087 点と点
大いに酔った人々を順に送り届け、そこそこに荒らしてしまったカラオケルームを少しばかり片付けた俺はここでようやく真っ当な休暇を味わう事となる。
「ようやく休める。疲れた……眠い……頭も少しクラクラする……はぁぁぁ」
誰もいない寮……狭い一人部屋、そこに俺の少し情けない溜息が響き渡る――
だが、この世間でいう『おっさんのような盛大な溜息』には何の反応もなかったようだ。そう、いつもであればアリスが『そんな格好悪い姿は絶対に嫌だ』とブーブーと文句を垂れる所なのだが、机に置いたスマホからは何の反応も起こらなかったのだ。そんな何時もと明らかに違う反応に俺は少しばかり興味をそそられる。
「ん? アリス……? もう寝たのか?」
データ整理の為に『まるで人の睡眠のように短時間のスリープ』を行うというアリス……今もそうなのかと声を掛けたのだが、そうではなかったようだ。
まだ揺れる視界の中、目についたスマホの専用アプリを何気なく起動してみるとモニターに何とも言えない表情でモジモジとするアリスが現れ、その何とも言えなかった表情がすぐに余り宜しくない驚きを含んだモノへと変わってしまったのだ。
つまり、やらかした……という事だ――
<な、何よっ! 何で勝手に起動したのよっ!>
アリスの驚きと少々の怒りが入り混じった叫び声がスマホのスピーカーを通して部屋中に派手に響き渡る。これを聞いた俺は思わず反射的に謝罪の言葉を発する。
「す、すまんっ!」
やはり、俺もまだ酒に酔っていたようだ。
普段はアプリが落ちていたならば彼女の気分任せ、こちらから一応の声を掛ける以外に何かする事などなかったのだが……今、いつもよりも随分と短絡的になっていた俺はつい興味本位で思わず、その専用アプリを勝手に起動してしまったのだ。
まるで『着替えの現場に遭遇した漫画の主人公』のような気分となる――
さて、反射的に消してしまったスマホのモニターの前で大いに居心地の悪さを覚える俺……だが、このままでは良くないと姿見せぬアリスへと改めて声を掛ける。
「本当に済まない……よく考えてみれば、そこは君のプライベートルームのようなモノだったな……興味本位で勝手に起動するのは本当に良くなかったよ」
外部からの音声に正しく反応しているとういう事を示す赤ランプは正常、こちらの声に合わせて確かに点滅していた。だがしかし、先ほどの俺の謝罪の言葉には何の返答もない。やはり、それだけ腹を立ててしまったという事なのかもしれない。
「ううむ、どうしたものかな……」
思わず呟いた俺の言葉、その大いに困り切った声色に気付いたのだろうか……次の瞬間、モニターに酒に酔った俺より赤ら顔となったアリスが映し出される。
「アリス……顔……」
<何も言わないでっ! うぅ、何で顔の赤みが消せないのよっ!?>
外部からの情報、それに対する決められた個々の反応という奴だろうか……どうにかして自身の顔の赤みを隠したいが、どうにもならないといった所のようだ。
しかし、そんな慌てふためいた彼女だったが、遂に色々と諦めたようだ。
<うぅ、恥ずかしいからモニターは落とすわ>
又もやとばかり、スモホのモニターが落とされるや否や、今度は彼女の少しばかり冷静な……それでもまだ少し上擦ったかのような声が聴こえてくる。
<今は気にしちゃったけど……いつもはプライベートとか気にしてないわっ!>
しかし、そうは言っても……と考えた俺の気配に気付いたのか、顔を真っ赤にしたままのアリスが再びスマホのモニターへと映し出される。
そして……
<本当に気にしないで……ギクシャクするような状況は好きじゃないから……そ、それよりも私の顔が赤くなっちゃった理由……さっきの……覚えてる?>
「さっき? 金田の件か?」
<違うっ! 違うけど……忘れてるなら……ど、どうなのかな……?>
顔を真っ赤にしたまま、そう言った彼女の表情を改めて窺う――
だが、彼女の真意を俺が窺い知る前に別の問題が起こってしまったようだ。
<ん? 西田からメール……これって……あの時、捕まえた奴のデータよ!>
突然、いつもの様相に戻ったアリスの声が又もや部屋中に響く――
◇
さて、もう深夜と呼べる時間になった所だろうか……そんな遅くにも関わらず、突如として送られてきた博士からのメールを俺はゆっくりと読み進めていく。
「あの時の蜘蛛型の新種……あいつの一通りの解析が終わったのか……」
偽りの強行偵察、偽りの捕獲作戦、その際に偶然に出会ってしまった新種の蜘蛛型……そのまま安易にスパイダーと名付けられたインセクタムの姿を思い出す。
<あの部屋中にビッシリと詰められていた大量の生々しい卵、孵化して一斉にブワっと近寄ってきたアイツらの姿……うぅ、どっちもバッチリと記憶に残ってるわ>
「完璧な記憶の良さが裏目になったか……」
<気軽に言わないで! 本当に嫌なんだからねっ!>
間違いなく顔を大きく顰めたであろうアリスの声……それを合図に俺は更に先へと読み進めていく。そしてただの姿形の評価から俺には全く分からない組成データへと目を通した所でようやく急ぎで送り付けた理由と思われる情報へと辿り着く。
「地球に適応した新たなインセクタムの可能性が高い……か……」
<繁殖能力が格段に上がった……攻撃性、防御能力が低下した……だってさ>
ともあれ、奴らは驚くほどの異常な速度で地球に適応していっているようだ。
「増える速度が上がった可能性、近寄らなければ大人しくなった可能性、倒しやすくなった可能性、そこら中に巣食う可能性、更に新種が出てくる可能性が圧倒的に上がった……か……これらの情報、どう取れば良いのか迷うところだな……」
<余り良くはないんじゃないかしら? 通常種も何処からか産まれてきて更に新種がそこら中に分布したら、もう人が住める所が無くなるんじゃない?>
「それなりに倒せるようになったら数で対応してきたとも取れるか……立ち消えかかったミサイルによる飽和攻撃が再評価されかねないか……」
この情報が我々にとって吉と出るか凶と出るか――
だが、そんな事を考えた俺の横でアリスが何やら云々と唸り出したようだ。
<適応したって……いくらなんでも変化が大き過ぎないかしら? アイツらが宇宙産だから? しかも、地球の在来種によく似た生態に偶然なるなんて……でも、元々から似たところはあった訳だし……でも、うーん……あり得るのかしら?>
このアリスの小さな呟きに俺の背筋が少し寒くなる。この状況がもし偶然でなかったのなら『誰が何の為に?』という当然の疑問を思い浮かべてしまったのだ。
(インセクタムの急速な環境への適応、これが人為的なモノと仮定すると間違いなく信じられないような演算能力が必要となるだろう……まあ、考え過ぎか……)
ほとんど全てが仮の話……そんな状況での自分の逞しい想像に自分で首を振る。
だが、何となく点と点が繋がってしまいそうな予感に俺は小さく身震いする――