第126話 カルポロスの幻想と制御不能な力
パンドラの声に反応して二人は同時に振り向いた。
リモルナは金色の髪を後ろでゆるくまとめ、淡いピンクの薄絹で仕立てられたドレスを身にまとっている。
丸縁の眼鏡が知性を際立たせ、冷ややかな微笑がその表情をさらに鋭く見せていた。
隣に立つエピスティアは金色の髪を肩先で軽く揺らしていた。
髪は日差しのように輝き、オレンジ色のドレスがその存在を際立たせている。
「パンドラ様……何故この場所に?転移の魔法は確かに封じたはず」
リモルナの声が驚きに震えた。
だが、驚きが過ぎるとすぐに冷笑が戻り、その口端は軽く上がった。
パンドラも淡然と笑う。
髪をそっと払う仕草が場の緊張を一瞬和らげた。
「あなたの仕掛けた罠など、あっさりと突破して参りましたわ。あの地下の水でわたくしを溺れさせようなど粗雑な考えですわ。脱出の手間は想像よりもずっと簡単なことでして」
胸の奥を重い空気が這い回るようで思わず息を呑んだ。
――あの罠は一歩間違えれば命取りだったはずだ。
だがパンドラはわざと余裕を匂わせる態度を取ったのだろう。
相手に圧倒的な差を感じさせ、心を揺さぶるために。
パンドラは言葉を細く続ける。
音は柔らかいが、拒む余地のない強さを秘めていた。
「地下で見せられたあの『ハイブリッド』など、全く当てになりませんわね。本能だけで動く存在に期待など出来ませんわ。わたくしの軍が必要とする秩序と統制は、はるかに上ですのよ」
リモルナは一瞬言葉を失い、硬い表情で口を開いた。
「パンドラ様、あの地下のハイブリッドはこの町で死した者たちを材料にした失敗作にすぎません。私たちはあなたのご命令に従い、より強力な戦力を生み出そうとしていたのです」
「わたくしの命令?」
パンドラの視線が鋭くリモルナを捉えた。
「わたくしはそのような指示を下した覚えはございませんわ」
リモルナは目を閉じ、唇を軽く噛みながら小さく息を吐いた。
「ええ……そうですわね」
――その言葉は場の空気を凍らせた。
リモルナの主張とパンドラの否定が噛み合わず、重い沈黙が広がる。
パンドラが命令を否定すればリモルナはあっさりとそれを認める。
だが、俺の注意は次第にエピスティアへ向かっていった。
彼女はこちらを向いているはずなのに視線がわずかにずれている。
瞳は焦点を失い、遠くの虚空をさまようようで、まばたきもほとんどない。
指先が微かに震え、機械のようなぎこちなさで動く。
管理施設で俺を欺いたあの鋭い眼差しは跡形もなく、今は虚ろな人形のように立ち尽くしている。
表情は凍りつき、かつての人間らしい感情は完全に失われていた。
リモルナは口調を落として続けた。
「パンドラ様……本来ならあなたにはあの場所で最期を迎えていただくはずでした。煌月家の未来のために、そして王国をより良き方向へ導くために──」
その声には冷たく計算された響きが混じっている。
思想と目的がわずかな感情をも押し潰すほどの重みをまとっていた。
パンドラはゆっくりと笑った。
両手を小さくかざし、声を上げる。
「煌月家の当主はわたくしでして。わたくしが消えれば煌月家は終焉を迎えることになりますのよ」
沈黙の後、パンドラはゆっくりと顔を上げ、静かに言葉を放った。
「リモルナ、選びなさいませ――ここで死ぬか、それとも大人しく捕えられて裏切りの理由を語るか」
言葉は優雅だが、その選択には猶予がない。
空気は一気に張り詰め、誰もが動きを止めた。
だが、その間にも俺の視線はエピスティアから離れられなかった。
彼女の表情の欠落は不自然で、それが何を意味するのかを考えずにはいられない。
管理施設で見たあの策略家めいた面影はどこへやら、目の前で起きるやり取りに反応はなく、まるで遠い記憶に囚われているかのように動きも表情も止まっていた。
リモルナの声が再び響く。
「軍において戦場での感情や不安定さは敗因を招きます。ですが、ハイブリッドが改良されれば感情に左右されず命令に忠実に従う存在となるのです!さぁ、やりなさい、エピスティア」
「はい、お姉様」
エピスティアはその言葉に応じ、静かに一歩踏み出した。
次の瞬間、彼女の身体が目に見えぬ速さで動いた。
鋭い風を切り裂き、瞬時にパンドラの眼前へと迫る。
パンドラの髪がわずかに揺れ、彼女の瞳が冷たく光り、口元に薄い笑みが浮かんだ。
「何……!」
俺は思わず声を上げた。
転移魔法ではない。
魔力を纏った身体が一瞬で、一直線に突き抜けてきたのだ。
パンドラが一瞬瞳を見開く。
エピスティアの手には鋭いナイフが光を反射し、振り下ろされようとしていた。
瞬時に俺は飛び出し、左手でナイフを握る彼女の手首を強く掴んだ。
すかさず右手で彼女のナイフを払い、身体を半回転させて左ひじを彼女の腹部に叩き込んだ。
ゴンッ!
衝撃がひじから全身を駆け抜ける。
だが――
「なに……っ!」
手応えがない。
生身とは思えない硬い反発がひじを跳ね返した。
彼女の腹筋は鋼のように強靭で、ひじはわずかに沈んだだけで弾き返された。
その隙に、すかさずエピスティアの左手が俺の顔を鷲掴みにした。
細いはずの腕が頭蓋を砕くような力で締め上げてくる。
「ぐっ……!」
俺の身体は宙に浮かび、彼女の力で後頭部を地面に叩きつけられそうになる。
「させるかよ……!」
頭を引いて勢いをつけ、全身を軸に半回転。
渾身の力を込めて放つ。
「――食らえ!ユニバース リバーサル キック!」
バァン!
鋭い蹴りがエピスティアの顔を直撃し、衝撃波のような爆風を巻き上げ、彼女の身体が吹き飛んだ。
「やべぇ……咄嗟に反撃しちまった!まさか殺してしまったか……?」
胸の奥が冷たく締め付けられ、喉が詰まる。
だが、エピスティアはすぐに立ち上がった。
虚ろな瞳は焦点を結ばず、ただ俺を捉えている。
(生きてる……!だが俺の必殺を食らっても倒れないなんて……。おかしい。エピスティアは元々こんな力を持っていなかった。俺とアイディエルが戦っていた時も怯えて隠れているだけだった。……なら、これは――)
振り返るとリモルナが唇の端を吊り上げて笑っていた。
その様子を見てパンドラが鋭く声を投げる。
「リモルナ……まさか、あなた自分の妹にカルポロスの力を与えましたの?」
挑むような問いにリモルナは誇らしげに顎を上げた。
「ええ、その通りです。妹がパンドラ様に反向かおうとしていると知り、このままでは私もパンドラ様に殺されてしまう……そう考え、私は決意しました。ですので、エピスティアにカルポロス実験の完成版を投与したのです。結果――妹は最強の戦士となり、私の命令を絶対に裏切らない存在となったのです」
「カルポロス実験の完成版……。それで戦う力など持たなかったエピスティアが、ここまで変貌したというわけですのね」
「ええ。カルポロス実験とは植物が持つ強靭な生命力や爆発的な成長エネルギーを抽出し、それを人間に注入するもの。細胞を強制的に活性化させ、肉体を桁違いに強化する。植物を構成する炭素、酸素、水素……その基礎元素を人間の体に適合させ、組織そのものを再構築させるのです」
「……まぁ、実に驚くべき実験でしてよ」
パンドラの口元に冷たい笑みが浮かんだ。
俺は背筋に冷たい汗が流れるのを感じながら思わず口を挟む。
「パ、パンドラ……?」
リモルナは俺の狼狽をよそに、さらに言葉を重ねる。
「パンドラ様、ようやく分かっていただけましたでしょう。これこそが煌月家の未来を切り開く力……私が求め、創り上げた答えなのです」
パンドラはわずかに呆れを含んだ眼差しを向け、深く一息を吐いた。
その仕草には敵を嘲るというよりも無知に対する憐憫が滲んでいた。
「ですが、リモルナ。あなたは戦場をその目で見たことがないようですわね。軍の力を高めるだけでは帝国の軍団に敵うはずもありませんわ。軍団とは一人の怪物を倒す戦いではなく、幾千の兵が規律と連携をもって動く巨大な機構ですのよ。あなたが頼みとする力を底上げするだけでは、その歯車の一つすら崩せはしませんわ」
パンドラは両手を優雅に掲げ、黒い炎を編み上げた。
空気を焦がす熱と圧を帯びた炎が渦を巻きながらエピスティアに襲いかかる。
エピスティアは怯まず両手を突き出し、その炎を受け止めた。
掌に伝わる衝撃と熱で腕が小刻みに震える。
それでも彼女の瞳は虚ろなまま、命じられた役割に従い続けていた。
リモルナが淡々とした声で告げる。
「パンドラ様、カルポロスには極めて高い再生能力が備わっているのです。あなたの黒き炎が細胞を焼き尽くそうとしても瞬時に原子が再結合し、より頑丈な組織を再構築するのですわ」
「だから何だってんだ」
俺はリモルナの声を遮るように身体を低く沈め、一気に踏み込んだ。
瞬時の隙をつき、彼女の背後に回り込む。
両手を掴み、強く押さえつけた。
「あいつはお前の命令に忠実なんだろ?なら、やめるように命じさせればいいだけの話だ」
だがリモルナは冷静だった。
身をひねって俺の拘束を振り払うと、反動を利用し、掌底を俺の顔面に叩き込んだ。
「ぐっ……!」
衝撃で視界が揺らぎ、地面に叩きつけられた。
俺はふらつきながらも立ち上がった。
「まさか……お前もカルポロスを打ってやがったのか」
リモルナは髪を払い、挑むような笑みを浮かべた。
「完成版カルポロスは原子の結合を組み替え、常人を超える力を与えますわ。それだけではなく植物の因子を取り込むことで若さと美しさ、さらに長寿までもが手に入るのです。当然、私も注射いたしましたわ」
「へっ……つまり、ハイブリッドの怪物が二人いるってことか。だけどお前は少なくとも自我を失ってはいない。なら、どうして妹をあんな化け物にした?妹だろうが」
リモルナの目がわずかに細められた。
「もちろん私の意志ひとつで元の姿に戻せますわ。ですが、戦いの最中では感情に揺さぶられ、命令を拒む恐れがありますわ。だからこそ制御の効いたこの姿でなければならないのです」
その言葉にパンドラの表情が険しく歪む。
「確かにカルポロスは力を与えるのでしょう。ですがそれは心を侵し、理性を蝕む毒でもありますのよ。リモルナ、あなたはまだ気づいていないのですか?」
リモルナは首を横に振り、薄く笑みを浮かべる。
「無駄ですわ、パンドラ様。私たちはこれまであなたを恐れ従ってきました。ですが今の私たちには、あなたへの恐怖など欠片も存在いたしません」
確かにリモルナとエピスティアは強くなっていた。
それでも俺の目にはパンドラの力が全てを圧倒しているように思えた。
パンドラの黒い炎の魔法を幾度も受け止め続けていれば、いくら再生能力があろうと限界はあるはず。
――それなのに、何故こいつらはこんなにも余裕を見せられる?
俺の視線は自然とリモルナの手元へ吸い寄せられた。
彼女の指に嵌められた指輪。禍々しい造形。
思い出す。あれは館で初めてエピスティアを見た時に彼女も着けていたものだ。
装飾品として見過ごしていたが、二人揃って同じ指輪をしているのは偶然にしては不自然すぎる。
衣装に馴染まず、その異様な光だけが際立っていた。
俺の視線に気づいたせいか、リモルナはゆっくりと片手を掲げ、まるで高慢に見せつけるように手の甲を傾けた。
指先の金属がわずかにきらめき、そこに嵌められた指輪が妖しく瞬いた。
「パンドラ様――少しの間、眠っていただきましょう」
リモルナの言葉と同時に指輪の光が波紋のように広がった。
空気が歪み、耳鳴りのような高周波が胸を締めつける。
かつてエピスティアの館で感じたあの殺気――同じ不気味な気配がここにも漂う。
「うっ……!」
パンドラの膝がふらりと崩れ、彼女は静かに地面に沈んでいった。
倒れる音は小さく、だがその静けさが不穏な重さとなって場を支配した。
「お、おい……!」
俺は本能で駆け寄り、顔に張り付いた濡れた赤い髪をかき分け、パンドラの顔を覗き込んだ。
「おい、パンドラ、しっかりしろ!パンドラ!」
揺さぶっても、呼びかけても、彼女はまるで深い眠りに落ちた人形のように動かない。
呼吸はある。だが瞳は閉ざされ、俺の問いかけに対して反応はない。
「まさか……お前らの仕業か。パンドラが突然眠る病に侵されたってのは、こういうことだったのか」
リモルナの声は平然としている。
嫌悪がこみ上げるのを抑えられない。
「そんなわけないでしょう。パンドラ様の御病気はもっと深刻なものなのです。ですが、治療法を研究する中で見つけたのですわ。パンドラ様を眠らせることのできる音の波長を――その力をこの指輪に組み込み、投射することができるように仕立て上げましたの」
俺は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
治すどころか弱点を悪用するそのやり方に胸の奥で怒りが燃え上がった。
「お前ら、どれだけ汚いことをするんだ。パンドラはお前たちを信じていたのに。だから、いつまで経っても病気は治らなかったんだな」
リモルナは薄く笑い、顔に浮かぶ影を嫌みに変えた。
「もういいわ。エピスティア、始末しなさい」
合図と同時にエピスティアが一気に飛びかかってきた。
その動きは人間離れした速さと機械のような正確さを帯びていた。
拳と蹴りが絶え間なく繰り出され、魔力を纏った一撃一撃が全身に振動として伝わる。
「舐めるなよ!格闘家としての経験も知識も俺の方が上だ!お前みたいなやつとは何度も戦ってきた!」
身体を捻り、エピスティアのパンチをかわす。
反撃の隙を捉え、腰をひねって鋭い蹴りを放つ。
彼女の動きが一瞬止まった瞬間、全力を込めて叫んだ。
「くらえ!インフィニット デストラクション パンチ!」
右拳が渾身の力で彼女の腹部を打ち抜いた。
ゴッ!
鈍い衝撃音と共に緑色の粘液が飛び散り、エピスティアの身体が大きく吹き飛ぶ。
だが、地に倒れたかと思えばすぐに立ち上がる。
虚ろな瞳の光は痛みにも動揺にも揺らがず消える気配もない。
(――痛みを感じないのか。あるいは再生が即座に痛みを打ち消しているのか)
俺の胸には別の策略があった。
エピメスから受け取った注射器。
モノフローンが渡してくれたカルポロスの作用を抑える薬が詰め込まれている。
外から与えられた異物の働きを抑え、再生や強化のループを崩せれば彼女は元の人間に近い脆さを取り戻すはずだ。
注射器が右手の中で冷たく輝き、ずしりと重みを帯びた。
心臓の鼓動が耳元で高鳴り、視界がエピスティア一点に絞られる。
「どうあがいても無駄ですわ。カルポロスは完璧ですの。どうせ死ぬなら、あなたもカルポロスを打って私の部下になりなさいませ。悪いようにはしませんわよ」
リモルナの挑発が響くが、俺はそれを振り切った。
「そんなもんいらねぇよ。カルポロスの力が万能だなんてのは幻想だ。帝国だってこれがただの無理やり力を引き出す薬だと知ったらすぐに弱点を見つけちまうぜ!その証拠が今ここにある!」
叫びながら距離を詰め、一気にエピスティアの背後に回り込む。
左腕で首を締め上げ、動きを封じた。
強烈な抵抗を軸足で抑え込み、右手の注射器を彼女の首筋に突き立てる。
「くらえ!」
薬液が流れ込んだ瞬間、エピスティアの全身が震えながら反応した。
彼女の瞳が一瞬だけ大きく見開かれ、全身の動きがぎこちなくなる。
「どうだ!」
リモルナの顔色が一瞬で蒼ざめた。
「あなた……何を打ったのです?」
彼女の声は驚愕と恐怖に震え、普段の冷静さを失っていた。
「カルポロスの影響を抑える薬を打ったんだ。これで力が収まるはずだ!」
「何を言っているのかしら!カルポロスの力を抑えるなど不可能ですわ!そんな得体の知れない薬を投与すれば何が起こるか分からないのですわよ!」
「はぁ!?」
言葉を返す暇もなかった。
エピスティアの身体が突然激しく震え、喉の奥から押し出されるような呻きが響いた。
次の瞬間、全身の毛穴から緑色の液体が滲み出し、オレンジ色のドレスを侵食する。
布地が溶け、艶やかな生地は滴る粘液に絡まり、緑に染まった異形の姿へと変貌した。
「おい……もしかして制御を失ってるんじゃないか?力を抑え込むどころか逆に増幅してるような気が……」
俺は身構え、声を荒げる。
「当たり前ですわ!」
リモルナが叫んだ。
「あなたはカルポロスの基盤を壊したのですわ。再生の鎖が崩れれば力が暴走するのは当然!そんなこと、常識でしょう!」
「何だよそれ!それだけで壊れるならカルポロスってのは弱点だらけってことじゃねぇか!」
その瞬間、エピスティアの皮膚の下で細胞が膨張し、再生と変異が暴走を始めた。
彼女の姿は破壊的な進化を遂げ、悲鳴とも咆哮ともつかぬ濁声が耳を裂いた。
「ぐぅぅ……!」
その声と共に彼女のシルエットは人の形を失い、異形へと変貌していった。
やがて現れたのは肉食植物を思わせる異形の巨体だった。
紫に染まった幹のような胴から無数の蔦と牙を持つ花が芽吹き、地を這うようにうねる。
頭頂の黄色い花弁のような口が開き、赤黒い斑模様が妖しく脈動した。
歪んだ口からかすれた声が漏れた。
「お……お姉さま……」
リモルナの瞳が見開かれ、感情の揺らぎが隠せなかった。
「ああ、エピスティア……なんて素晴らしいのです!力が……魔力が大幅に上がっている!これはカルポロスの完成形を超えた新たなる進化ですわ!」
「はぁ?どこがだよ!ただの化け物にしか見えねぇぞ!」
俺の怒声に構わず、リモルナは手を振り上げた。
「さあ!エピスティア!あの男を今度こそ仕留めなさい!」
その号令に応じるようにエピスティアの胴から伸びた巨大な食虫植物が牙を剥いて襲いかかってきた。
だが――標的となったのは俺ではなくリモルナ自身だった。
「えっ……!?」
牙の並ぶ蔦がしなる鞭のように振り下ろされ、リモルナは咄嗟に跳躍してかわした。
刹那、蔦が地面を叩きつけ、その衝撃で石が砕け飛んだ。
「何をしているの、エピスティア!私じゃなく、あの男を攻撃なさい!」
必死に叫ぶ声。
しかし――エピスティアの瞳にはもはや姉の姿を認識する理性はなかった。
俺の姿など完全に無視し、眼中にはリモルナだけがあるようだった。
ただ暴走する力と憎悪にも似た感情が渦巻き、彼女を縛っていた。
リモルナの声は届かない。
隙を突いて俺は倒れたパンドラを抱き上げた。
「……もういい。フィトリアに帰る」
吐き捨てるように言葉を投げると、視線をリモルナへと向ける。
「そんな穴だらけのカルポロスなんて使えるわけねぇ。脅威でも何でもない。パンドラも変身したエピスティアの姿を見りゃガッカリするぜ。せいぜい姉妹で遊んでな、じゃあな!」
挑発めいた言葉にリモルナの顔が怒りで引き攣った。
唇を震わせ、必死に声を張り上げる。
「私のカルポロスを侮辱するなど決して許しませんわ!事が収まらぬなら、エピスティアを伴ってフィトリアへ参りますわ!」
俺は呆れた顔で声を荒げた。
「お前なぁ……町を救うのか襲うのか、もう支離滅裂じゃねぇか!」
「わ、私は……この王国の未来のために研究を続けてきたのです。すべてはパンドラ様を支え、煌月家のために良かれと思って……」
「ふざけんな!お前はパンドラを殺そうとしただろ!これ以上ふざけた事を言ったら、この注射をお前にもぶち込むぞ!」
リモルナの顔が恐怖で歪んだ。
足が一歩後ずさり、声が震えた。
「う……ううっ……わ、分かりました。どうか……どうか助けてください……」
俺は一瞬考え、低く条件を突きつけた。
「……いいだろう。ただし条件がある。眠っているパンドラを今すぐ起こせ」
「パンドラ様の体に起こっている異変は……私の力では治せませんわ」
「嘘つけ!お前が強制的に眠らせたんだろ!だったらその音の波長を変えて、少しの間だけ起こすことぐらいできるはずだ!」
リモルナは観念したように瞼を伏せ、震える声で答える。
「……分かりました。やってみます」
「もしパンドラに何かおかしな真似をしたら、お前を殺すからな」
俺は低く唸るように言い放ち、リモルナを睨みつけた。
彼女の顔に再び恐怖が走り、唇が震えた。
そのやり取りの最中、エピスティア自身が音もなく動いた。
カルポロスに変貌したその身体は、さっきよりもさらに膨れ上がり、異様な気配を放っている。
俺はパンドラをそっと地面に横たえ、エピスティアの前に踏み出した。
「怪物に変わったエピスティアは……さっきより数倍は強くなってやがるな。だったら、もう手は抜けねぇ」
深く息を吸い込み、拳を握る。
「久しぶりに全力で行くぜ!」
足を大きく開き、全身を地に沈める。
指先にまで力が漲り、視界がエピスティア一点に絞られる。
「いくぞ!」
気合をみなぎらせ、俺は全力でエピスティアへと飛び込んだ。