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人間椅子とサイコパス

作者: あいきんぐ

挿絵(By みてみん)


 四月にしては暑い平日のお昼時、部屋で着ていた厚手のモコモコしたスウェットのまま、近所のコンビニに出かけた私は、地球温暖化を舐めていたことを後悔していた。


「四月ってこんなに暑かったっけ……」


 マンションから徒歩三分のコンビニなのに、着く頃には全身にじっとり汗が浮かんでいた。


 帽子の中が暑い。マスクが顔面に貼り付いて気持ち悪い。


 だけど私は、悲しいかな、決してそれらをここで脱ぐことはできない。


 私はこれでも、登録者100万人オーバーの、女子力が高いことで有名な超人気YouTuberなのだ。


 こんなダサいネズミ色のスウェット姿で、コンビニをウロウロしてる姿を誰かに見られでもしたら……その瞬間、私の人生は即ゲームオーバーになってしまうだろう。


 だから、このマスクと帽子は、どんな事があろうと脱ぐことはできないのだ。


 そう、もしこのダサいスエット女の私が、あの超人気YouTuberの赤戸間(あかとま)リコピンと同一人物であると気づく者があれば、私はソイツを存在ごと抹殺しなくてはならないのだ。うん、割りと本気で。


 私はプリンと缶ビールを手に持ってレジに向かう。これが私の今日のランチだ。本当はレジ横のケースで油でびしょびしょになりながら、忠犬ハチ公のようにずっと誰かを待ち続けている、唐揚げ君を本指名してあげたいのだけれど、ごめんね唐揚げ君、今日は朝からカップ麺を食べてしまったから、自重しないといけないのだよ。それに夜には、お洒落なお店でディナーを奢ってもらうんだ。お腹を空かせておかないともったいないでしょ。


 あ、一応言っておくと、YouTuberとしての赤戸間リコピンは、毎日自炊している女子力MAXな女子ということになっている。


 そして彼女が作る料理は、女子力の高い、つまりカロリーの低い、つまり糖質と脂質も低い、でも見た目だけはやたらとお洒落で可愛らしい、つまりのつまり、意識高い系の女子が喜んで「いいね」を押したくなってしまうような料理、という設定になっている。


 けど当然、そんなのは嘘。


 なんで善良な一般市民の私が、あんな死刑囚の餌みたいな味もへったくれもない食事を、毎日食べ続けなければならないのよ。そもそも、料理なんて時間の無駄でしかないじゃない。だって、そんなめんどくさい事しなくても、コンビニに行けば美味しいものが二十四時間、いつでも買えるんだしぃ。


 いかにも眠そうな顔した金髪の若い男の店員が、この世の終わりみたいな光のない目で「袋いりますか?」と聞いてきた。


 オイオイ、またか。


 この店員はやる気がまったくないくせに、いっちょ前にマニュアル通りの質問を毎回してくる。やる気がないならないなりに、マニュアルなんか無視して無言でレジ打ちだけしていればいいものを。


 私は毎日ここのコンビニに来てるけど「袋ください」なんて一度も言ったことはないだろ。毎回、毎回、「いらないです」って答えるこっちの身にもなってほしいものだ。


「あ、あとマイセン((マイルドセブン))


 私が言うと、店員はタバコの棚に向かいながら、「な、何番っすか?」って聞いてきた。オイオイ、ゴルァ!


「二十番!!」


 このやりとりも、もう100回以上はしたやりとりだ。


 いつもその二十番のマイセンしか買わないんだから、普通の人間なら学習すると思うんだけど。というか学習してくれ。バックヤードで私のこと二十番のマイセンの人って呼んでもいいから!


 イライラしながら会計を済ませてコンビニを出ると、また真夏のようなねっとりした空気が体にまとわりついてきた。


 あーもう、最悪!


 私はスマホでSNSをチェックしながら、早足でマンションに向かう。


 平日の真っ昼間で、サラリーマンやらOLが多い時間帯だから、スウェット姿で缶ビールを持った私のような存在は無駄に目立ってしまう。六本木なんかに住むんじゃなかったと、今は後悔しているが、だからといって、また引っ越しするのも面倒なんだよね。


 まあでも田舎だと一日中ずっと毎日家にいたり、深夜に外をウロウロしてたりすると、すぐに不審者扱いされたりするみたいだし、日本って本当に生きづらいよね。いっそ海外に引っ越そうかしら。海外在住ってちょっとかっこいいし。


 そんなことを思いながらタイムラインを眺めていると、私の目に妙なニュースの見出しが飛び込んできた。


『リアル人間椅子にネットも騒然』


 そんな記事。


 人間椅子と聞いてすぐに思い出すのは、私が大好きな小説家の江戸川乱歩大先生の、マニアのあいだでは代表作とまでいわれている、あの傑作短編小説のタイトルだ。


 その素晴らしい小説のタイトルが、「リアル」というなんの変哲もない単語と合体するだけで、ここまで不穏な言葉になってしまうとは。


 事件の詳しい内容は、ネットで調べたらいくらでも出てくるので、ここではサラッと触れる程度にする。


 要するに、郊外の椅子職人のおじさんが、不倫相手に自作の椅子を送ったのだが、その椅子の中から奇妙な声が聞こえたため、不倫相手の女性が不審に思って調べたところ、中には椅子職人のおじさんが隠れていた……という、なんとも不気味でセンセーショナルで変態的でエキセントリックな事件なのだった。


 まさか乱歩大先生も、自分が妄想して書いた怪奇小説が、現実の出来事になってしまうなんて思わなかっただろう……きっと今頃、天国で驚愕し、嘆き悲しんでいるかも。


 いや、逆か。


 きっと乱歩大先生なら、この奇妙奇天烈なニュースを見て、天国から転げ落ちて地獄に落ちてしまうくらい大笑いしているに違いない。うん、そうであってくれ。でも地獄には行かないでね。


 そんな事を思いながら、ようやく自分のマンションにたどり着いた私は、速攻で帽子とマスクとスウェットを脱ぎ捨て、下着姿になって居間に入ると、最近すっかりお気に入りになった一人がけのソファにどかっと座り、買ってきたばかりの缶ビールのプルタブをプシッと開けて、グビグビと喉に流し込んだ。


 やっぱり暑い日に昼間から飲むビールは最高だ!


 それから私はマイセンの封を切り、一本を口にくわえてライターで火をつけた。ふう。


 当たり前だが、私の100万人のフォロワーは、誰も私が喫煙者だなんて知らない。完璧美人のリコピンは煙草なんて吸わないのだ。しかし最近は世間もすっかり禁煙ブーム、有名人になってしまった私はおちおち歩きタバコもできないで困っている。


 ちょっと煙だけ~のつもりが大炎上! からの~下手したら大爆死! だからねえ。


 と、その時。


「たすけて……」


 いきなりそんな声が聞こえてきて、私は全身の毛穴から冷たい空気が流れ込んできたみたいな、急激な寒気を覚えた。


 え、なになに!? おばけ!?


 慌てて立ち上がり、声の主を探す。


 この部屋にはもう半年も住んでるけど、幽霊が出たことなんて一度もない。

 そもそも私は霊感なんてないし、生まれてこのかた、幽霊を見るどころか、金縛りにあったことすらない。そんな私に対して、声だけとはいえ、その存在を認識させるほどの幽霊がいるとしたら……。


 それってめちゃくちゃヤバイ奴じゃん。〇子レベルの悪霊じゃん。


 私は恐怖ですっかり硬くなった首をひねって、キョロキョロと部屋の中を確認した。


 ベッドに机、動画編集用のデスクトップパソコン、ゲーミングチェア。必要最低限の家具しかない、女子力のかけらもない部屋。


 それもそのはずで、ここは私のプライベート用の部屋だから。


 うちは2LDKで、撮影で使うのは隣の居室。


 そっちの部屋は、というかもはやスタジオと言った方がいいかもだが、それはもうお洒落な高級家具が満載で、さながらお姫様の部屋みたいにキラキラで完璧にデザインされている。その部屋に入った瞬間、私の中ではスイッチが切り替わり、超人気YouTuberの赤戸間リコピンちゃんに変身するのである!


 って、そんなことは今はどうでもいいんだよ!!


 さっきの変な声は、間違いなくこの部屋の中で聞こえた。でも、部屋の中をいくら見回しても、その声の主は見当たらない。


 やっぱり気のせい……とはとても思えなかったけど、気のせいであってくれたら一番、私的には安心ではある。


 まあ、とりあえず姿は見えないし、声ももうしないから、いっかぁ。


 私は気を取り直し、ビールを飲みながら、再びソファに座ろうと……。


 その時。


 私の脳裏に、急にあのニュース記事が蘇ってきた。


 リアル人間椅子。


 もし、今この目の前の一人がけのソファの中に、誰かが入っていたとしたら……。


 というか、そもそもこの椅子は、私がチャンネル登録者100万人になった時に、ファンの一人がプレゼントしてくれたものなのだ。その中にストーカー化したファンが隠れていたとしても、不思議ではない。いや、不思議ではなくはないんだけど……まあ、あくまで可能性はあるって話ね。


 まさか、この中に……?


 そう考えると、何だか急に目の前のその椅子が、とんでもなく恐ろしい化け物みたいに思えてきた。


 私は恐る恐る、その椅子の背面に手を当て、ゆっくりと滑らせてみた。青い布で覆われた下で、何か凸凹した金具のようなものが触れた。


 私は急いで机の上のペン立てからハサミをとり、ソファの背面の青い布をジョキジョキと切って、布を剥ぎ取った。


 布の下から現れたのは、ソファというよりも、木の蓋がされた箱みたいな物体だった。


 椅子の形をした棺桶みたいだ。


 蓋は金具によって閉じられていたが、指で金具をスライドさせると、びっくりするくらい簡単に蓋が開いてしまった。


 そして、先ほどまで椅子だったものの中には、ガリガリに痩せた女の子が、背中を丸め、こちらに背を向けて、まるでマトリョーシカみたいに、すっぽりと中におさまっていた。


 え、この子。いつからここにいたんだろう? もしかして、ずっとここに? この椅子が届いた時から……?


 それはまさに人間椅子の小説を読んだ時のような衝撃だった。


 女の子は、蓋が開けられたことに気づいたのか、首だけでこちらに振り向いて、青ざめた顔で言った。


「リコピンちゃん……ごめんなさい、こんなことして……私……ごめんなさい……」


 私はそれを聞くと、黙ってまた蓋を閉じ、蓋が開かないように金具を留め直した。


「えっ、リコピンちゃん! ごめんなさい! お願い、助けて!」


 悲鳴のような声が聞こえる。

 どこから聞こえるんだろう?

 もしかして、この部屋って実は事故物件だったのかなあ?

 私、霊感ないんだけど、怖いなあ。


 私は思わずクスクスと笑って、マイセンを深く吸い、ビールをグビグビと喉に流し込んだ。


 さ、プリン食べようっと。



 ゴールデンウィーク明け、六本木に住む人気YouTuberの自宅マンションにて、椅子の中から女子高生の死体が発見されたという、先月のリアル人間椅子事件を上回るほどのセンセーショナルな事件が世間を震撼させた。


 警察の調べによると、その女子高生はYouTuberのファンであり、先月逮捕された例の椅子職人に依頼して、自分を椅子の中に入れさせると、プレゼントとしてYouTuberに発送してもらったものらしい。


 その真相を、獄中の椅子職人が自白したのである。


 結局、女子高生は椅子の中から出ることができなくなって衰弱死。

 椅子の中から異臭がすることに気づいたYouTuberが椅子を調べると、中から女子高生の遺体が発見されたとのことだった。


 警察は同様の余罪があるものと見て、椅子職人の取り調べを続けており……



 その報道がされた直後から、私の動画やSNSには、かつてないほどの大量のコメントが溢れ返った。


 そのほとんどが、私を心配する内容である。


 ま、そりゃそうだ。


 二十歳の女の子の部屋で、彼女をストーカーしていた犯人の死体が発見されたのだ。しかもその犯人は元ファンの女子高生ときた。


 きっとリコピンは多大なる精神的ダメージを受けているだろう、と心配するのが普通の感覚だ。


 でも、みんな安心してね。


 そんなことで、赤戸間リコピンがへこたれることはないから。


 彼女は、私を含めた世の中のすべての女の子たちの代表であり、憧れの存在。そして、彼女はずっとその存在であり続けなければならない。


 当然、理想の存在である彼女に、プライベートなんてない。彼女のプライベートはサンクチュアリであり、触れてはいけない開かずの間。誰も知ることは許されない。


「お腹すいた」


 まるで判で押したようなつまらない心配コメントに「いいね」を押す作業に飽きた私は、ジャージにTシャツという、例によってラフすぎる部屋着のまま部屋を出ると、徒歩三分のいつものコンビニに出かける。あ、もちろん帽子とマスクも忘れずにね。


 今日は特に予定もないから、晩ご飯も一緒に買って帰ろう。


 おにぎりとカップ麺、あとサラダチキンと缶ビールを手に、私はレジに向かった。


 私がレジの前に商品をおくと、相変わらず眠そうな金髪の店員が、無愛想にレジ打ちを始める。


 どうせまた「袋いりますか?」って聞くんでしょ。


 私がうんざりしながら店員の手元を睨んでいると、彼は急に動きを止めて私を見て、意外な言葉を口にした。


「あの、に……ニュース、見まし、た。た、大変……でしたね」


 私は一瞬、頭の中が真っ白になった。


 だって、おかしいじゃないの。


 こんな帽子にマスクで、ダサいTシャツにジャージ姿の今の私を、赤戸間リコピンだって、気づけるわけがないのに。


 いや。待て待て。落ち着け私。


 ニュース、という単語だけに過剰に反応したら危険だ。


 もしかしたら、彼の言っているニュースというのは、全然別のニュースのことなのかもしれないし。


「ニュース? なんのことですか?」


私は努めて冷静を装って、なるべく低い声でそう尋ねた。


「す、すす、ストーカー、されてて……しかも、か、勝手に、その犯人が……へ、部屋で、な、亡くなってたんですよ、ね……」


 金髪の店員は、へどもどしながら、心配そうに私のことを見ていた。明らかにコミュ障っぽいな。てか。


 いやいや。


 君ってさあ。


 本当にいつも、余計なことしか言わないよね。


 私は会計を済ませ、レシートを受け取ると、なるべく不安そうに聞こえるように、少し声を震え気味にして、ささやくように彼に言った。


「あの……ごめんなさい。あなたにこんなことを言うのは本当に変かもしれないけど……ちょっと相談に乗ってほしいんです……今夜、誰にも内緒で会ってもらえますか? バイト、何時まで?」

よろしければ、お気軽にご感想など頂けたら幸いです♪

また、他の作品も書いてますので是非、ご覧ください♪

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