089 緊急招集
通常の起床まで後少し、そんな心地よい微睡みの時間に突然の緊急招集を受ける事となった俺は一瞬で着替えを終えて足早に廊下を駆け抜ける――
そんな俺を待ち受けていたのは『北区、板橋区、練馬区』を守る東京方面軍・第二旅団『AA-PE』部隊・連隊長である『前澤 栄吉』一等陸佐……そんな後ろ手を組み、渋い表情の彼の眼前には既に見慣れた面々が揃って集まっていたようだ。
マイキー、金田、そして赤城……いつもの三名が一斉にこちらへと視線を振り向ける。だが、そんな変わらぬ彼らの様子は残念な事に何時もとは少し違っていたようだ。意識せずとも伝わる明らかに重たい嫌な雰囲気に俺は少しばかり面食らう。
「金田は想像はしていたが……マイキー、君まで呼ばれていたのか……」
この俺の反射的に思わず呟いてしまった言葉に金田が居心地の悪そうな表情だけを見せてくる。マイキーも小さく笑顔を見せ、ぎこちなく手を上げるだけで応えてくる。何にせよ、彼らの普段の陽気さは何処かへと行ってしまったようだ。
当然の嫌な予感……何もない訳がない……出来れば聞きたくない――
だが、そんな俺の想いを知ってか知らずか、前澤連隊長が遂に口を開く。
「よし……始めるぞ」
明らかにテンションが落ちた暗く淀んだ声……その声が聞こえるや否や、彼の背後のモニターに以前、金田と共に見た『歪となった日本地図』が映し出される。
そして今回、その地図上に我々の現在の新たな最前線が表示されていく。
「噂には聞いていただろうが、我々はここまで奴らを押し返す事に成功した」
連隊長の暗い声、俺の嫌な予感、それらに全く合わない情報……むしろ、ハッキリと言ってかなり良い情報を受け、中隊長を除く皆が揃って感嘆の声を上げる。
それは……まあ、そうだろう――
俺は関東全域といった表示に切り替わった地図を改めて食い入るように眺める。
そう、都心深くまで喰い込まれていた我々の支配地域がこの数か月で荒川向こうまで大きく広がっていたのだ。何より驚きはそれだけでない。そう、長らく物理的に分断されたままだった群馬方面軍との合流が遂に果たされたとなっているのだ。
「信じられん……この短期間で群馬方面軍と合流……本当なのか?」
我々を代表するような金田の驚きの声にすぐに連隊長が答える。
「間違いではない。『荒川・入間川』防衛戦、あの戦いで『このエリア』のパワーバランスは一気に我々に傾いた。そして第三・第四旅団はその隙を突き、一気に群馬方面へと北進……一時間前に群馬方面軍との合流に成功したとの連絡を受けた」
この連隊長の言葉に我々の更なる歓喜の声が続く。だが……
「だが、向こうで何やら問題が発生してしまったようだ」
明らかに更に一段と落ちた連隊長の不穏な声色と言葉……これを受け、我々の歓喜の声はピタリと止む。そして溜息を吐き出した前澤が改めて静かに口を開く。
「あれから今まで我々は群馬方面軍と連携し、こちらは川越から向こうは熊谷からという形で挟み込んでの残党狩りを行った。互いの前進は続き、一時間前には遂に互いの機体が目視されたとの連絡を受けた。だが、残念な事に向こうのあらゆる電気信号が突如として寸断されたとの連絡も同時に受ける事となってしまった」
『突如としてだ』と改めて強調され、そのまま更に彼の言葉が続く。
「機体同士の近距離無線で会話が行われた瞬間、突如として悲鳴が起こった。次の瞬間、向こうの機体は完全に停止、同時に群馬基地との連絡も不能となった。あらゆる可能性を考え、現在はエリアごと遠巻きに監視中……残念な事に未だに機体からパイロットが降りてこない……当然、その他の動く気配もなしといった状況だ」
この信じられない情報を受けた我々は互いに目を合わせる。
「機体が完全停止……パイロットまで行動不能……基地との連絡も不能?」
「機体が無事という事は毒物……? まさか、電磁パルスなんて事も?」
「毒物は兎も角、電磁パルス……強力なモノなら人体にも影響も与えられるか?」
「エリアの広さを考えると核爆発クラス……そんなレベルの電磁波兵器が?」
「うーん、アメリカ本国にはあるらしいけど持ってきてないはずだヨ?」
「何よりインセクタムが使えるはずがないだろ……誤爆の可能性は?」
「それほどの兵器を周りに気付かれずに誤爆するとは考えられないのでは?」
「……となると大規模な太陽フレアか?」
「いや、搭乗員にまで及ぶ影響力なら我々の方にも何か影響があるのでは?」
だが、ここまでヒソヒソと話していた我々の口をアッという間に塞ぐ情報が連隊長から突如として伝えられる事となる。一つは毒物も電磁波も周辺では全く検出されなかった事……そして二つ目、この二つ目は本当に信じられない情報であった。
「幸いな事に天候は比較的に良好……天候の急激な悪化を考慮した限界行動距離まで進んだ偵察用のハミングバード、その機体の最大望遠でどうにか街自体を見る事ができたという事だ。だが、そこに見えたモノは決して良いものではなかった」
その言葉と同時に彼の背後のモニターが地図から一枚の写真へと切り替わる。
このエリアを一望する写真……当然、ただの景色の写真ではなかったようだ――
「どう見ても完全に街が壊滅している……ように見える……だが、これは……」
「ああ、どう見ても最近のダメージではないね……焦げた跡があるにはあるが、何処もその痕跡が消えかかっているように見える。軽く一年以上は経っているか?」
俺の疑問の言葉にマイキーがすぐに応える。そして……
「君たちの言う通り、おかしな事に『この街の壊滅の様子』はどう見ても最近ではない。その上で妙な事がある。我々は月に一度、群馬方面軍から街の状況を画像付きで知らされてきた。どういう事か分かるな? これでは『我々が仲間から何故か嘘の情報をここまでずっと聞かされてきた』……という事になってしまうんだ」
無言で目を見開き、黙ってしまった我々の前に次々と新たな写真が示される――
順に映し出された写真の数々……これらは国道407号に造られた延々と続く防壁、その防壁に守られるように配置された後方基地、その更に後方に連なる工場群、利根川向こうの自動車工場跡地に造られた防壁を守る前線基地の姿であった。
だが、それらに付帯された情報の所為で我々は又もや大いに驚愕する事となる。
「基地と工場、何より防壁がほぼ無傷? ほとんど傷が無い……? ど、どういう事だ? インセクタムに突破された訳じゃないって事なのか? 迂回されて攻撃されたって事か? い、いや、それよりも……ここにも……あの横浜みたいなデカい建物があったはず……だよな? どこにも無いように見えるんだが……」
金田の驚きを多分に含んだ言葉……それに刺激され、俺もすぐに頭を回す――
だがやはり、大した考えは浮かんでこなかったようだ。
防壁に基地、工場……これらが無傷なのは戦力の優先度を考えれば、それほどはおかしくない。だが、そこをどれだけ肯定しても同じエリアにある超巨大建造物が見当たらないというのはあり得ないのだ。まあ、超の付く異常事態という事だ。
そう考えた俺の視線を受けた連隊長が小さく溜息を吐き出して言葉を続ける。
「超巨大建造物が破壊されていたのは事実だ」
『だが……』と言った前澤連隊長が更に言葉を続ける。
「残念ながら、そこにも妙な事実があったそうだ。簡単に言うと残骸が圧倒的に足りない……という事だそうだ。鉄骨らしきモノやコンクリート片らしきモノが幾つも見えているが、あるべき体積には全く足りないのでは……という事だそうだ」
視線を下げ、溜息を吐き出した連隊長の代わりに今度は俺が言葉を続ける。
「どう見ても、ただ崩れ落ちたという訳ではない……という事は……ここまでの全ての事実を……真偽を含めて我々が間近で見てこいという事ですね」
その言葉を聞いた前澤連隊長が小さく頷き、また一つ大きな溜息をつく。
「まあ、そういう事だ」
分かり切った答えを聞いた俺も心の中で大きな大きな溜息を一つ吐き出す――