097 基地からのSOS
ニヤニヤするアリスの所為で冷静さを取り戻せた俺は状況を精査する――
そして誤魔化すように一つだけ咳払いをした後、俺は静かに口を開く。
「この新たな情報は考慮する必要はない。こんなもの我々が考えてどうこう出来る問題ではないからだ……何より、これを理由に撤退できる訳でもないしな……」
<まあ、そうね……聞いたら怖くなったなんて言えないもんね>
身も蓋もない言い方にされたが、このアリスの言葉通りである。
むしろ、エース部隊たる我々はそういう場にこそ向かわされるのだ……とまあ、格好づけはしたものの、それでもやはり怖いものは怖いのは本音である。
「はぁ、これだけ異常が続くと流石に怖いので帰りますと言いたい所だ」
反射的に不安を吐露した俺……言葉だけじゃなく、その実際に乗り気じゃない気配を感じたのか、アリスが良い事を考えたとばかりに元気に口を開く。
<どうする? やっぱ故障の振りで撤退の進言する? あ、そうだ! ヒートシンクへのルートの開閉が上手くいかなかった事にして何処か適当な所に熱を与えるのはどうかな? 首の辺りの線なんてどう? 広角カメラでカバーできるし!>
そんなアリスの何とも言えない閃きに俺はすぐに苦言を呈する。
「今だって何が起こるか分からないんだ……機体を無闇に壊さないでくれ」
<ええー、でも他に手はないでしょ? あ、そうだ! 故障は帰る寸前にすれば良いと思うの! データは改竄っ! ほら、これなら中々に良い感じじゃない?>
「ううむ、それなら……」
だが、続いて中々の名案を口にしたアリスの言葉に答えを返し切る事はできなかったようだ。次の瞬間、又もやとばかりに高梨から新たな情報が告げられたのだ。
無線から少し早口となった高梨の良く通る声が響く。
「橘隊長っ! 今度はスバル基地からSOSです! 聞き取り難いですが、『多数の生存者あり、インセクタムに囲まれている。至急救援を求む』……との事です!」
何はともあれ、この新たな情報は先ほどに増して異常なモノであったようだ――
「これは……冗談だろ……」
今、僅かに撤退に傾きかけた俺を的確に止める為のような……そんな冗談のような実にタイムリーなSOSに俺もアリスも思わず絶句してしまう。そして……
<ね、ねえ、このタイミング……絶対におかしいわ! ホントにどうするの? 一応、誤解させるのも悪いと思うから言うけど、私は撤退の方に大賛成よ!>
「そ、それは分かっている。もう、俺は君を信頼しているから! だが、どうするもこうするも今の段階では、これはただの救難信号だから無視する訳には……」
そう、幾つかの情報を知っている我々からすれば、これは正に罠そのものであるが当然、それを知らなければ、これはただの急を要する救難信号となるのだ。
その考えが正しいと示すかのように早速、皆から次々と無線が入ってくる。
「隊長、急ぎましょう!」
先程と違い、オープン回線に響いた高梨からの『基地からのSOS情報』にまずは田沼が反応する。それに追随するかのように今度は三島の声も聞こえてくる。
「そこに敵が集まっているって事ですかね? 通りで……それで敵がいなかったんすね……あっ!? でも、急がないと基地がヤバそうっすね!」
そして……それからほんの少しだけ間を置くようにして大崎の声が聞こえてくる。不安からなのだろうか、こちらはいつもと少しだけ調子が違うようだ。
「急いだ方が良いですけど……密集隊形は維持した方が良いかと……」
ともあれ、この急げという共通の反応を前にようやく俺も撤退を諦める――
「まあ……行くしかないか……」
<そうね……今更、私の機体だけ故障したなんて冗談でも言えないわ>
今からの『理由のない撤退』は余りに失うものが多すぎるようだ。さて、少し強まった雨と風に負けぬように俺は声を張り上げて皆に新たな命令を伝える。
「金田小隊、マイキー小隊、聞こえていたな? 急ぎ、基地へ向かう!」
この指示を合図に小隊の皆の機体も動き出したようだ。左右に展開した田沼・大崎機の動きによって作られた波紋が少しして俺の機体の足元へと伝わってくる。
<どうしたのよ? ホバーと三島に追いつかれちゃうわよ!>
やはり、進みたくない気持ちが強いのだろうか……そんな未だに動けなかった俺をアリスが急かしてくる。その言葉で俺はようやく重い足を持ち上げる。
我々の機体は利根川を越え、未索敵の危険エリアへと入る――
無事、刀水橋を渡り終えた我々はすぐに辺りを警戒する。
ただ、それは兎も角、橋の上での挟撃、水中からの奇襲を想定しながら進んだのだが、特に大きな問題は起こらなかったようだ。どちらも我々に致命傷を与えるのに都合の良い場所だっただけに何も起こらなかった事に俺は少しだけ困惑する。
「我々を仕留めるなら第一候補は橋上だと思っていたんだが……もしかしたら罠を仕掛けた相手は我々に死んで欲しいと思ってはいないという事なのだろうか?」
<もっと、しっかりとした罠が先にあって、そこで殺すつもりなんじゃない?>
又もや、身も蓋もない事を口にした画面の中のアリス……同時に少しニヤッとした表情を見せてきた彼女に対して俺は思わず顔を顰めてしまう。
だが、今度は何だか少し嬉しそうになった彼女にかまけている時間はない。そう、ここからは何一つ安全確認がされていないエリアとなっているのだ。
「アリス、索敵部隊の様子はどうか?」
<ん? 今さっきに展開したばかりみたいよ>
そう言った彼女の言葉に続き、モニターにオフロードタイプの無骨なバイクの姿が映し出される。それら十台のバイクが雨風のベールの向こうへと散っていく。
モニターの左右に拡大表示されていた彼らの姿が完全に消え失せる。
<見えなくなっちゃった>
「彼らの……無事を祈ろう」
さて、少しばかり感傷的になってしまったが、問題はむしろ我々である。
<……っていうか、むしろ私たちの無事を祈って欲しいわ>
そう、彼女の言う通り、小回りの利く彼ら索敵部隊は意外にも生還率が高い。むしろ、至近距離での遭遇戦となりやすい我々の方が圧倒的に危険なのだ。
……という訳で本来であれば慎重に慎重を重ねて進みたい所なのだが、そんな我々は非常に残念な事に基地からの緊急の救援信号を受信した所なのである。
やはり、のらりくらり……という訳にはいかないという事だ。
「大崎の言う通り、密集隊形で一気に行くしかないか……それこそ、相手の虚を突くほどに一気に行く方がまだマシかもしれん……だがな……」
覚悟を決めた割には未だにグチグチとしてしまう俺……そんな情けない俺に発破を掛けてくれているのだろうか、明るい調子となったアリスが声を掛けてくる。
<もうっ! 折角、大崎さんがこんな的確な意見を言ってくれたのよ! 今は逃げる事よりも前に進む事を選んだ大崎さんの素晴らしい成長を喜びましょ!>
「確かに……撤退の進言ではなかったな……」
<でしょ? 帰ったら彼の成長を祝うパーティーしよ!>
何だか少し誇らしげな彼女への答えの代わりに俺は重い足を持ち上げる――