095 新たな痕跡
さて、出撃から小一時間、慎重を期してゆっくりと進む我々……だが、幸か不幸か、特に何も起こる事なく、アッと言う間に利根川へと辿り着いてしまう――
そう、非常に残念な事だが、明らかな異常事態の発生である。
言うまでもなく、つい先日まで最前線だった場所で小一時間、『何も起きない』、『何も見つからない』という事は普通では絶対にあり得ない事なのだ。
そんな中、俺の三度目となる確認の指示が響き渡る。
「全機……もう一度、現状を知らせろ」
だが、この俺の既に諦めきった言葉にすぐに諦めきった返事が戻る。
「田沼機、何もありません」
「大崎機、同じく何も発見できず……」
「三島機も同じく……視界は良好ですが、何も見つけられません」
この思っていた通りの返答に俺は思わず小さく機体の首を振ってしまう。
だが、そのままガックリし続ける訳にはいかないとばかり、今度は左右に展開するマイキー隊、金田隊へと同じような確認を行う。しかし……
「こちらマイキー、視界は良好だが、こちらも全く何も見えない」
「こちらも同様だ……あるのは古い残骸ばかりだ」
やはり何も変わらぬ答え……三度目となる同じ答えに俺は小さく溜息を吐き出す。その次の瞬間、ここまで黙っていたアリスがようやくとばかりに口を開く。
<やっぱり普通じゃないわ!>
この彼女の断言通り、普通ではない状況はもはや確定のようだ――
ここ利根川に至るまで直近の戦闘の痕跡が一つも無し、奴らの死骸、機体の残骸、銃弾が飛び交った跡、『AA-PE』が走り回った跡、在るべき痕跡がここまで全く見つけられないというのは明らかな異常事態、明らかに普通ではないのである。
だが、そんな異常が確定した所で俺にまともに返せる言葉はない。
「まあ……普通じゃないな」
<ここ、本当に最前線なの? 最近までインセクタムとやりあってたって話があった……んでしょ? とてもじゃないけど戦闘があったようには見えないけど……>
「まあ、見えないな……」
やはり、まともに答えを返せなかった俺は改めて自身の目で周囲を見渡す。
すぐ次の瞬間、広い範囲を見る為の俺の大きな動きに合わせて機体の肩も左右に大きく動いたようだ。小さな反動が機体を伝い、俺の身体に僅かに伝わってくる。
自分の身体を動かしたと錯覚するような一連の動き――
だが、この動きで手に入ったモノは以前より更に滑らかに機体が動いた事への感動だけだったようだ。だが、そんな複雑な喜びを表に出せる訳もなく、心の奥底で一人寂しく噛み締めた次の瞬間、アリスの素っ頓狂な声が機体内へと響き渡る。
<あ、何もないけど右翼のアビー機が見えたわ! ねえねえ、アビーが手を振ってくれたから手を振り返してっ! はやく! あ、あっち向いちゃうっ!?>
どうやら、サブカメラの光学ズームを使い、一緒になって周囲を探ってくれていたようだ。おかげで……本当に視界の状況が良いんだなという今は余り必要のない情報だけは確認できたようだ。俺は思わず、又もやと溜息を吐き出してしまう。
そんな俺の気を知ってか知らずか、またアリスが素っ頓狂な叫びをあげる。
<あーあ! シュンってしちゃった! 誠二の所為よっ!>
「機体越しなのに……分かったのか?」
<機体の頭が下がって背筋が曲がってたわ>
「そうか……よく分からんが……」
<本当よっ! ガックリって項垂れてたんだからっ!>
ともあれ、普通ではない異常事態の方には何ら変化はないようだ――
<……むっ!?>
さて、そんな中、俺のフラストレーションの高まりを感じ取ったアリスが素早く無線を切る。そして『いつも通り、記録には残らないわ』と笑顔を見せてくる。
モニターの誇らしげな彼女に感謝しつつ、俺は早速とばかりに愚痴を吐き出す。
「どうしたものかな……もう刀水橋が見えてきたのに何も起こらない。いや、何も起こらないこと自体が異常なのは分かっているんだが、それよりも撤退のタイミングが無い事が問題だ。ここで故障がなんて言ったら整備不良を叩かれかねんぞ!」
この一気に吐き出した俺の言葉にアリスが分かる分かると答えを返してくる。
<一度でも交戦があれば言い訳が立ったのに……歩いてるだけで壊れましたじゃ、格好がつかないもんね? やっぱ、諦めて進むしかないんじゃないかしら?>
「やはり格好がつかんよな……」
<こんな撤退、むしろ私が許さないわっ! 進みましょ!>
それしかなさそうだ。だが、続く『今の私たちなら多少の罠なら対処できるんじゃないかしら』というアリスの言葉には完全には同意できそうにないようだ。
確かに今の我々は連携が可能なチームとしての戦力としては最大であると思う。
だが、罠を仕掛けた相手は『その強靭なチームの出撃』を許したのだ。言い方を変えれば、それでも我々を罠に嵌められると考えた……とも取れるのである。
「我々なら……か…」
俺は自分の小隊の更に後方へと視線を送る。
視線の先に在ったのは武装を最小限、機動力を最大限にしたという特殊仕様のホバートラック……潜入偵察を行う特殊部隊の三名が乗り込んだトラックである。
<何よ……何か、不安でもあるの?>
主に嫌な予感として当たる俺の勘の良さを思い出したのか、アリスが恐る恐ると言った感じで声を掛けてくる。その『聞いたものの、余り聞きたくないなぁ』といった渋い表情をモニター上に確認した俺は少し苦笑しながらも一応の答えを返す。
「機動力が高い仕様と言ってもホバーでは限界がある。当然、我々との連携も期待できない。その状況で奇襲されれば我々のネックになる……と考えただけだ」
現実的な考えだけに勘よりも質が悪いとでも思ったのか、アリスの表情が更に渋くなる。だが、そんな表情豊かな彼女とのやり取りだけにかまけている暇は無くなってしまったようだ。ここに来て左方に展開していた金田から緊急の連絡が入る。
「橘……レーダーを配備してあったと思われる跡地を見つけた」
「跡地……?」
この俺の反応を合図にするかのように金田から詳細なデータが送られてくる。だが、この新たな詳細なデータも現状の異常を増やすだけのモノであったようだ。
さて、金田の発見したレーダー跡地は刀水橋の近く、この近辺で最も大きな工場が在った場所のようだ。そこを接収し、軽く整地してレーダー基地にしていたようだ。以前に向こうから送られてきたというデータ上にもそう表示されている。
だが……
「何も……無いな……設備は移転した……という事か?」
「分からん……だが、この周囲に見合う場所があるとは思えんな」
確かに彼の言葉通り、この周辺に代わりになるような立地はない。
そもそも、かなりの広範囲が田畑の跡地であり、今は溢れ出した水で覆われてしまっているような軟弱な場所なのだ。地盤を相当にしっかりと整えなければ、レーダー設備のような重量のあるモノを置けるような土地ではない……という事だ。
「それでもわざわざ移動した……という事だな」
「とてもじゃないが、手間暇に見合うとは思えんが……」
もちろん、手間を掛ければ不可能ではない。だが、これだけ追い詰められている時にやる事ではない。そう頭を悩ます俺に金田から更なる情報が伝えられる。
「ん? おい、ここの跡……やけに新しいぞ……ここまでに見た痕跡は古いモノばかりだったのに……こいつはまるで今し方に移動したと言わんばかりの跡のように見えるぞ。む、ここの泥を踏んだのか、それで僅かにタイヤ痕が残ったのか?」
「こちらに貰ったデータからは読み取れないが……そうなのか?」
だが、そう言った俺への答えの代わりに金田が更に新たな情報を伝えてくる。
「幅からして運搬用の大型トラックのタイヤ痕……それに……なんだ……これはシックルの足跡かっ!? トラックに並行する様に穴が……これはトラックを追っかけているのか? いや、やけに歩幅が狭い……ほぼ歩いているような間隔だな」
続く金田からの異常な情報、これに咄嗟に答えを返す事ができなかった俺……だが、この新たな痕跡の情報は明らかに重要であると俺の勘が告げてくる――