096 異常しかない事態
さて、俺の勘は当然、『この痕跡を追うべき』と言ってくる――
何より、これだけの異常が見て取れる痕跡に何もない訳がない訳と判断した訳なのだが……足を止めて既に一分、未だに赤城から追跡の指示が返らない。
<メール、届かなかったのかしら?>
「そんな事は無いと思うが……確かに遅いな」
<ね? 返信は忙しくとも三十秒以内にはするべきよね?>
「それは知らんが……兎も角、催促しよう」
流石に業を煮やした俺……待ってられんとばかりに直接に無線で支持を仰ぐ。だが、そんな俺の少し苛立ったような声に今度は突如として答えが返る。
「橘一等陸尉、聞こえるな……貴様らは元の作戦を遂行しろ……そのレーダーの跡地の件は別動隊が向かう。分かったな? 分かったら返事をしろっ!」
我々に追随するレーダー設置部隊、それと共に進む赤城からのクリアな返答が機体内に響く。だが、俺は今の『彼の違和感しかない呼び方』を強く訝しむ。
不自然さを大いに感じた俺だが、すぐに冷静を装って答えを返す――
「了解……橘一等陸尉、本来の作戦を遂行します」
さて、俺の覚えた『小さな違和感』に同調したのか、アリスが早速とばかりに無線を封じてくれたようだ。そして間髪入れず、叫ぶように声を掛けてくる。
<聞いたっ!? 橘一等陸尉だって! 誠二でもコールネームでもなくよ!>
この鼻息荒いアリスの言葉に俺もすぐに答えを返す。
「ああ、明らかに演技がかっていたな」
<ね? 声の調子も言い回しも本当に普通だったけど……絶対に怪しいわ!>
そんな彼女の少し苛立ったような声に俺もまたすぐに答える。
「何かあるのは間違いないな……今、事を荒げるなという風に聞こえたが……」
<やっぱ、そんな感じ?>
「ともあれ、急に何処からか横槍があったのは間違いないだろうな……」
<こんなタイミングでっ!?>
俺は絶句したアリスに更なる考えを伝える。
「もしかしたら……敵の尻尾を掴んだかもな……」
<まさか、罠を仕掛けた相手が? そんな『あからさまな事』をしてくる?>
「普通ではあり得ないだろうな……まあ、相手が何処の誰だかはまだ分からないが、この痕跡の件で『そうせざるを得なくなった』という事かもな」
この残された痕跡が相当にクリティカルなモノであったという事だ。
「この跡地にあったレーダーの行き先に……隠しきれなかった何か……か……?」
<追わなくて良いの?>
「気持ち的には追いたいが、この横槍に対して連隊長たちが黙っているのだから何か他の理由があるという事だ。今、我々が勝手をする訳にもいくまい」
<責任取れないもんね>
「まあ、そういう事だ……本当に気になるんだがな……」
兎も角、その痕跡は防壁を東へと抜けていったのだろうか……追うなと厳命がきた以上、もはや追う事は出来ない。それだけに疑問だけが膨れ上がってしまう。
一体、そこに何が――
だが、そう考えた次の瞬間、マイキーから新たな情報が届いたようだ。
<橋の南東の河川敷沿いにタイヤ痕とシックルと思しき足跡を発見、トラックはそのまま河川敷沿いを走り抜けていったように思われる……だって>
さて、この先の無いはずの進路を選んだ理由は敵に追われていたからなのだろうか……だが、この俺の咄嗟に浮かんだ考えは続く情報によって否定される。
<シックルの歩幅は狭く、まるでトラックに追随しているかのよう……だって>
まあ、言いたい事は山のようにある。
だが、何はともあれ、この先に基地はない。ここが最前線であり、この先に在るのは既に壊滅した街の跡だけ……友軍は一切おらず、むしろ敵の真っ只中である。
兎にも角にも、この進路を取る理由だけは絶対にないという事だ。
この新たな異常な情報には流石に俺も呆れ返ってしまったという事だ――
いつも通りの盛大な溜息を長々と吐き出した俺はようやく口を開く。
「シックルの不可思議な行動に目を瞑ったとしても……全く意味が分からんな」
<ね? トラックは何処に行くつもりだったのかしら?>
「運搬用なんだから何処かに運搬を……」
<だから……何処かにって何処よっ!>
「……知らんよ」
追えない以上、言い合いにもならない言葉を投げ合うしかなかった二人……だが、又もやと響いた高梨からの無線でこの無駄なやり取りは阻止される事となる。
「先行している索敵部隊から入電……刀水橋周辺の安全が確保されたそうです」
「ん、そうか……了解した……彼らには感謝を伝えてくれ……以上だ」
冷静さだけは僅かに戻した俺はすぐに一応の答えを返す。だが……
<はい、ブチっ!>
ここまでの異常な状況を受け、少し不安そうだった高梨……まだまだ新人である彼らへと淡々と冷静な振りで指示を伝えた俺だったが、アリスによって軽やかに無線が切られると同時に普通ではやらないような盛大な愚痴を吐き出してしまう。
「ああ、糞……この大変な時に……もう、追いついてしまったのか……」
そう、我々は遂に先行していた索敵部隊に追いついてしまったのだ。つまり、ここは撤退が可能な限界線……言い換えるまでもなく、ここからは一段も二段も危険になるという事である。俺の思わず飛び出した愚痴も致し方ないという事である。
「まいったな……」
そんな苦悩する俺にアリスが実に分かり易い言葉を掛けてくる。
<ねえ、どうするの?>
だが、この短い全ての疑問が凝縮された言葉に俺はすぐに答えを返せない。
敵の尻尾らしきモノが見えたが、先に進めと赤城から指示を受けた以上、このトラックの跡は追いたくとも追えない……ならば、基地に向かうの一択だが、こちらも罠があるかもと聞いているだけに『さあ行こう』とは素直に言えないのである。
……という事で思いっきり、しかめっ面を見せる事となる。
<何、その顔……悩んでるの?>
「まあ……な……」
<じゃあ、撤退?>
「ここまで色々と事が起こった以上……この後も何かあるのは、ほぼ間違いないからな……本音では撤退したいが……撤退の理由、何も思い浮かばなかったからな」
<このままじゃ、格好つかないもんね>
だが、更に何か彼女が言い掛けた瞬間、今度は叫ぶような声が割り込む――
その叫び声の主は……先ほど指示を与えたはずの高梨であった。
「緊急入電っ! 深谷の『超巨大建造物群』へ向かった部隊から! 建造物は完全に崩壊……ですが、残骸の状況に異常あり、明らかに残存物が少ない状況、この場から持ち去られたか、何らかの理由で消失した可能性があり……だそうです!」
この長々とした奇妙な情報に対して俺は当然のように聞き返してしまう。
「持ち去られたか、消失した……だと?」
この俺の疑問に高梨が事前に用意していたかのように素早く答えを返してくる。
「はい……簡単に言うと『残存物の大半が無い』という事だそうです」
このハッキリとした……それでいて全く訳の分からない答え……それに対して何の言葉を返せなくなった俺は諦めて全員にその場での待機を命じる。
そして――
<はい、どうぞ>
「何を言ってるのか! 何が起こっているのか! さっぱり分からんっ!」
湧き上がる衝動に任せて思わず叫ぶように声を発してしまう。
<誠二もそんな風に癇癪を起して叫ぶのね……うふふ、子供みたい>
「む……」
だが、そんな俺の姿を物珍しく感じたのか、アリスがニヤニヤとする。そんな彼女の嬉しそうな、何とも楽しそうな表情を見た事で俺は瞬時に冷静さを取り戻す。
単純に間抜けな表情を見せ続けるのは面白くない……という事だ――