092 柏木旅団長
荒川大橋への入り口近く、そこにあった古い打ちっ放しのゴルフ練習場の周辺を急ぎ無理やりに区画整理して造られた明らかに臨時の前線基地……吹き付ける雨と風、その騒音を全く消し切れないような簡易的なプレハブ建てのハンガーの中、まずはと出撃準備の指示を始めた俺の耳に実に聞き覚えのある声が飛び込んでくる。
「久しぶりだな……橘一等陸尉……」
さて、ツルツルとなった頭を撫で回しながら現れたのは以前に少しばかり関係を持つ事となった第三旅団のトップ、『柏木 英輔』旅団長であったようだ。
「……っ!? か、柏木旅団長……また御会いする事ができて光栄です」
『この忙しい時に一体、何のつもりだ。そもそも、こんな危険な場所にトップがノコノコと来るな』という含みは絶対に悟られぬよう表情もしっかりと作って発した俺の言葉……それを受けた彼の鈍い銀色をした細身の眼鏡がキラリと光る。そして……やや愚痴っぽく、ねちっこい彼の性格を反映したような言葉が返ってくる。
「世辞はいらん……それより、君は『厄介事』と共に現れるようだな……まあ、君の小隊の特性上、それは仕方がないという事は分かっているのだがね……」
周囲へとサッと僅かに視線を送りながら口を開いた柏木……俺はと言えば、立場ある彼が何の為に自ら、こんな所に単独で現れたのかと頭を悩ます。
まあ、間違いなく面倒事だろうが……悪い予感が溢れるように湧いてくる――
隠しもしない溜息と共に一気に吐き出された言葉を受けて辛うじて苦笑いを返した俺……だが、『何故、ここに?』という言葉を出す前に先んじて彼の口が開く。
「済まんが、通信機器の類は切ってくれ」
この一言を受けた俺は素早く次の行動に移る。
「……っ!? 了解です。アリス、機体での作業を頼む」
<えぇ!? 私も聞きたいっ!>
「駄目だ!」
彼の言葉を命令として受けた俺は続くアリスのブーイングの雨を物ともせず、躊躇なくスマホの電源を落とす。この流れるような対応から俺が正しく状況を理解したなと考えたであろう柏木旅団長が満足そうに小さく二度、三度と頷いて見せる。
そして……
「賢しい貴様なら俺がわざわざ来た理由の想像がつくな? そう、緊急事態だ。応答のなかった基地から今しがたになって突如として『SOS』が発信されたそうだ。しかも、すぐそこの第五旅団の基地でなく、貴様らの向かう第六旅団基地からだ」
今の今まで全く応答のなかった基地からのたった一度だけ、突然の一方通行の無線連絡だ……そう苦々しげに言った柏木旅団長が更に苦々しげに言葉を続ける。
「その後の反応は一切なし、ハッキリと言ってベタな罠としか思えん」
「罠……ですか……」
さて、確かに今、聞かされている情報だけを考えれば、これは紛うことなき罠である。そう、たった一度とはいえ、救難信号を受けたとなれば、我々は行かない訳にはいかない。そうして集まった我々を何らかの手段で一網打尽とする罠である。
「動かざるを得ない状況を作ってからの罠……こちらに罠とバレるのは覚悟の上なのでしょうかね? まあ、本当に罠であれば、中々に厭らしい罠ですね」
ともあれ、相手がインセクタムでなければ、いの一番に考える事である。だが当然、我々の相手は虫に近い習性しか持っていなそうなインセクタムたちである。
本能や習性としての簡易的な罠は張りかねない。だが、流石に通信までは……
そんな事を考えた俺……その訝しんだ表情から何かしらを読み取ったのか、柏木旅団長が又もや吐き出した大きな溜息と共に素早く勝手に答えを返してくる。
「まあ……罠だろうが、何だろうが貴様らのやる事に変更はないのだがな……」
さて、周囲の人目が完全になくなった今、ようやく本題に入ったようだ――
周囲を今一度だけ見渡した柏木が小さく口を開く。
「前澤と西島政務官から一定の情報を受けた。暗躍する何かについてだ。どのような連絡手段を取ったかは伝えられないが、貴様ならこれだけで納得できるな?」
驚きの余り、反射的に目を見開いてしまった俺だが、すぐに心を落ち着ける。そして前澤旅団長と幼馴染である西島の名、そして情報として出回っていないはずの暗躍する何かという言葉が出されたという事から彼の立場をすぐに理解する。
そう、成り行きは分からないが、彼が我々の陣営に引き込まれたという事だ――
だが……やはり状況が状況だけに思わず少しばかりの警戒を示してしまう。そんな俺のあからさまに訝しむ気配を察した柏木がやれやれと言葉を紡ぐ。
「詳しい説明をする時間も無いし、証明する術もない……である以上、ここからは貴様の返事はいらん。今から話す内容は全て俺の独り言だ……が、その前に一応伝えておく……前澤とは入隊以来の同期、貴様ら程ではないが腐れ縁という奴だ」
さて、この彼の言葉の真偽を確かめる手段は今の俺にはない――
だが、眼前の彼の雰囲気から嘘はないと考えた俺はすぐに背筋を正す。彼がそうしろと言った通り、答える気はないが、聞く意思はあるという事を示したのだ。
「よし、貴様との接触は激励する為としている……手短に伝えるぞ」
こう口にした柏木が一歩だけ俺へと近付いてくる。そして……
「この作戦は高確率で罠だ……貴様の賢い幼馴染曰く、状況的に貴様らをどうにかする為……あらゆる意味で失脚させる為の罠ではないか……という事だそうだ」
「……っ!?」
「目的が貴様らな理由は当然、単純な悪意だけではないだろう……そう、外への露出が増え、貴様らを知る者は大いに増えた。つまり、貴様らは一つの象徴となり始めたのだ。そうなった以上、貴様らの失墜は『AA-PE』連隊の失墜となる訳だ」
どちらかと言うと貴様の意見は聞く気はないと言わんばかりの言葉が更に続く。
「罠だと想定した大きな理由は一つ……この作戦を俺や前澤で止める事が出来なかったという事実……簡単に言うと……作戦の停止を総理大臣の名義で邪魔された」
既にに驚きで目が大きく見開かれた俺に無情にも更に言葉が続けられる。
「まあ、単純に見れば総理大臣も敵の内……という最悪の事態になるか……だが、良い話もあるぞ。総理大臣本人……その名を語った誰か……ともあれ、我々の敵と言うべき、暗躍する何かは我々に見える形で足跡を残してしまったという事だ」
まあ、肝心な敵の姿、敵の規模、敵の意図……その全て、本当に何も分かってないのだがなと手早く一気に捲し立てた柏木とここでピタリと目が合う。
「何も分かっていなくとも、この作戦は明らかに罠だ。機体の不調とでも何でも言って早い段階で撤退を進言しろ。タイミングの判断は貴様に任せる。この件は赤城にも伝えてあるから安心しろ。兎に角だっ! 絶対に無理だけはするなよ?」
これ以上の時間は取れん……何処に監視の目があるか全く分からんからな――
そう力なく口にし、こちらの答えも待たずに足早に去っていく柏木……結局、激励の言葉は一つも発せずに去っていく彼の背を俺はただ茫然と見つめる。
そして今更ながらに背筋を冷たくする。
そう、一等陸佐、陸将補が就く旅団長……その権限を持ってしても作戦を止める事ができなかったという事実……総理大臣名義で弾き返されたという事実に――
さて、そもそも今回の作戦はその旅団長たちによって立案された作戦である。それを横入で無理に止める事が出来るとなると当然だが、更に高位の役職となる。
以前、我々の側と言い合う事となった『神田 秀衡』陸上幕僚長、それと同位の統合司令官、その2トップの更に上に立つのが『大森 茂』防衛大臣、その更に上となると総理大臣である。力が上という点では在日米軍も含まれるだろうか……
ともあれ、これらの中に今回の作戦を強行させたい奴がいるという事……いや、冗談抜きに我々を殺しても仕方ないと思っている連中がいるという事だ。
更に強まった風雨がハンガーを盛大に叩く中、俺は又もや茫然としてしまう――
◇
さて、やはり普段通りとはいかなかったようだ。
皆に何とか作戦変更を伝えて自身の機体へと戻るには戻ったのだが、先ほどから続くアリスの矢継ぎ早な質問には全く気付かなかったようなのだ。
<全然、聞いてないじゃない!>
アリスの怒りに任せた叫ぶような声がプレハブハンガーに目一杯に響き渡る。
「す、済まんな……一度だけの救難信号、向こうで何が起こっているのだろうかと考えてしまったんだ。だが、その……納得のいく答えが出せなくてだな……」
普段よりも圧倒的に狭いハンガー、周囲に聞こえてしまったアリスの叫びの言い訳……自身の隠し事への言い訳を皆に聞こえるように少し大きな声で発する。
<……っ!? ねえ……誠二、本当に大丈夫?>
俺の様子のおかしさに気付いたアリスが耳元で囁くような声を出す。その声を背に皆の視線が確実に逸れた事を確認した俺はここでようやく覚悟を決める――




