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第117話 欲望に染まる瞳と静寂の祈り

扉を開けた瞬間、エピスティアの視線が一瞬だけこちらを見た。

――その刹那、彼女の腕が動く。

短剣が迷いなくパンドラの胸元へと滑るように走る。


「くっ――!」


咄嗟に俺は彼女の前へと身を滑り込ませ、手を伸ばした。

その刃を逸らすべく拳を振りかざし、短剣の柄を狙って打ち払おうとした。

だが――


「ぐっ……!」


鋭い痛みが腹に走る。

エピスティアは反射的に短剣の狙いを変え、俺の横腹へと突き刺してきたのだ。


「ぐふっ……!」


喉から濁った息が漏れた。

口の中に血の味が滲む。


エピスティアが静かに呟いた。


「……誰だか知らないけど、邪魔をするなら……あなたも、殺す」


その声には冷気よりも冷たい悦びが滲んでいた。

次の瞬間、彼女はすぐ傍に置かれていた大きな花瓶を掴み、躊躇なく俺の頭めがけて投げつけた。


「死ねぇっ!」


――ガシャンッ!


俺は反射的に拳を振り上げ、花瓶を真っ向から打ち砕く。

砕けた陶器の破片が宙に散り、乾いた破裂音が部屋中にこだまする。


その音に反応したか、扉の外から足音が近づいてきた。

するとエピスティアは突然――叫んだ。


「誰かっ!助けてぇ!この人たち、私を殺そうとしてるの!!」


あまりに突飛な声だった。

さっきまで血に濡れた笑みを浮かべていた女が今は両手を胸元に当てて怯えた少女のように肩を震わせ、泣き叫んでいた。

その演技の切り替えはもはや見事とすら言えるレベルで悪意の手練だった。


バン、と勢いよく扉が開いた。

現れたのは三人の男たち。

だが、その中の一人を見た瞬間、全身に嫌な気配を感じた。


――あいつ。


淡い銀髪をなびかせ、深紅の装束を纏った男。

その仕草ひとつひとつに無駄がなく、指先の動きまでもが美しく整っている。

しかし、その目は冷たく、理知的な光の奥に氷のような欲望が隠れていた。


「おや……またお会いしましたね。まさかこんなところで会うとは、実に奇遇だ」


男はにこやかに笑いながら部屋を見渡し、そして俺に目を細める。


「魔鉱師登録所でお会いしましたね。……お忘れですか?」


「お前は……」


「遅れました。アイディエルと申します。顔を覚えていただけて光栄です」


一礼するその所作には一分の隙もない。

しかしその目はすでにパンドラの方へと移っていた。

彼は倒れている彼女を見て笑った。


「……やはり、間近で見ると一段と美しい。こうして眠っておられると、なおのこと――ぞくりとするほどに」


胸が焼けるように熱くなる。


「てめぇ……何を言ってやがる」


エピスティアが震える声で割って入った。


「この女と男が……いきなり襲ってきて、私を殺そうとして……!」


だがアイディエルの目がすっと細まり、エピスティアに横目を向けた。


「……なるほど。だとすれば尚更ちょうどいいですね」


「今……なんて言った?」


「実は彼女を初めて見た時から、どうしても欲しいと思っていたのですよ」


そこには躊躇も背徳も――一片の良心すら存在しなかった。

ただそれが当然の権利であるかのような口ぶりだった。


「ですから――あなたを殺して彼女を私のものにする。何も問題はありませんよね?」


……血の気が引く。

あまりに簡潔で冷酷な宣言。


「……おい、ふざけんな……あいつの正体は――煌月家の当主だぞ……!」


だが、アイディエルは楽しげに鼻で笑った。


「馬鹿を言うものじゃありません。あれほどの魔力を持つ煌月家のパンドラ様が、エピスティアなどに倒されるはずがないでしょう」


たしかに、言われてみればその通りだ。


あの桁外れの魔力を持つパンドラがそう簡単に気を失うとは到底思えない。

あの女に気絶させられるなど本当にあり得るのか?

それなのに今――彼女はまるで深い眠りに堕ちたかのように目を閉じて横たわっている。

意識ごと何か底知れぬ深淵に引きずり込まれたようだった。


信じがたい光景だった。

思い返せば魔法船の中でパンドラとふたりきりになった時のこと。

あの時も彼女は何の前触れもなく目の前で崩れるようにして倒れた。

あれは偶然でも演技でもなかった。

確かに気を失っていた。


まさか、また――?


「……まぁ、今のパンドラを見ても誰も俺の話なんか信じちゃくれないだろう。……だったら証明するしかないな。言葉じゃなく――力で」


「その通りです。私も最初にあなたを見た時から、どう処分するかを思案していたのです。いい機会ですね」


「へっ。俺もあんたの顔を見た瞬間から、いけ好かねぇ野郎だと思ってたよ」


痛みに呻きながら鉛のような体を引きずるようにしてアイディエルの前に立った。

横腹に刺さったままの短剣が内側で鈍く疼いた。

手を添えると指の隙間から血がぽたぽたと音を立てて滴り落ちた。


(ダメだ、このままじゃ意識が遠のく。傷が深すぎる。急いで止血しなければここで力尽きるのは時間の問題だ)


……だが。

目の前の男を倒さなければ生き延びる望みはない。

やるしかない。


俺は痛む腹を抑えたまま焦燥に駆られてアイディエルへ殴りかかった。

だが、無駄だった。

アイディエルは一歩も動じることなく、その場を離れることもなく、こちらの拳を冷静に見極めて身をひねり、空いた側面から鋭く蹴りを放ってきた。

まともにくらった俺の身体は床を滑るように吹き飛ばされた。


――くそ、こいつ、強い。

よりによってこんな状態の時に、こんな奴と鉢合わせるなんて……。


「その目、私は――その目が嫌いなんですよ」


アイディエルの声は冷たく、その中に憎悪が混じっていた。


「誰かを守ろうとする目。自分を犠牲にしてでも他人を守る、そんな目を見ると虫唾が走る。だから……後悔するまでじわじわと蹴り殺してあげましょう」


「奇遇だな。俺もあんたの目は気に入らなかった」


俺はゆっくりと立ち上がる。

血の気が引く。視界が滲む。それでも倒れるわけにはいかない。


「一目見ただけで分かる。あんたのその目……欲にまみれてやがる。奪って、奪って、奪い続けて、それでも満たされずに何かを求める目だ。そんな目の持ち主にパンドラを好き勝手にされてたまるかよ」


「私の前で偉そうな口をきくな……お前の浅はかさを、死をもって思い知るがいい」


次の瞬間アイディエルが踏み込んできた。

高速で放たれる蹴り――それが連続する。

右から、左から、下から、横から。

視界の外から伸びてくる脚は、まるで刃のように鋭く容赦がなかった。

俺は横腹の傷を庇いながら紙一重の間合いで身体を捻り、蹴りの軌道を見極め、背を丸めて回避を続けた。


皮膚すれすれを風がかすめ、踏み込まれた床が鈍く軋むたびに衝撃が骨にまで響いた。

カウンターを狙う余裕など一瞬たりとも与えられなかった。

それでも俺はかわし続けた。

本能だけを頼りに予測と反射で目の前の男の猛攻を回避し続ける。

視線を腰と軸足の動きに集中する。

重心のわずかな動きから次の一撃の方向を見極めて、半歩ずらし、腰をひねり、腕で逸らす。


だが、限界は近い。

横腹の傷が広がっていくのが分かる。

呼吸のたびに痛みが胸から腹へと拡散し、脈打つように熱を持つ。

足元がふらついた。

意識の芯が揺れ、地面の感触がやけに遠く感じる。

時間が経てば経つほど状況は悪くなるばかりだ。

このまま消耗すれば確実に殺られる。


――なら、一撃で仕留めるしかない。

だが、そんな俺の内心を見透かしたかのようにアイディエルの唇が冷笑を浮かべた。


「そんな状態で……私の蹴りをあとどれだけ避けられるかな?」


言い終えるや否や彼はその場で旋回し、鋭く地を蹴った。


雷迅脚連牙らいじんきゃく・れんが――!」


技名と共に殺気が一気に膨れ上がった。

最初の一撃――正面から放たれた跳び蹴りが風を切って俺の肩に炸裂する。

受けきれず体勢が大きく崩れた。

続けざまに、二撃目、三撃目。

左右から交互に放たれる回し蹴りが雷鳴のように轟きながら容赦なく俺を打ち据える。

重い。速い。躊躇がない。

一発一発が狙い澄まされ俺の急所――特に傷口周辺を正確に狙ってくる。


「くっ……!」


腰をひねってかわすが四撃目が傷口のすぐ脇をえぐった。

瞬間、激痛が走り――意識が霞んだ。

アイディエルの動きに迷いはない。

完全に俺の体力が削り切られるのを待っている――殺意そのものだ。


「さっきまでの威勢はどうした!かわすので精一杯か!」


五撃目、六撃目、七撃目――

アイディエルの蹴りは一撃ごとに音を刻み、リズムを生んでいた。

そのしなやかな足さばきはまるで斬撃の旋律――不協和音のように俺を追い詰めていく。

彼の足さばきは地面をほとんど踏まず、まるで空中を滑るように足が舞った。

左右に揺れ、角度を変え、フェイントを混ぜながら次の一撃を叩き込んでくる。


八撃目が左肩にヒットし、俺の身体は大きく後退した。

背中が壁にぶつかる。

逃げ場が消えた。


――ここだ。


目が合った。

アイディエルの表情が一瞬でも「勝ちを確信」したその瞬間。

次の一撃。

重心が沈み、狙いは明白だった。

目線が俺のわき腹を逃さず追っていた。


(俺の傷口を狙ってくる――ここで、全部終わる……)


だが、その意図がはっきり見えた分、こちらにも賭けに出る覚悟が決まった。


「……今だ」


飛び込んできた脚――その狙いすました蹴りを左腕で強引に受け止めながら俺は一気に踏み込んだ。

激痛が腕を走る。

だが、それでも止まらない。

ゼロ距離まで詰め寄る。

至近距離――それこそがこいつの間合いの外。


「くらえ……!」


右の拳に力を込めた。

全身の痛みを無理やり束ね、その一撃に乗せて――


「インフィニット デストラクション パンチ!!」


拳は寸分の狂いなくアイディエルの顔をとらえ、

――ドガァッ!

重い衝撃が空気を震わせた。

乾いた音とともに彼の身体が吹き飛び、床に叩きつけられた。

吹き飛ばされた衝撃でアイディエルの意識も一時的に飛んだのか、しばらく動かなかった。

だが、その怒りが彼を現実へ引き戻した。


「よくも……よくもこの私の顔に、傷を……!」


苦しげな呻き声とともにアイディエルが身を起こし、怒声を吐いた。


「――あの男を殺しなさい!」


後方で待機していた男たち二人が一斉に襲い掛かってきた。


俺は既に瀕死だった。

だが恐怖も痛みも、もうどこかへ消えていた。

極限まで研ぎ澄まされた集中だけが俺の身体を辛うじて動かしていた。

迫り来る攻撃を見極め、最低限の動きで躱し、拳を振るう。

ただの一撃。

それだけで男たちを沈めた。


「な、何をしてるんだ……誰か、誰かこいつを止め――」


視線の先にはあの女――エピスティアがいた。

彼女は一歩も動けず、震えながら俺を見ていた。


「……俺は、まだ……こんなところで死ぬわけにはいかねぇんだよ……!」


噛みしめるように吐き捨てた直後、俺は体勢を立て直し、全身の痛みと出血を無理やり押さえ込んで渾身の蹴りをアイディエルの顔に叩き込んだ。


――ゴッ!

鈍い音が響き、アイディエルの身体がぐらりと傾く。

そのまま崩れ落ちるように床に沈み、それきり動かなかった。


「……くそっ、仕留めきれてない……」


本当ならここでとどめを刺しておきたい。

次に目を覚ました時にまた奴が何をしでかすか分からない。

だが――今はそれどころじゃなかった。

パンドラを連れて一刻も早くここから離れなければ。


俺はゆっくりと振り返る。

部屋の隅で震えていたエピスティアと目が合った。


「てめぇ……今度、大声でも上げてみろ……そのときは、本当に後悔することになるぞ」


「ひいぃっ……!」


彼女は蒼白な顔を強ばらせ、身を縮めていた。

俺はもうそれ以上、彼女に構うつもりはなかった。

ただ、彼女の視界を遮るように一歩踏み出し、パンドラの傍に膝をつく。

意識を失ったままのパンドラをそっと抱き上げる。

腕に伝わってくるのはかすかなぬくもり。

その顔はまるで深い眠りに落ちたかのように穏やかで、俺の腕の中で静かに息づいていた。


(大丈夫だ。もうすぐ助ける……絶対に)


俺はそのまま部屋を後にした。

わき腹の激痛が何度も足を止めかけるが、ここで倒れるわけにはいかない。

まだ息をしている限り俺の役目は終わっていない。


屋敷の外へ出た途端、二人の護衛が俺の前に立ちはだかった。


「お、おい……!お前、一体中で何を……!?……パンドラ様が、なぜそのような……!」


血塗れの俺がパンドラを抱えているその光景に二人は言葉を失っていた。


「……はぁ、……はぁ、……はぁ」


俺は息を荒げながら殺気を滲ませた目で睨みつけた。

ギロリと睨むだけで二人は何も言えずに固まり、その場から一歩も動けなくなった。


冷たい風が肌を刺す。

意識がじわじわと遠のく中、ぽたりと血が落ち、地面には赤黒い染みがじわじわと広がっていた。

足取りは重く、視界は揺れ、熱と寒気が交互に押し寄せてきた。

それでも俺は一歩一歩、前へと進み続けた。

だが、町に辿り着いたところで――ついに力が尽きた。


「くっ……!」


視界が揺れ、膝ががくりと折れる。

パンドラを抱いたまま俺は地面に倒れ込んだ。

だが、意識が完全に落ちる寸前――誰かの声が耳に届いた。


「お兄ちゃん!!やっと見つけた!ずっと探してたんだよ!」


うっすらと目を開けると、登録所で出会った少年、そして採掘場で手を貸してくれた男と女の姿があった。


「おい、あんた、大丈夫か!?それに、その人は……!」


「お兄ちゃん、ひどい怪我……!早く治療班のとこに――!」


だが、俺はかすかに首を振って言った。


「はっ……は……あそこは、もう……信用できない……この道を……真っすぐ行くと教会がある……頼む、そこまで……運んでくれ……」


「……分かった!任せろ。あんた達は俺たちの命の恩人だ。ここで見捨てる訳がないだろ!」


男は頼もしく頷き、すぐに女の方を振り向いた。


「おい、アリナ!魔導車をここまで持ってきてくれ!」


「分かった!」


彼女――アリナは迷いなく走り去った。


「大丈夫だ。教会なら司祭様が回復魔法をかけてくれる。きっと助かる」


「へっ……へへ。ありがとう……」


「俺はテオドロだ。こっちはスピロ。スピロがどうしても礼を言いたいって言ってさ。あんた達にまた会えると思って、この辺でずっと待ってたんだ」


「……そうか……ほんと、助かった……マジでもう駄目かと思ってた……」


「しっかし、あんだけ強いあんた達がこんなボロボロで現れるなんて、何があったんだ?」


「……ちょっと……悪い偶然が、色々と……重なってさ……」


そんな会話を交わしているとアリナが魔導車を運転して戻ってきた。

テオドロはまずパンドラを後部座席に寝かせると、アリナに支えられながら自分もようやく乗り込んだ。

横腹の傷から血が溢れ、服を伝って車内のシートにまでじわじわと広がっていく。

だが、パンドラの顔だけは決して汚さぬよう気をつけた。


魔導車は夕方の町を駆け抜け、教会の前でぴたりと止まった。

「助けてください!」とテオドロの声が響き、すぐに白衣の女司祭と若い修道士が扉を開けて現れた。


「まあ……なんという傷……!すぐに祭壇の上へ。回復魔法を使います!」


テオドロが俺を慎重に車から降ろし、教会の中へと運び入れる。


「この方は私に任せてください。この傷の深さなら私のほうが適しています」


若い修道士が一歩前に出て毅然と告げた。


「お願いします」


司祭が頷き、俺は祭壇の上へと寝かされた。


若い修道士はそのまま祭壇の前に立ち、すぐに詠唱を始めた。


「命の灯を掲げよ、滅びを越え、新たなる鼓動を刻め――」


一拍置いて、その名が響いた。


「ゾーエス アナゲンニシス」


その瞬間、柔らかな緑の光が天から降るように俺の全身を包み込んだ。

暖かかった。

凍えた身体を優しく包む春の日差しのようだ。

清らかな癒しが皮膚の奥まで染みわたっていく。


腹部に刺さっていた短剣がふわりと浮かび上がり、床へと落ちた。

傷口はやわらかな光に包まれながら、じわじわとふさがっていく。

まるで時間が巻き戻るかのように肌は滑らかさを取り戻し、血の流れも静かに止まっていた。


「……おお、あったけぇ……」


俺は無意識にそう呟いていた。

その声に応えるように少年のような雰囲気を持つ優しい男が笑みを浮かべた。


「もう大丈夫です。ですが、完全な治癒には数時間はかかります。我慢できますか?」


彼の金髪は淡い小麦のように柔らかく輝き、肩まで伸びた髪は清潔に整えられていた。

身にまとった白と青を基調とした簡素な修道服は若々しい雰囲気を引き立てつつ、どこか神聖な気品を漂わせていた。


「はい、ありがとうございます……修道士様」


「私はまだ修道士ではないんです。名前で呼んでください。エピメスといいます」


「……そっか。ありがとう、エピメス」


ちょうどその時、テオドロたちがパンドラを慎重に運んできた。


「彼女は……一体?」


エピメスが俺の隣に運ばれてきた彼女を見て、尋ねた。

何を言うべきかほんの一瞬迷った。

だが、率直に答えた。


「……分からない。ただ、前にも似たような事があって……その時は突然眠るように倒れて意識を失っていたんだ」


それを聞いた女司祭が軽く頷き、テオドロたちに指示を出す。


「そこに彼女を横たえてください。目立った外傷はないようですが、念のため回復魔法をかけておきます」


司祭はパンドラのそばに跪き、神に祈るように手を組んだ。


「崩れし調和よ、今一度織り直されよ、癒しの響きをもって――ハルモス イアセオス」


詠唱が終わると同時にパンドラの体が柔らかな緑光に包まれていく。

まるで神の祝福が舞い降りたかのような光景だった。


◇ ◇ ◇


いつの間にか外はすっかり暗くなっていた。

もう三時間位は過ぎているだろうか。


その間、テオドロ、アリナ、そしてスピロの三人は一言も発さず静かに椅子に座ながら俺の治療を見守ってくれていた。

その沈黙には不安もあっただろう。

だがそれ以上に信頼と仲間意識が感じられた。


俺は意識を保ったまま、光に包まれた自分の体が癒えていくのをじっと待ち続けた。

傷は完全に塞がっていた。


エピメスが安堵の表情で言った。


「これでもう大丈夫でしょう。……それにしても、よくあの傷で意識を保ち続けましたね。あれほどの出血なら普通は意識を失ってもおかしくなかった」


「……ああ。俺はこんな場所でくたばる訳にはいかないからな。それに、寝てる間に何かあったら……それこそ死んじまうかもしれねぇ」


エピメスは少し困ったように笑ってから真面目な声に戻る。


「そう言っても完全な回復にはもう少し時間がかかりますよ。今日は教会のベッドで休むべきです」


彼は女司祭の方を見た。

司祭は優しく頷く。


「もちろん構いませんよ。マリンさんもまだ目を覚ましていませんし、ここでしっかり休んでください」


「……ありがとう。心から」


その時、テオドロたちが近づいて来た。


「じゃあ、俺たちはそろそろ帰るよ。今日は本当に助かったぜ。まさかこの町で信頼できる人と出会えるとは思ってなかったよ。……ありがとうな」


横たわったまま、俺は心からの感謝を込めて彼らに言葉を返した。


「あんた達がいなかったら俺は今頃……死んでたかもしれない。本当に感謝してる」


スピロは何か言いたげに小さくうつむいてそっと俺に歩み寄った。


「……ごめんね、お兄ちゃん。僕があんなお願いしちゃったから、こんな事になっちゃって……」


俺はそっと彼の頭に手を置いた。


「違うさ。スピロは何も悪くない。原因は他にある。むしろ、スピロがいてくれたからこそ、いろんな真実にも気づけたし、助けなきゃいけない人にも出会えたんだ」


スピロの瞳がぱっと輝きを取り戻した。


「お兄ちゃん、また明日も来るね!……バイバイ!」


「おう。じゃあ、また明日な!」


三人が教会の入り口に向かって歩き出す――その背を見送った瞬間、俺の胸に何かが引っかかるような嫌な感覚が走った。

……直感だ。

説明なんてできない。ただ、妙に胸がざわつく。


何かがおかしい。


アイディエルにトドメを刺していない。

エピスティアの不気味な沈黙。

カカイラの、あの見下すような瞳――。


あの連中が俺たちをただ見逃すはずがない。

この教会が安全な場所とはいえ、無防備に外に出すべきじゃない……。


「……だ、駄目だ。今、外に出ては……!」


声を出そうとしたが、かすれた息しか漏れなかった。

言葉にならず、息も浅く苦しい。

体力は戻っていないのか――


視線を扉に向ける。

スピロが何の疑いもなく手を伸ばし――教会の扉に指先が触れようとしていた。


(やめろ……やめろスピロ!)


けれど、言葉はもう届かない――。

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