とある投稿者の10月15日の愚痴エッセー
近頃色々物騒だ。
バスが横転したり、ミサイルが飛んだり、核兵器が飛びそうになったりしている。
せめて第三次世界大戦が始まるまでに「全ては幻想郷のために」を書き終わりたいが、もしかしたら終わらないかもしれない。
そうなったらまあ、なんだろう。続きは生き残った人達で考えといてくれ。何となく私は死んでそうな気がするから。
金魚鉢のメダカはまた2匹死んであと1匹になっている。もうじき死ぬだろう。餌を食わなくなってきた。
どうせいつか生物は滅ぶ。人間だからって免れまい。勝手に戦争するならしとけばいい。それが人間の滅亡になっても知ったこっちゃない。賢いやつの努力は馬鹿なやつに壊されるのがこの世の常だ。
…ふう。気が重くなる。話を変えよう。
そういえば最近ツイッターで誰かに認められたいと思う奴は大人じゃないんじゃないかって言うツイートを見た。ような気がする。
そのツイートをした人はなろう作家でシンパシーを感じたのはさておき、ちょっと考えてみた。
PV数やブックマークを求めるのは誰かから認められる、いわゆる承認欲求。
その上には自己実現欲求という自分らしさを求める欲求があるとグーグル先生が言っている。
この二つは根本的に違うらしいが、私はどうなんだろうと思った。
自分らしさを求めるならそのまま自分が正しいと思った道を進んでいくだろう。
だが、それにゴールはあるのだろうか。
自分らしさを追い求めるあまり、完璧な球にしようとして削りすぎたみたいな、他人の部分を切り捨てまくって自分を見失うことになるんじゃないか?とも思う。
それなら誰かを頼って自分は正しいと認めてもらう方がいいだろう。他人の部分は残るが自分らしさが消えなくて済む。
人間、大人になればなるほど疲れる。味気なくなる。酒に溺れたくなる。そもそも大人になることすら正しいのかと思ってしまう。
っていうか自分らしさというのもかなり曖昧だ。何それ美味しいの?って感じがする。うーん、分からん。眠い。頭の中で授業してるみたいだ。
書くのも面倒になった。もう終わろうと思う。見返してみて何このエッセーと笑いたくなった。けどさっきのグーグル先生の話に少し付け加えて終わりにしようと思う。
自己実現欲求の上に自己超越というのがあるらしい。自我を忘れて目的の達成を求めるというロボットみたいな文言が書いていた。
けど、半分は納得できた。自分らしさというのは自分らしさ何て考えずに自分の感性に従っている時に発揮されるんじゃなかろうか。小説も勢いで書いた方がいい文章になってるのもそういうところじゃなかろうか。と。
モンエナの炭酸が抜けていく。たまにはそういう音をぼんやりと聞くのも悪くないような気がする。




