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『異界樹物語』  作者: 大井翔
第三章

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第136話 ラザロという男と塞がれた行き先

俺とルナは息を整えながら岩壁の廊下を進み、突き当たりの重い扉の前に立つ。

扉を前にした瞬間、空気そのものが張り詰めているのを感じた。

この奥にラザロがいる。

ルナの歩みに迷いはなかったものの、焦りの色は隠せていない。

ルナは扉を一度だけ叩き、間髪入れず声をかけた。


「ラザロ、緊急事態よ。入るわ」


返事を待つ素振りも見せず、ルナはそのまま扉を押し開いた。

中は岩室をそのまま広間にしたような空間で、壁面に埋め込まれた淡い灯りが、ゆらめいている。

中央に立っていた男は赤い長髪が束ごと天井に向かって立ち上がっていた。

黒いシャツに黒いズボン。

その上から妙に目立つ赤い腰巻を無造作に巻いていた。


――この男がラザロ。


第一印象は指揮官というより真っ向から喧嘩を買いに行くタイプのように見える。

ただ、その視線の鋭さだけは紛れもなく本物で、この場の空気を完全に握っていた。


「ルナエレシア、どうしたんだ?」


(……呼び捨てで来るのかよ)


ルナは短く息を吸い、早口で事態を伝えた。


「煌月守衛軍にこのアジトが見つかったわ。このままだと危険よ。早く脱出しないと全員が巻き込まれるわ」


ラザロの眉がかすかに動く。


「何だと……?ここを知るのは帝国軍の中でも限られた者だけだ。なぜ漏れた?」


その質問はルナに向けられたものの、視線はゆっくりと俺へ移っていく。


「その男は誰だ。魔影軍の者には見えないが」


冷えた声が岩室に落ち、肌に刺さる感覚が走った。

ルナは一歩前に出て、俺の横に立ったまま言い切った。


「彼が気づいて知らせてくれたの。理由を話している余裕はないわ。ラザロ、急いで。煌月守衛軍が入ってきたら、もう逃げ道は残らないわ」


ラザロは俺を睨むように見つめ続ける。

その視線だけが無言で俺を測っていた。

しばらくして短く息を吐く。


「……分かった。ルナエレシアが言うなら信じよう」


そう言い、広間を出て周囲の部下に声を張り上げる。


「緊急事態だ。煌月守衛軍にこの場所が察知された。このアジトは捨てる。すぐに脱出の準備に取り掛かれ」


「了解!」


怒号に近い返事が響き、空気が一瞬で慌ただしく変わった。

荷をまとめる音、走る足音、矢継ぎ早に飛ぶ指示。

混乱して当然の状況なのに魔影軍の動きには無駄がなかった。


そのざわめきの中、ラザロが振り返り、ルナにだけわずかに柔らかい視線を向ける。


「ルナエレシア、お前は俺と同じ魔法船に乗る。先に行くぞ」


続いて俺へ冷たい視線が投げられた。


「知らせてくれたことには礼を言う。だが、ここから先は俺とルナエレシアだけで行く。お前は別で――」


「はぁ?俺だけ置いていく気かよ?」


思わず口が反応した。

ラザロの目が細くなり、視線に明確な不機嫌が滲む。

敵意ではなく、あくまで邪魔者扱いの冷たさだ。

その空気を真っ向から断ち切ったのはルナだった。


「ラザロ。彼も私たちと同じ船で避難するわ」


ラザロの動きが止まる。

ルナの言葉の鋭さに彼の眉がわずかに揺れた。


「……この男も、か。……いいだろう。ルナエレシアがそう言うなら、仕方ない。認めよう」


その声にどんな感情が潜んでいるのか読み取れない。

ただ、俺に向けられる視線の温度だけは相変わらず低かった。


――それにしても引っかかって仕方がない。


(さっきからルナエレシア呼び……何なんだ、こいつ)


場違いにもそんな疑問が胸に引っかかる。


広間の奥へ進み、脱出の拠点となる場所へ向かう。

魔影軍の部隊は慣れた手つきで装備をまとめ、混乱を押し退けるように整列していた。

やがてラザロが立ち止まり、前方を顎で示した。


「着いたぞ。ここだ」


その先には奇妙な光景が広がっていた。

巨大なシャボン玉状の魔法障壁に包まれた屋形船のような魔法船が、五隻並んでいた。


俺は思わず声を漏らした。


「……なんだこれ。遊園地のアトラクションかよ」


ラザロが一歩前に出て、ルナに視線を向ける。


「よし、行くぞルナエレシア。お前は必ず俺が守る」


守る宣言を当然のように口にするあたり、この男はどこか自信が暴走している。

ラザロとルナは迷いもなく魔法船へ向かおうとしていた。

その時、胸の奥から焦りがせり上がり、思わず言葉がこぼれた。


「な、なぁ、ちょっと待ってくれ。パンドラはどこにいるんだ?」


ルナがぴたりと動きを止め、振り向く。


「パンドラはここにはいないわよ。彼女は別のアジトに移されたの」


「……はぁ?マジかよ」


俺は言葉の意味を掴めないまま、頭の中が一瞬白くなる。

ルナの声は落ち着いていたが、その落ち着きがむしろ不安を引っ張り上げてくる。


「お前たち、いいから早く乗れ。煌月守衛軍が攻めて来るんだろう?」


ラザロが短く急かす。

俺とルナは魔法船へ急ぎ、開いた障壁の裂け目をくぐり抜けた。

入口の膜を通過した瞬間、外界の気配がすべて断たれる。

空気の流れも、足音も、遠くから響いていた水音すら消えて、薄い青に満たされた世界だけが静かに広がった。


船体がゆっくりと動き出す。

ルナは水中のアジトが遠ざかっていく光景をじっと見つめていた。

その瞳の奥には、まだ口に出せない何かを抱え込んでいる気配があった。


俺はルナの横顔から目を逸らせなかった。

聞きたいことが山ほどあるのに、どれを最初に口にすればいいのか分からない。


帝国の魔影軍とどうして行動しているのか。

なぜパンドラを連れ出したのか。

そして――今、パンドラはどこにいるのか。


そんな問いが渦を巻いていると、ラザロが前を向いたまま低く唸る。


「……変だな。アジトの位置がバレたと言っていたな?なら何故奴らは攻撃してこない」


「……あいつらはパンドラがこのアジトにいると思ってる。そんな状態で攻撃なんかできねぇよ」


ラザロの鋭い視線がこちらに向く。


「何故そんな事情をお前が知っている?……お前、何者だ?」


張りつめた空気のまま、数秒の沈黙が船内に落ちた。

だがその沈黙をルナが平然と断ち切った。


「天空は私の彼氏よ」


「……………………」


ラザロの目が信じられないものを見たように見開かれる。


「か、彼氏?冗談を言うな。こんな男がルナエレシアの彼氏であるはずがない!」


「本当のことよ。彼は私の彼氏」


ラザロは一瞬硬直し、その後なぜか堪えきれないように吹き出した。


「ふ、ふははは……なるほど。俺の心を試すつもりなんだな、ルナエレシアよ。そんな浅い揺さぶりで俺たちの真実の恋が揺らぐと思うな!」


「……俺たちの真実の恋?」


何を言っているんだこの男は。


ラザロは胸を張り、妙に誇らしげに俺へ指を突きつける。


「覚えておけ。俺とルナエレシアは正式に結婚を前提に恋愛をしている。お前など入り込む余地はない!」


「いや待て、なんだそれ!?」


ルナが即座に訂正する。


「違うわ天空。ラザロが勝手にそう思ってるだけで、何も始まってないのよ」


心臓を掴まれたような衝撃のあと、安堵が一気に押し寄せてくる。

冷や汗が背に流れ、頭が追いつかないほどの情報量だ。

命の危機とは別の意味で神経を削られる。


「まだ何も始まってないのに将来を固定する恋愛ってなんだよ。おかしいだろ」


その言葉にラザロが反応し、眉が跳ね上がる。


「おい。俺様に文句でもあるのか?」


「ラザロ、いい加減にして。今は煌月守衛軍から逃げることが最優先よ。私情で時間を無駄にしている場合じゃないわ」


「くっ……」


ラザロは舌打ちを飲み込み、前方へ向き直った。


魔法船は昇りながら移動を続ける。

外の光が揺れ、上層の水面が近づいてくる。

その光の揺らぎを見つめながら、ふと思いついた疑問が口をついた。


「なぁ、水の中を進めるなら、このまま遠くまで逃げりゃいいんじゃねぇの?」


ラザロが肩越しに答える。


「無理だ。この水中移動は十数分が限界だ。空気が循環しないからな」


その説明が終わった直後だった。


先頭を走る三隻のうち、一隻が逃走を優先するかのように水面を割って飛び出す。

次の瞬間――


ドォンッ!


重低音が水越しに船内の床を通して伝わり、鼓膜を越えて胸の奥に沈み込んできた。

単なる爆音ではなく、水圧の塊が上から押し寄せてくるような感覚だった。


「なんだ!?」


ラザロの声に緊張が走る。

その響きを聞いた瞬間、ルナの表情から血の気が引き、吸い込んだ息が喉の奥で震えた。


「……しまった。もう先回りされてるわ」


息の温度ごと落ち込むような小さな声。

その変化を逃さなかったラザロが、即座に手で鋭い合図を送る。


「全隻、上昇を止めろ!水中へ戻れ!」


短い命令だったが、魔法船全体が即座に反応する。

浮上しかけていた先頭の二隻が深い水圧に押し戻されるように沈み直し、俺たちの船も横の船と一緒に下へ引きずり戻される。


「おい、どうすんだよ。もう水中で十分以上は経ってるだろ。これ以上は空気が持たねぇって話だったじゃねぇか」


焦りというより、身体が酸素不足を先に理解しているような嫌な感覚だった。

だがラザロは短く息を吸い、迷いを振り切るように言った。


「ならば、俺が先に浮上しよう。やつらの注意を全部引き受けてやる。その間に他の船が逃げる時間くらいは稼げるはずだ」


言葉の響きだけなら英雄じみて聞こえる。

だが今の状況で単独突撃なんて――。


「今追ってきてる煌月守衛軍の中にはポレモスとカティフラクトがいるんだぞ。一人で止められるのか?」


俺が言った瞬間、ラザロの表情から血色が抜け落ちた。

ルナも肩を強張らせ、信じられないものを見るように俺を見つめる。


「ポレモスとカティフラクト……?あの二人は煌月守衛軍でも最上位の実力者よ。そんな連中に追われてたの?」


「仕方ねぇだろ。向こうからすりゃ当主をさらわれて全力になるのは当然なんだよ」


言いながらも胸の奥に負い目のような重さがある。

ルナはパンドラをさらった張本人で、俺は煌月守衛軍に追われる途中で水中に逃げざるをえなかった。

状況を整理すれば追われて当然だが、言葉にしてみると不思議な罪悪感が湧いた。

ラザロは長い沈黙のあと、どこか吹っ切れたような表情になった。


「――ならば、方法は一つだ。最終手段、プランZを実行する。全員、準備しろ!」


船内にざわめきが広がる。

魔影軍の面々はその言葉を知っているらしく、険しい顔で手早く動き始めた。

俺はよくわからないまま、息苦しさに負けてラザロへ詰め寄る。


「そのプランZって何だよ?」


「プランZとは――魔法船を捨てる。そして全員で泳いで逃げる!」


「……え、泳ぐのか?」


あまりにも原始的すぎて、思わず素で返してしまった。

だがラザロは真顔だった。


「おい、お前。飛翔呪文ペトマイ プロオドスは使えるんだな?」


きた、最も言われたくない質問。


「……いや、出来ない」


ラザロは一拍の迷いも見せず返す。


「ならば後方にいるトリマーの飛翔呪文で移動しろ。あいつと一緒なら安全だ。俺はルナエレシアと行動する」


またその呼び方だ。

ラザロがルナエレシアと言うたびに胸の中の何かが嫌な方向へ揺れる。

案の定、ルナが間髪入れず割り込んだ。


「駄目よ。私は天空と行くわ。トリマー、移動の準備をしてちょうだい」


ラザロの顔が一瞬で引きつった。


「ま、待て。ルナエレシアをトリマーに任せるのは危険だ。やはり、お前は俺と行動するべきだ」


「お前さっき『あいつと一緒なら安全だ』って言ったばかりだろ!」


「黙れ!今は緊急事態なんだ。ルナエレシアを誰かに任せる選択肢はない!」


言葉とは裏腹に誰よりも動揺しているのが丸わかりだった。

その応酬の間にも、水圧はゆっくり高まり、胸にのしかかる息苦しさが静かに強まっていく。


魔法船の外では音のない圧がじわじわと近づいているように思えた。

水の暗がりは敵の存在を隠しているのではなく、逆にこちら側の恐怖を増幅させているようで、その重さが肌にまとわりついた。


時間はもう残されていない。

俺はルナの腕を軽く掴み、小声で尋ねた。


「ルナ、お前……泳げるのか?」


「もちろんよ。下の世界に戻ってからオーウェンに徹底的に鍛えられたから。最初に会った時とは違うわよ」


いつものやわらかな声の奥に今まで積み上げてきた努力の層がひっそり滲んでいた。


「さぁ、行くよ、天空」


「おう!」


返事をした瞬間、俺は迷いなく魔法船の外へ飛び出した。

魔法障壁の境界を抜けた途端、水が重力ごと身体を包む。

だが、すぐに動きは取り戻せた。

やはり水中に隠しアジトを構えるだけあって、魔影軍の連中は水中を知り尽くしているかのような速さで進んでいく。

とはいえ息を止めたままの移動には当然限界がある。

限界が来れば浮上し、部隊を分けて飛翔呪文で一気に移動する――それがプランZだった。

だがそれでも思ってしまう。


(……やっぱり行き当たりばったりだよな、どう考えても)


そんな疑念を胸に抱えたまま進んでいるとルナが軽い動作で合図を送り、浮上のタイミングを告げてきた。

ラザロもそれを察し、水面へ向けて角度を変える。


水面が揺れ、光が差し込む。


三人同時に顔を出した瞬間――ラザロが荒い呼吸を押し殺して叫んだ。


「よし、お前ら、俺に掴まれ!ここからは一気に飛ぶ――ペトマイ プロオドス!」


魔法陣の光が水面に広がり、その中心から強烈な浮力が生まれた。

俺たち三人の身体が一気に水から引き剥がされ、空へと跳ね上がる。

水面が遠ざかり、風が全身を叩きつけてくる。


「おい……魔法で空を飛ぶことまで出来るのかよ……!」


驚きが口から漏れた。

下を見ると魔影軍の他の隊も同じように散開し、敵の狙いをばらしていた。


(散らばって敵の狙いを絞らせないつもりか……意外と合理的だな)


そう感心したのも束の間だった。

背後で光の点が跳ねるように膨らみ、こちらへ迫ってくるのが見えた。


「おい、追われてるぞ!」


振り返ると、遠くにいたはずの煌月守衛軍の一人が、一直線にこちらへ向かって飛翔してくる。

他の隊も各方向で追撃を受けているようだが、俺たちの後ろを追う影はひとりだけ――。


(ひとりなら……倒せる)


その確信が生まれた矢先、ラザロが吐息混じりに叫んだ。


「この魔法は……俺の魔力を根こそぎ持っていく……!出来るだけ距離を稼いだら、あとは任せる……!」


飛翔呪文にそんな負荷があるのか。

だが追う側も同じはず――だからこそ、逃げるより迎え撃つほうが早い場面でもある。


しばらく飛び続けていると、ラザロが限界を迎え、近くの岩肌へと着地した。

膝に手をつきながら荒い息を必死に整えている。


「はぁ……はぁ……ここまでだ。飛ぶのはもう……無理だ。あとは走って逃げる……」


「ラザロ、助かったわ。ここからは私たちがなんとかする」


「はぁ……ああ……ルナエレシアを守るためなら、どうとでも……」


またそれか。

この緊急時でもルナに対してだけは異様に熱がある。

だがそのやりとりも束の間だった。


岩場の影へ身を隠そうとした瞬間――背後から重い衝撃音が響いた。

地面に降り立つ気配。

振り返った瞬間、さっきまで遠くにいたはずの追跡者が、すでに目の前に立っていた。


「な……!?は、速すぎる……俺の飛翔魔法に追いついたのか……?」


ラザロが動揺のまま漏らした声は、むしろ正直だった。

ルナも言葉を失い、ただ視線を固める。

そして俺も口が勝手に動いた。


「……お前、なんでここに……」


着地した男が薄く笑った。


「よぉ、オーシャンさんよ。水中から浮かび上がった顔を見つけた時から、お前だけは俺が相手すると決めていたぜ」


その声を聞いた瞬間、全身の温度が一気に引かれた。


「……ポレモス」


煌月守衛軍の中でも、破壊を好み、圧倒的な戦闘力を持つ男。

その名を声にした瞬間、場の空気が変わった。


ポレモスはゆっくりと一歩前に出て、俺を真正面から視界に捉える。


「逃げられると思うなよ。オーシャン。貴様がなぜ帝国の連中と行動しているのか――全部、説明してもらう」


逃げ道は、もうどこにもなかった。

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