」
青白い光が再び前方に展開される。
「うおおおおおぉぉぉ!センソーラ!」
触れる直前、魔力の流れが浮かび上がる。
拳を押し込んだ瞬間、手応えが変わった。
硬いはずの魔法障壁に、ひびが一気に走る。
「――なに?」
タナエルの声が遅れる。
「――うおおおおっ!」
そのままセンソーラを重ね、残った魔法障壁を押し潰し、全体重を拳に乗せる。
狙いは最初から一つ――胸を締め付ける左手。
次の瞬間、鈍い衝撃とともにタナエルの左手が弾かれた。
胸の圧迫が一瞬、軽くなった。
肺に空気が流れ込む。
焼けついていた喉が一気にほどける。
これで死から解放される――そう確信した。
だが――
「……ぐっ?」
消えたはずの胸の苦しさが遅れて戻ってくる。
(確かに、あの左手の動きは止めたはずだ――)
あり得ない。
今ので止まらないはずがない。
――ドクン!
さっきよりも深く、心臓を握り潰してくる。
思わず顔が歪む。
遅れてタナエルの低い笑い声が空気を震わせた。
「くっくっくっくっ……まさか、この私のステレオン アイギスを拳だけで打ち破るとはな」
弾かれた左手がゆっくりと持ち上がる。
「だが――その程度では、死の呪縛からは逃れられん」
指がわずかに閉じる。
その瞬間、胸の奥で心臓が強く握り潰されるような感覚に襲われた。
「――ぐっ……!」
呼吸が止まる。
肺が、まるで動くことを拒むかのように固まる。
視界が一瞬暗く揺れた。
(くそ……!左手に当てるだけじゃ、駄目か……!)
身体の動きが一瞬止まる。
その隙をタナエルは見逃さなかった。
口元に薄く笑みが浮かぶ。
「そうだな……防御に徹するだけではつまらん」
右手がこちらへ向けられる。
掌の中心に白い光が静かに集まっていく。
先ほどとは違う、重く張り詰めた圧。
「では――私からも攻撃をしよう」
嫌な予感が走った。
「くらうがいい。スピリ アクティス」
放たれたのは研ぎ澄まされた一本の光――一直線に突き抜ける高密度の閃光魔法だった。
「なっ……?」
反射的に身体をずらす。
横へ逃がすように体を捻り、ぎりぎりでかわす。
光はそのまま一直線に後方へ抜け、空気を裂くような音が遅れて耳に届く。
(速えぇ……!)
着地と同時に体勢を立て直し、視線を戻す。
タナエルはすでに動いていた。
左手は変わらずこちらを捉え、右手では次の閃光魔法を迷いなく組み上げている。
(……こいつ、片手だけで上級魔法まで撃ってくるのか)
目の前の光景に思考がわずかに遅れる。
左手は変わらずこちらを捉えたまま命を握り潰そうとしてくるのに、右手では何の迷いもなく攻撃魔法を構築している。
だが、それでも俺の足は止まらない。
地面を蹴り、強引に距離を詰める。
胸の奥が軋むように痛み、息が詰まりそうになる。
それでも踏み込む――その瞬間だった。
「スピリ アクティス」
短い詠唱と同時に研ぎ澄まされた光が一直線に走る。
速い――だが、もう見えている。
「センソーラ!」
左手を前に突き出し、迫る光を正面から受け止める。
触れた瞬間、焼けつくような衝撃が腕を駆け抜ける。
それでも力任せに軌道をねじ曲げる。
「うおおぉぉぉらああああぁぁぁ!」
光が横へ逸れる。
その反動を利用して、一気に前へ踏み込む。
タナエルの間合いに入り、右拳を振り抜く――だが直前、上から圧が落ちてくる。
反射的に足を止めた瞬間、視界のすぐ前を光の一筋が掠める。
タナエルの光の手刀が空間を断ち切るように振り下ろされ、地面へ叩きつけられた。
遅れて衝撃が全身を駆け、足元の土が抉られて草と湿った土が弾けるように跳ね上がる。
胸元に鋭い痛みが走り、服が裂けていた。
即座に距離を引き離し、間合いの外へ退く。
呼吸が乱れ、胸がヒリヒリと痛む。
「よくかわしたな。何故、私の攻撃の軌道が分かった?」
タナエルの声は静かだった。
感心しているのか、それともただの確認か――感情は読めない。
(危ねぇ……センソーラで流れを感じてなかったら、今ので終わってた)
答えは返さない。
視線だけを逸らさず、構え直す。
その瞬間、タナエルの左手がさらに深く握り込む。
――ドクン!
「ぐっああぁ……!」
胸の奥が強く潰される。
呼吸を一気に奪われ、視界が暗く揺れる。
足がもつれ、片膝をついた。
心臓を、文字通り握られている感覚――。
「そろそろ終わりが近づいて来たようだな」
淡々と告げられる終わり。
だが――
俺は無理やり息を吸い込む。
肺が悲鳴を上げる。
それでも構わず空気を押し込み、吐き出す。
もう一度、体勢を整える。
「……俺はずっと考えてたんだよ」
かすれた声が息とともに吐き出される。
それでも言葉は止まらない。
「てめぇの意味の分かんねぇ死の技とどう戦えばいいか――ずっと考えてた」
顔を上げ、タナエルを睨み据える。
「だけど、考えてた事は全部防がれた。さすがだな」
タナエルは沈黙を貫く。
両手をこちらに向けたまま、動かない。
冷たく、しかし確実な圧が胸に突き刺さる。
「出し惜しみしても、死んだら意味がねぇ。見せてやるぜ――俺のとっておきをな」
ゆっくりと立ち上がる。
左手で右手首を掴み、頭上に大きく引き絞るように腕を反らせる。
全身をしならせ、オーラを一点――右手へと集中させていく。
空気が震える。
右手に集まった力が、明確なオーラの塊として収束していく。
「はああああぁぁ!オーバーブースト!」
タナエルの瞳がわずかに見開かれた。
次の瞬間にはもう目の前にいる――速い。
「隙だらけだ」
横薙ぎの光の手刀が走る。
だが、俺は身体を後ろに沈めるように倒し込み、紙一重でかわした。
視界の上を光が通過し、空気を裂く音が耳に届く。
「なっ!」
タナエルの瞳がわずかに揺れる。
「わざと隙を見せたんだよ――」
反動を利用し、一気に跳ね上がる。
下からすくい上げるように足を振り抜き――
「くらえ――ユニバース リバーサル キック!」
跳ね上がった一撃。
――ズン!
右足がタナエルの顎を正確に捉える。
骨を打ち抜く衝撃が足から全身に跳ね返る。
タナエルの身体が浮き、そのまま弾き飛ばされる。
俺は勢いのまま身体をひねり、回転しながら着地する。
土を踏みしめ、視線を上げる。
吹き飛んだ先を睨み据え――
「どうだ!一発当ててやったぜ」
吐き出すように荒々しく言い放つ。
右手へ集めていたオーラを蹴りに合わせて右足へ流し込む――ぶっつけ本番だったが、狙い通りの手応えだった。
その一撃は、今までとは比べ物にならない重さで叩き込まれていた。
タナエルはゆっくりと立ち上がる。
口元は血で濡れているが、表情は崩れない。
まるで、その程度の痛みは何の意味も持たないかのように。
そして――左手だけが変わらずこちらを捉えていた。
(……まだ、終わってねぇってか)
口の中で小さく舌打ちを噛み殺す。
「へっ、そうかよ。じゃあ俺も――いくぜ!」
構えを取り直す。
「オーバーブースト!」
左手で右手首を掴み、再び引き絞る。
投げる直前の構え。
全身をしならせ、力の流れを一点へ集約する。
右手にオーラがみるみる集まり始める。
だが――
「私の身体強化の防御魔法をもってしても、この威力。確かに近づくのは危険だな。では、近づかずに対処しよう」
タナエルの声が冷静に響く。
「教えろ。玄冥魔軍のアジトはどこにある?」
その一言に思考がわずかに引きずられる。
「ああ?アムネシアの森を出て真っすぐ三十分くらい歩いたところだ。てめぇ、分かってるくせに質問してくんな!」
反射的に口が動く。
(くそっ……!嘘をついたら死ぬっていう圧が、集中を削りやがる……!)
右手に集めていたオーラが、わずかに揺れる。
たったそれだけの僅かな乱れ――だが、この状況では致命的だ。
その隙をタナエルが見逃すはずがなかった。
右手が光を帯び、鋭く構える。
「スピリ アクティス――!」
閃光が放たれる。
光が直線上に突き抜ける。
「くっ!」
構えを崩せないまま、身体を捻って回避する。
ぎりぎりで光をかわすが、動きは完全に封じられた。
その直後、視界からタナエルの姿が消える。
(速――!)
次の瞬間、目の前に再び現れる。
右手に光を纏った手刀が容赦なく振り下ろされる。
俺は反射的に蹴りを放とうとした。
「そう来ると思ってたぜ!――嘘つきやろう!ハリケーン――」
言葉が途中で途切れた。
視界が揺れる。
タナエルの左手が俺の胸ぐらを掴んでいた。
「――しまっ……!」
強引に押し込まれ、身体が浮き上がる。
至近距離で低く響く声。
「一発当てただけで調子に乗るな。貴様を倒す方法など、いくらでもある」
その言葉と同時に――右手の光の手刀が俺の腹を貫いた。
「ぐわあああぁぁぁ!」
遅れて全身に衝撃が走る。
内側を抉られるような衝撃が腹の奥に突き刺さる。
意識が途切れそうになる――だが、そこで終わらない。
手刀が引き抜かれた次の瞬間、顔面へ回し蹴りが叩き込まれる。
視界が反転する。
地面が迫る。
叩きつけられ、肺の中の空気が一気に吐き出された。
「……がはっ……!」
呼吸が奪われ、全身が痛みで震える。
それでも無理やり顔を上げる。
視界の先でタナエルが静かにこちらを見下ろしていた。
「なかなかやるではないか。さすがはパンドラ様が見込んだだけはある」
一歩、近づく。
「だが――」
左手がゆっくりと持ち上がる。
「どうやら貴様に死の瞬間が訪れたようだ」
指が、ゆっくりと閉じ込めるように握られる――その瞬間。
――ドクン!
胸の奥が強く潰される。
内側から押し潰されるような圧が広がり、全身が硬直する。
呼吸すら、まともにできない。
「――ぐっ!がはっ……!」
そして――もう一度。
――ドクン。
音がやけに大きく響く。
血の鼓動が耳元で暴れる。
その直後、すべてが止まる。
心臓が動かない。
鼓動が完全に途絶えた。
力が抜け、俺はその場に崩れ落ちる。
息も、音も、感覚も、すべて遠のいていく――
やがて、何もかもが途切れた。




